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河和(こうわ)水上機基地(その1)

 ここは愛知県知多郡美浜町古布。河和海軍航空隊の敷地は約180haの広さがあったそうです。現在、その敷地の中心部は現在都築紡績(株)河和工場になっています。この航空隊の遺構は近くの丘の上にあった航空隊本部からスリップまでの誘導路の跨線橋橋桁、水上機を海岸に上げ下ろしをする為のスリップと呼ばれる傾斜面、倉庫の土台、航空隊本部の建造物の一部らしきもの等が残っています。

 工場付近の森下公園内にある河和海軍航空隊の記念碑には次のように書かれています。
 昭和十八年十二月 河和海軍航空隊設立 第十八連合航空隊に編入(整備教育)
 昭和十九年四月 第二河和海軍航空隊開設 第十一連合航空隊に編入(水上機操縦教育)
 昭和二十年二月 河和海軍航空隊は第一河和海軍航空隊となる
 昭和二十年五月 第二河和海軍航空隊は第十一連合航空隊から第三航空艦隊第十三連合航空戦隊に編入される
 昭和二十年八月 終戦 戦歿者数三十七名

 この写真は手前を走る国道を跨いで向こう側にある海に水上機を誘導するための跨線橋の橋桁の跡です。写真手前の奥、直線距離で500m程行ったところに大阪航空局名古屋航空無線標識所があります。ここにかつて航空隊本部があったそうです。 


 上の写真の右側にある人工的な入り江です。護岸の施し方がコンクリートではなく石ですので年代は古そうです。ただし海に面した部分のコンクリート製の堤防と水門は昭和33年以降に出来たものです。丸印は橋桁です。


 入り江の全体です。


 コンクリート製の堤防側から橋桁の方を見た様子です。丸印の部分に橋桁があります。


 一番上の写真の左手50mのところにある倉庫の土台です。この田圃の持ち主の方は50年以上、この土台と付き合っていることになります。田植機や稲刈り機にとって非常にやりにくい田圃になっていることでしょう。


 土台を斜めから見た様子です。


 もう一列あります。


 土台の拡大です。上面に鉄筋が見えています。


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参考文献: 戦時下・愛知の諸記録95 発行者 あいち・平和のための戦争展実行委員会
      戦時下・愛知の諸記録96 発行者 あいち・平和のための戦争展実行委員会
      愛知の戦争遺跡ガイド 改訂版 発行者 あいち・平和のための戦争展実行委員会

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制作 1999年11月15日