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0008雑記草


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000801

 キンダーサプライズというチョコレート菓子がある。どんな菓子かというと丁度鶏の卵ぐらいの大きさで卵の殻がチョコレートで出来ている。中は中空である。チョコレートの殻は厚さ2〜3ミリで2層構造になっていて、外側は普通のチョコレートで内側はホワイトチョコレートである。鶏の卵を模しているならば外側がホワイトチョコレートになっていてもよさそうだが、そうはなっていない。本当の卵と間違えないようにだろうか。

 チョコレートの殻の強度はそれ程強くないので店頭には子供が握りつぶしたキンダーサプライズが時々見受けられる。

 中にはプラスチック製のカプセルが入っていてその中にプラスチック製の組立玩具が入っている。定価が一個150円なので未就学児に普段与えるには少し高すぎる。しかもチョコレートなので健康上の色々な面からも与え過ぎるのはよくない。こう考えると大人用の菓子のようである。

 中にはいっている玩具の種類は沢山ある。あまりにも数が豊富なため交換所まである。海外にもある。もともとはこちらが本場だろう。

 一年ほど前に子供に買い与えたキンダーサプライズのおまけにサラリーマンの人形が入っていた。その姿は携帯電話をズボンのポケットに入れてネクタイを緩め、舌を出している。酔っぱらっているのだろうか。子供用の玩具の人形でどうして酔っぱらいのサラリーマンなのだろうか。 この辺りが人気の秘密なのであろう。やはり大人も購買すると想定している。

 中にはいっている注意書きには33ヶ国の言葉で「3歳以下の子供に与えるな」と書いてある。ロシア語、カザフ語、ギリシャ語、アラビア語、中国語そして日本語などがある。意外なのは朝鮮語がないのである。韓国ではキンダーサプライズが売ってないのだろうか。

 面白いのは「キンダーサプライズ」が中国語で次のように表現されていることである。「健達 出奇蛋」「健達 巧克力蛋」の2種類が記されている。「健達」は「キンダー」 を音訳したものだろう。中国語にそういう意味があるかどうか分らないが、「健やかな子供達」のような感じがしてうまい訳だと思う。「蛋」の字は皮蛋(ピータン)とか蛋白質のたん「蛋」で鳥の卵という意味。「出奇」はサプライズそのものである。「巧克力」はなんだろう。何となく「サプライズ」を音訳している気がする。

000802

 瀬戸物の茶碗や窓ガラスが割れると、そのまま割れた破片を付き合わせても元に戻らない。割れる前は当然のことながら完全に一体化していたのであるが、割れた後は接着剤等で付けないと元に戻らない。何故戻らないのか。

 空気中で物を割ると割れた表面に瞬間的に割れた部分の表面に空気中の分子や水分が付着して茶碗の割れ目が一体化していた時と全く違う状態になってしまうからか。

 それならば超高真空中で茶碗を割ったらどうか。破片を合わせれば元に戻るか。何となく戻らないような気がする。陶磁器は多結晶体なので複雑な割れ方をして目に見えないような破片が発生するかもしれないので完全には元に戻らないのかも知れない。

 単結晶の場合はどうか。単結晶の場合、割り方によっては非常にきれいに割れる性質を持つものがある。それは結晶を構成する原子の結合の性質によるものだから割れた面というのは結晶が規則正しく並んだ割れ目が出やすい。

 このような単結晶を超高真空中で割って、直ぐにその割れた面を付き合わせると元に戻ってしまうだろうか。恐らく戻らないだろう。いくらきれいに割れても原子の配列の段差は出来てしまう。一旦割れて分離した結晶の破片の割れ目を完璧に一致させるのは不可能だろう。それに何かの作用によって割れたということは、その作用によって割れた部分は元の状態から変化したのだから、それが何もしないで元に戻るというのはエネルギー収支が合わなくなってくる。これが元に戻らないと思われる一番の原因のような気がする。

 ただし割れた破片を付き合わせて摩擦や電流で熱を加えたり圧縮したりして結晶を構成する原子を動かし、段差をなくしてやればくっ付ける事は出きるだろう。でも熱で段差をなくすということはエネルギーを与えていることなのでこれは厳密な意味で元に戻ったのではない。やはり割れる前の状態とは少し違うのである。

000803

 先日の話題で「巧克力」はサプライズの音訳ではないかと書いたら、ある読者の方から、それは「チョコレート」という意味ではないかと指摘された。「巧克力」はチョコレートの音訳で読み方は「チャオクーリー」らしい。見当違いなことを書いていた。

 中国では外来語は基本的に意訳しているらしいが、最近は音訳がかなり増えてきているらしい。中国語には音訳をする場合、この音にはこの漢字という目安があるのだろうか。漢字は表意文字なので純粋に音だけを使ってある言葉を表していても、漢字自体の意味が目に飛び込んで来てしまうので、すんなりと頭に入ってこないような気がする。もしかして中国語を使う人は中国語にない漢字の配列であると思った瞬間に外国語の固有名詞の音訳としてその漢字が表音文字に見えてくるかもしれない。

 文字の歴史からすれば、まず表意文字が発明され文化の発達により語彙が増加すれば、単語と文字の一対一対応は書き言葉自体がどんどん煩雑になってしまうので表音文字が必然的に発生してきたのであろう。ギリシャ文字やローマ字も起源は表意文字のエジプト文字である。ただし朝鮮語で用いられる表音文字のハングルは自然発生的に出来たのではなく、その起源も漢字ではないようである。

 日本語はもともと中国語の文字である漢字でそれを表記する方法を採用した。漢字で日本語を書くということは、中国語からみれば文章の殆どが外来語で構成されているようなものである。万葉仮名では漢字の意味がちらついて不便だったのかも知れない。万葉仮名が基となって表音文字である平仮名や片仮名が生まれた。

 中国語では日本語のような表音文字が発明されなかったのは何故だろう。中国語は様々な言葉を表すのに音をそのまま文字で表すという方法を採らず、既存の文字の組み合わせで新しい文字を作りだし、新しい言葉に対応していくという方法が採られた。シュメール人の楔形文字やエジプト文字でも組み合わせで新しい言葉の意味を表すという方法が採られたが、この方法は漢字ほど発達しなかった。漢字はこの方法が高度に発達したので表音文字の出る幕がなくなってしまったのかも知れない。文字はそれが発明された言語では当然ながら柔軟に対応できる筈だが、外来の文化に対しては必ずしも迅速な対応は難しい。既存の表意文字ではもともとその言語にない概念を表すことは「表意」である以上出来ない。新しい概念や言葉があるのにそれを表す文字が出来上がるまで暫く時間がかかっていては不便で仕方がない。

 こうして考えると表音文字は外来文化の作用によって出来てきたような気がしてきた。確かにローマ字にしても平仮名にしても起源の文字の発祥地とは違う場所で発明されている。もしかしたら中国語で表音専用文字が出来なかったのは中華思想も関係しているのかも知れない。

000804

 西洋の言葉*1で回転を表す単語は「v」や「w」が付くものが多い。もともと「w」は「vv」と書いていたのが一字になった*2ものである。だから「v」で始まる単語が多いといってもいいかも知れない。

 英語で車輪は「wheel」、ぐるぐる回す「whirl」、回転させるの「revolve」も接頭辞の「re」が付いているが「v」で始まっている。螺旋状を意味する「involute」もそうだ。フランス語で「volant*3」、イタリア語で「volante」は自動車のハンドルの意味がある。

 オーストラリアの強い熱帯低気圧は「willy-willy*4」である。スウェーデンの自動車メーカの「volvo」はもともと軸受け製造会社だった。ボルボックス「volvox」もいつもクルクル回っている。ミズスマシ*5も「whirligig beetle」という。

 回転という抽象的な概念を表す単語になぜ「v」が多いのか。ローマ字は表音文字だから擬態語から発生したのだろうか。考えてみると日本語の「くるくる」「ぐるぐる」もどこから来たのだろう。

 表意文字で「回転」を表すのは簡単だ。「回」の古字「囘」は渦巻きそのものである。



*1 インド・ヨーロッパ語族
*2 ヴとバャ
*3 ル・ボラン
*4 Las Vegas Host - Wet 'n Wild Water Park
*5 TOYRO倶楽部 ☆ミズスマシ ミズスマシ科 分布 日本全土

000805

 この記事を発信しているレンタルサーバー*1が昨日の21時頃から故障していた。全く記事が閲覧できない状態になっていた。半年程前にもこのようなことになったが、数時間後に復旧した。

 今回は復旧に12時間以上かかった。サーバーの変更を検討しなければならない。



*1 COOL ONLINE

000806

 ビキニ*1の季節である。ビキニ*2はマーシャル諸島のビキニ環礁での核実験の衝撃に匹敵するデザインと言うことで名付けられた。ビキニ環礁というとアメリカの水爆実験による第五福竜丸*3の放射能被曝を思い浮かべる。ビキニと言うのは水爆による戦後初の日本人被曝犠牲者*4の出現ということからフランスのデザイナーが名付けたような気がしていたが、違っていた。

 水着のビキニが発表されたのは1946年でアメリカがビキニ環礁で原爆実験を始めた年でもある。これから「ビキニ」という名前が付いたようだ。アメリカが初の水爆実験*5を行ったのはビキニ環礁の近くのエニウエトック環礁*6で、1952年*7であった。第五福竜丸がビキニ環礁での水爆実験*8で被曝したのは1954年であった。

 ビキニbikini*9の「ビbi」を二つとか二重のという意味の接頭辞「bi」と解してトップレスのビキニをモノキニmonokini*10という。紳士用の超短パン*11を指す場合もあるらしい。またワンピースの水着*12を指すこともあるらしい。タンクトップとの組み合わせはタンキニtankini*13というらしい。

 算術の「積」は「和」の繰り返しである。a*bはaをb回足す操作である。「冪(べき)」は「積」の繰り返しである。aのb乗a^bはaをb回掛ける操作である。
 積seki→「s」ingle+ekiと冪beki→「b」i+ekiの関係はモノキニmonokiniとビキニbikiniとの関係に似ている。



*1 ビキニ姿と英和辞典
*2 この夏・水着の傾向と対策 雑感(4)
*3 第5福竜丸 ※詳細はこのサイトのソースを参照 またはここ
*4 HONDA Spirit of 60's: 時代背景
*5 ビキニ水爆被災事件
*6 CIA - The World Factbook -- Marshall Islands
*7 Operation Ivy
*8 Operation Castle
*9 Hottest swimwear from Ujena Swimwear - Brazilian bikinis, thongs and more
*10 この夏・水着の傾向と対策 雑感(3)
*11 Men's Department
*12 ワンピースTバック(Onepiece Thong)
*13 Tankinis

000807

 今から5年ほど前、自動車に乗って交差点で信号待ちしていたら追突された。自動車は筆者が運転しており後部座席には当時三歳であった息子が子供用座席に座っていた。追突された瞬間、三歳の子供にとって何が起こったのか分からなかったのだろう、息子はびっくりして大泣きした。追突速度は10km/h以下だったろうから、人身事故には至らなかった。トランクが少し潰れて開閉が出来なくなった程度であった。

 追突した自動車の運転手は信号待ちで地図を見ている間にブレーキを緩めてしまったらしい。オートマチック車だったのでクリープで自動車が動き出したのだった。

 近くの公衆電話から110番したら、人身事故ではなく双方の自動車が動くならば今から警察に出頭してくれ、ということなので一緒に赴いた。調書を取られる間、息子は机の上に登ってわーわー騒いでいたので、調書を取る警官にお子さんにも問題はないね、と言われ純粋な物損事故として処理されることになった。

 問題はこれからだった。お互いに連絡先を確認しあった時に加害者からある告白を受けた。

「すみません。任意保険に入ってないんです」

 何、私の自動車の修理は本当にやってもらえるのか、と心配になり暗澹たる気持ちになってきた。こういうのも悪質ドライバーというのだろう。自分が事故を起こした時の責任を全うできない状態で自動車に乗る行為は運転マナーの悪さ以上の悪質さである。自腹を切る覚悟をしなければならないのか。トランクの修理代が2、3万円であることを祈るしかなかった。

 つき合いのあるディーラーに自動車を持っていって修理見積もりを出してもらった。30万円弱かかりそうだと言われた。とても自腹を切る気になる値段ではない。営業の人に相手が任意保険に入っていないことを伝えると

「どうしようもないですね」

と奈落の底に突き落とされるような言葉を頂いた。筆者は車両保険には入っていなかった。車両保険は主に自損事故の為でなので、その為に保険を掛けるのは馬鹿らしいと思っていたのだ。自分でやった事故はその時諦めて自分で払えば済むし、それに自損事故は絶対しないという自信もあったのである。無保険車による物損事故は全く想定していなかった。人身の場合は相手が無保険でも自分の任意保険が適用出来るが、物損には無効である。当然、強制保険である自動車賠償責任保険は人身事故だけが対象である。

 加害者に見積もりの値段を連絡すると、自分の指定した工場で修理させて欲しい、と言い出した。これでは正当な修理がなされたかどうか分からなくなる。このままでは相手のペースに乗せられてしまう。何としても自分の指定した工場で修理をしなければならない。こうなったら行動あるのみだ。修理できれば何処でも同じだろうと甘い世間が許しても体が許さないのであった。

 とは言っても相手の家に押しかけて胸ぐら掴んで言うことを聞けなんてことはとても言えない。紳士的な方法で行動した。弁護士を使った。小中学生時代の同級生で弁護士をやっている奴がいるのでそいつに頼んだ。

 ある日、修理と代金支払いをどのようにするか協議するため三者が集まった。加害者は勤めている会社の社長を伴って来ていた。話を聞くと加害者は最近離婚をしてその慰謝料を月賦で払っているらしいのだ。生活に余裕がないらしい。任意保険に入っていなかった理由もそれが関係しているようだった。

 そこへ筆者が自動車の修理代を強制的に取り立てることは可能であるが、そうとなると加害者の給料を差し押さえることになり、加害者は生活保護の対象になってしまうというのだ。同級生もそこまではしたくないというので結局、毎月2万円12回払いの示談金で決着が付いた。社長も加害者の給料からの振り込みは毎月必ず行うと同意した。

 この件以降、車両保険を掛けるようにした。2万円は毎月遅滞なく一年間筆者の口座に振り込まれた。支払いが完了したとき相手もホッとしただろうが、こちらもホッとした。

000808

 電流の単位である1アンペアは次のように定義されている。

真空中に1メートルの間隔で平行に置かれた無限に小さい円形断面積を有する、無限に長い2本の直線状導体のそれぞれを流れ、これらの導体の長さ1メートル毎に2×10-7Nの力を及ぼし合う一定の電流

である。無限に小さい円形断面積というのはどういうことか、無限に小さかったら円も糞もないような気がするが、円形としないで無限に小さな面積とすると平板の断面積でもよいことになってしまう。平板では力の及ぼし方が全く変わってしまう。

 そんなところは問題ではない。問題なのは「無限に長い直線状導体」である。無限に長い電線にどうやって電流を流すのだろう。これは無限に小さい円形断面積を作るよりも現実味がない。無限に小さい円形断面積を有する電線はガラスを引き伸ばすように電線をゆっくり引っ張ってやれば何となく出来そうである。無限に小さいと言っても最後は金属の原子が一列に並んだ状態になって切れてしまうか、それとももっと太い状態で切れてしまうかもしれないが、そこまでは何とか努力できる。

 しかし無限に長い電線に直流電流を流すためには無限に大きな電池が必要である。そもそも無限に長い電線に電流は流れ出すのだろうか。

 電線に電流を流すためにはどうすればいいのか。まず電流の素である電荷を用意しなければならない。金属で出来た電線の中には沢山の電子が自由に動ける状態になっている。だから電荷の準備は出来た。

 次に一定の電流とは電荷が定常的に一方向に動いている状態である。電荷を動かすには電界が必要である。電界とは電荷を置くとその電荷が動き出す雰囲気のようなものである。電線の中に電界が発生していれば電子は動き出す。電子は負の電荷と定義されているので電界の向きとは逆の向きに動き出すが、電流の定義に関してはどちらに動こうと関係ない。

 電界を作るにはどうすればいいか。電位差がないと出来ない。電位差とは電圧のことである。特にどちらが先と言うわけではない。電界があるということは電位差があると言うことだし、電位差があれば電界が生じていることである。電流は水道に例えると判りやすい。電荷が水、電線が水道管、水道管の高低差が電位差すなわち電圧、水道管の傾きが電界の強さである。そして電流は一定時間に水がどれだけ流れたか、である。水を流すために高低差を作ると言うことは電位差、電圧を掛けると言うことになる。

 この水道管を無限の長さにしたらどうなるか。待てど暮らせど水が流れてこないだろう。なぜなら無限の彼方から有限の速度で水が流れてくるのだから自分のところまで水が来るのは無限の時間がかかるのである。

 それはおかしいという人がいるかも知れない。電線の中には電子が充満している。ということは水道管に初めから水が入っている状態である。従って水道管を傾ければ水は流れ出す。これは水道管の長さに関係がない。これが無限の導線の電流の流れ方である、というかも知れない。

 そうすると無限の高低差が必要となる。これは無限の大きさの電圧が必要ということである。

 以上のことから無限の長さを持つ電線に電流を流すのは無理ではないかと思う。

000809

 クマムシという生物がいる。この生物を知ったのは数年前であった。本で読んだだけなので実物はまだ見たことがない。虫と言っても昆虫ではなくワムシとかツリガネムシのような微生物の虫である。

 大きさは0.5〜1mmぐらいでその名の通り熊のような形の虫である。歩き方も熊みたいらしい。そこら中にいるようなので観察しようと思えばいつでも観察できるらしい。クマムシは様々な環境に耐えうる動物としてよく知られている。たとえ乾燥させても水に浸けてやると元に戻って活動し出す。これにはトレハロースという物質が関与しているらしい。 クマムシの様々な厳しい環境に対する驚異の耐久性についての簡単な説明はここにある。

 クマムシが面白いのはこれだけではない。クマムシの生物学的分類ではどれに入るかはっきりしていないらしい。もともと分類体系は研究者によって若干違うようだが、このクマムシを緩歩動物門という「門」で分類している場合がある。例えばヒトを分類体系で言えば「動物界脊椎動物門哺乳網霊長目真猿亜目ヒト上科ヒト科ヒト亜科ヒト属ヒト種」だそうだ。動物「界」の次に脊椎動物「門」がきているので、その脊椎動物門と同じ分類の階級で緩歩動物門があるのだ。脊椎動物はゾウやクジラからヤツメウナギまで様々な動物が含まれるが、緩歩動物門はクマムシだけらしい。

 大きな枠の分類なのだが、それに含まれる項目が一つしかない。何となく連想させられるのは全日本海員組合である。産業別組合としては日本に唯一だと思われる。労働組合連合会いわゆる労連というのが様々な産業分野にあるが、これらは企業内組合の集まりだから、労連自体は単一の組合ではない。産業別組合という分類はあるが、含まれるのはクマムシ同様、全日本海員組合しかない。

000810

 新潮社が発行している「*1」という雑誌を定期購読している。100ページぐらいのA5版の雑誌で、歯医者や銀行の待合いによくありそうな雑誌である。

 雑誌本体価格が95円消費税込みで100円と安い。購読理由は100円という低価格の雑誌が何となく気に入ったからだ。しかし新潮社の新刊本の宣伝雑誌だから只でもおかしくはない様な気がしないでもない。色々な作家が記事の執筆に当たっているので単なる宣伝広告とは違うと思い込めばいいのかもしれない。

 年間購読を予約すると送料込みで1000円になる。もともと安いのに年間にすると更に安くなるので嬉しくなり、筆者は5年分ぐらい予約してしまった。ただし5年にしても1000円×5年=5000円だったような気がする。日経BP*2の雑誌は購読期間が長くなれば*3一冊当たりがどんどん安くなるが、もともと雑誌の値段が高いので余程気に入らないと長期間申し込む気にはなれない。

 ある日ある書店で本の勘定を払おうとしたら「波」の平積みの山*4が目に入った。ご自由にお持ち下さい、とあった。



*1 波
*2 日経BP書店
*3 Order Form for NIKKEI_BUSINESS
*4 古本屋さんの歩き方

000811

  お盆前後は泊まりがけで出掛ける事が多くなる。心配なのはミドリガメだ。餌をどうするか。自動餌やり機を探さなければならない。

 先日、水を数日間換えなくても済むように水槽を少し大きくした。側壁の高さも高くなったので、これで数年間は亀の脱走の心配をしなくて済む。

 餌をどうするかだ。水槽にはホテイアオイが入れてある。観察すると葉っぱや茎に多くの亀が齧った跡がある。どうやらホテイアオイは餌になるようだ。またキャベツを入れておくと知らぬ間に小さくなっている。これらを入れておけば、問題ないかも知れない。

 同じ水槽に様々な水棲生物が棲んでいたいた。最近、ドジョウとオイカワがいなくなってしまった。亀が食べてしまった。現在水槽には田螺ヨシノボリがいる。ヨシノボリは結構攻撃性が強そうなので亀に食べられることはないと思う。田螺はかなり大きいので食べ難いだろう。

 ドジョウやオイカワは結果的に餌になってしまったのであるが、人工の餌を給餌機でやる代わりに生き餌を入れておく方法は何となく気が引ける。人工の餌も元はといえば生きていた魚などであるから変わりはないのだが、餌になることを前提して一緒に水槽に入れておくのは可哀想な気がする。

 水も餌もなしで10日間大丈夫だった実績があるのでそれ程心配する必要はないかも知れない。

 あぁ、それにしてもお盆が不安だ。亀を連れて出掛けるしかないのか。

000812

 網際という言葉があること知った。全く違うことを検索サイトで検索していて気付いた。

 網際というのは中国語でインターネットという意味らしい。電網というのはよく見かけたが、網際には気付かなかった。

 internetをそのまま漢字に置き換えただけである。interが「際」でnetが「網」。interは間とか中間とか相互という意味である。「際」は交わりだとか境目という意味だ。

 internationalなら国際的、interdisciplinalyなら学際的と訳される。国と国との交わりで「国際」、学問分野が跨っている状態が「学際」である。国や学問分野が単位となって、それぞれが相互の関係を持つことにより国際的、学際的な状態が形成される。まず、細胞のような小さくてもそれぞれ独自に活動している単位があって、それが集まって多細胞生物が形成されているような状態である。

 ところでインターネットは何が単位になっているのだろう。インターネットは通信網そのものを指しているような気がしてならない。中継局が階層的につながっている電話やテレビジョン放送網などの通信網と違う点は、細胞同士が血管を介して栄養素や排泄物を受け渡しするが如く中継局が情報を受け渡ししているところである。
 例えばテレビのネットワークであれば東京や大阪のテレビ局で制作され番組は地方の系列テレビ局会社に配信される。その系列会社から多少離れた地域では、更に無人局に配信しそこから電波やケーブルで各戸に番組が届けられる。番組は必ず制作局→系列局→無人局の順番で流れてくる。つまり親、子、孫の階級がある。
 一方、インターネットの中継局は親子孫の区別はない。皆同等である。それぞれの中継局がお互いに情報を受け渡ししている。まさに「inter」「際」の状態なのである。

 ところが、その「inter」「際」の状態が概念図的に「網目」を形成しているので「net」「網」が「inter」「際」になるというのは何か変な感じがしてきた。網際という言葉を知って突然こんな感覚になってきた。そう考えると電網の方がすっきりする。英語でどう言えばいいのだろうか。やはりinternetしかないのか。

000813

 通称を戸籍上の名前に、つまり本名とするのに、その通称の使用実績が7年以上ないと改名家庭裁判所に申請しても認められないらしい。実績と言ってもそれ程面倒な証明は必要ないらしい。身近なもので言うと年賀状で自分の宛名に本名ではなく通称が書かれたものが毎年届いてそれが7年以上続いていれば、その通称の使用実績の証明になるようだ。

 この7年と言うのはどこから来るのかよく解らないが、ある人が失踪して7年経過するとその人の親族などの利害関係人はその人の死亡届を出すことができるというのを思い出した。その年限を何年にするかは慣習によるものだろうが、7年というのはどうも中途半端なような気がする。切りのいいところで5年や10年でもいいようなものである。

000814

 日本語の虹の語源はよく解らない。「にじ」の「に」は赤色の「丹」と言う説が多いが、「じ」の方は諸説あるようだ。西洋の言葉で虹を表す単語は日本語に比べて格段に語源が分かり易くなっている。英語ならrainbowで雨の弓、ドイツ語でもRegenbogenで雨の弓、フランス語だとarc-en-cielで空の弓形だ。

 漢字の「虹」に虫編が付いているのは中国では虹は龍の一種と考えられていたからである。「虫」というのは生き物全般を表しているので、龍と考えられた虹にも虫編が付いた。「蟲」は元来、古代中国で昆虫を表していた。それが日本では獣や魚や貝を除く小動物を示す意味となった。やがて「蟲」の新字が「虫」になってしまったので、現代の日本で「虫」が動物を表すと言うと違和感を感じるようになったのかもしれない。

 こうしてみると西洋の言葉だと虹の形が丸であることが虹という言葉の基となっているが、日本語や中国語では形を表した言葉が語源となっていることはないようである。

 ところで虹は必ず円形になるのだろうか。虹が円であったり円形の一部で円弧の形になっているのは虹の原因が光の屈折だからである。空気中の漂う水滴に反射屈折した光が眼に到達して虹が見える。反射の角度と屈折の角度は必ず一定なので、眼に入ってくる光の軌跡を辿って反射した点をつなげていくとどうしても円形になる。地球が丸いから虹が丸くなるわけではない。

 虹がかまぼこ型になるのは視点が地面近くにある為で、下半分は地面の陰になって普通は見えない。従って地面がえぐれていているか視点がかなり高い点にあれば全周円の虹が見られるだろう。

 虹が円になる大前提は空気中に浮遊する水滴が球形であることである。もし水滴がラグビーボールのような形をして、皆同じ方向を向いていたら虹は円形にならないと思われる。

 東洋の言葉で虹の語源に形を表す言葉が含まれていないのは虹が場合によっては円にならないことを見越していたのであろうか。

000815

 廃藩置県が明治4年に実施されたにも拘わらず、明治政府は翌5年に琉球藩を設置した。そして琉球王 尚泰を藩王とした。この明治政府の処置は琉球王国が日本の一部であることを明確にするためであった。琉球王国は14世紀頃からの貿易で中国との関係を深めており、中国からは一独立国としての扱いを受けていた。

 しかし1609年の薩摩による琉球侵略で薩摩の属国扱いも受け、その状態で明治維新を迎えた。従って国際的には琉球王国は独立国であると同時に薩摩藩の一部という状態であった。廃藩置県は版籍奉還という前提がないと成立しない。琉球王国は大名ではなく元々独立国家なので朝廷に返すべき版籍はない。だから廃藩置県は関係ないはずだが、明治政府は沖縄が従来から日本独自の領土であったことにするため「藩」を設置したのではないだろうか。「県」を直接設置しなかったのは版籍奉還から廃藩置県へと徐々に大名を懐柔していく方法を踏襲したのだろう。

 明治12年、伊藤博文処分官に警官と軍隊の護衛をつけて首里城に乗り込ませて琉球藩の廃藩置県を完遂させた。

 これに何となく似た事例としてハワイ王国のアメリカ併合がある。ハワイ王国は1889年、アメリカ合衆国に併合され、1959年にアラスカに引き続き第50番目の州のハワイ州となった。これによってアメリカの国旗の州の数を表す星の配列が縦6×横8から現在の配列になった。

000816

 幼少の頃、「お歯黒ごっこ」という遊びを兄弟でやっていた。食卓に海苔が出されると、その海苔を歯に唾で貼り付けてお互いに見せ合うのである。ただそれだけなのだが、口をつむっておもむろにニヤッと笑うとお歯黒が現れるので、それが笑えて仕方がなかった。

 「お歯黄ぃごっこ」というのもあった。蒸したサツマイモがおやつで出てきたときにやっていた。蒸したサツマイモがおやつというのは今考えると貧乏くさいが、当時でもやはり少し貧乏くさいような気がした。

 サツマイモを口に頬張り、口の中でよく噛み、裏漉しにかけた状態のようにする。そして漉し餡状態になったサツマイモを舌を使って上唇と前歯との間に入れ込み前歯の表面がサツマイモで包まれるようにする。あとはお歯黒ごっこと同じでニヤッと笑えば黄色い歯が現れる。

 これもまた笑えたのである。

000817

 一日の始まりはいつか。一日は太陽の運行を基に決めている筈だから太陽の動きが基となって始めと終わりが決められているであろう。太陽が南中になった時刻付近を一日の真ん中としたくなるのが人情だからその対極の真夜中が一日の終わりであり、その次の瞬間が一日の始めであろう。現代の暦では一日の始まりである午前0時は南中の対極である真夜中に設定されている。

 「夕べ」という言葉から一日の始まりはかつて真夜中でも、日の出でもなく夕方から一日が始まる認識であったという説がある。「タベ」ではない。「夕べ」である。つまり一日は昼夜の順番ではなく夜昼であったということだ。

 それは「ゆうべ」という言葉には「夕方を一日の初めとした前日」の夕方の意味にも用いることがあるからだという。現代では「真夜中を一日の初めとする前日」の晩、つまり「昨晩」である筈の時刻がこの用法では同日となる。つまり「ゆうべ、変な夢を見た」と昼間に話している人にとっての「ゆうべ」は、話しをしている時点では同日ということなのだ。更に一昨晩のことを「きのうばん」という地方もあるらしい。現代で言う「昨晩」は、昔は夕方を起点にしているから「今日の晩」であった。従って現代で言う「一昨日の晩」は「昨日の晩」になる。「おとといばん」にはならない。昔の一日の始まりの考え方が方言に残っている。

 だからかつては一日の起点は「ゆうべ」であったというのだ。でも何となく変である。昔から一日の時刻は真夜中から始まっている。丑三つ時というのも時刻が真夜中の「子」から始まって二番目の時だからまだ夜中である。因みに「三つ」とは一日を12分割した「一時」を更に4分割した時間を「一刻」と言い、その三つ目の刻という意味である。
 日が暮れて太陽が沈むのを見てこれが一日の始まり感じるのはなかなか無理のような気がする。

 でもイスラム教では日没が一日の始まり*1のようなので、必ずしもそうとは言えないないのだろう。



*1 用語事典(暦法名)

000818

 インターネットの発達によって印刷物の概念が変わると言われていたが、長時間モニタに映し出された文字を眺めるのは、文庫本を寝ころんで読むよりも大変であるし読みにくい。

 しかし大量に売れる見込みのない著作物を本にしようとすると1冊当たりの値段がべらぼうに高くなり、もともと売れないものが更に売れる見込みがなくなってくる。そこで少数部数の出版をインターネット上でやれば出版にかかる費用は殆ど無くて済むので著作を読者に非常に安く供給する事が出来る。

 インターネット上で小説を販売している人がいる。ここの小説は少し特異な分野であるため読者層が特定し難いらしい。そこで返本などの危険性を避けるためインターネット上での販売を選択したという。

 そして小説家自身がこのいきさつを一冊の本にまとめた。出版社なんかもういらない!インターネット「印税」生活入門。インターネット上の出版ではなく紙の本による出版である。著者の立石氏もこの矛盾を笑っている。

000819

 は無事であった。水槽の中を元気に泳ぎ廻っていた。家を空ける前に5cm四方に切ったキャベツの葉を3枚水面に浮かべておいた。そのキャベツの上に日頃与えている人工餌と乾燥させた小さなエビを2、3日分を乗せておいた。

 これらの餌は完全になくなっていた。1週間ぐらいはこの方法で十分対応できることが分かった。もうこれで自動給餌機を買わなくても済みそうである。

000820

 キッコーマンの醤油さしのデザインがいい。丸いちゃぶ台の上にちょこんとのっている姿が何とも言えない。頭の部分が緑色になっている写真しか見つからなかったが、やはり頭が赤の醤油さしが一番である。

 もしかしたらコカコーラの瓶のデザインに匹敵するかもしれない。

 キッコーマンの醤油さしはグッドデザイン賞を授賞している。グッドデザイン賞を取るとその商品は売れないというジンクスがあったが、最近はどうなのだろう。

000821

 宇宙の様子を観測するのに星からやってくる可視光線だけではなく、電波を見る方法がある。このような電波を観測する天文学を電波天文学という。1932年にジャンスキーが宇宙から電波がやってくることを発見して以来、様々な発見があった。そして今でも発見がある。

 そのなかでもアメリカのユーインとパーセルは1951年に宇宙からやってくる波長が21cmの中性水素スペクトル線の検出に初めて成功した。

 この時彼らが作った装置は当時の値段で500ドルであったらしい。電波天文学観測史上最も安上がりな発見であるらしい。現代の電波天文学は非常に巨大化しており衛星の一つや二つ打ち上げないと新しい発見ができないようである。

000822

 ICQが「I seek you」であることをここの掲示板で初めて知った。他にはIOU→I owe you、XTC→ecstasy、SFX→Special effectsなどがある。Xmasの場合、「X」は先例のように「エックス」という音を借りてきたわけではなく、Christを意味するギリシャ語のΧριστοσの頭文字の「Χ」を持ってきたものである。クリスタルと書く代わりに「X'tal」という表記を秋葉原トランジスタ技術で見かけるが、これはXmasからの連想だろうか。どうもこれは日本独自の表記のようである。西洋では「x-tal」という表記の仕方があるようだ。

 これが出来るのは西洋のアルファベットの文字それぞれに名前というか読み方が備わっているからである。例えばAならば英語の場合「エイ」という名前が付いている。しかし綴り字の中の「A」は「ア」と読まれたり「エイ」と読まれたりしている。

 これを書いていて気付いたのだが、日本語のアルファベットである片仮名平仮名には西洋のアルファベットのような文字に対しての名前が付けられていない。「あ」は「あ」という名前であって文字そのものの呼び名がない。あってもよさそうだが、思い当たらない。

 徒然草の第六十二段に「こ」→二つ文字、「い」→牛の角文字、「し」→直ぐな文字、「く」→歪み文字、という平仮名の別称が紹介されているが、これはクイズみたいなものだから一寸違う。

 全然違うが「XYZ」というのもある。EXamine Your Zipper!という意味らしい。

000823

 中学生の頃、絵の具の白色のチューブの中に白い歯磨きを入れていた。そして美術の時間に誰かが白色の絵の具を借りに来るのを待っていた。

 絵の具のセットの白は他の色よりも大きい。使用頻度が高い訳である。果たせるかな、借りに来た。快く貸した。

 歯磨きの色と絵の具の白は全く違う白色だが、借りた本人は歯磨きが入っているとは思っていないのでそのままパレットに絞り出した。するとハッカの臭いがして、絵の具の色とは色が全然違うのですぐばれてしまった。

000824

 シーモンキー*1には特許がある。「子供の大科学*2」という本に書いてあった。アメリカの特許番号3673986*3である。シーモンキーとは塩水に棲むエビに似たプランクトンの一種で成長すると1、2cmぐらいの体長になる。卵は乾燥させて保存することが出来るので袋に詰めれば簡単に流通することが出来る。というより一度乾燥させないと孵化しないらしい。乾燥卵を塩水に浸けると1日でシーモンキーが出てくる。植物の種のような卵である。広告には卵の中から半身が魚の赤ん坊の絵がニコッと笑っていたり、王冠をかぶったシーモンキーがシーモンキーの女王と談笑している絵が描かれていたりして子供の想像力を必要以上にかき立てていた。
 筆者も絵の通りの生き物が出てくるものだとずっと思っていた。シーモンキーは小学生の小遣いでは少し届かない値段だったので想像のシーモンキーのみが頭の中でグルグル回っていた。

 それにしてもシーモンキーとは巧く名前を付けたものだ。どう見ても猿には見えないのに「モンキー」と名付けることが出来たのは凄いことである。ネーミングというのは商品を売るためには重要なことであるのがこれで十分判る。同じものが熱帯魚の餌として売られているが、これは通称ブラインシュリンプといわれている。この名前では子供心を揺さぶることは出来ない。

 特許と言ってもシーモンキー自体の作り方ではない。発明の要点はシーモンキー飼育用薬剤のパッケージが二つに別れている点で、第一のパッケージにはシーモンキーの乾燥卵、パッケージを開けるまで卵を湿気らせないための乾燥剤、水道水の塩素除去剤、塩などが入っている。第一のパッケージを水道水に入れるとシーモンキーの生活に適した水になると同時に卵が水の中に入れられ孵化の準備が開始される。第二のパッケージにはを育てるための餌と殆ど無色透明のシーモンキーを観察しやすくするために水に色を付ける染料が入っている。第二のパッケージは第一のパッケージを水に溶かしてから1日経過した後に入れる。
 第一のパッケージの中身を溶かしてから1日経っているので、第二のパッケージの中身を水に溶かそうとした時にはシーモンキーが孵化しているのだが、小さくて透明なので第二のパッケージの中身を溶かすまでは孵化したことに気付かない。

 ここからが凄い点で第二のパッケージの中身を溶かすと水に色が付いてシーモンキーが見えてくる。何も知らず説明書通り第二のパッケージの中身を溶かした人はそれを溶かした瞬間にシーモンキーが出てきたように見える。

 シーモンキーはアメリカのソルトレーク*4が原産らしい。日本にもシーモンキーと同じ仲間のエビが昔からいる。こちらは田圃に発生するエビなので淡水産である。ホウネンエビ*5という。これが大発生した年は豊年になると言うことで「豊年エビ」という名前が付いた。シーモンキーと同様に卵は乾燥させることができる。しかし日本ではだれも商品化することを思いつかなかった。



*1 The Amazing Live Sea-Monkeys
*2 子供の大科学 謎の生物シーモンキー*
*3 Patent US3673986 - METHOD AND MATERIALS USED FOR HATCHING BRINE SHRIMP - Google Patents
*4 Brine Shrimp and Ecology of Great Salt Lake
*5 カブトエビ

000825

 発見というと誰も知らなかった物や現象を初めて見い出すことの意味に使われるが、次のような場合にも使う。

 図書館、博物館や美術館で埋もれていた文献や美術品が出てきた時に「発見」されたという言い方をする。もともと誰かが図書館などに搬入して所蔵物の目録なども作っている筈なのに、それが長い年月の経過によってそれらが忘れ去られたのだろうか。確かに目録などが紛失してしまえば、見つかった現時点では誰も知らない訳だから「発見」に違いない。しかし発見という言い方は何となく妙な気がしてならない。「新大陸の発見」と同じで現地の人々にとって元々大陸の存在は周知のことだし、図書館や美術館に搬入したり目録を作った過去の人は「発見されたもの」について十分知っていた訳である。

 数学にも発見があるようだ。数学は純粋に思考だけの世界だから「発見」という言い方は何か変であるが、思わぬところで新しいことが分かると発見というのかも知れない。例えば論理の逆理が発見された、という表現を見かけた。数学は矛盾がないように理論を構築したつもりでも、時として矛盾が出てくるらしい。

 1902年、リシャールは興味深い論理の逆理を発見している。
 次の様な内容のことをフランス語で書いているらしいが、彼はどんな大きな数でも20文字以下で表現できることを示した。何故なら20文字以内で表現できない最小の数は「20文字以下で表現できない最小の数」という20文字以下の文で表現されているからである。

000826

 今年の夏の始め我が家の自動車のエアコンの冷房が全く効かなくなった。吹き出し口からは普通の風しか出てこなくなった。

 付き合いのあるディーラーにエアコンを見てもらったらエアコンの冷媒が全部抜けてしまっているらしい。全部抜けてしまうのはエアコンの配管のどこかに穴が開いている証拠だから、冷媒を入れ直しただけではまたすぐ冷房が効かなくなるという。修理は全部の配管を代えるとなると20万円ぐらいかかるかも知れないということだった。それならば今年の夏は自動車のエアコン無しで過ごしてみるかと思い、修理をしなかった。

 窓を全開にしても、それ程風が入ってこない。進行方向に平行に窓が開いているからだ。エアコンが普及していなかった頃は外気を効率よく取り入れるために三角窓が付いていた。今、この三角窓が欲しくて仕方がない。自動車にはなくてもよい装備が一杯付いているが、何か一つの装備が壊れたときにそれを補う装置は安全に関係する物以外は付いていない。自動車には細々した装置は必要ない。特に日本車は値段は同じでいいからそう言うどうでもよい装置は廃止して、もっと飽きの来ない車体デザインや室内装飾デザインをやって欲しい。

 今年は残暑が厳しい。エアコンの修理をしなかったのは予想以上にきつかった。しかし慣れれば、どうしてもなくてはならないものではないことがわかった。もう自動車を手放すまで直さないかも知れない。

000827

 人間の肺や肝臓に寄生*1するジストマ*2の一生は変化に富んで面白い。卵から孵って成体になるまで同一の個体で暮らすのではなく、世代が何代か交代する。

 卵から孵ったジストマの幼体は体の周りに繊毛を持っていてこれを使って水中を泳ぎまわり第一の宿主の淡水産の貝にもぐり込む。もぐり込むと体の皮が脱ぎ捨てられ、体の形が袋状に変形する。

 この袋状の幼体の中に次の世代の幼体が多数発生する。この発生した次世代の幼体は現世代の幼体と少し形が違っていて円柱形で先端には口と短く行き止まりの腸がついている。この幼体は袋状の幼体から這い出てくる。この時はまだ貝の中に棲んでいる。成長するとこの幼体の中に次の世代の幼体が多数発生する。

 次の幼体はまた形が違っていて丁度オタマジャクシのような形をしている。ある程度成長するとこのオタマジャクシがまた前の世代の幼体から這い出てきて、今度は水中に泳ぎだして淡水産の魚類の筋肉などに潜り込んで人間に食べられるのを待つ*3

 これを人間にたとえるとすさまじい。まず赤ん坊の頃に、はいはいしながら誰かの家に潜り込む。すると急に服を脱いで達磨のようになって床の間などに座り込む。何カ月かすると達磨が大きくなってくる。ある日、達磨の頭が割けて中から小学1、2年ぐらいの姿をした子供が数人出てくる。するとこの小学生はそのまま家に居座り続け、だんだん成長する。成長するが顔や体型はそのままでただ大きくなるだけである。暫くするとするとその巨大化した小学生の腹が割けて中から大学生が何人か出てくる。この大学生は家を出てブラブラして何処か居候する家を探す、といった具合だ。



*1 寄生生物学入門
*2 Biology 546 - Figure 3
*3 HUMAN PARASITOLOGY LABORATORY

000828

 教科書や目の病気の説明*1などで見かける眼球の断面にこんな図*2がある。

 漠然とこの断面図は縦割りの目玉だと思っていた。つまり図で上側が額で下側が頬だと思っていた。ところがこの断面図は横に目玉を割ったときの断面図のようである。上が耳側で下が鼻側である。

 断面図に示される眼球の水平の中心線よりも視神経が斜め下に伸びていることや視神経がまとめられている視神経乳頭が中心線より下になっていることからすると、やはり横の断面のようである。頭部の断面図*3を見ると両眼の視神経は鼻の奥に集まっている。
 また断面図をよく見ると網膜黄斑部*4の真ん中にある中心窩*5と呼ばれる小さな凹みと視神経乳頭が並んで図示*6されている点からいっても横断面のようだ。盲点*7である視神経乳頭の存在を確かめる為の図も横に並んでいるので、やはり横である。

 だからこの目の断面図*8この絵のように*9まぶたの断面をつけ加えると誠におかしな目の構造になってしまう。

 それではこの目の断面図*2の目は右目か左目か。断面を頭から見れば右目で首から見れば左目である。



*1 NIDEK 目の病気の紹介 網膜剥離(もうまくはくり)
*2 第2分野画像集(細胞と人体) 098 感覚器、目
*3 Virtual Hospital: Atlas of Human Anatomy in Cross Section: Section 1. Head and Neck
*4 萬有製薬:目のQ&A「網膜剥離」
*5 日本眼科医会 目の健康情報:加齢黄斑変性−2.黄斑の場所と働き
*6 日本眼科医会 目の健康情報:網膜剥離−2.網膜の構造
*7 目玉
*8 眼鏡かわら版 第33回:眼底の話し
*9 ぎもんしつもん目の辞典 目の事典・目の構造 目のしくみとカメラ

000829

 寺田寅彦が1921年に書いた随筆に蓄音機のレコードに関するものがあった。エジソンの発明した円筒状のレコードベルリナーによって円盤のレコードに改良された。エジソンが発明した当初の円筒状のレコードは錫泊を用いた物で音声の再現がかなり不完全だったらしい。それをグラハム・ベルらが蝋をを使った物に改良することによって劇的に音声の再生が向上したらしい。これが音声学の研究にかなり貢献したようだ。

 蝋管のレコードの寿命はせいぜい千回ぐらいであった。それに比べて円盤のレコードの原盤はほぼ永久である。これによって百年千年万年後の国語の発音の変遷を調べることが出来る。実際にそういう目的でレコードを制作して音声を保存しているところがウィーンにあるらしい、と寺田は書いている。

 そんな万年後の言語の発音の変遷を調べることができるレコードが56年後に宇宙人に人類の音声などを聞かせる目的で宇宙に放たれるとは、当時の人々は想像できただろうか。しかも寺田の時代から円盤のレコードの構造は殆ど変わっていない。

000830

 盲牌という言葉がある。「もうぱい」と読む。麻雀の牌を目で見ないで指で触っただけでその牌が何であるかを知る行為、を言う。麻雀牌の絵柄は牌に陰刻されているので描かれている線は凹んでいる。この凹んだ線を指で触って絵柄を読むのである。大抵は親指の腹でやる。

 麻雀をやる上で盲牌が出来ても、それ程得があるわけではない。牌をツモッてくる間に絵柄が分かるだけで目で見るよりもコンマ何秒得する程度である。麻雀は自分の牌を他の競技者に見られると不利なので手元まで牌を運んでから目で確かめる。その運んでくる1秒以下の時間に指で牌を「見る」という訳である。

 によって判りやすいものとそうでないものがある。盲牌の初心者にとって最も簡単な図柄は「」牌で、これは何も書いてないのでよく判る。何が判りにくいかは人によって様々であるが、最も判りにくいのは花牌であろう。通常の麻雀ではあまり使われない牌でドラと同じ役目がある。花牌は「春夏秋冬」の4枚でそれぞれその季節のものと思われる花の絵が描いてある。絵柄は細い線で描かれているので花牌と他の牌との区別が出来るが、どれがどの季節の牌なのかは殆ど判らない。「春夏秋冬」と漢字で書いてあるが、字の大きさが九筒の丸ぐらいの大きさなので字で判断するのも難しい。「ぎゃんぶらー自己中心派」という漫画で出てくる「盲牌の渡辺」はこの花牌を識別できた。

 指で触る盲牌ではなく麻雀卓で牌を滑らせるだけでその絵柄が判る人がいるという話しが仲間内で誠しやかに伝えられていた。牌を滑らせたときの摩擦力の大きさや滑り具合の違いで絵柄が判ったという。白牌の場合は何とか判りそうだが、他の牌は区別できるのだろうか。

 これが出来ると麻雀の鬼になれるような気がして、かつて特訓したことがあった。しかし結局は判るようにはならなかった。考えてみるとこれが出来ても麻雀をやる上では全く役に立たない。たとえこの技を披露しても仲間に感心されるだけである。

000831

 電話と電子メールとではどちらが丁寧な連絡方法か。ビジネス作法帳か何かを読むと大抵は、電子メールは電話に比べてぞんざいな意志伝達方法であるため使い方に注意を要するとある。

 電子メールの便利なところは受信者が自分の都合で連絡内容を見ることができるところにある。一方電話は受信者の都合とは関係無しに割り込んでくる。

 それぞれ一長一短があるのだが、作法という面でとらえれば時や場所を選ばず割り込んでくる電話の方が連絡手段としては電子メールよりもぞんざいな方法かもしれない。が一般的には逆の認識である。

 その連絡方法が丁寧な方法かどうかを判断するにはどうすればよいか。それを使って相手に謝罪をするにはどれが一番丁寧かを考えてみればよい。一番丁寧な方法は相手のところに出向く方法であろう。二番目は手紙を使って謝罪をする。三番目は電話で謝罪する。四番目はFAXで謝罪文を送る。最後に電子メールで済ます。大体こんな順番になりそうである。

 この順番は手軽さの順番である。やはり丁寧と思われるためには手間を掛けないと駄目なのであろう。更にこの順番は手軽さの順番であるが、発明の順番、古さの順番でもある。手軽さを追求するために発明がなされるので、手軽なほど新しい方法になる。

 礼儀作法として良いか悪いかの判断はやはり古くから使われているかどうかの点も決め手になっているような気がする。歴史のある方法が良いというのはその方法が生き残れる理由があるからであって、単に古いから良いのではない、というかもしれない。しかし生き残った方法は当初からも良い方法であった筈なので、古い新しいは一つの判断基準にはなるが本質的な判断方法ではない。

 礼儀作法での順位付けは、判断基準が簡単である「古いか新しいか」が決め手になっているな気がしてならない。このような本質的な部分と違うところでの判断基準として血液型性格判断がある。性格は遺伝や育った家庭環境などによって形成されるにも拘わらず、遺伝の結果である血液型が性格に影響していると思い込むのと似ていると言えば似ている。



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