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0305雑記草


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030501 

 フランクリンはどうやって電気のプラスマイナスを決めたか*1の続き。樹脂電気をマイナス、ガラス電気をプラスとした為に、後に発見される電子の流れの方向と電流の方向とが逆になってしまった。

 最初にフランクリン*2が「plus」「minus」という言葉を使ったのは1747年である。イギリスに住む彼の友人のPeter Collinson*3に宛てた凧の実験についての手紙*4の中でこの言葉を使った*5らしい。

 フランクリンはこんな実験をした。蝋の上に人を立たせガラス管*6を擦らせる。この人をAとする。少し離れて同じようにもう一人を蝋の上に立たせる。この人をBとする。彼らを互いに触らないようにしておく。A、Bを蝋の上に立たせるのは発生する電気を床に逃がさないためである。そして観察者Cは床に直接足を付けて立っている。

 Aがガラス管を擦って、そのガラス管をBに渡す。観察者Cから見るとA、Bどちらも電気を持ったように見える。それは観察者CがAに近づいても、Bに近づいてもCから電気火花がでるのが観察されるからである。

 Aがガラス管を擦って、Bにそのガラス管を渡した後、AがBに触るとCが観測した火花よりも強い電気火花が飛ぶ。火花が飛んだ後はA、B、C互いに触っても火花は出なくなる。

 以上の実験をまとめると、A、B、Cが最初に持っていた「電気」の量は同等であった。Aがガラスを擦ることによってAの「電気」の一部がガラス管に移る。電気が移ったガラス管をBに渡すと「電気」の量の多さはB、C、Aの順になる。Cから見れば、Bは「電気」が多い状態、Aは「電気」が少ない状態となる。この実験では「電気」の量の差がBとAとの間で一番多くなる。従ってB-A間の火花が一番強くなり、B-C間、A-C間の火花はA-B間よりも弱くなる。A-B間で火花が飛んだ後は「電気」が元に戻ったので再びA、B、Cの「電気」の量は同等となる。

 フランクリンは「電気」の多い状態のBを「plusプラス」、「電気」の少ない状態のAを「minusマイナス」と称した。これが電気の「プラス」「マイナス」の起源である。既にデュ・フェイによって「ガラス電気」「樹脂電気」の二種類の電気がある*7ことが知られていたので、ガラス管を擦ってガラスの「電気」が抜け出ると考えることも出来たのだが、フランクリンは実験の結果をA、B、Cの三人を中心にして考えて、摩擦によってガラス管に「電気」が移るとしたようだ。ガラス管は単なる「電気」の入れ物としたのだろう。

 上記の実験ではガラス管が用いられた。その理由はガラスが摩擦電気実験に最も適した材料とフランクリンは考えていた*8からと思われる。電気を溜める「ライデン瓶*9」もガラス製なので実験に統一性を持たせることが出来ると考えたのかもしれない。 

 ガラス管に集められた「電気」はガラス管に対しても量が増えているので、デュ・フェイが名付けた「ガラス電気vitré e」*10はフランクリンのいう「プラス」となったのだろうか。もしフランクリンが上記の実験を琥珀で行っていたらどうなっていただろう。結果は全く同じになる。そして実験結果の説明も同じになってしまうので、「ガラス電気」の反対の電気である「樹脂電気résineuse」*10の性質を持つ琥珀が「プラス」になっていたかも知れない。

 結局、フランクリンの電気実験にガラスがよく使われたので、特に理由もなく「ガラス電気」が「プラス」になった感じである。電流の方向と電子の流れる方向とが逆になってしまった原因は、ガラスが「プラス(電子が抜けた状態)」になり易かったため、と言うことになる。



*1 電気のプラスマイナス(2)
*2 Selected Papers of Great American Physicists Benjamin Franklin 1706-1790
*3 London Borough of Southwark - Discovering Southwark - A brief history of Peckham
*4 http://staff.imsa.edu/~egge/physics/semester2/docs/franklin.pdf
*5 From "A Textbook of Physics, Largely Experimental including the Harvard College eDescriptive List of Elementary Exercises in Ph
*6 John Jenkins SparkMuseum The Magazine that Sparked Benjamin Franklin's Interest in Electricity - 1745
*7 日本財団図書館(電子図書館) 通信講習用船舶電気装備技術講座(電気工学の基礎編・初級) 1・3 摩擦電気・電気力線・電界
*8 Biography of Benjamin Franklin
*9 電池とバッテリーとの関係
*10 IEEE History Center - FAQs How did the convention that electric current flows from positive to negative get established?

030502 

 現代豆本館に行って来た*1。豆本館とは開業医であった故小笠原淳氏が収集した世界の豆本を展示する博物館である。

 現代豆本館は静岡県藤枝市、国道一号線の緑町十字路交差点角*2にある。世界最小縦横1.4ミリの聖書をはじめ、大小3000冊以上*3の豆本が展示されているという。

 幹線道路の交差点の角にあるから直ぐに判ると思っていた。しかしその交差点の角に見つけたのは問い合わせ先とされている喫茶店「麦」の看板だった。博物館らしき建物が辺りに見あたらない。と思ったら喫茶店の中*4にあった。

 豆本の博物館らしく、その規模も「豆」であった。喫茶店の一室が豆本館*5になっていた。広さは三畳ぐらいである。入場料は50円*6。入り口にふくろうの形をした貯金箱が置いてあり、そこに50円を入れるようになっている。貯金箱を手にとって振ってみると先程自分が入れた50円玉しか入っていない様子だった。

 館内はこんな感じ*7で少し薄暗かった。世界最小の聖書*8がちゃんと展示されていた。その解説のために新聞の記事の切り抜き*9が置いてあった。その記事*10を読むと凸版印刷*11が、当時の技術の粋を集めて作った、と書いてあった。

 豆本は全てガラス展示箱の中に入れられていた*12。手に取ることが出来なかったので少々欲求不満が残ってしまった。博物館なので仕方がないが、本の中身が見られないのは惜しい。

 ガラスの中に展示されている本の中には、立てかけてあったのが倒れてしまって長年そのままになっている状態*13の物もあった。喫茶店の店番の方に聞いてみると長年豆本館の収蔵品*14の内容は変わっていない、と言うことである。平成10年10月17日〜11月30日に近くの藤枝市郷土博物館*15で「豆本展」が開催されて以来、殆どそのままらしい。

 しかも「豆本展」開催後しばらくして、喫茶店に展示してある物以外の多くの豆本を保管していた所が火事になり、かなり貴重な豆本が焼失してしまったらしい。そう言った経緯があって「豆本館」は長年放置状態にあるのかもしれない。



*1 豆本
*2 マピオン地図 静岡県藤枝市立花1丁目付近
*3 あづま252本の紹介 《豆本への招待》岩越豆本(がんえつまめほん)とみちのく豆本を中心に
*4 Mamehonkan01.jpg
*5 Mamehonkan02.jpg
*6 《中部》博物館 資料館 現代豆本館 問い合わせ先 麦(毎金曜休) TEL(054)643-3273
*7 Mamehonkan03.jpg
*8 Mamehon01.jpg
*9 Mamehon02.jpg
*10 Mamehon03.jpg
*11 TOPPAN PRINTING
*12 Mamehon04.jpg
*13 Mamehon05.jpg
*14 ■第4回:「豆本の世界とマイクロ技術」(前編)
*15 藤枝市郷土博物館

030503 

 先月、沖縄に行った時*1、沖縄料理の一つである「てびち*2」を食べた。どこかに旅行に行った時にはその土地独特の料理を食べておかないと損した気分になる。名物に旨い物無し*3と言われたりするが、大して旨くなかったとしてもそれはそれで思い出になる。

 「てびち*4」とは豚足の煮込み料理のことで、長時間煮込んで作るため豚足全体がゼラチン質になっていると聞いていた。ゼラチン*5ならば不味いはずがない。

 家族に「てびち」を食べに行こうというと「豚の足なんて気味が悪い」といって嫌がった。観光で沖縄に来る人の大部分がこういう感覚なのだろうか。泊まったホテルの食堂には「てびち」はなかった。

 仕方がないので一人でてびちを探しに行った。全く見当がつかないので沖縄県庁近くにある国際通り*6に行ってみた。国際通り*7は戦後の闇市が発展した商店街らしいので、如何にも旨い物がありそうだ。それに市場*8もあるようだ。

 果たせるかな、旨いてびちを出してくれそうな店を見つけることができた。「花笠食堂*9」という名前の大衆食堂*10である。屋号もいい。

 てびち定食*11を頼んだ。ご飯は赤飯にした。目の前に出される前までは豚の角煮*12のような甘辛い味を想像していた。だし味だった。さっぱりしていて滅法美味い。これが今回の沖縄旅行での食事の中では一番うまかった。



*1 アクアポリス
*2 沖縄料理・てびち(豚足煮付)酒のアルテック西町店
*3 三喜羅
*4 エミおばさんの沖縄料理バンザーイ(沖縄の食材・食品・特産品) エミおばさんの沖縄料理レシピ−足ティビチ
*5 新田ゼラチン ゼラチン大百科
*6 沖縄国際通り商店街
*7 JTB沖縄たびナビ:国際通り周辺
*8 那覇市観光協会 まちぐゎー
*9 Hanagasa.jpg
*10 沖縄とくする情報 花笠食堂
*11 Tebichi.jpg
*12 豚の角煮[料理のABC]All About Japan

030504 

 野口悠紀雄*1氏の『「超」整理法*2』という本を読んでいたら、プッシュホン計算機のことが書いてあった。

 NTT*3電電公社*4だった頃、プッシュホンを使って電卓のように計算が出来た。このサービスが始まった頃*5は電卓がまだ一般には普及していなかったのだろうか。それとも電卓の鍵盤とプッシュホンのボタンがよく似ているから思いついたサービスなのだろうか。

 電卓がない頃、計算が必要な時には算盤を使っただろうから、特に「電話で計算ができる」というありがた味は少ないように思える。それに当時、プッシュホンを導入できる経済力があるのなら電卓ぐらい買えそうな気もする。一体、誰を対象に始めたサービスなのかよく判らないが、少なくとも一般家庭でないことは確かだろう。

 中学か小学生の頃、実家の直ぐ隣に琴を作る工場があった*6。筆者はここに入り浸っていた。その工場にはプッシュホンがあった。ある日、工場の主人は「この電話で計算が出来る」と教えてくれた。やってみなさいというので、手引き書を見ながら計算をやってみた。四則演算だけではなく平方根も計算できた。平方根を知っていると言うことはその頃筆者は中学生だったかも知れない。

 答えは女性の声で返ってきた。答えが「1412」であれば「イチヨンイチニ」となったと思う。面白がって何度も試していた。

 後日、その工場へ行ってまたプッシュホン計算機やらせて貰おうと思って主人に声を掛けた。するともう駄目だと言う。一回の計算で100円取られたらしいのである。請求書が来てびっくりしたようだ。筆者が使うまで主人も自分では一度も試したことはなく、今回が初めての「プッシュホン計算」の請求だったらしい。

 筆者が中学生の頃であれば、電卓は当たり前の道具となっていたので、工場の主人も「プッシュホン計算」は使う必要は全くなかったのだろう。そもそも中小の事業所でも電卓がなければ算盤*7もしくは機械式計算機*8を使うのだから、やはり「プッシュホン計算」はいらない。一体、誰が使っていたのだろう。



*1 正確さと判り易さ
*2 超整理法(野口悠紀雄):書評
*3 NTT Home Page
*4 NTT HOME > 会社案内 > 会社概要
*5 NTT DIGITAL MUSEUM ホームページ プッシュホン登場
*6 琴
*7 一休さん
*8 手回し計算機、手動式計算機、機械式計算機と呼ばれた、タイガー計算器です

030505 

 何となく嫌いな雑学知識に「パソコンで使うのマウスの移動距離の単位は『ミッキー』」というのがあった。如何にも嘘っぽいし、「マウス」だから「ミッキー」という、脳で考えたのではなく、延髄で反射的に出来たような駄洒落が気に入らなかった。ダイナマイトの発明者はダイナマイト*1、みたいに誰かが冗談で話したのが、知らぬ間にまことしやかに広がった知識だと思っていた。

 パソコンの調子が悪かった*2ので、システムファイルの中味をいろいろいじっていた。筆者が使っているパソコンはMacOS*3である。MacOSでは使用者が簡単にシステムファイルある程度いじることが出来るようになっている。

 「ResEdit*4」というアップル社から無料配布されているソフトウェア*5を使うとシステムファイルやアプリケーションのデータの一部を変更することが出来る。それを使ってシステムファイルのマウスに関するデータの部分をみたら「mckys from System*6」という名付けられたデータが出てきた。

 明らかに「mckys」は「ミッキー」であろう。この「mckys from System」はMacOSでマウスの移動速度を定義するデータなのである。

 嘘だと思っていた単位「ミッキー」はどうやら本当だった。本当となれば話は別である。嘘っぽいけど本当の話、ということで一変して「好きな」雑学知識となった。念のため調べてみた。Windowsでも「ミッキー」*7と称している様である。



*1 坂口安吾
*2 ハードディスクの交換(2)
*3 ハードディスクの交換
*4 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - ResEdit
*5 ftp://ftp.apple.com/developer/Tool_Chest/Developer_Utilities/ResEdit_2.1.3/
*6 mcky.gif
*7 mouse_event

030506 

 ハードディスクを交換した*1ついでにパソコンをいろいろいじってみた。理由はディスクを変えてもまだシステムエラーが時々発生するのは他に何か原因があるかも知れないと思ったからである。

 現在使っているパソコンはSUPERmac S900*2で、アップル社以外のパソコンであるが、MacOSで動作する。今から四年半前に購入した。

 CPUはPowerPC604e*3、クロック周波数は233MHzだった。ATI社*4ビデオカードXclaim3D*5が搭載され、メモリが390MB装着されていた。ハードディスクはUltra Wide SCSIの4GBだった*6。ただしパソコンのインターフェースの規格はSCSI-II*7と呼ばれるUltra Wide*8に較べて遙かに遅い転送速度であった。これで19万円もした。

 現在、CPUはPowerPC750(G3)*9、クロック周波数は500MHz、ビデオカードはそのまま、メモリーは784MBになっている。ハードディスクは先日交換したハードディスク*1と、それまで使っていた8.5GBのハードディスクとが入っている。四年半前に購入した当時のハードディスクは先日交換する以前に一度交換*10している。8.5GBハードディスクはまだ使えそうなので補助用として使っている。ハードディスクのインターフェースはULTRA160SCSI*11なのでそのための回路ボードが搭載されている。フィルムスキャナー*12のためのIEEE1394、トラックボール*13やデータ取り込み用のUSBカードが挿入されている。更に内蔵CD-ROMと内蔵CD-Rとを加えている。

 これらを同時に全部使っている訳ではないが、既存の電源では荷が重くなっているのではないか、と思えてきた。電源のほんの少しの電圧降下でもエラーが出やすくなる可能性がある。これはZipの故障で経験*14している。

 そこで電源の交換を行った。ついでに冷却ファンがうるさくなってきたような気がしてきたので、これも交換することにした。冷却ファンの中で特にCPU用のものが一番うるさかった。本来CPUには冷却ファンは付いていなかったのだが、筐体内の空気の流れが悪いためかCPUの温度が上がりすぎて自然放熱ではシステムエラーばかりしていたので、強力両面テープ*15で後付けしていた。取り付けた当時は殆ど音が出ていなかったはずだが、最近は軸が摩耗したためかガタが発生して異音が出るようになっていた。

 電源はENERMAX社*16のものである。配線コネクタがMac用にはなっていないので、それを変換するコネクタ*17と合わせて買った。CPU用の冷却ファンは耐久性のありそうな少し高めの物を取り付けた。そしてシステムファイルの最適化を筆者なりに実施した結果、殆どエラーが発生しなくなった。音も少し静かになった。

 エラーがなくなったのは、電源を替えた効果かどうかははっきりしないが、とにかく良くなったので良しとする。



*1 ハードディスクの交換(2)
*2 Umax SuperMac S900
*3 Computer Architecture: Table of Contents Computer Architecture: ALU
*4 ATI Technologies Inc.
*5 MACお宝鑑定団 会長です ATI Xclaim 3D
*6 続コンピュータの不調
*7 SCSI/IDE 規格
*8 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - Ultra Wide SCSI
*9 いい買い物
*10 ハードディスクの交換
*11 @IT:Insider's Computer Dictionary [Ultra160 SCSI]
*12 スキャナを買った
*13 トラックボール ファン(Trackball Fan!)
*14 Zip(6)
*15 住友スリーエムテクノロジープラットフォーム
*16 ENERMAX
*17 SevenColors せぶんからーず 電源改造

030507 

 知人と居酒屋で砂肝*1を食べながらこんな話をした。砂肝は一体何なのか、鳥の肝臓なのか。筆者は「肝」とは言ってもあれは肝臓ではなく「胃」の筈だ、こんなにコリコリするのは胃の筋肉の所為であって肝臓である筈がない、と力説した。それに対して知人は「胃がこんなに分厚いのか」というので、砂肝には実際に砂が入っているから普通の胃では直ぐに破れてしまう、だから分厚くなっている、と説明した。

 知人は「そうかなぁ」と反応した後、どんどん他の話題に移っていった。砂肝の話はこれで終わりとなった。筆者も砂肝に関して自信があった訳ではない。どこかでそんなようなこと本で読んだことがあっただけだった。

 調べてみると砂肝*2とは鳥類の砂嚢の俗称であった。そして砂嚢は胃であった。鳥の胃は二つに分かれていて*3口に近い方を前胃(proventriculus)*4、その後ろにある方を後胃(gizzard)*5と言って、砂肝は後胃のことであった。鳥は歯がないのでこの砂肝に蓄えた砂や小石で食べ物をすり潰して消化するらしい。

 砂肝は肝臓*6ではなく鳥の「胃」であった。



*1 砂肝の煮込み
*2 ハングリーハンター すずめの内臓概略
*3 B&H ROOM インコの器官と疾病
*4 Birds in the Classroom Digestion
*5 The Digestive System Digestive Physiology of Birds
*6 いきもの ニワトリの解剖

030508 

 小学生の息子の宿題をみていたら真分数*1仮分数*2帯分数*3という言葉が出てきた。こんな言葉を学校でいまだに教えているのかと思い、びっくりした*4。日常でこれらの言葉を使うのは、小学生の算数を教える時ぐらいしかない。つまり将来の自分の子供の宿題を教える時に備えるために憶える言葉である。

 かつて頭でっかちな子供を「かぁぶんすう(名古屋弁)」と言ってからかった時代があったが、今では殆どそんなことは言わない。日常で「仮分数」という言葉を使ったのはそんな時ぐらいであった。そのために教えていたようなものだった。

 真分数、仮分数、帯分数の考え方が必要であれば、その都度説明すればそれで足りるはずで、その考え方の名称を特に憶える必要は全くない。教養として、雑学としてならばいいかもしれない。しかしその内容は「分子が分母に等しいかあるいはそれより大きい分数を仮分数という」と雑学としても全く面白味に欠ける代物なので、やはり無駄と言うべきだろう。

 それにしても帯分数の読み方で「一か二分の一」の「か」とは一体何であろう。筆者は「か」と習ったが、「と」言う場合もあるらしい。「と」であれば、判りやすい。この「か」は「箇」のこと*5らしい。「一ヶ月*6」の「か」と同じである。

 更に分数を読むのに何故「二分の一」と読むのだろう。算術的には「一を二で割っている」ので、「一の二分」とか「一、分の二」「一割ることの二」と言った方が判りやすい。金田一春彦*7氏がこんなようなことを言っていたような気がする。確かこの「二分の一」という読み方は江戸時代に出来た、とも言っていた。

 英語では序数を使って「一の二分」のような読み方*8をしている。「over」を使った表現*9ならば「一、分の二」「一割ることの二」と全く同じになる。

 分数を単独で読み上げる場合は「一の二分」の方がいいかもしれないが、演算を読み上げる場合、分母が先に判った方がいいような気もする。今となっては慣れの問題かも知れないが、分数の読み方を作った先人の苦労がうかがい知れる。



*1 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 真分数
*2 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 仮分数
*3 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 帯分数
*4 数学教育:分数 (有理数) : 「真分数・仮分数・帯分数」
*5 珠洲たのしい授業の会 藤澤利喜太郎編纂『算術 教科書 上巻』(明治30年)
*6 thとy
*7 IZUMI FRIEND NET(金田一春彦ことばの資料館)
*8 BB-link子供無料英語、算数教室 英語で算数を学習しましょう。アメリカで学習するのと同じカリキュラムで
*9 特許翻訳の世界 翻訳さんぽみち−数式

030509 

 一人暮らしをしていた頃、普通のアルミ鍋で飯を炊いていた。

 米の飯は炊飯器*1で炊くもので、そうでない場合は飯盒*2重い蓋と釜と*3がないと炊けないと思っていたが、そうでもない。

 薄手のアルミ鍋での炊き方の詳細*4は、殆ど忘れてしまった。蓋をして沸騰するまで強火で加熱し、沸騰したら弱火にして炊き、再び一瞬強火にして、火を止めて暫く蒸らす。各工程がどれくらいの時間だったかは全く憶えていない。それにその時間の決め手も何であったか忘れてしまっている。

 薄手のアルミ鍋の蓋は軽すぎるので沸騰させる時や炊く時に蓋が蒸気で浮いてしまい、上手くご飯が炊けなくなる。蓋だけ釜用の重い蓋*5を用意するのは手軽にアルミ鍋で飯を炊く意味がなくなってくる。

 そこで考えたのはアルミの蓋をクリップ*6で留めることである。二箇所で留めれば十分であった。

 これで炊飯器と全く同じ飯を炊くことが出来た。



*1 ニチワ電機ホームページ 056.jpg
*2 JGSDF wander land 飯ごう炊事の要領
*3 日用品のページ アルミキャスト製キング釜
*4 ボブとアンジー/料理レシピ ご飯の炊き方
*5 三州豊川・かま・なべ・中尾工業株式会社
*6 ライオン事務器 ---カタログ情報検索--- 「バインダークリップ 幅25mm(中)つづり枚数:1〜60枚」詳細情報

030510 

 道端で庚申(こうしん)塔*1をたまに見かける。庚申の日に行う庚申講*2の象徴として建てられた石像である。

 庚申とは「かのえさる」の日のことで、旧暦で一年間を六十干支で割り振った時*3、「かのえさる」に当たる日である。六十干支は六十通りある*4ので庚申の日は年に六回ある。

  *5とは結社のようなもので、経済的なものと宗教的なものの二種類がある。前者には頼母子(たのもし)講、無尽講*6など、後者には富士講*7伊勢講*8などがある。

 庚申講は宗教的な講*9である。人体には三匹の「尸」という虫がいて、庚申の日の夜に寝ている隙にからだから抜け出して、天に昇ってその人の犯した悪事を天帝に告げると考えられていた。この考えは中国の道教から*10来ているらしい。天帝はその悪事に応じて寿命を縮めるというので、三匹の尸が報告に行かないように庚申の日には皆で集まって徹夜をする、というのが庚申講である。

 悪事をしないように努めるのが普通の宗教観のような気がするが、この庚申講では、してしまった悪事は仕方がないので、それを天の神様にばれない様にする発想が面白い。

 更に面白いのは体の中に棲んでいる三匹の虫「三尸(さんし)*11」である。それぞれ「上尸」「中尸」「下尸」*10と呼ばれる。こんな虫が体の中に棲んでいるとはとても思えない。昔の人は一体どうやってこの姿を創造したのだろうか。

 体の中にいる虫と言えば寄生虫*12である。人の尻から出てきた寄生虫を見て「三尸」を思いついたのだろうか。寄生虫で「顔」があると言えばサナダ虫*13である。理科や保健体育の教科書には河童の顔のようなサナダ虫の頭部*14が載っていた。

 サナダ虫を見て「三尸」を考えたのだろうか。頭部の大きさは1mmぐらいらしい*15ので、顔のようなものは辛うじて見えたのかも知れない。教科書の絵*16ではなく実際にはどんな感じの「顔」なのだろう。この写真*17電子顕微鏡*18で撮影されたサナダ虫の頭である。大体絵の通りである。この写真*19は髪の毛のないサナダ虫である。写真に写っている縮尺からするとこの頭はかなり小さい。こんな怖い顔*20をしたのもいるらしい。

 想像をたくましくすれば、サナダ虫は「三尸」のような姿になるのだろうか。頭が牛でその直ぐ下に人間の足が一本だけ付いている「下尸*11」は何となくサナダ虫に似ている。



*1 庚申塔を探しに行こう
*2 ■話は庚申の晩…庚申請 - 狛江市役所
*3 国立国会図書館 「日本の暦」―暦の中のことば 干支
*4 国立国会図書館 「日本の暦」―暦の中のことば 六十干支
*5 富士講や庚申講
*6 検査関連活動 −研究誌「会計検査研究」の発行− 庶民金融と会計検査 小澤 潔
*7 ■富士に登る…富士講 - 狛江市役所
*8 帽 しめ に 矢島町教育委員会 教育長 三 浦敏男 四百年近くの仏統を持つ矢島の祭りは 第二節 神明社の歴史
*9 これなあに? 庚申信仰(こうしんしんこう)
*10 幻想図書館 三尸蟲
*11 東京庚申堂 sanshi.gif
*12 壁土を喰う
*13 はなむしのページ  〜寄生虫の世界へ〜 <サナダムシ編 1>
*14 Welcome Lynch's Science Class Resources tapeworm2.gif
*15 条虫症(Cestodiasis)
*16 McGill University Centre for Tropical Diseases Lecture 5 Platyhelminthes (Flatworms)
*17 Dr. Gonzo's Art and Wine Web-site tapeworm.jpg
*18 EBIC
*19 SCANNING ELECTRON MICROSCOPY University of Virginia's College at Wise Scolex.jpg
*20 A Rogue's Gallery: photos of parasites that infest humans.

030511 

 公共の駐車場*1で自動車を止める時には出来るだけ端に止めるようにしている。端というのは両側に自動車が置けないようになっている場所である。

 どうしてかというと、隣に止まった他の自動車にドアをぶつけられる確率を半分にするためである。他に心がけているいることは、高級車の隣に止める、汚い自動車の横には止めない、ワンボックス型の自動車の横は止めない、前進駐車している自動車の横には止めない、などである。

 高級車の隣に止めるのは高級車の所有者は大抵は自動車を大事にしているのでドアをぶつけることはしないからである。それに対して自動車が傷だらけで汚いままであればその反対なので、ぶつける確率が高い。ワンボックス型自動車には子供や普段自動車に乗らない人が同乗している可能性が高い。こういう人達は自動車に対して価値観をあまり持っていないのでドアをぶつける可能性が高くなる。前進駐車している自動車が左側にあれば、両側の自動車の運転席が自分の自動車の側になるのでドアをぶつけられる確率が倍になる。どんな場所でも前進駐車をする運転手がどういった自動車の扱い方をするかを考えると、やはりその隣は避けた方がいいと考えられる。

 一つ一つの行動は非常に細かいことであるが、こういった積み重ねの努力によって自動車を傷から守るのである。これは安全運転*2にも通ずる。ちょっとした細かいことでも「〜するかもしれない」と思って運転すれば事故に遭う確率はかなり低減できる。

 駐車場に入ろうとして上記の条件に合う場所が見つからない時は、断腸の思いでその空いている場所に自分の自動車を入れる場合もある。

 理想の場所に自動車を止めることが出来、用が済んで駐車場に戻ってきた時、自分の自動車の横に物凄く汚いワンボックス型自動車が前進駐車をしているを見つけた時の悔しさはない。しかも他に空いている場所があるのに、よりによってわざわざ自分の自動車の隣に止めるのは解せないと憤りを感じる時もある。駐車場の自動車は常に入れ替わっているので、その自動車はわざわざ自分の自動車の隣に止めた訳ではない。しかしそう思いたくなってしまうのは、自動車に入れ込み過ぎているためであろう。



*1 国立代々木競技場トップページ 駐車場
*2 運輸労連ホームページ 安全運転アドバイス

030512 

 先日、京都の銘菓「八ツ橋*1」の名前の由来について書いた。「八ツ橋」の由来は八橋検校の名前からとされているが、人名が直接、食べ物の名前になり得るのだろうか。

 読者の方から八ツ橋のいわれ*2が書かれたページを教えて頂いた。このページの存在を完全に見落としていた。八ツ橋の話は一年以上前に着想したのだが、なかなか記事に出来なかった。思い出しては八ツ橋について調べていたが、このページをブックマーク*3に入れられなかった。

 菓子の名前の「八ツ橋」と三河知立の「八橋」*4との関係は明確には書かれていない。菓子の名前の「八ツ橋」は八橋検校が由来であって、八橋検校の名前の「八橋」と三河の「八橋」とは偶然の一致、と書いてある。

 不思議なのは菓子の包装や箱に描かれている絵である。箱には名前の由来となった八橋検校の姿ではなくカキツバタと八橋の絵*5が描いてある。更に八ツ橋を製造する店の本店には服部峻昇*6作の「かきつばた図」が掲げられている*2らしい。

 それにしても、何故、菓子とは本来関わりがないはずの三河八橋の絵柄が箱に描かれているのだろう。件のページには八橋と言えば在原業平とカキツバタを連想する人を尊重して包装紙の絵柄としたと説明している。本来の由来よりも客の勘違いを優先させ、包装紙の絵柄までそれを用いる。

 これが人名が由来の食べ物でも広く知られることになった原因だろう。本当の由来はどうであれ、客があっての商売、という見本である。恐らく八橋検校が包装紙に描かれていたらこの菓子は今ほど売れなかっただろう。



*1 八ツ橋
*2 聖護院八ツ橋総本店おいたち
*3 栞(4)
*4 三河八橋の伊勢物語旧跡案内
*5 聖護院八ツ橋
*6 服部峻昇(Shunshoh Hattori)

030513 

 砂肝の話*1をしながら、話題は鳥関係に移っていった。

 一緒に飲んでいた知人がどこかで聞いたところに因ると「スズメは捕獲禁止になっているので飲み屋で出てくるのは全て輸入である」「日本野鳥の会の発端は野鳥を保護するのではなく、如何に食するかを考える会だった」という。いくら何でもそんなはずはないと言うと、知人も真偽の確証はないと言っていた。

 いくら荒唐無稽な作り話しでも何かが元となっているはずである。それが何かが気になる。

 捕獲禁止かどうかは鳥獣保護法*2に依る。鳥獣保護法*3には「狩猟鳥獣以外ノ鳥獣ハ其ノ捕獲(殺傷ヲ含ム以下同ジ)ヲ為スコトヲ得ス」とある。捕っていいとされている野鳥以外は捕獲してはいけないのである。基本的に野鳥は捕獲禁止*4で、捕っていい野鳥は環境大臣*5が決めることになっている。スズメは野鳥なので基本的には捕獲できないが、捕ってもいいとされる29種類の「狩猟鳥」*6に含まれているので、捕獲しても違法にならない。従ってスズメ*7が捕獲禁止というのは現時点では間違いである。

 日本野鳥の会*81934年に創立*9された。中西悟堂(ごどう)*10という人が中心となって作った。野鳥の会創立当時は、野鳥を自然のまま観察するという考え方は普及しておらず、野鳥を楽しむと言えば捕まえて飼ったり食べたりすることであった。その中、野鳥を本来の姿で観察して研究したり楽しんだりすることを中西氏は提唱した。

 日本野鳥の会「以外」が「如何にして野鳥を食べるか」を考えていたのであった。何故、野鳥の会が「食べる会」だったという話になってしまったのだろうか。

 鳥獣保護法の起源*11は1873年(明治6年)に出来た「鳥獣猟規則」らしい。この法律は安全や秩序維持のために狩猟の規則を定めたものだった。鳥獣保護法はもともとは鳥獣の保護ではなく、如何に「捕って食べるか」を規制した法律ということになる。

 「日本野鳥の会の発端」の話は、この「鳥獣保護法の発端」がいつのまにか「日本野鳥の会」にすり替わってしまったのだろう。



*1 砂肝
*2 鳥獣保護法について
*3 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律(廃)
*4 鳥獣の捕獲規制について
*5 環境省へようこそ!
*6 野鳥観察の法律Q&A(Ver.2)【狩猟鳥と非狩猟鳥】
*7 スズメ
*8 WILD BIRD SOCIETY OF JAPAN
*9 沿革
*10 作家紹介 中西悟堂(なかにし ごどう)
*11 鳥獣保護法 鳥獣保護法は、もともと「狩猟」についての法律だったのですか?

030514 

 知人と酒を飲みに行った時のこと。砂肝の話*1の前後どちらか忘れてしまったが、京都の菓子の「八ツ橋」の由来*2について雑記草で書いたという話をした。その由来は三河八橋ではなく八橋検校という話から宮城道雄の話になった。

 宮城道雄*3も八橋検校と同様に盲目の琴奏者であり作曲家であった。「春の海*4」が有名である。宮城道雄は現代の人である。筆者が小学生の頃、道徳の授業で幼い頃の宮城道雄の琴修行の話題が出てきた。確か宮城道雄だったと思う。そんな教科書に登場している人なので、何となく明治時代に生きた古い人だと思っていたが、亡くなったのは1956年(昭和31年)だった。

 亡くなった原因は事故である。東京から大阪に向かう寝台列車から転落して死んだ。その転落した場所は愛知県刈谷市*5というところだった。刈谷といえば筆者の住むところからそれ程離れていない。

 刈谷で死んだということを知人から聞かされて、この時初めて知った。生前、宮城と親交のあった内田百けん*6が「東海道刈谷駅*7」という随筆にその事故のことを詳しく書いているという。

 宮城の死を悼んで、事故現場の直ぐ近くに供養塔が建てられた。事故が起きてから二年後であった。しかし知人の話ではその供養塔は既に消失してしまっているというのだ。名もない一般の人でさえ、五十回忌までは法要を行う*8のに、いくら何でも事故後五十年も経ってもいない内に供養塔が消失するはずがない。

 探しに行ってみたらちゃんとあった。花崗岩でできた立派な石碑*9である。建てられている場所はJR刈谷駅を少し東に行ったところで、名古屋鉄道三河線が立体交差している付近である。JR線の上を名鉄線のガードが跨いでいる*10このガードの下に落ちていた宮城*11が刈谷駅職員によって発見された。この時、まだ宮城は生きていて病院に担ぎ込まれる間、瀕死の状態ながら駅員と話を交わしている。現場から600mぐらい離れた豊田病院*12に運ばれ、そこで絶命した。

 供養塔の側面には「水の変態*13」「春の海」の音符が刻まれていた。裏面には宮城の生涯を綴った佐藤春夫*14の碑文があった。



*1 砂肝
*2 八ツ橋(2)
*3 宮城道雄の世界
*4 伊東 四朗プロフィール 小松政夫
*5 刈谷市ホームページ
*6 瀬戸町役場産業建設課 岡山県出身の随筆家 内田百けん
*7 近代文学編 うちだひゃっけん
*8 FAN倶楽部【生前予約の大進】 すぐに役立つ葬の手引き
*9 ●楽聖宮城道雄先生供養塔
*10 マピオン地図 愛知県刈谷市幸町1丁目付近
*11 !邦楽らんど Hougakuland 悲しき記録 (宮城道雄最期の記録) 昭和31年 高瀬忠三
*12 刈谷総合病院
*13 ● 水の変態
*14 佐藤春夫と新宮市立佐藤春夫記念館

030515 

 極端に純度を高めた鉄は錆びにくいと言うことをかなり昔に聞いたことがあった。鉄の純度を上げることが技術的に難しかったのか、用途として何もなかったので特にそういった純度を上げる研究がなされていなかったのか、そのことに関する文献などを目にすることはなかった。もっとも積極的にそう言った文献を探していた訳ではないので、目に触れないのは当然と言えば当然である。

 錆びない鉄というとインドの「アショカ王の鉄柱*1」を思い出す。1500年前に建てられた鉄製の塔だが、全然錆びていないと言う。これは鉄が高度に純化されているために錆びないのではない*2らしい。何か鼻薬がほんの少し入ってい*3てそれが防錆に寄与しているらしい。その鼻薬と鉄とが化合して出来た物質が鉄の表面を覆っているために柱が錆びないようだ。

 よく知られている鉄の防錆*4の方法として「黒錆*5」がある。黒錆は赤錆と違って緻密な膜を形成するので一旦鉄の表面に黒錆の膜ができると、空気中の酸素と水とが黒錆に邪魔をされて鉄と接触できなくなる。赤錆は見た目通り、すかすかで隙間が多いので鉄と酸素との反応がどんどん進んでしまう。黒錆が出来た鉄*6のように一度反応すると被膜が出来てしまってそれ以上反応が進まない状態を「不動態*7」という。

 現在、99.9989%以上の超高純度鉄*8が作られるようになっている。このように純度を高めた鉄の見た目は白金のよう*9で、一年以上大気中に放置しても錆びず、塩酸では溶けずに酸化力の強い酸である王水*10にだけ少しずつ溶けるらしい。

 純度の高い鉄が錆びない理由はなんであろう。普通の鉄では不純物が入っているので全体に黒錆が出来ても不純物の所為で黒錆の膜に隙間が出来てしまって、そこから赤錆が発生するのだろうか。高純度の鉄には黒錆に隙間を作るような不純物は入っていないので表面に黒錆の膜が出来てしまえば、赤錆が発生することはなくなる。

 普通、黒錆は薬品で処理をしたり高温にしたりしないと出来ない*11が、もしかしたら超高純度鉄の表面は非常に反応しやすくなっているために室温でも空気中の酸素と反応してうっすらと黒錆が出来ているのかも知れない。これによって錆びにくくなっている、と思ったが、黒錆は塩酸に簡単に溶けてしまうので超高純度鉄が酸にも強いというのが説明できない。

 理科の教科書には鉄の錆びる原理図*12が載っている。化学式*13を見ると不純物が一切入っていない。入っていないにもかかわらず錆が発生する反応になっている。鉄中の不純物が錆反応の触媒*14になっていると考えるべきなのだろうか。

 鉄は長年人類が利用してきて身近な物質であるはずだが、その本質があやふやというのは何とも面白い。やはり森羅万象を人類が解き明かすことは不可能*15なのであろう。



*1 Delhi- The Story
*2 月刊名工研・技術情報 No.592(5月号) 鉄の不思議
*3 F.E.R.C Research Data - 1999/05/23 オーパーツ アショカ・ピラーの謎を追え!
*4 マグネ化学、防錆工法
*5 黒染め
*6 第3事業部第二工事部2課 マグネラインの4つの特徴
*7 金属元素の役割 /腐食と変色/ Q7.不動態とは?
*8 究極の超高純度金属 安彦兼次
*9 純鉄・チョット気になる加工材:角井製作所
*10 解説:王水
*11 マグネタイトとは?
*12 新製品&推奨製品<Zプリザーバ>
*13 「さび」を科学する
*14 独立行政法人 産業技術総合研究所 生活環境系特別研究体 界面機能制御研究グルー(触媒サブグループ) 「しょくばい」って何?
*15 一神教と多神教

030516 

 京都の銘菓「八ツ橋」の名前の由来*1に関わりがあるともないとも言えないのが愛知県知立市*2にあったと言われる「三河八橋*3」である。

 その三河八橋がある知立*4にも銘菓がある。藤田屋*5の「大あんまき*6」である。京都の八ツ橋のような如何にもという歴史*7は全くないが、餡好きの愛知県民*8に深く愛されている。

 大あんまきはどら焼きの皮のようなもので餡を巻いた菓子*9である。一口では食べられないような大きさなので「大あんまき」と言われるのだろう。

 この「大あんまき」の箱は「藤田屋の大あんまき」と大きく書いてあるだけのものをよく見かけるが、たまに違った意匠の箱もみる。

 その箱をよく見てみるとカキツバタが描かれている*10。大あんまきと三河八橋とは全く関係がないが、カキツバタも大あんまきも知立の名物と言うことだからだろう。京都の八ツ橋もその名の由来とは関係ない*11と言われているにもかかわらず、箱にカキツバタが描かれている*12

 全く縁もゆかりもない二つの菓子がカキツバタ*13でつながっているというのは、なんとも感慨深い。



*1 八ツ橋
*2 東海道五十三次 39番目の宿場町池鯉鮒
*3 三河八橋の伊勢物語旧跡案内
*4 レールの再利用
*5 chiryu nishimikawa report
*6 大あんまきの藤田屋知立駅店
*7 知立の特産品
*8 ダイナゴン
*9 おたべりのホームページ 【あんまき】 藤田屋(愛知県知立市)
*10 Ooammaki.jpg
*11 八ツ橋(2)
*12 ■聖護院八ツ橋
*13 皐月と躑躅

030517 

 「理路整然*1」という言葉がある。読みが似ている言葉で「理の当然*2」というのがある。前者は筋道が通っていること、後者は至極もっともなことなので、何となく似通った言葉*3である。

 この両者を組み合わせた言葉がある。この「理路当然*4」はどうも「理の当然」と同じ「至極もっとも」という意味に使われているようである。「りの」と「りろ」とでは子音の「n」と「r」との違いしかないので間違えやすいかも知れない。残念ながら「理路当然*5」という四字熟語*6は辞書にはまだ載っていない。

 これとよく似た言葉に「喧々諤々(けんけんがくがく)*7」がある。「喧々囂々(けんけんごうごう)*8」と「侃々諤々(かんかんがくがく)*9」との組み合わせである。どちらもよく似た意味なのでこれを組み合わせて新しい言葉を作ってしまっている。これもまだ辞書には掲載されていない*10



*1 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 理路整然
*2 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 理の当然
*3 鹿爪
*4 Google 検索: 理路当然
*5 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 理路当然
*6 四字熟語
*7 Google 検索: 喧々諤々
*8 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 喧囂
*9 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: かんかんがくがく
*10 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: けんけんがくがく ただし誤用の例として記載されている

030518 

 日本最古のアスファルト道路*1というのがあるらしい。史上「初」や日本「初」はいつかはなくなってしまう場合が多いが、「最古」ならば何にでも常に存在する。しかしアスファルト道路に「最古」のものがあるというのは、考えたこともなかった。

 このアスファルト道路*2は日本初かどうかはわからないらしいが、写真で見る限りその様子、それがある場所からすれば「最古」であることは間違いないだろう。

 看板が出ているぐらいになれば、このアスファルト道路はあと五十年から百年は消失することはないだろう。愛知県には日本で最初の歩道橋*3があった。もしかしたら今でもあるかもしれない。

 歩道橋を造るには新しい技術などいらないので前述のアスファルト道路のような「最古」や「初めて」の意味は全くないが、健常者だけを視野に入れた行政のあり方の証人として貴重な建造物なので残されるべきである。

 やはり残っているかどうか自分で一度確認にしておかなければならない。



*1 技術のわくわく探検記〜日本最古のアスファルト道路(グラバー園)
*2 長崎文化百選 アスファルト道路
*3 日本最初の歩道橋(2)

030519 

 最近の自動車には必ずエアバッグ*1が装着されている。ハンドルの真ん中だけではなく横からもエアバッグが膨らむ*2ようになっているのも多い。

 ハンドルの真ん中に装着されているエアバッグは、前面衝突の際に運転手の顔や胸がハンドルに衝突するのを防ぐ為にある。これはシートベルトを締めていることを前提にしているので、シートベルトをしていないと身体全体が前に飛び出てフロントガラスに頭をぶつけたりする可能性*3が出てくる。

 エアバッグの代わりに衝突の瞬間にハンドルを前方に引っ込める仕組み*4が昔はあった。前面衝突してその衝撃でエンジンが後退すると、エンジンに取り付けられたワイヤによってハンドルが引き込まれ、更にシートベルトもきつく締まる様になっていた。アウディ*5に装着されていた。今はエアバッグになって*6しまっている。

 エアバッグで気になるのは、膨らむ瞬間である。普段はハンドルの真ん中の樹脂製の蓋の中にバッグがしまい込まれていて、いざというときそこからバッグが膨らんで出てくる。この時、樹脂製の蓋が外れて顔面を直撃することはないのだろうか。写真を見ているといつも風船だけが膨らんで*7いて、全く問題がない様に見えるが、大丈夫なのだろうか。

 蓋が飛んでこなくてもエアバッグに顔がぶつかった時*8、眼鏡は大丈夫なのだろうか。事故に遭って命が助かるのだから眼鏡ぐらい壊れてもいいが、眼鏡のレンズが割れて目に損傷を与えることはないのだろうか。エアバッグの膨張による車室内の急激な気圧の変化などで鼓膜が破れる心配は殆どない*9と言われるが、眼鏡のことはあまり聞かない。

 衝突ならば安全運転していれば防ぐことが出来るが、エアバッグの誤動作はどうしようもない。何かの拍子にバッグが開いて鼓膜が破れて更に眼鏡が割れて失明するということもあり得るのかも知れない。

 そう思うと衝突時にハンドルを引っ込める方式は通常時の誤動作はないし鼓膜も破れることもない。当然顔はハンドルとぶつからないので眼鏡で目を傷つけることもない。どうしてこの技術はなくなってしまったのだろうか。



*1 自動車事故対策センター 自動車アセスメント 安全装置の働きと正しい使い方
*2 サイドエアバッグシステムのしくみ
*3 シートベルト非着用時のエアバッグの使用例
*4 Die Audi 80 B4 Homepage Das Sicherheissystem Proconten* procon = programmed contraction, ten = tension
*5 Audi Japan
*6 Audi Japan Site A8
*7 JAMA - 車両の安全性向上への技術
*8 Citroen Japon
*9 『エアバッグ』について

030520 

 「年収100万円で楽しく幸せに生活する本 *1」という題名の本を読んだ。書店で見かけて、その題名に惹かれて、衝動的に買ってしまった。

 年間百万円の収入だけで暮らせることが出来れば、こんないいことはない。一体どんな知恵や方法が書かれているのだろう。わくわくしながら読み始めた。

 なんとも支離滅裂というか、ただ一般的に言われている様々な経費節約法が羅列してあるだけで、それらを実行することがどうして「楽しく幸せ」なのか全く伝わってこない。そしてそれらの方法がどうのように年収百万円に関連するかも解りにくい。更に最後の方に書かれている年収百万円で生活する具体的方法というのが、殆ど実現不可能な内容なのである。

 この本では失業などで今までの収入が三分の一以下になってしまうのを想定して書かれているらしい。前書きに、年齢40歳、年収700万円、妻一人、子供二人、住宅ローン残高3000万円の人に特に読んで欲しいとある。この本の著者が年齢が大体40歳だからだろう。ただし、独身のようである。

 年収百万円で暮らすと言うことは月々8万円程度で暮らすと言うことである。上記の条件の場合、普通の考え方では不可能である。そのためのどうするかというとローンを解消して離婚して親の家か家賃3万円のアパートに住むというのが結論であった。この本には書いてなかったが、男性の場合、慰謝料や養育費を払って年収百万で暮らすためには、それまで年収が税込み3000万円ぐらいないと駄目なようだ。

 本の著者は公認会計士で税理士である。将来、年収百万円で生活することのない人でろう。そんな人が書いた本を題名だけを見て買ってしまった筆者の負けである。本の題名だけで衝動買いをするような人は将来迫り来る年収百万円での生活を心配しなければならず、そんな不安のない人はこの本を買うことはない。この本を買うべくして買っているのである。そういった意味では本当に巧く考えられた本の題名である。

 この本は1年間で10刷もしている。結構売れているのである。結局、「年収100万円で楽しく幸せに生活する本」で楽しく幸せに生活するのは、この本の著者であった。ああ、くやしい。



*1 年収100万円で楽しく幸せに生活する本

030521 

 雑記草の目次の整理をしていたら、題名だけあって、内容が消失しているものがあった。011207「エッシャー」と目次にはあるが、この日付けの記事は飛んでしまっている*1

 エッシャー*2の何について書いたのかさっぱり思い出せない。前後の日付の記事は「数学的図形*3」と「小松崎 茂とジョージ・ハリソン*4」である。数学的図形というと何となくエッシャーを彷彿*5とさせるが、「小松崎 茂とジョージ・ハリソン」では全く関連性がない。

 ついでなのでエッシャーの絵に登場する虫について書く。筆者はこの虫が大好きなのである。その虫はエッシャーのこの作品に登場*6する。六本足で大きな頭、頑丈そうな顎を持っている。目玉は顔の左右から真横に飛び出している。目玉はエビ*7のようである。ダンゴムシ*8みたいに体を丸めることもできる。最も大きな特徴は足の形で、人間の足そのものの形をしている。

 この虫が転がったり、はいずりまわったりするスクリーンセイバーやキューティー・マスコット*9がかねがね欲しいと思っているが、なかなか見つけられない。著作権がまだ切れていない*10ので、自由にそういった物が作ることが出来ないからだろうか。

 仕方がないので自分で作ろうと思ってキューティ・マスコット作成ソフト*11をかなり前に購入したが、エッシャーの虫の作成はおろか、一度も使ったことがない。



*1 エッシャー ※ただし、リンク先は「数学的図形」
*2 Escher Art Collection
*3 数学的図形
*4 小松崎 茂とジョージ・ハリソン
*5 探究:エッシャーの絵の探究
*6 Escher Art Collection HouseOfStairs.jpg
*7 【イセエビ】
*8 名古屋市衛生研究所 ワラジムシ ダンゴムシ類
*9 IRONHEARTS / Nega Software Library /Mascot
*10 Fantasy Movies Info 幻想美術館/M.C. エッシャー
*11 キューティマスコットJr.

030522 

 家の一番大きな亀が脱走した。これまで何度も脱走して*1戻ってきた。今回も戻ってくるのだろうか。

 この亀ではないが、手に入れたばかりの大きなイシガメに脱走されたことがあったが、50日後に戻ってきた*2。そう考えると今回も戻ってくる可能性はないとも言えないが、心配である。

 少し前から、脱走の兆候はあった。数日前には水槽から這い出しているところを2回見かけたので、急遽、水槽の周りに*3を取り付けた。

 柵の高さは水槽の縁から15cmぐらいあったが、甲長20cmの亀はそれをよじ登って逃げていってしまった。



*1 亀の脱走(2)
*2 イシガメが帰ってきた
*3 【楽天市場】ミスター総務 家具市場 メッシュハンガー

030523

 この写真*1逃げ出した亀*2の最後の姿である。まだ最後とは決まっていないが、現状ではこれが最後の記録である。逃げ出す二週間前であった。

 二年半前*3四号ぐらいの植木鉢*4に乗っている姿と較べるとかなり大きくなっている。

 天気のいい日にはこんな感じに後ろ足をピンと伸ばして*5甲羅干しをやっていた。何故この様な仕草をするのかはこの記事*6で勝手に納得している。

 夜は水中で眠り、朝になると動き出して餌を頬ばり、日中は足を伸ばして甲羅干し。これを毎日繰り返す。ミドリガメやイシガメは30年ぐらいは生きる*7。冬の間は冬眠をするのでこの日課は中断してしまうが、これを30年間繰り返すのだから悠長なことである*8

 今の水槽の中では大親分がいなくなったので、残った三匹の亀*9がゆったりと羽を伸ばしているように見える。今までは餌を水槽に入れると、逃げ出した一番大きな亀が他の亀を押しのけて、がつがつと食べていた。それまで他の亀は親分の隙をうかがうようにして餌を食べていたが、それがなくなった途端、悠々と食べているように見える。

 人間社会の縮図を見ているようで面白い。



*1 gamera.jpg
*2 亀の脱走(4)
*3 DSCF0038.jpg
*4 名田植物園 (ミニ観葉・観葉植物・ハーブ苗・苔盆栽・苔玉・モスボール・ワイルドストロベリー結婚式のプチギフトなど) 鉢のサイズで4寸5寸
*5 kame.jpg
*6 甲羅干し
*7 亀博物館
*8 亀の生涯
*9 イシガメ(3)

030524

 *1に興味がある。書店に行くとついつい株関連の書棚に立ち寄ってしまう。初心者のための株式投資だとか、儲かる株の見分け方とか、株の鉄則とか、株で儲けるための指南書が数多く出版されている。

 株で自己資金がどんどん増えていけばこんないいことはない。加えて少ない収入でも暮らすこと*2ができれば、もっといい。少ない収入で暮らせれば株で儲ける必要はないはずだが、それはそれで金に対する人情という物があるので、金はあればあった方がいいと思ってしまう。

 web上にも株式投資顧問*3のサイトが沢山存在して、どうやればどんな株を買えば儲けることが出来るかという情報を有料で提供したりしている。

 こういった多くの情報を眺めていると、簡単には儲からないが、情報収集や自分の頭で考える努力すればそれなりに儲かるような気がしてくる。

 本当にそうだろうか。書籍やweb上に存在する株に関した情報で誰でも本当に儲けることが出来るのだろうか。そもそも、何故、株式投資のこつを書籍やwebで有料で公開しているのだろう。

 どんな人でも株式投資をやる動機は一つしかない。金を儲けるためである。これ以外の動機はない。通常はないはずである。書籍などの著者も当然株式投資をやっているかかつてはやっていた筈である。そこで自分の投資方法で上手く儲かったので、それを多くの人に知ってもらうために書籍などを書くことになるのだろうか。

 違うだろう。中には非常に親切な人がいて人から株式投資のこつを教えて欲しい、という要望に応えて本を書き出す人もいるかもしれない。しかし殆どに人はそんな立場ではない。本を書いてもう一儲けするためだろう。

 株で儲かっているのなら、本を書く時間をどんな株を買うかを考えるのに使いたくなるのが普通はなかろうか。本が売れれば一定の収入がある。投資顧問を依頼する人がいれば一定の収入がある。株では一定の収入が得られないので、他の方法でも稼ごうと考える。本当に儲かっている人は株式投資以外の様々な方法で補っているはずなので、株に関する事だけを取りだして書いた本を読んでそれを実行しても駄目だろう。

 株式投資関連の有料情報が存在すると言うことは、株だけで儲けることが誰にとっても途方もなく難しいこということを表しているのである。「こうすれば簡単に株で儲かる」と言っている書籍の存在が、株式投資で常に儲けることが無茶苦茶難しいと証明しているのである。

 何冊か株式投資の本を買って、読んでからようやく気付いた。ああ、くやしい。



*1 Yahoo!ファイナンス
*2 年収100万円で楽しく幸せに生活する方法
*3 Google 検索: 株式投資 顧問

030525

 小林秀雄*1のらくろ*2の作者である田河水泡*3とが親戚であることを最近知った。

 小林秀雄*4の随筆「漫画」に書いてあった。のらくろは月刊雑誌「少年倶楽部*5」で昭和6年から連載が開始された軍隊漫画であった。野良犬の黒吉、略して「のらくろ」が猛犬聯隊という軍隊に入って活躍して出世していく様子を描いた漫画で、当時の子供達には大人気の漫画であった。

 太平洋戦争に突入していく日本において、軍隊漫画は軍部から歓迎されそうな気がするが、昭和16年に連載を軍部によって中止させられた。

 その頃、漫画の中ではのらくろは軍隊を除隊して満州に渡っていた。そこに満州人らしき豚が登場する。これが連載中止の理由になったらしい。友好国の人民が豚とは何たることだ、ということで情報局に呼び出されて大目玉を食らい、その翌日から紙の配給がなくなったという。

 田河水泡の妻は小林秀雄の妹富士子*6であったので、田河水泡は小林秀雄の義弟ということになる。



*1 人形
*2 江東散歩ガイド 田河水泡・のらくろ館
*3 ペンネーム(2)
*4 小林秀雄年譜
*5 熱い犬
*6 Literary Homepage HORAGAI 小林秀雄(こばやし ひでお)

030526

 オーディオ装置に使うデジタルケーブルで音が変わる*1のだろうか。「ケーブルで音が変わる」とは、オーディオ製品同士をつなぐ信号線の種類によってスピーカから出てくる音が変わってしまうということである。

 例えばアンプとスピーカとをつなぐ線に極端に細い線を使えば、その電線の電気抵抗によって出てくる音が普通の太さの電線を使った時よりも小さくなる。この時、アンプからスピーカに流れる信号はデジタルではなくアナログと呼ばれる連続的な変化*2をする電気信号である。

 デジタルケーブル*3とはアナログと違って離散的な変化をするデジタル信号を伝送するケーブルのことで、金属で出来た電線の場合とガラスや樹脂で出来た光ファイバーの場合とがある。電線の場合は電気的な信号、光ファイバーの場合は光の信号が伝送される。信号の状態は、デジタルなので電圧が高いか低いか、光が明るいか暗いかだけの二種類の状態しかない。従って何らかの原因で信号の状態に狂いが生じても高い低いや明るい暗いが識別できれば信号全体としては狂いは発生していないことになる。更に高低、明暗が反転してしまうような狂いが生じた場合でも、そのような狂いが少しであれば勝手に直してしまう*4こういった狂いを修正するためにデジタル信号には伝送しようとする情報とは全く関係ない情報が含まれて*5いて、これを使って修復できるようになっている。一方、デジタルでない場合は、狂った部分がそのまま信号として扱われる。機械はその信号が正常かどうか区別が付かないからである。

 だからデジタル信号は非常に劣化しにくい信号である。劣化しにくいから伝送する線にどんな品質のものを使っても変わらないと考えるのが普通である。

 ところがあるオーディオ専門雑誌を読んでいたら、デジタルケーブルでも物によって音質が変わると書いてあった。更に様々なメーカのオーディオケーブルの比較がしてあった。

 いつも思うのだが、こういったオーディオ雑誌での比較テストを文章で表すだけでなくその音を録音したCDを付録にして貰えれば非常に判りやすいと思うのだが、そういう雑誌は見たことがない。微妙すぎて録音するとその違いがはっきりしないのだろうか。

 デジタルケーブルを変えると人の声が際だつとか表現に張りや厚みが出るとか全く具体性に欠ける言葉の羅列による比較である。ケーブルの性能の比較ではなく「ケーブルによって如何に音が変わったか」の表現方法の比較*6を読んでいるようである。

 ケーブルの長さは長くても5m程度なので、その距離をデジタル信号が通過する間にケーブルの品質が要因で信号に狂いが生じるとはとても考えられない。しかも人の音声の感じが変わるなどあり得ないだろう。

 ケーブルを流れる信号は電圧の高低か光の明暗である。その信号は「0」「1」の羅列になっているのである*7。この並びは音の大小や高低に関係しているが、これに関係のない上で書いたような修復用の「0」「1」も含まれている。いくらなんでも高い音や人の声の信号部分だけを選択して狂いが生じることはないだろう。

 電気信号は周波数が高くなると電気回路を回り*8にくくなる。デジタル信号そのものの周波数はそのデジタル信号に含まれている音の情報とは直接関係がない。何かの影響で信号に狂いが生じれば全体的に音が変わるだろう*9。人の声とか低い音などとか、音の高低や大小による変化はないだろう。デジタルケーブルの違いで本当に音が変わるのだろうか*10

 オーディオ雑誌に比較テストの付録CDが付いてこない理由が何となく判ってきた。



*1 アクセサリー使いこなし術/デジタルオーディオケーブル編
*2 第2章 情報の表現 2.5 デジタル信号とアナログ信号
*3 ケーブル&コネクタ図鑑 : デジタル・オーディオ用光ケーブル/コネクタ(光角型/光ミニ)
*4 オーディオの基礎 デジタルオーディオ
*5 藤本健のDigital Audio Laboratory 第2回:迷信だらけのデジタルオーディオ〜 音楽CDリッピングが100%正確でない理由 〜
*6 週刊「製品批評」 AV&ホームシアターケーブル大特集
*7 e-word辞典 デジタル録音の基礎の基礎
*8 周波数と年齢
*9 ilungo_デジタルケーブル
*10 なぜデジタルメディア「CD」に音質の違いが出るの!? ――検証編

030527

 吉田桂二*1という建築家が書いた本を読んでいたら、家の中に金をかけてオーディオ専門部屋を作るのは愚の骨頂である、と書いてあった。オーディ装置は所詮、録音して再生する偽物なのでいくら金をかけても本物にはなり得ないからだ。そういった物に家の一部屋をあてがうのはあまりにも勿体ない。何でも家の中に取り込んで、生活を家の中だけで完結させようとすると、偽物を本物と思い込んでしまい人生をつまらなくしてしまうというのだ。

 オーディオに関してそれ程凝っているわけではないが、許される最大限の予算で出来るだけいい音が聞けるオーディオ装置が欲しいといつも考えていた。しかしこのオーディオは所詮偽物という話を読んでから、オーディオ関係の物欲*2はかなり消沈した。許される予算の上限はかなり下がってきた。

 オーディオの音は偽物ということはこれまで考えたことはなかった。オーディオ装置の最終目的は原音に限りなく近づけることであり、そのためには様々な技術が投入されて当然と思ってきた。考えてみれば、原音は必ず存在していてその代替であるのでいくら金や技術をつぎ込んでも原音同等の音を聞くことはできない。原音が最初から存在しなければ理想に近づける活動は永遠に続くが、原音が存在するのであれば、理想そのものが既にあるということので、それに近づけるための行き過ぎた努力は虚し過ぎる。

 レコードやCDは名演奏家の演奏を自宅で手軽に聴くことが出来るので便利だが、それを原音に対し忠実に再生しようとするのは程々にしておいた方が賢明である。そういうものに金や時間をかけるよりも名演奏家でなくとも実際の演奏会に出向いて本物の音を聞いた方がいい。

 ということで今までパソコンでオーディオCDを再生してひどい音を聞くのは以ての外と考えていたが、そう考えること自体が「以ての外」という考え方になった。パソコン*3のCD-ROMとマザーボードを電線でつないでオーディオCDが聞けるようにした。全く問題なく鑑賞が出来る。新しいCDプレーヤを買わずに済んだ。 



*1 吉田桂二・間取りの玉手箱
*2 物欲を抑える方法(2)
*3 パソコンの電源交換

030528

 愛用の紙の英和辞書「リーダーズ英和辞典*1」の見出し語「lane*2」の説明で変な日本語の諺が記載されている*3ことを、以前書いた。

 It is a long lane that has no turning. 曲がりのない路はない、いつまでも同じ状態が続くことはない「待てば甘露のひよりあり」

 とリーダーズ英和辞典 初版 第10刷では記載されていた。最近手に入れたリーダーズ英和辞典第二版 第1刷*4では上記の英語の諺は記載されていたがその日本語訳は削除されていた。

 やはり「甘露のひより」ではおかしかったのだろう。「待てば海路の日和あり」は聞いたことがあるが、「待てば甘露の日和あり」というのは聞いたことがない。しかも「lane(小径)」の話をしているのに「海路」ではなく「甘露」では話にならない。

 と思ったが、どうも違うようだ。「待てば甘露の日和あり」という諺はあるらしい。手許の国語辞典「日本語大辞典*5」「新明解国語辞典*6」のどちらにも載っていない。

 もともとは「待てば甘露の日和あり*7」が先らしい。甘露*8とは天下太平になると降ってくると言われる甘い露という意味で、寺の坊主が酒を隠れて飲んだ時につぶやく「甘露、甘露」とは違っていた。しかも尾張かるたの「ま」*9は「待てば甘露の日和あり」のようだ。生まれた時から尾張に住んでいてそれを知らなかったのは情けなかった。更に「甘露」では間違いと思い込んでいた。やはり常に勉強は必要である。

 それにしてもどうしてリーダーズ英和辞典の第二版では、この「待てば甘露の日和あり」が削除されてしまったのだろう。もっとも英語諺の日本語訳が全部削除されていて「待てば甘露の日和あり」だけがなくなったわけではない。

 掲載する見出し語を増やすために解説の字数を減らしただけだろう。



*1 リーダーズ英和辞典 第2版(並装)
*2 lane - goo辞書
*3 Country Lane
*4 安く手に入れた英和辞典
*5 TVware情報革命シリーズ 日本語大辞典
*6 SANSEIDO Co.,Ltd.新明解国語辞典
*7 旧東海道の旅ーメニュー−和田光平− いろはかるた いろはかるた漫談 ま
*8 かんろ 1 【甘露】 - goo辞書
*9 いろはかるたシリーズの総目次

030529

 幼少の頃、土用の丑の日*1が近づいてくると近所の塀には鰻の貼り紙が貼られた。

 白い紙に墨で魚籠(びく)*2から飛び出たうなぎの姿が描かれていた。そして真ん中には大きく「うなぎ大勉強」と書かれ、その文字各々の傍らには朱で三重丸が付けられ「うなぎ大勉強」の文字を際だたせていた。

 幼少の頃からうなぎの蒲焼きは筆者の大好物*3である。しかし「勉強*4」は嫌いである。当然「大勉強」はもっと嫌いである。大好きな「うなぎ」と大嫌いな「大勉強」が組み合わせられた「うなぎ大勉強」とは一体何なのか。その貼り紙がはり出される季節になると悶々とした気持ちになっていた。

 ある日、母親に「うなぎ大勉強」の貼り紙について聞いてみた。どうしてうなぎで勉強なのか。母親は、あれは「大安売り」という意味だと教えてくれた。「うなぎ大勉強」とは「うなぎ大安売り」という意味であることをその時初めて知った。なぜ「勉強」が「安売り」という意味になるのかよく解らなかった。

 「うなぎだいべんきょう」という言葉自体は「うなぎおおやすうり」よりも力強く語感もいい。意味が解ってからは、土用の丑の季節になるとふざけて「うなぎだいべんきょう」とよく叫んでいた。

 幼少の頃に、ある言葉が気に入るのは大抵は下の言葉*5である。御多分に洩れず「うなぎ大勉強」には「だいべん」という言葉が含まれている。



*1 healthmaking 土用の丑
*2 《水の道具》竹魚篭
*3 いば昇のうなぎ
*4 命題(2)
*5 penisの語源

030530

 筆者が携帯電話を持たない理由は二つある。一つは必要ないからである。今から7、8年前、アナログ式の携帯電話を持っていた*1が、一ヶ月に一度きりしか使わなかった。それ以来、必要ないと思い持ったことはない。

 もう一つは携帯電話の格好が悪いからである。どれもこれも同じ様な形で、しかも女性が使うコンパクト*2みたいなので所有する気になれない。

 映画「ソードフィッシュ*3」に出てくるような本体の横のボタンを押すと伸長する携帯電話*4なら欲しいと思う。折り畳み式はそれこそコンパクトみたいで嫌だ。折り畳み式でも片手で開けば、コンパクトを思い出させることはないかも知れないが、そういった開き方を繰り返しているとすぐ壊れてしまう気がする。

 最近、ノキア*5からボタンを押すと本体が伸長する携帯電話*6が出たらしい。これならば殆ど使わないが、持ちたいと思う。値段が高すぎることと日本国内では使えないのが問題である。

 折り畳み式ではなく回転式*7というのがある。これは片手で持ちながらボタン操作で回転するのかどうか分からないが、もしそうだとするとかなり格好がいい。

 筆者が携帯電話を持つのは町中に公衆電話が殆ど見つからなくなった時だろう。この時にこういった格好いい携帯電話の選択肢が沢山あるといい。今は公衆電話は簡単に付けることが出来るので、まだ携帯電話はやはり持たない。



*1 アンテナマーク
*2 Google 検索: コンパクト ファンデーション
*3 トラボタル
*4 Mobile:Mobile&Movie 第32回:ソードフィッシュ「電話を切れ、お遊びは終わりだ」
*5 ノキア・ジャパン株式会社
*6 NOKIA8910i
*7 KDDI au: 機能別製品ラインナップ > A5305K
*8 Mobile:au、回転タイプのムービー端末「A5305K」発表

030531

 一つの放送局から発せられる電波*1によって何台までの受信機でその電波を受信できるのであろうか。例えば出力10kWで出されたテレビジョン用の電波は何台のテレビジョン受像器に正常な映像を送ることが出来るのだろうか。

 アンテナ*2の近くなら何台でもいいような気がするが、考えてみるとそうはいかないのではないだろうか。

 電波ではなく有線で考えてみると納得がいく。糸電話*3で糸の片方に二つのコップを付ける。両方とも聞き取ることが出来るだろうが、一つの場合に較べて聞こえる音が小さくなっているはずである。片方のコップをどんどん増やしていけばだんだん聞こえにくくなって最後には全然聞こえなくなるだろう。片方のコップに入れられる音声のエネルギーは有限なので、もう片方のコップを増やせる数も有限である。

 電波の場合も同じである。受信機は放送局のアンテナ*4から発射された電波のエネルギーのほんの一部を使って受信している。糸電話と同じようにアンテナから出力される電波のエネルギーは有限なので、出てきた電波を正常に受信できる受信機の数も有限の筈である。

 放送局のアンテナを中心にして半径10キロの球面上に受信アンテナを隙間なく並べた時に全ての受信機で辛うじて電波が受信できたとする。恐らく半径10キロの球の外では受信できないだろうから、球面上にある受信アンテナの数が受信できる受信機の数の上限だろう。

 本当にこれをラジオやテレビジョンの受信機の上限と考えていいのだろうか。何となくいけないような気もするが、とにかく一本のアンテナから出る電波で受信できる受信機の数には必ず上限がある筈である。そうでないとエネルギー保存の法則*5が成り立たなくなる。



*1 WELCOME TO AK_WORLD でんぱでーた on Web CONTENTS
*2 名古屋テレビ塔
*3 リアルコミュニケーションスペース「バーチャル」 糸電話-糸を伝わる波-
*4 東京タワーオフィシャルホームページ
*5 船戸和弥のホームページ エネルギー保存の法則law of conservation of energy



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