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0007雑記草
000702インターネットを使って久々に買い物をした。買ったのはパソコンのCPUカードである。Outpost.comという米国のパソコン用品店で購入した。
月曜日の午前7時に発注するとすぐに確認の自動メールが来た。注文した物の処理進行状態はここ、出荷後の荷物がどの状態かを見るのはここを見てくれ、という具合にメールに書いてあった。これは親切なのか頻繁に不具合が発生する為の対応策なのか判断がつかないのだが、何となく安心はできる。
この店は在庫があれば注文した日の翌日に発送してくれる。注文した物を発送したというメールが来たのは火曜日の午後7時頃であった。
そして手元に着いたのは金曜日であった。送料は$21.89で、これは注文時に請求されていた。この送料には店から自宅までの配達料金が含まれているが、輸入関税と消費税は入っていなかったらしい。これら税金は自宅に届けられた時、配送人に払った。
税金の請求書を見ると払った金額の内訳が書いてあった。払ったのは1600円。関税は0円、消費税1300円、地方消費税300円であった。
CPUカードの購入価格は$499.95だったが、税関での申告額は33,861円になっていた。2万円ぐらいは非課税なのだろうか。申告額33,861円に対して4%の消費税がかけられていた。なぜ4%なのだろう。しかも33,861円の4%は1,354円なのに請求書には\1,320と印刷されており、しかも請求金額欄には\1,300となっている。
そしてこの消費税額\1,300から地方消費税額が算出されていた。\1,300の25%で\325。これも請求金額は\300と印刷されていた。普通の店では消費税を1円単位まで請求されるのになぜだろう。
そして輸入許可通知書には
「関税法第67条の規定により、あなたが申告した貨物の輸入を許可します」
とあった。そして最後におきまりの文章
「この通知に係わる処分について不服があるときは、その処分があったことを知った日の翌日から起算して2月以内に税関長に対して異議申し立てをすることができます」
000703宝物の一つ*1である永谷園の東西名画シリーズ「広重 東海道五十三次 The Fifty-three stages of the Tokaido By Hiroshige*2」を眺めていたら裏書きに興味深いことが書いてあった。
41番目の鳴海宿*3は家の近くなので馴染み深い。ここは広重の東海道の面影*4をまだよく残している。カードの裏の説明に店頭の紫紺色の暖簾*5に書かれているマークは広重の「ヒ」と「ロ」とを組み合わせた図案だそうだ。
よく見てみると菱形の「ロ」の字の中に「ヒ」の字が入っている。そのマークの右の方には版元の「竹内」という字が見えるらしいが、カードでは辛うじて判る程度である。鳴海宿から東へ40km程行ったところに36番目の御油(ごゆ)宿*6がある。この旅人留女*7と題される絵の中にも判じ物がある。浮世絵の右側の旅篭屋の玄関で足を洗う人の後ろの大きな丸の中に版元の「竹之内板(版)」、頭上の札には左から広重の号の「一立斎」、「摺師平兵衛」、「彫工治郎兵ヱ」、「東海道○○」とある。左側の旅篭屋には「○當や」と書いてある。これらが何を意味しているのか気になってくる。まだまだ他に字が書き込んであるのだが、印刷の具合と字の崩し具合とで何とかいてあるかよく判らない。
こういう細かいところの豆知識がうれしい。誰も知らない世界を覗いているような気がして面白い。
*1 永谷園のカード
*2 Fifty-three Stages of the Tokaido, NDL Newsletter 120
*3 マピオン地図 愛知県名古屋市緑区有松町大字有松字橋東北付近
*4 宿場町・有松 (日本・名古屋)
*5 UFJ銀行>一般情報>ギャラリー>東海道五拾三次>保永堂版>版画
*6 マピオン地図 愛知県豊川市御油町付近
*7 UFJ銀行>一般情報>ギャラリー>東海道五拾三次>保永堂版>版画
000704通信販売で買った*1CPUカードに付いているCPUはPowerPC750*2というMacintosh用*3のものである。一般的にはPowerPC G3と呼ばれており、これは第3世代のPowerPC*4という意味である。
このCPUにする前は第2世代のPowerPCであるPowerPC604e*5の233MHzを二つ付けていた。二つ付けていたから処理速度は466MHz相当になるはずだが、二つ同時にCPUを動かして処理できるアプリケーションはごく少数に限られて*6いる。
対応しているソフトの一つにPhotoshop*7がある。二つのCPUが動作中に負荷をどのように配分しているかをモニターするソフト*8があったので、Photoshopを動作させているときに二つのCPUがどのように働いているか時々確認していた。するとメインのCPUがほぼ100%の稼働率に対してサブのCPUは殆ど動いていない。Photoshop以外のダブルCPU未対応ソフトではサブのCPUは全く稼働しないので、それに比べれば少しは効果があるかもしれないが、466MHzとはとても言えなかった。
BeOS*9というMacOSともWindowsOSとも違うOSではちゃんと二つのCPUが平等に働いていたが、BeOS対応するソフトがMacよりも少なすぎる。またスキャナなど周辺機器に殆ど対応していない。
そこで今回は思い切って500MHzのPowerPC750を導入した。今までスキャナで取り込んだ画像の自動処理に数分かかっていたのが1分程度に短縮できるようになった。
PowerPC604e内部の配線は加工しやすいアルミニウム*10であったが、技術が発達して銅*11でもLSIの配線が出来るようになった。買ったPowerPC750の内部は銅配線である。銅の方が配線抵抗が低いので発熱が少ない。CPUの温度を測定するユーティリティソフト*12によると39℃になっている。以前のCPUカードには二つとも放熱ファンが付いていたのだが、今度のCPUカードには放熱板だけでファンが付いていない。そのためコンピュータ本体から発する騒音がかなり低下した。
いい買い物をした。
*1 税関
*2 Internet Archive MPC750 Product Summary Page
*3 MacWEEK: Mac CPU Buyer's Guide 1
*4 陽一郎のホームページ Macintoshハードの基礎-CPU
*5 Macintosh CPUs -- PowerPC
*6 Internet Archive マルチプロセッサ対応アプリケーション
*7 Adobe Photoshop
*8 Accelerate Your Mac's Look at the XLR8 Power Control Utility
*9 www.be.com is for sale Welcome to Be Incorporated!
*10 Internet Archive 【HOT NEWS】三菱電機、Cu、Al混合配線製造技術によりLSIの高速化を実現
*11 MacWEEK : Motorola enters copper age
*12 Sonnet | ダウンロード
000705作家の半村良はイーデス・ハンソンの大ファンでそれを日本語にしてペンネームとしたらしい。漫画家の柴門ふみはポール・サイモンのファンらしい。
のらくろの作者田河水泡(たがわすいほう)の本名は高見沢仲太郎。最初、ペンネームの田河水泡を「た・か・みず・あわ」で「たかみざわ」と読ませようとしていたのだが、雑誌の編集者には「たがわすいほう」としか読んでもらえなかったらしい。確かのらくろ連載初期の原稿にはローマ字で小さくTAKAMIZAWAと書いてあったと思う。これは外国人名とは関係ない。
逆の場合はあるか。ベニグノ・アキノは秋野とは関係ないし、ジェーン・ホンダも本田とは関係がない。日本人にちなんで自分の芸名やペンネームを付ける外国人をあまり聞いたことがない。
000706不況を乗り切るためには「顧客満足*1」が鍵らしい。アメリカでもそうらしい。
アメリカの中小食品スーパーマーケット「スチューレオナルド*2」は完全な返品保証を実行しているようだ。ある日、一人の女性が昨日ここで買った鶏肉の味があまり良くないので返品したいと言って、骨だけになった鶏肉(?)を持ってきらしい。
店員はすぐさま骨を鶏肉に交換したそうである。店員の対応も凄いが、骨を持ってきた女性はもっと凄い。料理した肉を全部食べたかどうか知らないが、そのカスを、買った店に持っていって文句を言う発想は普通、出来ない。店員にどんな目で見られるかを想像するだけでも恐ろしい。
顧客満足というが、件の女性は骨を鶏肉に交換してもらって本当に満足したのだろうか。これによって更に彼女はスチューレオナルド*3を頻繁に利用するようになったのだろうか。そして彼女の口コミによって少しでも来客数が増えたのだろうか。
日本の店でこのような話が伝わってきたら一度は覗きに行ってしまうかもしれない。これが店の思う壷なのだろう。損して得取れとは正にこのことである。
こういう話があるとすぐ出てくるのが、これである。
ある男が店に入ってくるなり、何かで一杯に膨らんだ紙袋を店員に差し出した。店員はその袋の中を覗き込んだ。中には何も入っていない。入っているのは空気だけのようだった。店員が男に尋ねると、男は「ここで買ったドーナツ他の店よりも穴が大きいのじゃないか。気にくわないので返しに来た」
*1 実践!顧客満足(全2巻)
*2 Fresh milk products and great customer service at Stew Leonard's!
*3 Nagura's Space stewleonards report
000707愛知県の自動車登録番号の地域名は4つある。「名古屋」「尾張小牧」「三河」「豊橋」である。最初、愛知県は「愛」だけだったが、「名古屋」と「三河」になり、「名古屋」が更に「名古屋」と「尾張小牧」に分かれた。そして「三河」が「三河」と「豊橋」に分かれて現在に至っている。
「名古屋」は名古屋市、知多半島地区、名古屋近隣市町村、「尾張小牧」は名古屋以北の市町村、一宮市、小牧市、春日井市、犬山市、瀬戸市など、「三河」は西三河地方、「豊橋」は東三河地方である。
尾張地区でこの「尾張小牧」ナンバーを気に入っている人は殆どいない。日本一が大好きな県民性であるが、日本一長い「尾張小牧」ナンバーは気に入らないのである。
特に「小牧」という文字が気に入らないようである。小牧市民以外は皆納得がいかない。小牧市は面積、人口、街の発達具合からしても尾張の代表的な市という認識は尾張の人にはない。このナンバーが新設された当時、一宮市の人は「なんで小牧(市)だないのに小牧が付いとるんだ!(なぜ小牧市ではないのに小牧が付いているのだ!)」と怒っていたぐらいである。
自動車登録番号の付け方は管轄の陸運事務局名かその事務局がある地名を入れることになっている。「尾張小牧」地区の管轄の陸運事務局は小牧市に設置されたが、「小牧」ナンバーでは住民の猛反発が予想されたのであろう、しかし「尾張」では陸運局の名前にも所在地名にも尾張の字は入っていない。折衷案として「尾張小牧」が出来たのかもしれない。
昨今はこのような苦労をしなくても「湘南」というナンバーを新設するために湘南自動車検査登録事務所という名前を付けるくらい役所の自由度が高くなっている。
000708本の原稿を書いたことがある。編集委員として参加して、部分的に執筆も担当した。実は編集委員と言っても名前が入れられているだけで、編集には一切関与していなかった。
自分が書いた原稿が本として出版されれば印税が入る。初版が1500部印刷された。印税率が10%らしい。共同執筆なので印税は執筆ページ数で割られる。自分の銀行口座に振り込まれたのは数万円であった。
それから2年近くたったが、2回目の振り込みはない。全然売れてないのね。
000709今から23年前、1977年に二つの惑星探査機が打ち上げられた。ボイジャー1号と2号である。二つとも現在は太陽系を離れて宇宙の彼方を目指し旅を続けている。
ボイジャーは人類が1972年に打ち上げられたパイオニアの次に太陽系圏外に放った物質である。それには手紙が付いている。丁度、瓶に手紙を入れて見知らぬ人に受け取ってもらうのを期待しながら大海にそれを流すようなものである。
手紙は金メッキされた銅製のレコード盤で、これには122枚の絵や写真と90分間の音楽や55ヶ国語の挨拶などが吹き込まれている。絵はデジタル符号化されてレコード盤に記録されている。どうやってアナログレコード盤にデジタル信号を記録するかというと、例えばファックスやモデムの「ピーヒョロロロ」という信号音がそのままレコード盤に記録されている様なものである。
このレコード盤は針で再生するようになっている。どのように針で再生された信号を絵に変換するかはレコード盤のアルミニウム製のカバーに絵で解説がしてある。この絵で地球人以外の生物が122枚の絵を再生できると思いたい。122枚の内116枚は地球や人類のことを映像で説明したものだが、残りの6枚は大統領メッセージと議員名簿で、これらは当時のアメリカ合衆国政府がレコードに入れるように要請したものであった。この感覚のずれ具合が何処の国の政治家でも同じだと思わせる。地球外生物達は英語をどうやって解読するのだろうか。55ヶ国語の挨拶の中には日本語も含まれている。「こんにちはお元気ですか。」と吹き込まれている。喋っているのはNoda Mariという名の女性らしい。一体この人はだれなのか。何故、地球外生物が最初に聞くであろう日本語はこの人が喋った声が採用されたのだろうか。謎は深まるばかりである。
もしNodaさんではなく「Oda Mari」さんだったらどうだろう。地球外生物が最初に知る日本語の洒落になっていたかもしれない。でもどうやって日本語を解読するのだろうか。
現在、ボイジャー2号はこの地点にいるらしい。そして西暦20319年、ボイジャー2号は太陽から1光年の距離にようやく達する。西暦2319年ではない。西暦2万年である。
000710神岡鉱山跡*1にカミオカンデ*2というニュートリノ観測装置があった。現在はこれをもっと大規模にしたスーパーカミオカンデ*3という施設が稼働しているので、カミオカンデの役目は終わったらしい。カミオカンデを改造してスーパーカミオカンデを作ったのか別途スーパーカミオカンデを作ったのかよく判らない。
ここではニュートリノに関する色々な研究がなされている。中でも「つくば・神岡間長基線ニュートリノ振動実験(K2K)*4」が筆者にとって興味深い。
神岡は岐阜県と富山県との県境近くにある。そしてKEK*5は茨城県つくば市にある。KEKからニュートリノを地中に発射して神岡のスーパーカミオカンデでその発射したニュートリノの状態の変化を観測しようというものである。そのニュートリノが走る距離が250kmになるのだ。つまり実験装置全体の大きさが250kmになる。この規模の大きさが嬉しい。しかもニュートリノが走る地上では人間が生活しているわけである。太陽からはニュートリノ*6が我々の頭に降り注いでいるらしいので考えてみればそれ程珍しいわけではないのだが、人工のニュートリノビームとなると何となく違う様な気がする。
観測装置の規模でいえば電波望遠鏡で地球規模の口径*7を持つものがあるらしい。しかし自己完結している実験装置としてはK2Kが群を抜いていると思う。
*1 Kamioka Mine<神岡鉱山>
*2 kamiokande j
*3 super-kamiokande j
*4 つくば・神岡間長基線ニュートリノ振動実験(K2K)
*5 文部省高エネルギー加速器研究機構
*6 kamiokande j
*7 「はるか」で覗く宇宙の果て
000711日本で最初の郊外型書店は愛知県にある三洋堂書店東郷店らしい。東郷町は名古屋市の郊外にある。郊外型書店とはゆったりとした通路、明るい店内、そして駐車場を兼ね備えた書店で旧来の雑然とした店内の都心立地型書店と対比した言葉である。その東郷店は1975年頃にできた。
自動車で行く郊外型書店は何となく千葉県が最初のような気がしていた。本当に何となくである。東京に本店を持つ大手書店会社が実験的に都心近くの幹線道路脇に作った様な気がしていた。何故、埼玉と思わなかったのか。理由はない。何となくである。
現在、その東郷店はなくなっているようだ。数年前まであったが店の統廃合で消えたらしい。記念碑的存在の支店だったが売り上げには勝てなかったのだろう。
000712また亀が脱走した。水槽の何処にもいない。植木鉢を半分に割った隠れ家にもいない。これで2回目の脱走である。
慌ててベランダを探したが、いない。またひょっこり帰ってくるかもしれないと思い、探すのを止めかけた。
ふと見ると隣の家のベランダに置いてあるエアコンの室外機の横でうずくまっている。急に逃げ出さないように静かに手を伸ばして捕まえた。昨日のいつ頃逃げ出したのか判らないが、甲羅は白く乾燥していた。水槽に戻してやると勢いよく泳ぎだした。10日間疾走していた時と違って、全く何事も起こらなかったかのように昨日と同じように動き廻っている。
じっと覗き込んでいると首を伸ばして餌をねだる仕草をする。毎日餌が貰える環境なのに何故逃げ出すのだろう。しかも水槽に戻れば餌を要求する。一体亀は何を考えているのだろう。何も考えていないか。
000713切手収集の趣味を持つ人は多いだろう。今は集めてなくても子供の頃はやっていたという人も多いと思う。何故切手は集めたくなるのだろう。
それはあの小さな紙切れの中に完結した世界を見ることが出来るからであると思う。小世界というか小宇宙というものにはものすごく惹かれる。切手に限らずテレホンカードや蔵書票なども同様である。根付や豆本にも小宇宙を感じる。
巻き貝の螺旋の頂点が無限に続いているような感覚があると以前書いたことがあるが、これも小宇宙への憧れだろう。
webの世界ではバナーだろう。絵が動くものもあって楽しい。これを収集したサイトもある。
小さければ何でもよいわけではない。世界一小さな算盤はそれを作る技術は確かに凄い。しかし出来上がった算盤は切手や根付に比べて極端に小さ過ぎて目に見えないので小宇宙を感じることが出来ないのである。
小さなものに世界や宇宙を感じてそれに惹かれるのは本当の広大な宇宙に憧れるのと同じの様な気がする。微小世界と巨大世界は完全な対極であるが、対極をなしているものをそれぞれ同じように感じるてしまうのは筆者だけではあるまい。三島由紀夫もF104という小説の中でそんなようなことを書いている。
天体望遠鏡の倍率を極限までどんどん上げていったら、見えてきたのは自分の後頭部だった、という感覚である。
000714www上のページで他のページの参照が簡単に行える仕組みとしてリンクというのがある。リンクという仕組みが気に入っているのでこのページをやっているようなものだ。だからそこら中にリンクがしてある。
wwwでのリンクというのは文書や画像などの情報が「リンク」という仕組みによって伝達されるのではなく、リンクが設定してある文字や画像をページの閲覧者がクリックすると、閲覧ソフトが自動的にリンク先のページを表示するのである。従ってリンク先の住所がリンク元の文書に書いてあるだけである。
これは雑誌などで紹介されているサイトの住所をキーボードで入力する手間をコンピュータが代行しているようなものである。
これら勘違いの元の一つの原因に「リンクをはる」という言葉があるからだろう。殆どの場合「張る」という字を当てる。この字を当てると何か情報の網が張り巡らされているような感じがする。それはそれで結構なのだが、やはりリンクを通して情報が流れ込んでくる印象がある。HTML文書にリンク先の住所を貼り付けるので「貼る」という字を使った方が合っていると思う。とは言っても紙を糊などで付ける「はる」は「張る」「貼る」どちらでもいいようである。
ところでリンクを無断で貼るのは著作権侵害になるのかという問題が以前からある。このことによってリンクを貼るには著作者の許可が必要と主張したサイトも多い。このページのリンク先には殆ど許可を取っていない。検索サイトでキーワードを検索して自分の文章に相応しいページを見つけたらリンクを貼る。リンクをする場合そのページのトップページを見て、許可が必要という主張であればメールで事後になるが問い合わせたりするが、結構面倒である。
ロボット型の検索サイトにはそのページのリンクを許可しているのに人間が勝手にリンクするのは駄目というのは何となく釈然としない。
リンクを設定する行為自体が著作権を侵害するのではないかということに関しては、サイトの住所やサイトの名前は創作を表現する著作物とは言い難いのではないかと思う。だからリンク集などはリンク先のサイトの制作者の著作権を侵害しているとはいえないだろう。
著者が一番心配しているのはリンクの設定が「猥褻図画公然陳列幇助罪」になるかもしれないということである。自分はその様なサイトにリンクした覚えがないのに、ある日突然語句索引のページのリンク先が全部それに変わっていたら恐ろしい。
000715サンダーバードという空想科学人形劇があった。サンダーバードの大ファンであったが、スコット、バージル、ジョン、ゴードン、アランの顔と名前がなかなか対応がとれなかった。パーカーとペネロープ(声:黒柳徹子)はすぐ分かった。ミンミンとブレインズも。そしてパパ、ジェフ・トレーシーも区別できた。そういえばパパが座っているしれいせきのの後ろに飾ってある浮世絵がいつも気になった。
登場するメカがよかった。サンダーバード2号が一番だった。その次に好きだったのはペネロープが乗る前輪4輪で計6輪のロールスロイス。F1で前輪が4輪の自動車が登場した時ペネロープ号が実現したと思い感動した覚えがある。この辺の詳しいことは専門サイトを参照して頂きたい。
番組のオープニングがよかった。
「ファイブ」ジャーン
「フォー」ジャーン
「スリー」ジャーン
「トゥー」ジャーン
「ワンヌ」
「サンダーバーズアゴー」しかし最後の「サンダーバーズアゴー」が何のことかずっと分からなかった。 大人になってサンダーバードの輸入盤CDを見つけて初めて分かった。
Thunderbirds are go.
であった。中学の英文法からすれば変であるが、ちゃんとした英文である。goは形容詞になる。訳は「サンダーバード準備完了」
因みにthunderbirdとはアメリカンインディアン伝説の巨鳥のことである。雷鳥ではない。
000716TOTOといえば便器である。衛生陶器と言った方がいいかもしれない。昔、TOTOというロックグループが日本で人気を博していた。このグループは無名時代に日本に来たとき、便所に行くと必ずTOTOと書いてあるのでこれをグループ名とした、という伝説があった。本当かどうか知らない。
正式名称は東陶機器株式会社。もともとは東洋陶器株式会社という名前であった。森村グループの一員である。森村グループは日本を代表する陶器関連会社を擁している。この森村グループにINAXも入っている。日本の便器メーカーの両雄が同じグループ会社というのは意外である。衛生陶器業界の独占禁止法違反は大丈夫なのだろうか。
森村グループにはノリタケカンパニーリミテドという食器メーカーもある。ノリタケチャイナというブランドで世界的にも有名である。このチャイナは小文字で始まるchinaで陶磁器という意味である。小文字でjapanならば漆器である。
人間の消化経路の始まりの容器と終わりの容器を陶磁器で供給する森村グループ。飯を喰えば糞が出る。食器が要るなら便器もいる。正に商売の神髄である。
000717普通の麻雀は4人で正方形の机*1を使って遊ぶ。地方によっては3人でやる*2方が一般的になっている所もあるらしい。
4人には名前が付けられる。東西南北である。麻雀式で言えば東南西北(トンナンシャーペー)*3である。「家(チャ)」の字を付けてそれぞれを呼ぶ。
ところが実際の東西南北と順番が違う。東家の右隣は南家である。つまり東南西北が左回りになっている。何故このようになっているのか。麻雀を教えるとき普通とは逆なのだ、と言いながら特に問題にしないでルールを覚えさせていく。覚えてしまえば全く支障がないが、考えてみれば変である。
これは天蓋を麻雀卓に見立てているからだと言う。天上で東南西北決めて麻雀をやっている状態を床に持ってくれば東南西北は逆になる。そう言えば要らない牌の置き場が河(ホー)と呼ばれているのは天の川だからだろうか。
麻雀の役には自然を表現した優雅な名前*4が何個かある。ただ宇宙の現象を表した役の名前はない。麻雀自体が宇宙を表現しているからだろうか。
*1 麻雀卓 DOME
*2 sammaniax - introduction
*3 THE東南西北*アルバム
*4 一翻役
000718星の井戸というものがある。深く掘った井戸を覗き込むと井戸の水面に昼間でも星や月が映って見えるという。弘法大師も井戸を掘って昼間に星を見せたと言われている。
クリスマスツリーの天辺にある星は「ベツレヘムの星」と呼ばれるもので、キリストが生まれた時に輝いた星らしい。西の国に現れた聖人を探しに向かった博士達が途中で水を飲もうとして井戸を覗き込むと水面にこの星が映ったという。
星の井戸の原理は何か。星からの光は非常に遠方から来るので完全に平行光と見なしてよいのだろう。それに対して青空からの光は散乱光である。様々な方向から光がやってくる。昼間はその様々な方向からやってくる青空からの光の方が圧倒的に強いので星は実際には空で輝いているのだが肉眼では見えない。
そこでそのような散乱光を遮ってやれば星が見える筈である。井戸の底や煙突から空を覗けば煙突や井戸に対して斜めに入射してくる散乱光は煙突の壁面に反射したり吸収されたりする。煙突や井戸の長さが十分長ければ散乱光は殆ど目に入ってこない筈である。
しかし散乱光の中には星から来る光と平行な光も沢山あるだろう。結局は井戸や煙突の穴から空が見えるだけで星は見えないかもしれない。実際に煙突の底から星が見えるか、という実験をNHKのクイズ番組「ウルトラアイ」で行ったらしい。見えなかったようだ。煙突で見えないのならば星の井戸でも無理であろう。
煙突を大気圏よりも高くすれば、見えるようになるかもしれない。井戸の場合はどうか。井戸をブエノスアイレスまで掘ったとしても見えるのはブエノスアイレスの青空しか見えないのか。 違う。こちらが昼間ならブエノスアイレスは夜中だ。これなら昼間に星が見られる。
000719まだ人間の身体の器官がそれぞれどんな役割をしているのかよく分からなかった時代が当然のことながらあった。現代人にとっては脳や心臓がどんな役割を担っているのかは大体分かっている。一般の人でも小学生ぐらいなら脳や心臓がどういう役目をしているのかは知っている。
科学があまり発達していない時代の西洋では脳は鼻水を生成する器官だと思われていたらしい。今でも鼻水が出すぎると脳味噌が溶けて流れ出すと思っている人はいるらしい。
それでは当時の人々はどの器官で物を考えると思っていたのだろうか。心臓である。心臓は感情によって鼓動が変化するので心臓が思考を司っていると考えられていた。
戦国時代の時代劇などで「ここが違うでござる」と頭を指さす場面があるだろう。しかしこの頃は物を考えるのは心臓だと思っていたから胸を指していたはずである。
000720心太を久しぶりに食べた。
こちらでは心太は「箸一本で喰らう」ことになっている。この風習はこの地方だけなのか、それとも全国区なのか。京都辺りでやってそうな気がするが、根拠はない。
どうやって箸一本で食べるのか。数本の心太を箸にひっかけて口に持っていく。うどんのように重くはないので箸にちゃんとひっかかる。漆塗りの丸い箸でもそれ程問題なく食べることが出来る。
何故、箸一本なのだろうか。心太を箸で掴むと切れてしまうからだろうか。豆腐が箸で掴めれば問題ないような気がする。面白い風習だと思うが、廃れかけている。
000721夏目漱石だったか寺田寅彦だったかそれとも全く違う人だったか記憶が定かではないが、その人の著作の中で「善行をしたら人に話すべきだ」といったことが書かれていたような気がする。
陰徳を積むという言葉があるが、善いことをしたら大いに語るべきだとというのである。自分の善行を人に話すのは自慢しているような感じがするが、その話を聞かされた方は話自体がよい話なのでさほど自慢話には思えないだろう。
例えば金満家がどこかの施設に寄付をしたという話をしたとする。寄付をする行為自体は自慢話にならないが、寄付が出来る自分の財力などの話をすればそれは自慢話になってしまう。一方、寄付の話を聞いてその人の財力を想像して寄付の話が自慢話に聞こえてしまうのは聞き手の妬みそのものであるので、善行の話をした人の責任ではない。
さて、何故、善行を人に話すべきか。善行話しを聞いた人はその話しに感心して自分もその機会があればやろうという気になるというのだ。確かに朝の出勤途中の道端の空き缶を毎日拾いながら駅に行くという話を聞けば、すぐに同じようなことをしてみようとは思わないまでも、目に付いた道端のゴミを拾いたくなるかもしれない。実際に拾わなくても普段は無視してしまうゴミが気になるぐらいの変化はあるだろう。ゴミ拾いという行動にならなくても、少なくとも道にゴミを捨てないという行動に繋がっていくことになる。
つまり「善行話し」はそれを聞いた人に何らかの影響を及ぼし、更に善行を増殖させる機能が有るわけである。陰徳もいいが「陽」徳も多くの価値がある。
000722中学生の頃、夏休みの宿題に「発明工夫品」があった。夏休みが終わると1年から3年までの生徒が提出した全作品が理科室に展示されていた。
その中で今でも記憶に残る作品は「冬用うちわ」である。普通のうちわの紙を剥がして骨だけにした物である。扇ぐと手を動かすので手が暖かくなるが、骨だけなので風が来ないので寒くならない。
000723居眠りの思い出というのはなかなかないと思う。それは居眠りは日常茶飯事だからである。思い出に残ると言うことは居眠りをすべきでないところで居眠りしていたということである。特に注意されるわけではないが、自分でも考えてみてもこれは一寸まずかったなぁと思う場面での居眠りは記憶に残る。
妻と結婚する前、奇を衒ってデートで能*1を観に行った。ところが始まるのとほぼ同時に熟睡してしまった。幸い妻も熟睡していた様子なので事なきを得たのであった。隣の観客も口を半開きにして寝ていたので普通は寝てしまうものだろう。大体、演者が何を言っているのか皆目分からない。日本語の筈だが分からない。動きも殆どないので寝ても仕方がないだろう。
歯医者の診察台で寝たことがある。寝不足だったせいもあるが、歯を削られる順番を待つ間に寝ること出来たのは自分でも感心してしまった。ふと目が覚めると先生と歯科助手の方が私の顔を覗き込み「始めてもいいかね」と言った。
一番最近の居眠りは、あるピアニスト*2の自宅で開かれたプライベートコンサートで寝てしまった。目の前で演奏していたので、もしかしたら寝ているたことがばれたかも知れない。最初は起きて聞いていた。スカルラッティ*3のソナタまでは聴いていたが、それ以降は全く記憶にない。コンサート終了後はワインパーティーが催されたのでワインとスナックをたらふく食べて帰ってきた。
*1 能WEBにようこそ!
*2 出演者のプロフィール 三輪郁
*3 Domenico Scarlatti (1685-1757)
000724Oリングというものがある。配管を流れるガスや液体が漏れないように継ぎ手と継ぎ手の間に挿むゴムで作った輪である。
なぜOリングというのか。リングは例外なく「O」の形をしているはずである。「C」や「J」の形であればリングとは言わない。それなのに何故わざわざ「Oリング」というのか。これでは「山の麓の山麓で武士の侍が馬から落ちて落馬した」と同じである。合理性を重んずる科学技術の世界ではこのような重複表現は避けられる筈だ。
「O」というのはリングの断面が「O」の形をしているからである。
000725長い間、廃藩置県*1を勘違いしていた。明治維新によって旧国名を都道府県名に変えたことだと思っていた。この勘違いの根底には一つの国に一つの藩しかないと思っていたことにある。そして旧国界と都道府県が多少違う*2のは合併や分裂などがあったからだろうと思っていた。
廃藩置県は「藩*3」という旧幕府形式の行政区画を新政府の中央集権化のためにその区画を「県」と改めたもので「国」とは関係がない。それでは「藩」と「国」との関係はどうなっているのだろうか。
「藩」とは徳川家から与えられた大名の土地と支配機構のことで、それを「藩」と言い出したのは江戸中期頃からだったらしい。しかし江戸時代には「藩」という言葉自体は公式な呼称ではなかった。公称として行政区画を指したのは明治元年から明治4年の廃藩置県が実施されるまでの間だけであったらしい。
「国」とは大化改新で国郡制が採用された際、地方行政区画の最大単位として設定された。その後、分割や併合を繰り返していったが、平安時代の初期に66国に落ちつきそれ以降、明治維新まで変化はなかった。しかし大名領国制*4の確立により江戸時代には行政区画として機能は全く失っていた。
そして明治元年には国郡制が一部復活して陸奥を磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥に、出羽を羽前、羽後に分割し、翌年には蝦夷地を北海道*5とした。しかしこの時の「国」は単なる区域を指し示す名称であるだけで地方自治行政区画としての意味はなかったようである。
そして廃藩置県によって府県制がしかれると区域名としての「国」という公称も完全に消失した。明治元年に新政府は幕府の直轄地の主要な土地には「府」その他旗本領には「県」を行政区画として設置した。この時、箱館、東京、京都、大阪、奈良、度会、甲斐、新潟、長崎、神奈川の十府が設置されたが、後に東京、京都、大阪の三府になった。県は22県設置された。大名領国制度に基づく「藩」はそのまま存続しているので府県藩の三体制になった。
翌2年版籍奉還*6により「藩」は藩主の領土ではなくなり中央集権国家の地方行政区画となった。しかし府県藩の体制はそのままであった。
そして明治4年廃藩置県により「藩」は「県」と名前を変えた。当初300余の県があったが同年末までには3府72県に統合された。最終的に府県界を旧国界に収斂させたのは律令制*7の影響だろうか。
新政府は全国の藩を廃したにも拘わらず、翌明治5年に沖縄に琉球藩を設置した。
*1 雑録論集をゆく 新政府と廃藩置県
*2 日本の旧国名・都道府県名対照表
*3 明治維新と新政府 第2章 中央官制機構の変遷
*4 江戸三百藩HTML便覧
*5 都「北海道」府県
*6 版籍奉還
*7 KanseiTaikan_Index 律令官制の沿革
000726法律的には誕生日の前日に満年齢に達することになっているらしい。
ということは1月1日生まれの人は生まれたその年の内に満1歳になる。更に1月1日の23時59分ごろ生まれた人はその年の12月31日の0時0分に満1歳に達する。満1歳になるのに363日しかかからなかったことになる。
閏年の2月29日に生まれた人はどうなるか。満1歳に達するのは平年になる次の年の2月28日である。
これを書いていて思ったのは満0歳という言葉はないということである。もともと「満」というのは数え年と区別するために出来た言葉である。数え年は生まれた日から1歳と数え、毎年1月1日に1歳年齢を加える方法である。従って0歳というのは満年齢で初めて出てきた言葉だから数え年と区別する必要がない。1歳といえば「満」なのか「数え」なのか分からないが、0歳といえば満年齢しかない訳である。
もともと0歳が「満ちる」というのは変な話しである。今日でこのサイトは満1歳に達した。
000727連日の猛暑で空調施設のない我が家のコンピュータが不安定になっているような気がした。先日コンピュータのCPUカードを高速で低消費電力のものに換えた。低消費電力なので放熱板だけで冷却用のファンが付いていない。だからファンによる騒音が以前よりも減った筈だった。
ところが部屋の温度が上昇してくると普段見かけないシステムエラーが頻出した。どうもCPUの冷却が放熱板だけでは不十分のようである。冷却用のファンを付けなければならないのか。折角、音が静かになったにもったいない。そこで電子冷却を採用しようと考えた。これならば音がしない。
電子冷却はペルチェ効果を応用した冷却装置である。ペルチェ効果とは異種金属や半導体の両端を接触させた閉回路に電流を流すと、一方の接続点で熱の吸収が起こり、他方で発熱する現象である。そしてこの接点を沢山直列にしたものをペルチェ素子という。
この現象は可逆である。接点に温度差があると接点間に電圧が発生する。この現象をゼーベック効果という。これを利用した製品に時計がある。腕の体温と外気温との温度差でゼーベック効果を使って発電し、その電力を使って時計を駆動する。耳式体温計の殆どはこのゼーベック効果を使って体温を測定している。ただしここの耳式体温計はゼーベック効果を使っていないものがある。
結局、ペルチェ素子による冷却は諦めた。ファンに比べて素子の消費電流がかなり大きいこと、結露を起こしてその結露水によってコンピュータが故障する可能性が出てくるなど多くの問題がありそうだからである。
小型ファンをCPUカードの放熱板に強力両面テープで貼り付けた。システムエラーは出なくなった。CPU温度も30℃ぐらいになった。騒音は増えたのかどうかよく分からない。
000728この地名は合成された地名らしい。合成された地名とは、例えば国分寺と立川で国立、昭和と拝島で昭島、蒲形と西郡とで蒲郡、行事と大橋で行橋などの様に元の地名を組み合わせてできた地名のことである。全国には市町村の統廃合でこのような例が沢山ある。
二つの市町村が合併する際に元の地名のそれぞれ一字を持ってきて二文字の地名が出来る例が多いが、神保原のように石神、忍保、八町河原の三つの地名から一字ずつ採って三文字の地名が出来上がっている場合もある。
もっと凄いのが清哲町である。ここはもとは清哲村といい水上、青木、折居、樋口の四つの大字(おおあざ)が合わさって出来た村だった。水上の「水」と青木の「青」で「清」、折居の「折」と樋口の「口」で「哲」。これで「清哲」としたらしいのだ。
これは漢字を使う国でしか出来ない地名の作り方である。
000729中国や朝鮮や日本で使っている角々とした文字のことを漢字と十把一絡げに言ってしまうが、漢字と言えるのはやはり中国で作られた文字だけだろう。
峠とか笹とか裃などは日本で漢字に倣って作った字で国字といわれる。和製漢字とか日本製漢字とも言われる。
中国で発明され漢字によく似ているが、漢字と言わない文字がある。契丹大字、契丹小字、西夏文字、女真文字など。これらは漢字に似ているが、現在は地球上で誰も使っていない筈なので死んでしまった文字である。従って今も生きている漢字とは違うだろう。
しかし見た目はやはり漢字である。表記に漢字を使わない言語を使う人が契丹文字など見たらやはり「漢字」にしか見えないだろう。一般の日本人が見ても漢字に見える。おそらく漢字を使わない人々にとって片仮名やハングルも漢字として見てしまうだろう。しかし片仮名はもともと漢字をもとにしているだから、それは仕方がないことである。
000730今から十数年前に「お笑いスター誕生」という番組があった。売れない芸人や素人芸人が芸を披露し、それをベテラン芸人やお笑い界の重鎮らが審査し勝ち残ると次週も出演できた。
その中で印象深かった挑戦者は「ひびきわたる」である。彼の出し物はキセル漫談と言ってキセルを使って色々な音真似をしながら漫談をするのである。キセル乗車の経験談を面白おかしく聞かせるわけではない。
キセル漫談自体は全く面白くなかった。それでは何故、印象に残っているか。彼は自分で考えたギャグが余りにも面白く思えたのか、ギャグを言う前に自分で笑ってしまうのである。ひびきわたるはこの番組出演時点で既に芸歴は長かった。それなのに自分のネタに酔いしれて自分で先に笑い出してしまう。お笑いの基本を理解していないのである。
審査員の一人、桂米丸もこの点を指摘していた。芸歴の長い芸人がお笑いの基礎を知らなかったというのが印象深かったのである。
000731最近発行された二千円札にはマイクロ文字がふんだんに使われている。既に発行されている千円札、五千円札、一万円札にマイクロ文字が導入されたのは、これらが発行されて暫くしてからなので、最初からマイクロ文字を入れての意匠を考えることが出来た二千円札に比べてその数は格段に少ない。札の意匠を変えずにマイクロ文字を入れるためには、その場所が限定されていたのであろう。
だから千円札、五千円札、一万円札のマイクロ文字の「NIPPONGINKO」の数を数えようと思えば簡単に数えられるが、2千円札は数える気にならないくらい多く書かれている。
まず表には従来の札と同じ様な場所に使われている。それに対して裏には従来の札にはなかった場所に書き込まれた。光源氏と冷泉院が対面している図柄で手前に柱と梁のようなものが二本描かれている。この二本の柱の線がマイクロ文字の列になっているのだ。二千円札にはNIPPONGINKOという文字列がマイクロ文字以外にも彩紋と呼ばれる唐草状の模様の中にも沢山描かれている。
二千円札全体の印象はやはり地域振興券である。
秒はSI単位系の中で唯一漢字を当てられた単位名である。何故、時間の単位である秒だけが日本語の単位名になったのか。基本単位の長さや質量は旧来の日本語の単位と区別するために外来語を用いたのだろう。他の基本単位の電流、物質量、光度はもともと日本では誰も知らなかったので単位を表す言葉がなかった。だから外来語を用いるしかなかったかもしれない。
「秒」はどうか。江戸時代以前に日本人にとって秒のような短い時間の単位が実用になっていたとはとても思えない。刹那という言葉があるから短い時間という概念はあっただろうが、それが一時(いっとき)の何分の一とか一刻の何分の一というのはなかったであろう。
もともと概念がないので電流などと同じ様なことだと思うが、何故か時間の単位の秒は「セカンド」にならなかった。「秒」という字は「粟」の「芒(のぎ)」のことできわめて小さいことという意味らしい。minuteが分割という意味に対して、secondは第二secondの分割という意味である。
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