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0304雑記草


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030401

 最近、Googleで「雑記草」を検索*1するとこことは全く関係ないサイトが数カ所検出される。「雑記草」などという言葉は自分しか思いつかないと考えていたが、そうではないようだ。

 確か「雑記草」を始める前に検索サイトで「雑記草」という言葉を検索したが、一件も検出されなかったので完全に筆者の独創的な言葉だと考えていた。だから他の「雑記草」がweb上では後発であることは間違いない。それらが巨大サイトになってからこちらが先だったのに、と思うのは悔しいから、今のうちに「雑記草」の由来を書いておく。とは言っても今書いたところで悔しく思うのは同じだろう。

 雑記草とは「雑記」と枕草子や徒然草のように下書きや日記を表す「草」の字を組み合わせて作った。「ざっきそう*2」と読む。固有名詞である。「ざっきぐさ」とは読まない。

 漢字熟語の読み方の原則は「音訓を揃える*3」である。「音音」で読むか「訓訓」で読むのが普通である。そうでない熟語は「重箱読み*4」「湯桶読み*5」と呼ばれ例外にされる。「雑草」と「雑記」とを組み合わせて作ったと思われる方が多いかも知れない。そうやって考えても「ざっきそう」と自然に読める。

 最初に「雑記」と「草」との組み合わせを考え、「雑草」の変形とも捉えることが出来るということで表紙にある雑記草のマーク*6を作った。



*1 Google 検索: 雑記草
*2 子供用検索サイト
*3 気付
*4 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 重箱読み
*5 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 湯桶読み
*6 雑記草マーク

030402 

 「雑記草」によく似た名前のページがある。雑記草のように独立したサイトではなく、サイトの一部を構成しているので「ページ*1」と読んだ方が妥当だろう。

 「雑騒鬼*2」というページである。恐らく「ざっそうき」と読むのであろう。最初は「雑鬼」であったようだが、1998年3月に書き始めてから三日後に「雑騒鬼」へ改題*3している。1998年の三月だから「雑記草」よりも一年以上前に始まっている*4

 「雑騒鬼」は日記で、しかも宇宙のことなど理系の話題が豊富である。そして文中にはリンクが沢山貼ってある。雑記草を始めた時、文中にリンクを多用した文章サイト*5が殆どないと思っていたが、一年以上前から同じ様な形式で殆ど毎日文章を書き綴っているページが存在していたのである。

 これは独創的だと思っていても、殆どの事は何処かで誰かが同じ様なことを先にやっているもの*6であることを痛感させられた。



*1 リンク切れ対策
*2 舞・宇宙 雑騒鬼
*3 電脳 もっとメンテ篇
*4 GR1s
*5 リンク(2)
*6 ENIACとABC

030403 

 野口悠紀雄*1氏の『「超」文章法*2』を読んでいたら、ハッブル望遠鏡*3のことが出てきた。

 ハッブル望遠鏡*4とは人工衛星に搭載された宇宙空間に浮かぶ望遠鏡で、周りに空気がないので星などがすこぶるよく見える*5

 1990年に打ち上げられた。2002年にはスペースシャトルによって新しいカメラが望遠鏡に取り付けられた*6らしい。新しいカメラがどれくらいの能力かというと「ワシントンから東京*7を見て、2m離れて飛んでいる二匹のホタルを見分けられる*8」というのである。それぐらい遠くにある物を細かく見分けることが出来るというのである。

 この表現を野口氏は判り難いという。直観的に「ワシントンから東京の距離」が多くの人に掴めないからだという。そこで氏は「札幌から東京」に置き換えた方がいいと提案している。この方が実生活の距離感に近いからだろう。「ワシントンから東京」を「札幌から東京*9」に変えるとその距離は十分の一程度になる。だから二匹のホタルの間の距離は2mの十分の一の20cm、となる。

 「札幌から東京を見て、20cm離れて飛んでいる二匹のホタルを見分けられる」と書き換えていいのだろうか。

 ハッブル望遠鏡の性能を説明する上では適切ではないだろう。「ワシントンから東京・・・」の比喩で表現している望遠鏡性能の項目は二点ある。一つは細かく見分けられること、あと一つは「ワシントンから東京」の距離でも微弱なホタルの光を捉えることが出来ることである。

 従って「札幌から東京」の距離したら、ホタルではなくもっと弱く光る物をもってこないと適切な言い換えにはならない。見たことはないが、一匹のウミボタル*10が出す光はかなり弱そうである。しかし「20cm離れた二匹のウミボタル」では全然判らない。

 結局、「ワシントンから東京」という表現しかないことになる。内容は正確で、しかも判り易く表現するのは難しい場合が多いような気がする。



*1 日計
*2 超文章法(野口悠紀雄):書評
*3 HubbleSite
*4 人工衛星・ハッブル宇宙望遠鏡
*5 Hubble Space Telescope Public Pictures
*6 ハッブル望遠鏡、新しいカメラを搭載予定
*7 Team NijiX Trial WEB Distance between 2 cities ワシントン-東京間 10901km
*8 日本惑星協会 ハッブル宇宙望遠鏡の修理が完了
*9 Team NijiX Trial WEB Distance between 2 cities 札幌-東京間 830km
*10 ウミボタルの発光 光を出す生物、ウミボタル

030404 

 沖縄*1へ家族旅行に行った。泊まったホテルの近くに「海洋博記念公園*2」があったので、見に行った。

 この公園は1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会*3跡地に建設された*4

 この博覧会の象徴として、当時130億円で建設*5された「アクアポリス*6」という海上建造物*7がこの公園に残されていると聞いていたからである。

 このアクアポリス*8は博覧会終了後は、次第に観光資源としての効力も薄れ、最近は錆びだらけの廃墟と化しているというのだ。廃墟と聞けば本業である「遺構探訪*9」に出かけなければならない。

 行ってみるとアクアポリスは既に二年以上前に撤去されてなくなっていた。公園地図のアクアポリスの「跡」*10のみが残っていた。だがその周辺をよく見ると「遺構」がある。まさに誰も注目していない、視界には入っている筈だが「見えていない」ものが残っている。廃墟と化したアクアポリスを見ることが出来なかったが、ここに来た意味はあった。これら「遺構」の写真は本業のサイトで何れ公開する予定である。

 かつてアクアポリスと陸地とをつないでいた桟橋があった海辺で、県の天然記念物に指定されているアンモナイトの化石の碑*11を見つけた。隣には、それを解説した石板がコンクリートの台から剥がれたままになっている。アクアポリス*12同様、見捨てられてひっそりと佇んでいた。



*1 沖縄観光情報:真南風ネット / (財)沖縄観光コンベンションビューロー
*2 国営沖縄記念公園 海洋博公園公式ホームページ
*3 沖縄国際海洋博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律
*4 海洋博記念公園について
*5 Mainichi INTERACTIVE まいにちKids [ニュースの言葉]アクアポリス
*6 沖縄海洋博覧会「アクアポリス」
*7 海上都市・Marine City
*8 シップ・アンド・オーシャン財団:ニューズレター 「アクアポリス」の教訓 〜トータルライフサイクルコストの議論を〜
*9 遺構探訪
*10 aqua.jpg
*11 ammo.jpg
*12 NIE ASAHI 「未来の海上都市」がスクラップに

030405 

 日頃使っている時計*1の針が遅れだした。そろそろ電池がなくなる頃だろうか。

 二年前に近くの宝石店*2で電池を換えた。この時ついでに時計の針も換えた。電池交換を頼んだ宝石店は対応が丁寧だったので、またここで電池の交換をしなければならないと思っていたら、完全に針が止まってしまった。

 時計を店に持っていって暫くしたら、店から電話があった。どうも電池がなくなっただけではなく、内臓の電子回路が故障しているというのだ。しかもこの時計は十数年前に製造中止になっているのでこの時計の製造業者*3には既に部品の在庫がないと言う。そういえば針の交換の時、文字盤も一緒に交換してもらおうと思ったが、この時計用の文字盤の在庫はなかった。針は共通部品だったためか、交換できた。

 店では、部品の在庫を持っている修理工場を現在探しているという。見つかれば修理の見積もりを出してくれる。時計が戻ってくるまではかなり時間が掛かりそうだ。何となく修理できないような気がしてきた。電子部品を使った工業製品を長く使うことは無理*4なのだろうか。それにしても最近はよく物が壊れる*5

 代わりの時計は人に譲ってしまった*6ので、2200円で売っていたSwatch*7 AquaChronoという針がいっぱい付いている時計を買ってきて腕に付けている。



*1 tagheuer.jpg
*2 時計の針の交換
*3 TAG Heuer
*4 Zip(7)
*5 スキャナが壊れた
*6 Alpinist
*7 Swatch : official website: watch: swiss watch: e-store: irony: wrist watch: gift watch: chrono watch: diving watch: lady watch: swatch store: e-store: swatch group: designer watch: swatch 007: man watch: swatch irony: swatch internet time: swatch skin chrono

030406 

 普段使っていた時計が故障した*1ので、2200円で売っていたSwatch*2 AquaChronoという針がいっぱい付いている時計*3を買ってきて腕に付けている。

 実は筆者は十年以上前に買ったSwatchを三つ持っている。1987年製が二つ*41988年製が一つ*5。だから改めて代わりの腕時計を買う必要はなかった筈であった。

 物置に入れてあったその時計を取り出してみるとビニール製の時計バンド*6が老朽化して割れてしまって使い物にならなくなっていた。予備の電池もしまってあったのだが、これも腐っていた。

 近くの店ではSwatchは売っているのだが、電池の交換や販売はしていない。探すのも面倒になったから、時計本体を買った。

 今回買ったSwatchの時計バンドは布製*7である。時計本体はスイス製、時計バンドはフランス製で、裏には革のような物が貼ってある*8

 これならばバンドが割れることはない。



*1 腕時計の故障
*2 Swatch : official website: watch: swiss watch: e-store: irony: wrist watch: gift watch: chrono watch: diving watch: lady watch: swatch store: e-store: swatch group: designer watch: swatch 007: man watch: swatch irony: swatch internet time: swatch skin chrono
*3 aquachrono.jpg
*4 pulsometer.jpg
*5 black.jpg
*6 株式会社バンビ
*7 aquachrono2.jpg
*8 strap.jpg

030407 

 実在の人物の名前がついた日本の食べ物にどんなものがあるか。色々と考えてみたが、漬け物の沢庵*1隠元(いんげん)豆*2長十郎梨*3とそれ程多くない。

 料理された物で人名がついたものは「沢庵*4」ぐらいしかないかも知れない。とはいっても漬け物の「たくわん」の語源は「たくわえ」の転という説もあるので、もしかしたら実在人物の名前が付いた料理という物はないのかも知れない。

 「助六寿司*5」というのもあるが、これは歌舞伎の「助六」*6が由来だろう。ハヤシライス*7には人名説とそうではない説との二つの説がある。

 物に人名を付けるということはあまりしないような気がする。身の回りの物の名前を思い浮かべても人名が由来となっている物は殆どない。これは固有名詞でも商品名でも同じである。ホッチキス*8カーディガン*9サンドウィッチ*10備長炭*11、身近ではないがギロチン*12など。日本語の名前は特に少ない。

 料理に人の名前を付けるとしたらどう考えるだろう。付けるとしても、その料理法を考えた人の名前を付けるだろう。その食べ物と全く関係がない偉人や有名人の名前を付ける*13のは殆どないと思われる。

 そもそも食べ物は人が口に入れるものである。その口に入れる物の名前に人の名前はあまり付けたくはないだろう。日本には「言霊(ことだま)*14」という考え方がある。言葉にはなにかしら不思議な力が込められていると言う考え方である。だから誰かの名前が付いた物を食べるのはやはり気が引けるのではないだろうか。それが想像上の人物になると事情は変わってくる。もともと存在していないので口に入れても気にならない。助六や金太郎飴*15などは、物語の登場人物なので、その人物名の由来がたとえ実在していても想像上の人物と同じ感覚になる。

 こう考えていくと日本の食べ物には実在の人物名が直接付くことはなく、意図的に付けてもその名前はあまり流布しないと思われる。そういった意味で「たくあん*16」も「たくわえ」が転化したと言う説の方が有力ではないだろうか。



*1 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: たくあん
*2 豆知識 つるまめ(ふじまめ)
*3 みやぎ物語/小牛田の北浦梨 小牛田の北浦梨/長十郎
*4 江戸net : 江戸人物事典 > 人物紹介 沢庵 宗彭 ( たくあん そうほう)
*5 駅弁図鑑 助六ずし
*6 歌舞伎浮世絵画廊〜上方絵〜助六由縁江戸桜
*7 ハヤシライス物語
*8 ホッチキス
*9 ハイハイQさんQさんデス-男はカッコ
*10 sandwich. The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000
*11 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 備長炭
*12 Bachの読み方
*13 鴎外 (おうがい) − 和菓子処 三松堂
*14 姓名判断
*15 金太郎飴本店
*16 赤穂あらなみ塩 レシピ「たくあん」

030408 

 日本には人の名前が付いた料理がない*1のではないか、と書いた。

 京都の銘菓「八ツ橋*2」はどうであろう。その名前の由来を読んでみると人名が由来*3になっている。その人名とは「八橋検校(やつはしけんぎょう)*4」である。八橋検校と言えば琴による曲の「六段の調(しらべ)*5」が有名である。和風レストランやホテルのロビーなどへ行くと聴くことが出来る。

 八ツ橋の形は琴の形に似ている*6ので、琴の名人である八橋検校に因んでその菓子の名前にした*7らしい。もう一つの「八ツ橋」の製造業者は八橋検校がその菓子の考案者である*8と伝えられていると主張している。最近は生の八ツ橋や餡入りの八ツ橋*9の方が有名になっているが、本来の由来のもとは煎餅の八橋である。

 しかしこの八ツ橋の箱*6を見ると、本当に八ツ橋の由来が「八橋検校」なのか、と思いたくなる。箱に描かれているのは「カキツバタ*10」である。それに真ん中には白い板橋が描かれている。

 これは三河八橋*11の絵ではないか。三河八橋とは現在の愛知県知立市八橋町*12のことである。在原業平の伊勢物語*13で登場する。逢妻男(あいづまお)川の流れが常に変化していたため流域に出来た州と州との間に小さな橋が何本か架けられていたらしい。古くからカキツバタの名所*14として知られていた。だが、戦国時代の頃には八つ橋とカキツバタは跡形もなくなっていたようである。伊勢物語の頃の八つ橋*15がどこだったのかははっきりしていないが、現在は無量寿寺近辺*16にはいくつかの旧跡*17がある。

 筆者はこの「三河八橋」が京都の菓子の「八ツ橋」の由来と聞いていた。京都の菓子の名前の由来が在原業平*18や伊勢物語というのは何ら違和感がなかった。しかも板橋の形は菓子の形に似ている。

 しかし「八橋検校」という人名がそのまま由来となれば別である。人名が菓子の名前になるのはどうも違和感がある。人名が由来の菓子は有名になり得るのだろうか。有名になったあとから由来を考えたかも知れない。本当の由来は何だろう。



*1 沢庵
*2 文化二年創業八ッ橋乃司 井筒八ッ橋本舗
*3 HISTORY−八橋検校と井筒八ツ橋
*4 八橋検校(やつはしけんぎょう)
*5 オンライン音楽室 箏曲「六段の調」
*6 聖護院八ツ橋
*7 聖護院八ツ橋総本店おいたち
*8 HISTORY−八橋検校と井筒八ツ橋
*9 聖護院八ツ橋 商品案内
*10 皐月と躑躅
*11 三河八橋の伊勢物語旧跡案内
*12 マピオン地図 愛知県知立市八橋町付近
*13 NWU Gazou DB Index 伊 勢 物 語 の 世 界
*14 ようこそ 伊勢物語ワールドへ 伊勢物語の四季
*15 愛知の郷土史,愛知の偉人 八橋伝説地
*16 六條河原院 三河八橋カキツバタ紀行(1)−八橋無量寿寺
*17 愛知の郷土史,愛知の偉人 カキツバタと無量壽寺(むりょうじゅじ)
*18 人物画像データベース 在原業平

030409 

 八橋検校(やつはしけんぎょう)*0は何故、「八橋」なのだろう。京都の菓子「八ツ橋」はこの八橋検校の名がが由来*1とされている。

 検校*2とは中世以降、平曲・三弦・箏曲・鍼灸(しんきゆう)・按摩などに携わる盲人(男性)により組織された職業集団「当道」の位で、検校とは最高位名である。

 八橋検校と名乗る前は「上永検校城談*3」と名乗っていたらしい。その前は「山住勾当(こうとう)」だったようだ。福島出身の八橋検校*4は色々な場所で活躍したらしく、八橋と名乗るのは京都に来てからだった。

 何故「八橋」と改めたのだろうか。伊勢物語や在原業平から考え出したのだろうか。そうだとすると、一気に菓子の八ツ橋、三河八橋、八橋検校がつながるのだが、そんなに世の中は甘くない。八橋検校が何故「八橋」と名乗ったのかが、いくら調べても判らない。

 幼い頃から目が見えないので三河の八橋やカキツバタの様子は想像できないだろう。八橋は三河八橋から、だとしても八橋検校自身が考えたのではなく誰からかに薦められた名前になる。人に付けて貰った名前となると、その人が余程有名でないと由来を探るのはこれはもう不可能である。



*0 八ツ橋
*1 聖護院八ッ橋総本店
*2 探訪みえ 県史Q&A 33−A
*3 日本の歴史 [ 楽曲分類・解説/箏曲 ]
*4 八橋検校(やつはしけんぎょう)

030410 

 植物*1発酵食品の発酵時*2に音楽を聴かせると、植物が元気になったり、味が良くなると言うことを聞いたことがある。

 当たり前のことだが、これは植物や菌が本当に音楽を聴くのではなく、空気の振動が何らかの作用を及ぼしているのである。その空気の振動は人間にとって「音」として知覚するので、「音楽を聴かせる」といった擬人的な表現となる。

 では、「*3」と「空気の振動*4」とは同じものか。この記事を書くに当たって、今更ながら、違うと言うこと*5に気付いた。

 音は空気や水などの振動によって引き起こされた感覚*6であって振動そのものではない。一般にはその感覚を引き起こす原因となる振動そのものも「音」というが、厳密に言えば違うだろう。

 そう考えると人間がいないところでは「音」は存在しない。それでは振動を感じとることが出来れば音と言えるのだろうか。音楽によって状態が変化する植物や菌は「音を聴いている」と言えるのだろうか。やはり「音」として感じ取れなければ音ではないだろう。脳で「音」と感じることによって初めて「音」となるのである。

 ということは「音」が成立するためには、「空気などの振動」「それを感じ取る器官*7」「その器官が感じとった信号を『音』として感じる脳*8」が全部揃わないとだめだろう。これらが揃って初めて「音」が聞こえるのである。空気などの振動によって知覚器官が発する信号を脳が処理するので、おそらく人によって音の聞こえ方はずいぶん違うだろう。また時と場合によっても聞こえ方は変わってくる。

 では「音」の物理的な定義はどう考えればいいか。やはり空気の振動が「音」として知覚された場合に、「音」とするしかないだろう。となると「*9」を宇宙人にその概念を伝える*10のは結構難しいのではないだろうか。

 上の定義に従えば、耳に到達するまでは「音」とは言えないので、次第に「音速*11」という言葉に何かしら違和感が出てきた。



*1 Google 検索: 音楽 植物 振動
*2 Google 検索: 音楽 もろみ 振動
*3 聴覚のしくみ
*4 ドップラー効果
*5 雑音の中の音
*6 健康と住まいの情報 音とは・いろいろな音の大きさ
*7 Welcome to the Illusion Forum! 耳
*8 Welcome to the Illusion Forum! 大脳皮質
*9 宇宙の音
*10 左右の定義
*11 超音波画像研究会 音速と音響インピーダンス

030411 

 最近、磁気*1だとか遠赤外線*2だとかの効果などと謳って健康に関連させた製品をよく見かける。これらに効果があるとすれば、「効果があると思う気持ちの所為*3」であって、製品から発せられる物理現象とは全く関係がないだろう。ここ*4ここ*5では、こういった物理現象と人体への影響との関連性に対する誤解に注意を促している。

 磁気や遠赤外線など電磁気現象は可視光線以外感じることができない。そういった一般の人にとって不明確であったり知識不足であったりする部分を大いに利用した商売を「電磁気商法」と呼ぶことにする。この言葉は検索しても出てこない*6ので、全くの新語かも知れない。

 電磁気商売は「それ」を利用していると言う商品だけではなく、電磁気が人体に何らかの影響を及ぼすのでそれを防止するという商品*7も含まれる。電磁気は四方八方に広がるので特殊な置物を置いただけで、四方八方に広がる電磁気を遮蔽すると言うことは常識的に考えて不可能のような気がするが、「効果があると思う気持ち」はその置物によって出来上がるのだから全く意味がないこともない。

 筆者はこうやって偉そうなことを書いているが、そもそも電気とは何か、磁気とは何かと言うことを簡単に説明することが出来ない。当然、難しく説明することも出来ない。電気とは何かと言われて、「電子や電荷の流れ」と答えても、「電流」の説明しかならない。そもそも電子が持っている「電荷」「電気」とは何かと言われても、「そういう性質」としか答えようがない気がする。科学者は上手く説明してくれるのだろうか。

 結局、「触るとビリビリッとくるもの」とか「鉄をくっつける性質」としか専門的な事を学んだことのない一般の人には説明出来ない。こういった分かったような分からないような状態だから「これは効く筈がない」と力説してもなかなか説得できず、商売が成り立ってしまうのである。



*1 Google 検索: 磁化水
*2 Google 検索: 遠赤外線
*3 燃費改善
*4 市民のための環境学ガイド 時事編 安井 至
*5 水商売ウォッチング
*6 Google 検索: 電磁気商法
*7 Google 検索: トルマリン 電磁波

030412 

 石油があとどれくらい残っているかというと、現在の科学水準で推定できる量は、富士山を盃に見立てたとすると一杯分にもならない*1そうである。

 これを少ないと見るか、多いと見るか。実感が掴みにくい量を他の何かに置き換えて表現すること*2はよくやる。霞ヶ関ビルで何杯とか、皇居の広さの何倍とかがよく持ち出される。

 身近なもので例えられれば、解ったような気がしてくる*3が、実際には何ら解ってないのと同じ様な気がする。解っていないというのは応用が利かない、と言うことだろう。今年のビールの消費量は霞ヶ関ビルをジョッキに見立てると何杯分*4、ということを知ってもただそれだけなのである。

 富士山の盃の例でも同じである。これを多いと思うのか少ないと思うのか、感覚だけでしか判断できない。日本の年間石油消費量*5が一体どれくらいと言うことぐらいを知っていれば、何となく意味があるような気がするが、どちらも数値だけで比較すればいいような気がする。例えることで印象づけるというのもいいが、その例えからは何ら新しい結論を導き出すことができない。現在、富士山*6の二合目まで使ってしまったから五合目迄使うのにあと何年か、と言うことなどはこの例えからは一切解らない。

 いつ頃からこういう表現が使われるようになったのだろうか。江戸時代以前にこういった例え方はあったのだろうか。なかっただろう。実感の掴みにくい量を「解った気にさせる」必要がなかった筈である。理解したければ自分で勉強するしかなかっただろう。

 本質を知るには勉強するしかない。近道はない。何かに例えられて解った気になっても何も ならないのである。でも勉強するのは面倒臭い。一体どうすればいいか。



*1 年々、着実に増加し続ける日本のエネルギー消費
*2 正確さと判り易さ
*3 新しい単位〜カラー版
*4 1996年世界主要国のビール生産量
*5 快適なくらしとエネルギー
*6 富士山の道のり法

030413 

 数年前に息子の入学祝いか何かに目覚まし時計を貰った。暫く使っていなかったのだが、最近、自分が使うようになった。

 この目覚まし時計ならば必ず目が覚める。目が覚めてから起床できるかどうかは別問題であるが、必ず目覚まし時計の音を聞くとどんなに深い眠りでも、一瞬にして意識が現実に引き戻される。

 目覚ましの音がとてつもなく大きいというのではない。その音を聞くと腹が立って仕方がないのである。その目覚ましは「ピカチュウおしゃべり目覚まし*1」である。「ピカチュウ」とは任天堂*2のゲーム機用ソフト「ポッケットモンスター*3」に登場する多数の怪物の中の一つの名前である。ポケットモンスター*4というのはポケットに入るぐらいの大きさになる怪物*5という意味だろうか。「ピカ」は雷や電気の火花、「チュウ」はネズミを表すと思われる。

 この目覚まし時計の音*6を聞いて頂きたい。筆者と同様に、思わず「ムカムカッ」とくる方もいるだろう。何故、腹が立つのか定かではない。しかしこの得体の知れない感情によって必ず目を覚ますことが出来るのである。

 時計自体がピカチュウの形*1をしているのは嫌なので、こんな目覚まし時計*7で「ピカチュウの声*6」が出るようになっていると都合がよい。



*1 ピカチューおしゃべり目覚まし・JF327A
*2 任天堂ホームページ
*3 ポケモンきそちしき
*4 ネズミーランド
*5 ポケモンきそようご
*6 SEIKO WEB CATALOGUE jf327a
*7 クォーツ AB314vm

030414 

 家にあるカメラはリコーのGR1s*1GR1v*2だけではない。ミノルタの一眼レフカメラ*3が二台、デジタルカメラ*4一台がある。

 今まで雑記草で触れてきたカメラはこれだけであった。もう一台あることを忘れていた。

 コニカ*5のビッグミニである。正確には「ビッグミニF*6」という機種である。これはGR1sよりも以前に買った。これもGR1sやGR1vと同様に本革ケースが付いている。GR1の革は柔らかいが、ビッグミニFの方は固い革のケースである。

 この「ビッグミニF 」を買う前も「ビッグミニ」を使っていた。「BM-201*7」という「ビッグミニF」の前の型の機種である。これが使っている途中で突然壊れてしまったので、確かその翌日に「ビッグミニF*8」を買った。

 カメラやオーディオなど大抵は、かなり迷ったあげくに購入に踏み切るのだが、この時は以前からビッグミニの買い換えを考えていたということ、本革ケース付き特別機種*9だった、泊まりがけで出かけている途中だったので壊れた翌日もカメラが必要であったこと、などが重なったために直ぐに買ってしまった。

 当時から一眼レフは持っていたが、ビッグミニばかり使っていた。しかしGR1sを買ってから*10、筆者自身は全く使わなくなってしまった。現在、主に妻が使っている。



*1 GR21s
*2 GR1v(2)
*3 MINOLTA CAMERAS
*4 デジタルカメラ
*5 Konica カメラ、写真
*6 キタムラ カメラ博物館 Konica BiG mini F(ビッグ ミニ)
*7 plastic camera paradise Konica Big Mini BM201
*8 コンパクトカメラ専門ページ penguin-19's COMPACT CAMERA 資料室・性能表 コニカ/KONICA Big Mini F
*9 日本商業写真家協会ホームページ カメラ、レンズ情報 98年4月98年4月 コニカ
*10 GR1s

030415 

 コニカのカメラ「ビッグミニ*1」とのつきあいは長い。最初に買ったビッグミニは「BM-201*2」という機種で、ビッグミニシリーズ*3二代目*4である。

 十数年前に筆者が購入したが、当時は自分の物ではなかった。結婚する前に付き合っていた現在の妻の誕生日かクリスマス*5の贈り物として買った。結婚してからは筆者もよくそれを使っていたので、結局は自分の物として買ったようなものである。

 そのビッグミニは数年前に故障して、現在、子供の玩具箱に入っている。

 壊れた原因は、カメラ本体と裏蓋とを電気的につないでいたフレキシブル基板*6が割れたためであった。フレキシブル基板とは簡単に曲げることの出来る電子回路基板のことで、自由に曲がるので「フレキシブル」と名付けられている。略して「フレキ」ともいう。様々な電子機器に使われている。ノート型パソコンの液晶画面と本体とを電気的につなぐのにも使われている。

 ビッグミニの裏蓋の蝶番になっている軸に巻き付けるようにそのフレキシブル基板が装着されていた。裏蓋にはフィルム枚数表示や日付などの設定ボタンが付いているので、本体と電気的につなぐ必要がある。そのためにフレキシブル基板が用いられている。

 裏蓋はフィルムを入れるために何度も開閉する。カメラの大きさを少しでも小さくするためにフレキシブル基板が蝶番の軸に巻き付けるように装着されている。従ってその曲がり方はきつい。何度も開閉をすることによって、くたびれて基板が割れてしまったのだろう。

 カメラの設計時にはこの現象を十分予想できたと思うが、一般的な使用年数からすれば十分保つと考えたのだろう。現在所有しているが、殆ど使っていない「BM-201」の次世代型「ビッグミニF*7」でも、この構造の変更は見た目では殆どなされていない。よく見ると曲げ具合が少しだけ緩くなっているような気もする。

 その点、GR1s*8GR1v*9は全く問題がない。裏蓋には電子回路が一切付いていない*10ので、フレキシブル基板をきつく曲げる必要がないのである。



*1 ビッグミニ
*2 Konica - お客さまサポート- カメラ BM-201使用説明書
*3 コンパクトカメラ専門ページ penguin-19's COMPACT CAMERA 資料室・性能表 コニカ/Konica Big mini(初代)コニカビッグミニ
*4 コンパクトカメラ専門ページ penguin-19's COMPACT CAMERA 資料室・性能表 コニカ/konica ビッグミニBM201
*5 サンタのひげ(3)
*6 Nippon Mektron,Ltd. FPC
*7 コンパクトカメラ専門ページ penguin-19's COMPACT CAMERA BMF_1.jpg
*8 Ricoh Camera Website
*9 GR1v
*10 Ricoh Camera Website GR1v 各部の名称

030416 

 メラミンフォームのスポンジ*1は水だけで汚れがよく落ちるのだが、環境ホルモンが気になっていたので、積極的には使っていなかった。最近は、どうもそういった危険性は少ないと言うことらしい。それを知ってからは、だんだん使いたくなってきた。今まではメラミンフォームのスポンジからは環境ホルモンが溶出する*2ので使用には気を付けた方がよい、と何処かで聞いてそれをそのまま鵜呑みにしていた。

 そもそも「環境ホルモン」という概念自体が怪しい*3、と喧伝(けんでん)している人もいるので本当は気にする必要が全くないのかも知れない。筆者は「環境ホルモン」というのを漠然と「性ホルモンなどの働きを乱す外界でできた物質で、極微量でも影響が大きい」と思っていた。「性ホルモン*4」「極微量でも影響大」という点が筆者を恐れさせていたのである。

 環境ホルモンの定義はどうなっているのか。日本でははっきりしていない*5らしい。環境省では「動物の生体内に取り込まれた場合に、本来、その生体内で営まれている正常なホルモン作用に影響を与える外因性の物質*6」と定義している。漠然と考えていたものとよく似ている。それほど間違っていなかった。

 それにしても解り難い。本当にどう影響があるのかが簡単に想像できない。ただ、奇形や癌を誘発するかもしれない*7という恐怖だけが印象に残り、それを基に直截(ちょくせつ)的に行動してしまっていた。一方、食品衛生法に適合*8しているとか、学校給食で使われている*9から問題がないだろうと判断するのも考え物である。

 身体や財産に対して危害がありそうだという情報を得た時、その真偽を確かめる前にそれらが安全になるように行動するのが常道かもしれないが、それでは如何にもその情報に踊らされているような気がして情けない。

 自分の考えをしっかり持っていれば、情けないと思うことはなくなるだろう。



*1 激落ちファミリー
*2 三信化工ホームページ 給食用食器の素材別安全性情報
*3 環境ホルモン終焉 市民のための環境学ガイド
*4 大東薬品工業株式会社へようこそ
*5 オルガノの環境ホルモン対策 環境ホルモンとは
*6 −環境ホルモン戦略計画SPEED'98−
*7 Environmental Preservation Center, Yamagata University 環境ホルモンのヒトへの影響
*8 食品衛生法
*9 内分泌かく乱物質問題情報提供 学校給食の食器と内分泌かく乱物質問題とはどんな関係があるのですか?

030417 

 ある事柄が自分にとって非常に危険であったり不利益を被るという情報は、新聞など色々な媒体を通じて大量に流れ込んでくる。その情報が本当にそうなのか全然関係ないかを常に分析する必要があるが、流れ込んでくる情報の分野は多岐にわたるため、内容の真偽をいちいち調べて自分に関係するかどうかを判断していたらいくら時間があっても足りない。

 判断する一つの方法として、直観的に自分に関係がありそうと思われる情報に論理性があるかどうかを検討することによって、ある程度情報の洪水からふるいを掛けることが出来るだろう。論理性があるかどうかとは、その情報の内容に筋が通っているかどうかである。情報と言っても、例えば「環境ホルモンは危ない*1」というように一言で表されたような情報の軽重は判断できない。これだけで判断するのは相当な予備知識が必要であるので、それでいつも自分の行動を決めるのは軽率過ぎる。「これは」と思った情報に関してはある程度調べて判断すべきである。

 その調べた内容に筋が通っているかどうかを考える。筋が通っていなければ、その情報は眉唾ということになる。これは当たり前のようだが、難しい。

 例えば以下の二つの情報について考えてみる。

(1)「某社の社長は今までの人付き合いの経験から、血液型がA型の人間は実直な性格であると考えている。その考えから某社ではA型の人を多く社員として採用して、そのお陰で取引先からの厚い信頼を得ることが出来、会社業績も好調である」

(2)「グアテマラ*2の犯罪者の血液型は殆どO型らしい。血液型と犯罪とは関係が深いように思えるが、グアテマラの人の血液型は殆どO型*3なのである。当然、日本ではO型の犯罪者もいればA型の犯罪者もいる。一概には血液型と犯罪とに関係があるとはとても言えないのである」

 筆者は血液型と性格や性質とは完全に無関係であると考えている*4。それからすれば筆者にとって(1)は血液型が原因で業績が好調である訳ではないので間違った情報、(2)は当然関係がないので正しい情報となる。

 しかしその事柄についていつも自分の考えや予備知識がある訳ではない。得られた情報だけで判断しなければならない場合もある。そういった観点からすれば、(1)は筋が通っているが、(2)は筋が通らない。グアテマラの話や日本の場合の例えからは血液型と犯罪との関係を否定する事は出来ないからである。このように何気なく読んでいると結論だけが頭に入って、それを説明する根拠の論理性が判断できなくなる。

 筋が通っていないのは、情報それ自体が間違っているからそうなるのである。上の例の様に結論が正しくても、筋が通っていなければ、その情報は俎上にも載らない。

 とは言っても、論理性が判断できる情報を得るのにも時間が必要である。短時間で得られる一言で表されるような結論だけの情報で的確に判断するためには、当然のことだが、日頃から様々な知識の吸収が必要になってくるのである。



*1 メラミンスポンジ
*2 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(グアテマラ共和国)-
*3 ★ ABO WORLD ★ 〜血液型人間学サイト〜
*4 哺乳類の時間

030418 

 「goo辞書*1」が便利になった。「goo辞書*2」とは三省堂が提供する四つの辞書をwebで利用できるようにしたものである。非常に便利でしかも無料である。パソコンで文章を書く時、モニタから視線を大きくずらすことなく簡単に調べられるので重宝している。ただし、パソコンを動かしていない時は紙製の普通の辞書の方が簡単に引けて便利である。

 この「goo辞書*3」は最近、改良されて使いやすくなった。以前は国語辞書と日本語の新語辞書が別々になっていたので検索が二度手間になることがあったが、現在は国語辞典に統合されたので、国語辞典で見つからなかったから新語辞典で再検索と言うことはなくなった。

 しかし不満がないわけではない。できれば目的の見出しの前後数語が見られるようになっているといい。書籍の辞書では目的の見出しの周りの見出しも一緒に目に入ってくるので意外な発見がある事が多い。また、うろ覚えの語句を調べる時にも役に立つ場合がある。

 「goo辞書」には、検索する言葉と前方で一致する単語を全て出す「前方一致で検索」や解説に含まれる単語を検索する「逆引きで検索」が出来るようになっている。「前方一致で検索」ならば見出しの前後が見られそうだが、そうではない。前の方で一致した単語しか検出されないので、表示されるのは「後ろの単語」ばかりである。

 例えば「ざっき」を前方一致で検索*4する。「雑記」以外に「雑器」「雑記帳」「雑居」「雑曲」「雑居地」「雑居房」などが表示される。手許の辞書*5で見ると、前には「数奇(さっき)*6」「箚記(さっき)*7」「皐月*8」、後ろには「座付き*9」「五月雨」「皐月賞*10」などがあった。趣がかなり違う。

 よく使う海外の英語辞書には、ページの下方、左右に前後の見出し単語が一つずつ付いている*11。前後、五つぐらい付いているともっと使えると思う。

 こんな感じ*12になっていると便利である。上下のそれぞれの語句は辞書に収録した語句を五十音順に並べた時、目的の語句の前後に出てくる見出しである。それをクリックするとその見出しに直ぐ飛ぶように出来ている。こうすれば書籍の辞書を見る感覚に少しは近づく。リンクをクリックしていくと次々と新しい見出しが出てくるので、本のページをペラペラめくるように「web辞書を読む」ことが出来る。普通のweb上の辞書は検索語句を入れないと内容が表示されないので「読む」ということができない。

 適当に作ったので、見にくい。本当に使えるようにするにはもう少し表示方法を考えないといけない。



*1 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
*2 goo辞書とは
*3 goo ヘルプ
*4 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: ざっき
*5 JBOOK 商品詳細:書籍:講談社カラー版日本語大辞典第二版
*6 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 数奇
*7 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 箚記
*8 皐月と躑躅
*9 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 座付き
*10 JRAホームページ
*11 note. The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000.
*12 雑記草辞書

030419 

 コンピュータのハードディスク*0を換えた。ここ数ヶ月、頻繁にシステムエラーを起こすようになっていた為である。以前にもこれとよく似た現象が起こった。この時はかなりひどく、約10分間隔でエラーが起きていた*1。そして最終的にはハードディスクの内容が一時的に読み出せなくなる*2という最悪の事態に陥った。今回は1時間か2時間に1回ぐらいであるが、そのうちにハードディスクの内容が読み出せなくなる可能性が出てくるかも知れない。

 そうなる前にハードディスクを換えることにした。筆者のパソコン*3ハードディスクのインターフェースはSCSI*4である。SCSI*5のハードディスクは製造されなくなった為か、店頭には殆ど置いてなかった。安い物を何とか見つけだして、購入した。

 交換したら、エラーが起こらなくなった。やはりハードディスクが原因でシステムエラーが起きていたようだ。

 と思っていたら、エラーが発生するようになった。しかし頻度は少なくなったような気がする。否、そうに違いない。



*0 Ultrastar 73LZX hard disk drive: IC35L018UWD210 18.35 GB Ultra 160 68-pin Wide 10,000 RPM
*1 コンピュータの不調
*2 続コンピュータの不調
*3 Umax SuperMac S900
*4 ハードディスクの交換
*5 Ultra160 - SCSI; The fastest SCSI in the WORLD

030420 

 「googolgoogolplex」よりも遙かに大きい数の記述がweb上にある*0、という書き込みが掲示板*1にあった。

 web上で物を書いていると不特定多数の方から、こういった反応が得られるので、非常に楽しい。インターネットがない頃は書籍などで自分の記事を発表しない限り、こういった見ず知らずの人から新しい知識を得ることは不可能であった。

 「googolgoogolplex(グーゴルグーゴルプレックス)」とは筆者が去年に作った数詞*2である。そのつもりであった。実を言うとgoogolgoogolplexという単語は既にweb上に存在していた*3。考え出した後に、念のためと思って検索してみたらあった。

 記号「^」は累乗を表すとする。2の3乗を「23」と書く代わりに「2^3」と書く。googolgoogolplexは10^(10^(10^(10^・・・10^(10^(10^100))・・・)))で「・・・」の部分が10100個続くとてつもなく大きな数である。

 この「googolgoogolplex」よりも遙かに大きな数で「グラハム数*4Graham's Number *5」というのがあるらしい。グラハム数から見ればgoogolgoogolplexは塵のようなものというのだ。しかもグラハム数というのは数学的に意味のある数*6らしい。googolgoogolplexは大きな数の桁数を表す*7だけで、「兆」「億」の類である。

 グラハム数は記号「↑」を用いて表す。

x↑y = x^y

x↑↑1 = x
x↑↑2 = x↑x
x↑↑y = x↑(x↑↑(y - 1))

x↑↑↑1 = x
x↑↑↑2 = x↑↑x
x↑↑↑y = x↑↑(x↑↑↑(y - 1))

x↑↑↑↑1 = x
x↑↑↑↑2 = x↑↑↑x
x↑↑↑↑y = x↑↑↑(x↑↑↑↑(y - 1))
・・・

と定義される。グラハム数は次のような数である。「3↑↑↑↑3」という数を決める。上の定義からこの数の値はここでは書き表せないような数になる。

 試しに「3↑↑3」を計算してみると3↑↑3=3↑(3↑↑2)=3↑(3↑3)=3↑(3^3)=3^27=7625597484987となる。「↑」をもう一つ増やして「3↑↑↑3」を計算すると3↑↑↑3=3↑↑(3↑↑↑2)=3↑↑(3↑↑3)=3↑↑(7625597484987)になるから途方もない数である。この後矢印を一つ減らすには7625597484987回も同じようなことをしなければならない。「↑」が3個でこの有様である。4個になったら「3↑↑(7625597484987)」回も同じ様な展開操作を繰り返さなければならない。

 矢印が四つの「3↑↑↑↑3」がもの凄く大きな数になることが判った。その凄い数を出発点とする。次は「3↑↑・・・↑↑3」という数を作る。3と3との間に「↑」が「3↑↑↑↑3」個並んだ数である。その次は3と3との間に「↑」が「この前に作った数」個分の「↑」が並んだ数を作る。そしてその次は、といった具合にこれを出発点と合わせて64回繰り返す*5。これがグラハム数である。確かにgoogolgoogolplexより遙かに大きい感じがする。実際に較べるとどうなんだろう。比較計算はかなり面倒臭そうである。

 「↑」記号*8は「タワーtower」とも呼ばれるらしい。上向きの矢印が「塔」にも見える。タワーの由来はそれだけではないだろう。累乗は英語で「パワーpower」*9という。「power」の次の新しい演算記号ということで「tower」としたのだろう。



*0 巨大数研究室
*1 雑記草掲示板
*2 超巨大数
*3 Google 検索: googolgoogolplex
*4 Meta2mathematician's HP グラハム数
*5 Graham'sハNumber 注)最初の波括弧の位置が少しずれている
*6 Large Numbers -- Notes at MROB
*7 million
*8 Arrow Notation -- from MathWorld
*9 Powers of Ten

030421 

 書籍に近いweb上の辞書*1があると嬉しい、と言うことを先日書いた*2。「書籍の辞書に近い」というのは、引きたい目的の見出し語の前後数語の語句が表示されるということである。その表示された前後の語句をクリックすればまた新しい見出し語を見ることが出来る。書籍の辞書で目的の言葉を調べたついでにページをぺらぺらとめくる感覚によく似ている。これができると今まで自分の知らなかった面白い言葉に出くわす機会が得られるので楽しい。

 web上の辞書の機能は見出し語の検索のみに絞られているので「ページをめくる」ということができない。何か単語を入れないと見出しの内容を見ることが出来ない。これでは知らない言葉に出くわすのは不可能である。

 偶然、そういったweb上の辞書*3を見つけた。この辞書は基本は英語だが色々な言語に翻訳することも出来る。ただし、ヨーロッパ語だけである。

 「English Definition」に検索する英単語を入力してボタンを押すと、その意味が表示されると同時に前後10個の単語も表示される*4。前後の単語をクリックすればどんどんページをめくるように単語が現れてくる。

 この辞書はその単語の語源も掲載されているので楽しめる。ただ、すべて英語で書かれている点が惜しい。



*1 雑記草辞書
*2 goo辞書
*3 WordReference.com Online German, Spanish, French and Italian Dictionaries
*4 English Definition of note - WordReference.com

030422 

 去年の初夏に買ったパキラ*1は諦めた。冬の間、休眠していたと思っていたが、暖かくなっても全く芽を出す様子がない。前回の記事では五月ぐらいまで芽が出るかどうか待つつもりであったが、どうも待ちきれなくなって鉢から掘り出してしまった。完全に枯れていた。

 この前の冬、全部の葉っぱが落ちる寸前に液体肥料*2を与えたのが致命傷だったかも知れない。元気が出るように、と思ったのだが逆効果だった。

 考えてみれば葉っぱが殆どなくしかも気温が低い場合、葉っぱからは水は殆ど蒸発しない。水が蒸発しなければ根から水を吸収できない。そんな状態で液体肥料を土に注入すれば浸透圧*3によって逆に根っこから土に水が出てしまう*4だろう。根っこの漬け物を作っていたのである。

 今年もパキラ*5を入手して越冬に挑戦するつもりだ。



*1 パキラ
*2 基礎ガイド
*3 数の子
*4 万屋工房 よろずや文庫 “水”あれこれ
*5 木の情報プラザ 18.パキラ

030423 

 家の亀、四匹全部が冬眠*1から無事覚めた。日中は餌を求めて活発に動き回っている。よく見ると同居しているはずのヌマエビ*2が一匹もいなくなっていた。冬眠中は亀に食べられるのを免れていたのだが、亀の活動が始まった途端に餌となってしまったのだろう。また折を見てヌマエビ*3を追加してやろう。

 今回の越冬で水槽に水苔を入れてやった。最初は藁を入れてやるつもり*4だったが、手に入らなかったので水苔で代用することとなった。本来は枯れ葉が自然に近いはずなので藁は代用である。水苔は代用の代用になる。

 冬眠が終わったら水苔を水槽からだそうと思ったが、亀たちは日中でも水苔に潜ったりしているので、そのままにしている。水槽を覗き込むと水苔の中に隠れたりするので、結構気に入っているようである。水槽に水苔を入れるのは新しい飼育方法*5としていいかもしれない。



*1 亀の冬眠の準備(2)
*2 イシガメ(3)
*3 水産無脊椎動物学研究室 淡水にすむヌマエビ類
*4 亀の冬眠の準備
*5 WELCAME トップページ 【30】 初冬〜 2002年11〜12月初旬 イシガメ池の冬眠支度

030424 

 筆者の得意技*0の一つである「どんぶり勘定」の語源を最近知った。

 「鯖を読む*1」と同じようにどんぶり鉢を飛ばして数える、というふうには考えていなかった。何かしらどんぶりから賭博の「ちんちろりん*2」を連想して、散財につながるようないい加減な勘定の仕方とか、何故かどんぶり鉢に金を入れておいてよく数えもせずに使うこと、と勝手に考えていた。特に後者は「どんぶり鉢に金を入れる」理由がどこにもないので、恐らくどんぶり勘定という言葉の意味から遡って想像した由来だろう。

 どんぶり勘定の「どんぶり」はどんぶり鉢*3のことではなかった。

 どんぶり勘定*4の「どんぶり」とは職人などが着る腹掛け*5の物入れのことらしい。この腹掛けの物入れの語源はどんぶり鉢からだろうから、どんぶり鉢が語源と言っても大きく間違っていないことになる。

 漢字の「丼」は本場中国製である。中国では「丼」は井戸の意味だったり、物が井戸に落ちた時の音である。前者の漢音*6は「セイ」、呉音*6は「ショウ」、後者の場合はそれぞれ「タン」、「トン」となる。

 日本での読み方は、物が井戸に落ちる音から「どんぶり」となっている。意味はどんぶり鉢、丼飯、腹掛けの物入れである。中国語の本来の「丼」の意味とは全く異なる。これから考えると最初に「どんぶり」という言葉があって、それに意味として全く関係のない漢字の「丼」を充てたことになる。

 では「どんぶり」の語源は何か。調べてみると上で推測したことが、そのままここ*7に書いてあった。「どんぶり」の語源は二つあるようだ。朝鮮語からと江戸時代の「けんどん屋」からとの二つである。「けんどん」とは「つっけんどん」の「慳貪*8」のことで、一杯飯屋の慳貪屋のような鉢で「けんどん振り(ぶり)の鉢」、それが略されて「どんぶり」となったと言う。

 慳貪屋で使う鉢なら普通は「けんどん鉢」になって、簡単に略すなら「けんどん」、粋な略し方なら「どんばち」になりそうだ。江戸時代の言葉の出来方は今とは少し違うのだろうか。



*0 先延ばし
*1 鯖を読む
*2 微ニ入ルソウル〜チンチロリン説明
*3 【うつわ屋 本橋】 どんぶり鉢
*4 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: どんぶりかんじょう
*5 NAKAYA 浅草中屋 中川株式会社 身につけるには
*6 月光天文台ホームページ 日本はなぜジャパンか?
*7 びっくり!!パワーシャベル
*8 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 慳貪

030425 

 坂口安吾*1を初めて知ったのは高校の現代国語の授業だった。確か「ラムネ氏のこと*2」という文章が教科書に掲載されていた*3。ラムネを発明したのは「ラムネー氏」と言うようなことが書いてあったことは憶えている。この文章の主題は何だったかは憶えていないが、ラムネのことばかりが記憶に残っている。ラムネ*4は「lemonade レモン水」の転とされているので「ラムネ氏」とは関係がない。

 物の名前がそれを発明した人の名前になっているという雑学が昔から沢山あったと思う。レントゲン線*5を発見したのはレントゲン*6ホッチキスの発明はホッチキス*7カーディガン*8を発明したのはカーディガン*9サンドイッチ*10の発明はサンドイッチ*11ギロチン*12ギロチン*13を、といった具合に外国語の名前が付いた物を発明したのはその物の名前と同じ名前の人だ、と言われると意外な感じがして雑学となり得たのである。これが行き過ぎて「ダイナマイトの発明者はダイナマイトと言う人*14」と思い込んでいる人も時々いる。「ラムネ氏」もこういった行き過ぎが発想の原点ではないだろうか。

 この坂口安吾の「ラムネ氏のこと」に触発されて、当時に「不連続殺人事件*15」を読んだことがある。内容を完璧に忘れているので、今一度読み直しても楽しめるであろう。

 その頃、坂口良子*16も好きだった。



*1 Sherlock Holmes 坂口安吾全集 索引
*2 カメラ紀行ー名作の風景 坂口安吾『ラムネ氏のこと』
*3 筑摩書房 Web国語
*4 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: ラムネ
*5 Cheap Candies お菓子うらわざ雑学講座 topics00_06jun-1ラムネの裏話1
*6 ■ 自分の身体の中身を見ませんか? −洋服の上から身体の中身は透けて見える−
*7 ホッチキス
*8 統合戦争辞典 カーディガン,ジェームズ・トーマス・ブランデル
*9 The Flashman Papers Project James Brudenell, 7th Lord Cardigan
*10 sandwich. The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000.
*11 Fourth Earl of Sandwich
*12 Bachの読み方
*13 Guillotin Joseph-Ignace
*14 Nobel e-Museum
*15 内田裕也オフィシャルサイト 不連続殺人事件
*16 Internet Shinoyama Kishin GORO 83.01.01号表紙 坂口良子

030426 

 卑下慢という言葉がある。「ひげまん」と読む。学生時代に知った言葉であるが、自分では殆ど使ったことはないし、聞いたことも目にすることも殆どない。意味は「卑下しながら自慢すること」で、表面的には謙遜しているが、その実は自慢していることである。江戸時代にできた言葉だと聞いた。

 手許の辞書*1web上の辞書*2を引いても「卑下慢」は出てこない。「卑下自慢*3」というのはある。「卑下も自慢の中*4」を略して出来たのだろう。卑下慢はこれをもう少し略したのだろう。

 仏教には「七慢*5」という考え方があるらしい。その中に「卑下慢」も入っているらしい。「卑慢」がそれのようだ。仏教で言う「卑慢」は相手が自分より数段優れているにも拘わらず、その相手を大したことはないと思う心らしい。

 ところが前に説明した「卑下慢」とかなり意味が違う。初めの卑下慢は自慢をしたいために卑下しているのに対して、仏教の卑下慢は優れた相手に対する負け惜しみみたいなものである。

 よく考えてみるとweb上の辞書の意味と筆者が聞いていた意味も少し違う。辞書の「卑下も自慢の中*4」は卑下することは美徳であるということから卑下する自分の姿を自慢していることになっている。その省略形の「卑下自慢*3」は単純に卑下しながら自慢することになっている。

 筆者が理解していた「卑下慢」の意味は、その謙遜している事柄に対してそのことを相手に強く否定され、褒められたり羨ましがられたりするのを期待することである。

●「私など全く及びません」
○「いえ、誠に素晴らしいことです」
●「そんなことはありませんよ。大したことございません」
○「いえいえ、その様なことはございません。ご立派です」
●「ありがとうございます(思った通り褒めてくれた。卑下した甲斐があった)」

 一般的な言葉ではないから、意味が解説する人によって少しずつ食い違っているのだろうか。それにしても「ひげまん」という言葉は使いにくい。「ひげ」と「まん」との組み合わせで、何やらいやらしい事を連想してしまうのである。



*1 JBOOK 商品詳細:書籍:講談社カラー版日本語大辞典第二版
*2 goo辞書
*3 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 卑下自慢
*4 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 卑下も自慢の中
*5 六甲山鷲林寺 鷲林寺ホームページ(仏教語からきたことば) 鷲林寺ホームページ(仏教語 我慢)

030427 

 電気の本質は何か。電気とは何か*1、を説明するのは難しい。国語辞典の説明*2を見ると「電気力・電気伝導など、種々の電気現象のもととなるもの」と同じ言葉を繰り返しているだけで、「電気」の説明になっていない。

 「電気とは*3」と言う語句を検索してみると、電気の説明がしてあるページ*4が出てくる。

 身の回りの物は原子で構成されていて、その原子はマイナスの「電気」を持った電子とプラスの「電気」を持った原子核*5で構成されており、通常はプラスとマイナスが打ち消し合って「電気」のない状態にある。しかし外部からの何らかの力によって原子の中の電子が飛び出したり、原子に電子が取り込まれたりするとプラスとマイナスの均衡が崩れてマイナスまたはプラスの「電気」を帯びることになる。

 「電気」の説明をしようとしているのに説明文の中に「電気」という言葉が沢山出てくる。これも全く説明になっていない。

 「電気とは何か」を特に意識せずに利用できる道具は身の回りに溢れているので、改めて厳密に考える必要もないし、それらの道具はコンセントにプラグを挿したり電池を入れれば動作するので「電気」が何となく解ったような気になっている。どうでもいいことかもしれないが、電気とは何かをはっきりさせてみたい。

 いろいろと考えたり検索で調べてみたりして、「電気」の説明に近いとと思われるページ*6を見つけた。「電気は物質ではなく、現象である」「電気の本質は物質の中に存在する電子の過剰・不足・移動である」とある。最初の電気は「物質ではなく現象」というのは当たり前と言えば当たり前である。物質は原子で構成されていると考えるのが普通なので、電気を物質と考えてしまうおそれは殆どない。帯電や電流によって直接に物質の本質が変わることがないからである。

 次の「物質中の電子の過不足と移動」というのは何か物足りないような気がする。「電気」というのはそれだけじゃないような気がする。物質から電子が溜まれば負極に帯電し、電子が抜ければ正極に帯電していることになる。物質中で電子が流れれば電流が流れたことになる。

 しかし「電気」はそれだけではない。静電気がバチッと音を立てて光る*7のも「電気」であるし、電磁波も電気の仲間と考えるべきであろう。これらを含めた現象を一言でいい表したい。

 「電気とは、物質中に含まれている電子の移動によって引き起こされる様々な現象」でどうだろうか。電気火花は電子と空気分子が衝突して光って、その熱で空気が膨張して音が出るのだろうし、電磁波は電子や電子が抜けた原子が加速度運動をするので発生するのだから、上の定義にそれらは全部含まれる。

 何だかはっきりしないピンと来ない定義になってしまった。



*1 電磁気商法
*2 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 電気
*3 Google 検索: 電気とは
*4 地震被害0をめざして 電気とは
*5 電流と電子
*6 教育情報システム学講座(鈴木研究室) 第2回:電気とは何か,電子とは何か
*7 中性子星

030428 

 昨日考えた*1ように電気は物質から電子が離れた状態だから、電気は突然何もないところから現れるのではない。この定義からすれば、電気現象は元を辿れば元々何か物があって、そこから発生すると考えなければならない。物質は電気がない状態が基本で、そこから電子が移動すれば「電気」の状態になるので、いつかは「電気がない状態」に戻るのだろう。

 こう考えると電気は基本状態からの変化した状態だから、電気は最初は全くないことになる。原子から電子が移動した後、その原子は電子や他の電子が移動した原子に対して「電気的に」振る舞うようになる。その振る舞いの根源は原子核に含まれる陽子であるとされている。原子核に含まれる陽子の数はその原子が基本状態で持つ電子の数と一致している。一致していないと「電気」の状態になってしまうので、電気がない状態を基本とするならば必ず一致していなければならない。

 夜空に輝く星や太陽、月、地球などは原子の集合体だろう*2から、宇宙全体で物と言われるものは全部原子でできているのだろう。宇宙の物は全部原子ならば、その基本は電気のない状態である。つまり電子の数とそれに対応する原子核に含まれる陽子の数は全宇宙でピッタリと一致していることになる。

 そんなことがあり得るのだろうか。宇宙に含まれる陽子の数*3を数えると1.575×1079ぐらいになるらしい。電子と陽子のとの個数がこの数の最後の一桁までピッタリ一致していないと宇宙が「電気」の状態になってしまう。そうでないと昨日考えた電気の定義が全宇宙で使えない。電子が一個でも多ければ、その電子の周りに起こる「電気的な現象」をどう説明すればいいのだろう。

 一個だけ多いのでは相互作用がないから、二個だけ多いとした方がいい。「電気とは、物質中に含まれている電子の移動によって引き起こされる様々な現象」と昨日は考えたが、最初から宇宙にある余分な二つの電子で引き起こされる現象を何と説明すればいいのか。電気なのか、そうではないのか。

 基本を電気がない状態と考えるから駄目なのかも知れない。全宇宙では必ずしも電子と陽子の数は一致していなくて、それぞれバラバラな状態が殆どで、むしろ電気のない原子の状態の方が稀と考える。そうすると電気の状態が基本状態となる。

 従って電気の定義は「対象とする物質の全体あるいは部分において、電子と陽子との数が一致している時以外の状態」とするべきである。



*1 電気の本質
*2 中性子
*3 Eddington Number -- from MathWorld

030429 

 何故、電子は「負」となったのだろう。

 磁気では磁針の決まった先が常に南北を指し示すので、それぞれを南(S)極、北(N)極*1と称するのは解りやすい。電気の場合は電子が「負」、原子核が「正」になっている。「陰」「陽」という別の言い方もあるが、どうして電子の電気が「負」で、原子核もしくは陽子が「正」となったのだろうか。

 「上」「下」でもいいし、「白」「黒」でもいいはずである。二種類しかないのだから、とにかく対になっている言葉であればいい。数十年前に考え出されたクォーク*2では粒子の性質を表すのに赤青緑の色*3を使っている。

 「正プラス」「負マイナス」という言い方はアメリカ科学者フランクリンが考え出した*4。フランクリンが「プラス」「マイナス」を考え出した頃はまだ電子の存在は知られていなかった。従って電気という物は「原子からの電子の移動*5」という考え方は全くなかった。

 電気に二種類の性質があると言うことは、フランスの科学者デュ・フェイ*6が言い出した。当時は電気と言えば摩擦によって発生する静電気のことであった。デュ・フェイはガラスを摩擦することによって出来る電気と琥珀を擦ることによって出来る電気とは違う種類の電気で、電気はこの二種類に分類できるとした。

 デュ・フェイはガラスに発生する電気を「ガラス電気vitré e*7」、琥珀に発生する電気を「樹脂電気résineuse*7」と呼んだ。

 その後フランクリン*8は、電気は二種類であるが、「電気の素」は一種類しかなく、電気の現象は物質中に存在するその「電気の素」の過不足によるものとした。フランクリン*9は「電気の素」の存在の確認は出来なかったが、こう決めた。「電気の素」が過剰になった状態を「プラスplus」、不足している状態を「マイナスminus」と名付けた。

 さて、ここからである。「電気の素」の実証が出来ていないので、何が過剰か不足かが解らない状態である。そこで「ガラス電気をプラス」とするか、「樹脂電気をプラス」にするかは単なる取り決めになる。フランクリンは「ガラス電気をプラス」とした。どうしてそうしたかを、自分なりに考えてここで書いた*10ことがある。

 英語での電気の語源は「琥珀」を意味するギリシャ語*11である。琥珀を擦ると静電気が発生する。これがその由来である。電気は物質からの「電気の素」の移動現象とフランクリンは考えたので、琥珀を擦って電気が発生するのならば、琥珀から何かが出ていくと思うのが普通だろうと筆者は考えた。擦る物は毛皮でも絹でも手のひらでもいい。何で擦っても琥珀には樹脂電気が発生するので、琥珀から何かが出ていくと考えるのが普通ではないか、と思った。つまり琥珀は「電気の素」が不足した状態、マイナスとなった。

 「電気の素」の実体が解らない状態なので、新しい言葉を考えるのであれば、電気の語源である「琥珀」の電気現象を基本にフランクリンは考えたのだろう、と筆者は思った。しかしよくよく考えてみれば、琥珀は様々な物質から「電気の素を吸収する」と仮定ことも出来る。そうなれば樹脂電気は「プラス」になる。

 やはりフランクリンは硬貨を投げてプラスマイナスを決めたのだろうか。



*1 左右の定義
*2 物質の根源、宇宙創成の瞬間に迫る 電子・陽電子リニアコライダー計画 (JLC Project) 5. Quaks and Leptons
*3 キッズサイエンティスト 自然界の4つの力
*4 日本財団図書館(電子図書館) 通信講習用船舶電気装備技術講座(電気工学の基礎編・初級) 1・3 摩擦電気・電気力線・電界
*5 電気の本質
*6 Electrochemistry Pages Du Fay
*7 Yahoo! Encyclopédie - l'électricité
*8 電池とバッテリーとの関係
*9 TEPCO : 電気・電力辞典 | ベンジャミン フランクリン
*10 電流と電子
*11 TEPCO : 環境エネルギー学習 | ギリシャのタレスたちが静電気の存在を発見

030430 

 雷の日に凧を上げて稲妻が電気であることを実証したフランクリンはどうやって電気のプラスマイナスを決めた*1のだろうか。電気に二つの種類があると言うことを発見したのはフランスの科学者デュ・フェイ*2であった。彼はガラスを摩擦して出来る電気を「ガラス電気」、琥珀などの樹脂を擦って作る電気を「樹脂電気」とした。この二つの電気の名称は代表的な実験用の物質名から考え出されたのだから、その由来に関して何ら疑問は出てこない。

 デュ・フェイの後に、フランクリンは「電気の素」が物質には含まれていて、その「電気の素」の過不足によって電気で二種類の状態が出来るとした*3。ただし、当時は、その「電気の素」は何であるかは全く解らなかった。

 電気の素の過不足だから、単純にその状態を「プラス」「マイナス」とした。では、「ガラス電気」と「樹脂電気」とのどちらが「プラス」で、どちらを「マイナス」としたらいいのか。フランクリンは「ガラス電気」をプラス、「樹脂電気」をマイナスとした。

 後に1889年トムソンによって電気伝導の担い手である電子が放電管の中で発見*4された。それまでに電流は「電気の素」の過不足を解消する現象と考えられていたので、電流はプラスからマイナスに「電気の素」が流れるとされた。ところがトムソン*5が発見した「電気の素」は樹脂電気と同じ性質、つまり「マイナス」であった。

 樹脂電気は「電気の素」が不足しているのではなく、過剰になっていたのである。電気の素ということになった電子は「電子が過剰」になったマイナスの状態の物体から「電子が不足」しているプラス状態の物体に流れていることになり、電流の方向と実際の電子の流れの方向が逆になってしまった。

 もともと電気は「電気の素」の過不足状態とフランクリンは考えていた。従って一種類しかない「電気の素」の性質を区別する必要がなかったはずである。例えば「電気の素」そのものが「ガラス電気」と同じ性質と仮定してしまうと、物質には必ず「電気の素」が含まれていると仮定しているので、何もしない物質はすべて「ガラス電気」と同じ性質になってしまう。「電気の素」が過剰になって初めて「プラス」の性質になるので、これでは矛盾する。だから「電気の素」自体の性質は中性と考えられていたのだろう。ところが発見された「電気の素」は樹脂電気と同じ性質の「マイナス」であった。これにより、本来中性である物質中に必ず含まれる「電気の素」のマイナスの性質を打ち消す「プラスの電気の素」の存在が予測され、原子核の発見*6につながったのである。

 フランクリンの「電気の素」の過不足という考え方と、物質の根源である原子が、フランクリンの考え出した「マイナス」の性質を持つ電子と「プラス」の性質を持つ原子核で構成されていて、電気現象とはそれぞれの性質の発現という考え方、とは二種類の電気の素が存在していると言う点で全く異なる。現在のプラスマイナスは、それまで定着していたフランクリン式を単に踏襲したに過ぎない。

 もしにフランクリンが樹脂電気を「プラス」と定義し、同じ経緯を辿るとしたら電子は「プラス」になっていた。「プラス」である電子が発見される前は、樹脂電気は「電気の素」が過剰とになっていると定義しているので、電流はそのまま「プラス」から「マイナス」に流れることになっている。従って電流の方向と電子の流れる方向は一致することになる。

 ただし、原子核の方は「マイナス」となってしまう。原子の真ん中で太陽を彷彿させるような存在の原子核*7が「マイナス」というのは何となく変な気分である。慣れの問題だろうが、結果的には原子の中心が「プラス」という何となく安定した感じの表現となっている。

 それにしてもフランクリンがどちらを「プラス」にするかを硬貨を使って決めた*8のなら確率は二分の一だが、果たしてどうだったのだろうか。



*1 電気のプラスマイナス
*2 American Mineralogist Table of Contents Du Fay
*3 フィラデルフィアにおける電気に関する実験と観察
*4 This Month in Physics History - October 1897: The Discovery of the Electron
*5 Thomson on the Electron (Audio)
*6 原子核の発見
*7 宇宙の果て
*8 The Exploration of the Earth's Magnetosphere" The Direction Assigned to Electric Currents



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