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0010雑記草


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001031

 トランジスタが発明*1される前は電気信号の増幅には真空管*2が使われていた。ショックレーらのトランジスタの発明に伴い、真空管はどんどんトランジスタ*3に入れ替わっていった。

 真空管*4は真空または気体中の電子放電現象を利用した電子素子である。電子を放出する機構と放電によって発生する電流を制御する機構とで構成される。真空にしたガラスの中にこれらの機構を閉じこめなければならないので、真空管を小さくする*5のはなかなか大変であった。またフィラメントを熱することによって電子を放出していたので真空管をどんどん小さくすると、フィラメントの熱がこもってしまい真空管の機能が著しく低下してしまう。

 真空管の代わりに発明されたトランジスタは固体電子素子なので電子を真空中に放出する機構を持つ必要がなくなった。従ってフィラメントがない。真空やフィラメントが必要ないので発明当初からトランジスタ*6は真空管よりもかなり小さくなっていった。原理的に熱や真空の制限がないので製造技術さえあれば極限まで小さくすることが出来る。
 トランジスタはシリコンやゲルマニウムなどの様に混入している不純物成分のほんのちょっとした違いで電気的特性の大きく異なる固体で構成されているので、シリコンやゲルマニウムの板に部分的に種類の違う不純物を入れてやればトランジスタを作ることができる。これをプレーナ技術*7という。この技術と板の上でそれぞれのトランジスタを電気的に分離する技術及び結線する技術とが融合してIC集積回路が出来るようになり、更にフォトリソグラフィ技術*8と微細エッチング技術との発達によってLSI大規模集積回路へと発展していった。

 このLSI製造技術の発達で超微細構造を大量に同時に作ることができるようになった。これを利用して小さなモーター*9歯車*10を作る試みが為された。そして、この技術で小さな真空管を作る*11試みもなされた。

 真空管の大きさや信頼性の低さがトランジスタの発明のきっかけとなったのであるが、そのトランジスタの製造技術を利用して真空管*12を作る。科学技術界の先祖返りである。



*1 トランジスタ
*2 真空管
*3 Transistor radio mini-history
*4 初歩のラジオ実験室ホームページ 真空管について
*5 古典真空管グラフ 一般MT管 #1
*6 Transistor.jpg
*7 東京応化工業・採用のご案内・LSIのできるまで
*8 ようこそ、ここは半導体のページです パターン形成
*9 henning8.gif
*10 henning1.gif
*11 MOSトランジスタ構造の高安定・定電流型真空マイクロ素子の開発に成功
*12 TOSHIBA REVIEW (fc01z3_j.htm '97.6.10)

001030

 忘れるというのは一体どういうことなのか。忘れるという行為は何なのか。昔の人が心から消えてなくなることを「わする」と言ったのは何故だろう。「わする」の語源は「やま」や「かわ」の様にこれ以上遡れない言葉かも知れない。漢字の「忘」は「心が亡くなる」なのでそのものである。しかし心から無くなっても、それがふとしたことで忘れたことを再生する。

 ある日、傘を持って出かけたのだが、帰る頃にはそのことをすっかり忘れていた。ところが帰りがけに傘を持った人を見た瞬間、自分が傘を忘れていることに気付いた。その傘を持った人を見るまでは傘のことなど全く頭になかった状態だったにも拘わらずである。それなのに突然他人の傘をみた瞬間、自分の傘のことを思い出したのだ。
 その傘を持った人は眼鏡をかけて、ネクタイをして、鞄を持っていた。その全てが目に入っていたにも拘わらず、傘だけを注目し、自分が傘を忘れていた事を思い出した。

 忘れるとは一体どういうことなのか。本当に記憶が消去されたのなら思い出すことは出来ないだろう。思い出せると言うことはそのことが脳のどこかに残っていることになる。すると何が忘却されて何が記憶されるのだろう。そして忘却とは一体なんだろう。

 脳細胞が一日に大量に死滅するというのはよく聞く話であるが、これが忘却に関連しているならば思い出すことは不可能である。逆にそれだけ死滅しても色々なことを覚えているのは脳全体で色々憶えているからだろう。脳全体で憶えるとはどういうことなのか。想像が付かない。自分の脳で考えているのだが、自分の脳がやっていることは実感できない。

 世の中には忘却できない人がいるらしい。Solomon-Veniaminovich Shereshevskyはものすごい記憶力の持ち主であったらしい。全く意味のないでたらめな長い数式をすぐに憶え、それを数年後に正確に書き出すことが出来た。筆者のような凡人には羨ましい能力であるが、彼にとっては苦痛であったようである。この正確な記憶力は全てのものに対して発揮されたらしい。人の顔でも文字でも完璧な記憶として脳に焼き付いてしまっていたようなのだ。つまり人の顔ならばその時その時変化しているので、なかなか人の顔を憶えることが出来なかったようだ。数日前に合った同一人物の顔が微妙に変化している為、同じ人と認識することが出来ないことがあったらしい。文字でも同じ文字と認識するのに苦労していたようだ。桁外れの記憶力という便利さよりも、このような不便さの方が多かったので彼の後半生は記憶を消すこととの戦いであった。

 Shereshevskyは傘を忘れることがあっただろう。しかし他人の傘と自分の傘を同一視することは出来なかったはずなので、他人が持っている傘を見て傘を忘れたことに気付くことは出来なかったに違いない。

001029

 読者の方からの指摘によってヒーラHeLa細胞の語源となったアメリカ人女性の名前「ヘレン・レーンHelen Lane」という名は匿名であることを知った。

 記事を書くときには出来るだけ内容の正確さを保つため2種類以上の文献を参照することにしている。ただし出来るだけである。

 海外の検索サイトで「hela」というキーワードを使って検索していた。「Helen Lane」が匿名であることが判った後、改めて検索してみたら「Helen Lane」の本名が他の検索結果のサイトの説明文に出てきている。しかし「Helen Lane」が匿名であることを知らない段階ではその本名である単語は目に入ってこなかった。

 結局、検索エンジンではキーワードに関連した目的のサイトを見つけることは出来るが、それ以上の情報を得る確率は検索する者の知識に掛かってくるということを痛感した。今回の読者の方の指摘がなかったら「Helen Lane」が匿名であることに気付くにはかなりの時間を要したに違いない。どうもありがとうございました。

001028

 江戸時代の時代劇に出てくる小道具で、泥棒や忍者などが前方だけを照らす仕組みの燈火具がある。釣り鐘型の金属板製で表面が黒く塗装がしてあり、中には自由に回転する蝋燭立てが入って、それを向けた方向だけに光が行くようになっている。昔の懐中電燈のような物である。

 これを何というのか判らなかった。ある日、事典で何か別のことを調べていたときにこの燈火具の挿し絵が目に入り、これを「強盗提燈(がんどうちょうちん)」と言う名前であることを知った。「龕燈提燈」とも書くらしい。忍び提灯とも言う。

 紙で出来た事典というのはこういう拾い物が出来る。電子データ化された事典ではなかなかこういう拾い物を拾うことが出来ないので不便と言えば不便である。その点、WWWは拾い物がし易い。ただし本のように紙をめくる速度に比べてインターネットは画面が出てくるのが遅すぎる。

 もっと速いインターネットが必要である。

001027

 生命保険の説明を読んでいると悪性新生物と言う言葉が出てくる。のことである。多くの文献で癌のことを「がん」と表記するのは「癌」が常用漢字以外だからだろう。こういう書き換えは生命保険の場合なら常用漢字以外を用いたことが契約者に対して説明不足であるとされないための方策でもある。それにしても平仮名の名詞が頻出する文は読みにくくて仕方がない。

 生命保険でいう癌は悪性腫瘍のことで、悪性腫瘍は「がん」と「肉腫」に更に大別されるようである。癌細胞は何らかの原因で細胞の遺伝情報が狂ってしまい激しく分裂して増殖し、更に転移して、最終的には個体を死に至らしめる場合がある。もともとは個体の一部の細胞であったものが原因となって、その個体の活動が維持できなくなるというのは何とも不思議なものである。

 この癌を悪性新生物と呼ぶのはどうしてか。「新生・物」か「新・生物」か。癌細胞はもともと正常細胞なのだから「新生した物」と言うのは何か変なような気がする。かといって「新しい生物」というのもどうかと思われる。新しい生物と言えば世界中の癌の研究所で使われている標本細胞にヒーラ細胞と言う名の細胞があるらしい。1951年にアメリカのヘレン・レーンさんという女性の子宮癌から採取した細胞で50年近く経った今でも研究室のシャーレの中で増殖を続けている。レーンさんは既に亡くなっているのでヒーラ細胞は一体何者と言えばいいのだろう。「新しい生物」と考えてもいいかも知れない。

 恐らく新生物という言葉自体はneoplasmの訳語として出来たのであろう。neoplasmのneoは「新しい」、plasmは「形成されたもの」だから「新生・物」と解した方がいいかもしれない。
 しかし新幹線のように「新」の意味が薄れてしまい合成語ではなく「新幹線」三文字の熟語になっているのと同様に、「新生物」という言葉も三文字熟語と見た方がいいだろう。

001026

 20世紀もあと僅かとなってきた。100年という大きな区切りにきている。マスコミは時代を語る時、80年代、90年代と10年単位の区切りをよく使ってきた。ところが「○○年代」という言い方が世紀を跨いでしまって何かしっくり来ないと随分昔に呉智英が書いていた。

 どういうことかというと「90年代」というのは1990年から1999年のことを指すマスコミ用語だが、「90年代」の次をマスコミは何と表現するつもりだろうか、と言うことである。仮に「2000年代」というとするとその期間は2000年から2009年だろう。すると「○○年代」はそれよりも古い言い方で大きな区切りである「世紀」を跨いでしまう。時代を区切る用語なのに 区切りに矛盾が生じている。

 これの所為で今年「2000年」は「○○年代」で語られることは殆どなかったような気がする。マスコミも「2000年代」という言葉をあまり使っていない。「80年代」「90年代」という言葉は相変わらず用いられている。

 この大いなる矛盾に果敢にも挑戦したマスコミがある。ここの編集部は未来を来年から始まる「21世紀」という100年単位で語るのではなく「次の10年で何が起こるか」を議論したいというのだ。次の10年というのは2001年から2010年である。
 恐らくこれと似たような企画を「90年代をどう生きるか」というような題目で1989年に企画した出版社は多かっただろう。この時の10年は1990年から1999年である。

 2000年はどうなったのだろう。結局「○○年代」という用語がいい加減であったため、どの「○○年代」にも入らない「空白の年」が出来てしまった。

 新世紀の始まりと「○○年代」という「十年紀」を合わせるために「次の10年」を2001年から2010年としているが、10年後の「2010年」は「10年代」というのではないのだろうか。

001025

 いろは歌の意味を勝手に解釈していた。最後の部分の「あさきゆめみし ゑひもせす」を「浅い夢を見たのだ。酔ってもいないのに」と思っていた。

 本当はというか、通常言われている意味は「はかない夢など見るまい、酔っているわけでもないのに」であるらしい。「ゆめみし」の「し」は活用はするけど語形変化のない打ち消しの意志を表す「じ」と解するのが普通らしい。

 でも濁らずに「し」のままの方が何となくいいような気がしてならない。

 綺麗な色の花は匂うように咲いているが、いつかは散ってしまう。自分のいる世の中で不変なものはあるのだろうか。有為の奥山(色々なこと)を今日も踏み越えていると、ふと、虚しい夢を見てしまうのだ。酔ってもいないのに。
 この方が作者の無常観がよく現れていると思う。と言うより雑記草の筆者の心境なのかもしれない。

 ただし筆者の勉強不足の為、この解釈が文法的に正しいかどうかは判らない。

001024

 最近、ある随筆を読んで洋式の便器に蓋が付いているのは何故かという疑問に気付いた。今まで全く気にしたことがなかった。確かに肥溜式の便所であれば臭いの拡散を防ぐために蓋を付けるのは納得がいくが、水洗便所では臭いなど出てこない。便器に溜まっているのは通常は水しかない。
 肥溜式であればその穴から妖怪が出てくる心配もある。そういえば、真夜中に便所に行ったら紙がないので家族の者に紙を持ってきてもらおうとしたら、何色の紙がいいのか、と訊ねてきたので「青色」と答えたら便所の穴から青い手が出てきた、と言う怪談が小学生の頃に流行った。
 とにかく肥溜汲み取り式の便所にはいろいろと不都合があるので蓋があっても不思議ではないが、洋式は必ずと言っていいほど水洗式なので蓋の意味がないように思える。

 水洗便所は1596年にJohn Haringtonによって発明された。しかし一般に設置されるようになったのは下水が発達する19世紀以降であった。

 洋式便器の歴史を見ると古い便器には蓋が付いているものと付いていないものが見られる。

 もしかしたら蓋は汚物を流すとき、水が勢い余って汚物と供に飛び出してくるのを防ぐために付いているのかも知れない。そうだとすると作法としては流す前に蓋をすべきである。しかし飛び出すのを防ぐために蓋があるのなら、次に使う人は背中に人の糞が付くのを恐れながら用を足さなければならない。一体何のためにがあるのだろうか。

001023

 秋の夜は長い。長いと感じるのは秋は夜の時間の長さの変化率が大きいからだろう。秋分の頃は夜が一日一日長くなるのがはっきり判る。夜が長いと色々考える機会が増える。いつも様々なこと考えているが、秋の夜長にはその日一日あったことが更に気になってくる。

 だからと言うわけではないが、最近のテレビでの言葉の乱れは目に余るというか耳に余るというか、多すぎる。公共性の高い媒体で間違われると腹が立って仕方がない。どうして放送する前に確かめようとしないのか。これほど頻繁にいい加減な言葉の使い方を聞いたり見たりすると切れた堪忍袋の緒が蘇生する暇もないほどだ。テレビを見る時間が少なくてもこうなのだから実際はもっと多くの間違いが氾濫しているに違いない。

 先日、朝のNHK教育の子供向け番組でこんなことを言っていた。料理の基本は「さしすせそ」。「さ」は砂糖、「し」は塩、「す」は酢、「そ」は味噌。さて「せ」は何でしょう。
 するとボケ役が「セロリかなぁ」と子供らしいボケをかましていた。すかさずお兄さんが 「『せ』は醤油です、昔の人は『しょうゆ』を『せうゆ』と書いていたのです」と誇らしげにボケ役を諭していた。

 歴史的仮名遣いでは「醤油」「正油」の振り仮名は「しやうゆ」である。「醤油が『せうゆ』ならソースは『さふす』なのか」と抗議したくなる位の恥ずかしい思い違いだ。しかし本当に抗議するとしてもそれだけはどうしても言えなかっただろう。すれば今度はこっちが恥ずかしくなってくる。
 お兄さんには罪は全くない。「せうゆ」が正しい表記かどうかの確認を怠ったNHKに罪がある。

 歴史的仮名遣いでは、勝利は「しようり」、正直は「しやうじき」、微笑は「びせう」、交渉は「かうせふ」となる。
 「ひょう」や「ちょう」も勘違いされやすいだろう。歴史的仮名遣いでは全部が全部「へう」や「てふ」に置き換わるわけではない。氷山は「ひようざん」、評判は「ひやうばん」、秒は「べう」だ。
 徴収は「ちようしふ」、町長は「ちやうちやう」、長調は「ちやうてう」、蝶々は「てふてふ」である。歴史的仮名遣いなら「幹事長も感じちゃう」が「かんじちやうもかんじちやう」になる。

 色々感じる秋の夜はまだ続く。

001022

 最近はテレビを見る時間がめっきり少なくなり、目覚まし代わりに鳴らしているラジオを聞く時間の方が多くなった。どうしても見たいテレビ番組が無くなってきたし、見たいと思った番組を見逃してもそれ程口惜しく思わなくなってきた。例えビデオに録画していなくても、名作と呼ばれたテレビ番組はビデオになってCM抜きで後から発売される可能性が非常に高いので慌てる必要がない。
 しかし何といって面白いテレビ番組がないのがテレビを見なくなった原因である。必ず見る番組は吉本新喜劇の中継だけである。

 ラジオとテレビ。この二つは機能から言えば親戚の関係にあるだろう。日本語の字面にしてもどちらも3文字でよく似ている。テレビは略さずに言えばテレビジョンだから本当はあまり似てないが、日本語ではテレビの方が至極一般的なので似てると言ってもいいだろう。

 機能がよく似ていればその装置の名称の成り立ちも似てくるような気がする。以前、トランジスタの語源について書いたが、よく似た半導体素子の語源を探ると同じような成り立ちになっている。

 ラジオの語源は半径や輻射線を意味するradiusである。電波が四方八方に放射されてそれを受信する。ラジオと言えば一般に電波を受信する装置のことを指すが、広義には無線通信全体のことを指し、ラジオ放送局や無線送信機も含まれる。そこで電波の広がる様子をそのままラジオという仕組みの名称とした。

 一方、テレビは遠方の画像が見られると言う特徴からtelevisionという名称になった。画像の送信方法は電線を使おうが電波を使おうがテレビジョンには変わりないが、ラジオの発展形として登場したのであるから電波による送信が一般的であった。それに電波で送信するのが最も安上がりな方法であった。その後、電線で送信するテレビが普及してきた。

 こう考えると電波で送信されるテレビはラジオの一種である。それなのにその仕組みの名称の成り立ちはラジオとは全く関係ないところから来ている。もしかしたらラジオビジョンradiovisionが妥当な名称だったかも知れない。

 逆にラジオがtelephoneやtelegraphのように遠隔を意味するtele-との合成語にならなかった方が不思議かも知れない。telesonanceになっていてもおかしくはないと思う。ただしtelesonanceは筆者が今作った単語である。

 何れにしろラジオが進歩してテレビが出現したと考えるた時、テレビの語源がラジオと全く異なるところから出てきた原因として、ラジオがあまりにも広い意味を持ちすぎたためと思われる。

  001021

 トヨタ自動車のセルシオという名の自動車には面白い仕組みがある。座席の下に小さな穴が開いていてそこから冷風や温風が出てくるらしい。自動車の革で出来た座席に座っていると尻が蒸れたりして気持ちが悪くなる場合があるらしい。それを防ぐたにめわざわざ自動車の室内温度に合わせて尻に冷風を送ったりするのだ。

 どういう発想でこういう装備を付けることにしたのか理解に苦しむが、どんな些細なことにも購買者の満足のために、いつも努力をしているということを訴えたかったのかも知れない。

 自動車に乗る時間など長くても連続2時間程度だろう。高級車を所有して自分で運転する人であれば乗る時間はもっと少ないはずである。その短い時間の間に尻がむずむずする確率はどれくらいあるのだろう。座席に座った途端そうなるのであれば、それは座席の座面の設計がおかしいのであって送風機を付けるのは本質的解決ではない。

 この仕組みを見てある人が「金玉逆火鉢」と評した。金玉火鉢の火鉢代わりに冷風が出てくるので火鉢の逆で逆火鉢。本質的な解決をせずに付け焼き刃的な装備を揶揄しているのだ。

 この装備はマイナーチェンジで姿を消すことは間違いない。どう考えても有っても無くてもどうでもよい装備である。こういう意味のない装備の開発や製造などで資源を無駄に消費することは、いくら顧客満足のためとは言え、自粛してもらいたいものである。普通の自動車を製造するだけでも環境破壊に直結しているのだから。

001020

 よく通る道沿いに目立つ看板のラーメン屋がある。そのラーメン屋は赤いテントで出来ている。テントと言ってもキャンプで使うテントではなく半恒久的なテントである。その目立つ看板は高さ3m程度のこれも赤いテント地で作られた長細い提灯のような形をしていて黄色い字で大きくラーメンと書いてある。

 筆者独自のうまい飲食店の見分け方で「店構えに凝っていない」というのがある。個人の経営する飲食店ではそこの主人が味を追求するのに没頭してしまい店の外観や内装まで気が回っていない状態であることがよくある。反面、不味すぎて客が集まらず、店がぼろぼろという場合もある。

 件のラーメン屋は上のうまい店の条件にぴったり合っている。しかし直感的にどうも食べに行く気が今までしなかった。何となくテントの色使いがあやしいのだ。目立たせるだけの目的で色を選んでいる。小さな飲食店というのは常連客で店の経営が成り立つ。飛び込みの客よりも味の噂で客を集めることが重要である。店を目立たせるのは味に自信がないからだろう。

 先日、かなり遅い夕飯をそこで済ませることにした。深夜であったためか先客は4人しかいなかった。4人ともラーメンではなく酒を飲んでいた。これは久しぶりにものすごい不味い店に巡り会えたかもしれない、という期待が涌いてきた。うまい店もいいが、ものすごい不味い店も話しのネタになるのでそれはそれで楽しいものである。

 味噌ラーメンを頼んだ。期待通りの不味さだ。ここの主人は他の店の味噌ラーメンを食べたことがあるのだろうか。出汁が入っていない味噌汁に麺を入れただけのようなラーメンなのである。よくこんなラーメンを出して店をやっていられるものだと感心してしまった。

 結局、この店はメニューがラーメンが中心になっているが、ラーメン屋ではなく単なる「飲み屋」になっているようである。目立つだけの看板も飲み屋であれば納得がいく。それにしても不味すぎる。

  001019

 ある程度以上の文字数や音節数で構成される単語はその語源を探ると短い基本的な言葉の合成語になっている。これは地球上の言語全てに言えることであろう。それに対して短い単語はそれ以上分解して語源を遡れない状態に大抵なっている。日本語の場合「火(ひ)」「水(みず)」「雲(くも)」「山(やま)」「海(うみ)」などで、例えばどうして火を「ひ」と言うかよく判らない。めらめらと燃え上がる炎を「ふ」と言っても、それが最初から「ふ」であれば、火のことを「ふ」と言っても全く差し支えがない。つまり基本的な単語は符号化、記号化してしまっているので語源という考え方自体が意味を成さなくなっているかもしれない。

 ある程度言語が発達すれば、ある新しい物事や概念を表すのに符号として多くの音節を与えて単語を作るという非効率的なことはどんな言語でもしない筈である。やはり関連する言葉を合成して新しい単語を作るのが普通だろう。

 日本語でも同じ事であるが、英語を学ぶ際、少ない文字数の基本的な単語は機械的に覚えなくてはならない。これはその文字や音節の並びが符号になっているので仕方がない。英語以外に他のヨーロッパ言語を既に習得していれば、英語の場合は基本的な単語であってもその語源がギリシャ語やラテン語フランス語ドイツ語などの他のヨーロッパ言語による場合が少なくないので少しは楽かも知れない。
 しかし文字数が増えてくると機械的に覚えるのはかなり苦労する。中学生の頃「dictionary」の綴りを正確に覚えるのにかなり時間を要したような気がする。この原因は「dictionary」を単なる符号として捉えていたからである。「dictionary」が何故「辞書」と言う意味か、その語源を知っていればこの苦労もかなり軽減されるだろうし、綴りの間違いもかなり減らせるであろう。

 英単語で一番長い単語としてpneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosisがよく出てくる。これを単なる符号として見てしまうとdictionary以上になかなか覚えられないし綴りも間違えやすい。この長い単語を覚える必要があるかどうかは別として、この語源を理解していればある程度簡単に覚えられるし、綴りの間違いも殆どなくなる。

 この単語は

pneumono(肺の)ultra(超)microscopic(顕微鏡の)silico(二酸化珪素の)volcano(火山)coni(塵)osis(症)

と言った具合に切ることが出来る。

 pneumonoは発音しない「p」から始まっているのでどうやって発音するのか判らなくなり単語全体が文字の羅列のように見えてしまう。「ニューマノゥ」と読む。自動車好きであればシトロエンの「ハイドロニューマチック」のニューマと覚えればいいかも知れない。pneumには「肺」と言う意味の他に気体とか呼吸とか空気いう意味がある。ハイドロニューマチックのハイドロは水とか液体、ニューマは気体で、これらを使った機械的な仕組みを指す。シトロエン車はこの仕組みをサスペンションに使っている。

 ultraはそのままウルトラ。microscopicは更に分解すればmicro(微視的な)scopic(観察器械)。silicoはsiliconシリコンの酸化物。volcanoはそのまま火山。coniはギリシャ語のkonia( 塵) から。osisは症状や状態を表す接尾辞である。

 語源からすると結構長い訳語になりそうだが、実際は「塵肺症」と訳される。顕微鏡や二酸化珪素や火山が抜けてしまっている。通訳のコントで相手が長く色々喋っているのに、それを通訳者が一言で片付けてしまうのとよく似ている。

001018

 有史以来発掘されたの総重量は10万トン程度になるらしい。そのうち装飾や工業用などで消費された分や流通加工の過程での消失分を差し引くと約8万トンが地上に在庫として残っている。更にそのうち約4万トンは公的機関が保有し、残りの4万トンは民間に保有されている言う。

 10万トンというとどれくらいの大きさだろう。金の比重は19.3である。同じ体積の水の19.3倍の重さになる。水は1m3で重さが1トンになるので、金1m3で19.3トンになる。

 1リットルは1辺が10cmの立方体になるので水1リットルで1kgというのは実感がわく。1mの立方体の水が1トンになるというのはなかなか実感できない。鉄でできた自動車が1トンというのは何となく判ったような気がするが、水となると1m3で1トンはちょっと重すぎるような気がしないでもない。

 金は更に感覚がずれてくる。金1kgの大きさは縦117×横54×厚8mmになる。手のひらに隠れてしまう程度の大きさである。この大きさで1kgか、と思いたくなる。最も身近な金属であるの比重は7.86なので金は2倍以上の重さがある。これが金の重さの意外性になっている。

 これは逆に重い割には体積が小さいとも言える。これは200kgもある金塊なのだが人の手の大きさと比べると意外に小さい。それでは金10万トンはどれくらいの体積になるか。1辺が17.3mの立方体である。有史以来人類が地中から掘り出した金の総量となると少ないような気がする。

001017

 エキシマレーザとは「益島」博士が発明したから、こういう名前になったのではない。エキシマとは英語である。excimerと綴る。「excited dimer」を合成した言葉で「励起した二量体」という意味である。dimerダイマーとはmonomerモノマーやpolymerポリマーと同類の言葉で、「二重」を表す「di」と「化合体」の「mer」とで構成される。

 excited+dimerでexcimerだと「di」が消えてしまっているので励起二量体の意味が薄まってしまう。もしかしたら最初から「excited+mer」で「励起化合体」なのかもしれない。

 アルゴンクリプトンキセノンなどの不活性ガスフッ素塩素などの反応性の強いハロゲンガスを混合して、その混合気体の中で放電する。すると普段、混合しただけでは化学反応を起こさない不活性ガスとハロゲンガスが放電のエネルギーによって短い時間であるが化合物となる。アルゴンArとフッ素F2であればArF、キセノンXeと塩素Cl2ならばXeClというものが出来る。これがエキシマと呼ばれる化合体である。

 この物質は非常に不安定なのですぐに分解して元のガス分子に戻ってしまう。放電のエネルギーを得て合成されたので、分解するときはそのエネルギーを放出する。放電のエネルギーは不活性ガス原子の電子の状態を高めるのに使われたので、分解すると不活性ガスの電子が元の状態に戻ろうとする。この時、電子が元の状態に戻った分だけのエネルギーを持った光が放出される。光の出方はその不活性ガス分子の特有のものだから、エキシマを沢山作れば他のエキシマもつられて同じような光が一斉に出てくる。これを鏡で集めてやれば強力な光が取り出せる。これがエキシマレーザの原理である。ただしエキシマの寿命が短いため途切れ途切れのレーザ光しか出せない。

 比較的簡単な構造で強力な紫外線レーザを作ることが出来るのだが、ハロゲンガスは毒ガスなので扱いに注意を要するのが難点である。また反応性が強いガスなので放電管の電極と反応などしてガスが劣化していく。そのため頻繁にガスの交換をしなければならない。交換したガスを無害化する装置も必要である。

 このような装置を開業医が導入するのは結構大変かも知れない。

001016

 近視は不便で仕方がない。0.1以下の極度の近視だと眼鏡やコンタクトレンズがないと殆どのものがはっきり見えない。風呂に入るにも特に旅館などの大浴場では転んだりすると危ないので眼鏡を掛けたまま入る。

 近視は眼球が大きいことと角膜で光を屈折させる能力が高いこととが原因であるようだ。通常、眼球の大きさは2.5cmぐらいらしいが、目の悪い人は3cmぐらいある場合があるという。近視の人の目が魅力的に見える場合があるのは、普通の人よりも実際に目が大きいからと言えるようだ。この原因よって網膜の手前ででピントが合ってしまい像がぼけてしまう。その代わり屈折させる能力が高いのでごく近くのものにはピントが合いやすい。紙幣のマイクロ文字などは虫眼鏡がなくても十分読みとることが出来る。

 近視を治療する方法はこの原因を取り除けばよい。眼球が大きくなっているのはどうしようもないようだが、屈折の能力の方は何とかなりそうである。

 目のピントの調整は水晶体で行っているが、目の光学系は角膜と水晶体で構成されている。つまり角膜もレンズの役目をしている。光の屈折の具合を変えるためにはこの角膜の形状を何らかの方法で変えてやるのである。近視治療の場合は角膜を平らに近づけ、遠視の場合は逆に丸みを付ける。乱視の場合は歪みにあわせて削ることになる。

 この角膜を削るのにレーザを使う。レーザで削るときにまず角膜の薄皮をかんなで削って角膜の蓋のようなものを作り、その蓋をめくってレーザを照射して角膜を平らにしたり丸みを付けるように削ったりしてから、最初に作った蓋をする。

 この手術に使うレーザはエキシマレーザと呼ばれる紫外線のレーザである。SFに登場する破壊光線や工場の溶接機などで使われるレーザは赤外線レーザで、照射された部分が熱せられるのが特徴である。紫外線レーザの場合は熱ではなく、直接的に物質を構成する分子や原子の結合を切り離す作用を及ぼす。分子や原子の結合を切り離してしまうので、紫外線レーザの場合も破壊光線に使えそうだが、紫外線は空気で吸収され易いので遠距離まで到達させようとすると大出力が必要となり巨大な装置になってしまい武器として成り立たなくなってしまうからであろう。宇宙空間ならば使える。

 角膜を削る手術にはこの紫外線レーザーの特徴が活かされている。角膜を構成する分子が紫外線レーザによって角膜自体に熱が発生することなく、しかも非接触で削れていくのである。熱が出ないので溶接のような融ける部分が一切出ない。刃物で切ったような加工が可能である。

 筆者は強度な近眼なので眼鏡なしの生活に憧れる。治療の原理など解ったつもりになれるのだが、何となく目玉の手術は恐い。手術している間はその光景が見えるのだろうか。考えただけでもぞっとする。

001015

 「衆」と「」を混同して書く人が時々いる。特に「衆」の字の下の部分を「豕」にしてしまう。「豕」はぶたの意味だから、「衆」の下が「豕」では人の集まりではなく豚の集まりになってしまう。

 「衆」の下の部分は「人」の字が丁度「森」の字のようになったものが変化したものである。「衆」と「象」との漢字の成り立ちを理解していれば間違えることはない。しかも「衆」の下の部分が「人」が森のように並んだものが変化したということを知っていれば、その書き順が真ん中の「イ」の部分が最初で、その次が左側の「〃」、最後に右側の「く」というのも自然に解る。

001014

 コンピュータのソフトで様々な機能が付いているものが沢山あるが、大抵の使用者はそれを全部使いこなしていることはないと思われる。ある人は使わない機能でも他の人は使っている場合は必ずあるので、自分が使っていないから無駄な機能であると思うのは軽率であろう。

 そうは言っても、それぞれの機能の使われる割合が満遍なく振り分けられているわけではない。どうしても使用頻度の低い機能は出てくる。ソフト開発者がこれは便利だと思いながらかなり苦労して作った機能でも、それが使用者に理解されない場合があるだろう。また、開発者の独りよがりで自分だけが便利だと思っていても実際の使用者にとっては便利でも何でもなく、全く使う気にならない機能もあるだろう。

 しかし開発者は自分が作った機能は素晴らしく使い勝手の良い便利なものと信じ込んでいるので、それがあまり使われていないと知ったときにはどんな気持ちになるだろう。

 このページにも筆者が苦労して作った機能が設けてある。「雑記草」のロゴタイプの下に並んでいる見出しの内「語句索引」は作るのにかなり苦労する。このページの随所にリンクが貼ってある。過去の記事に登場したリンクが貼ってある語句がどの記事にあるか辿れるようになっている。

 「語句索引」をクリックするとあいうえお順に単語が並んだページに切り替わる。例えば現在は「あ行」の上の方に

アイスランド (000902 フォッサマグナ)

とある。これは2000年9月2日に公開した「フォッサマグナ」という題名の記事中にリンクが設定されている「アイスランド」という語句があることを示している。

 使い方としてはYahoo!infoseekなどで検索する前にとりあえず雑記草の語句索引で検索してみるのが適当な方法であろう。

 この語句索引ページを月に一度、手でいちいち入力して語句索引用のファイルを制作している。面倒くさ過ぎる。手間の割にはこれを見たことがあるという人を聞いたことがない。

001013

 くしゃみをすると誰かが噂をしているなどというが、一体これは何が由来なのだろうか。
 くしゃみは(くさめ)が転じて「くしゃみ」になったようだ。更に「くさめ」は「糞食(は)め」が短くなったものという説もある。くしゃみをすると短命になるという迷信があったので、「くさめ」はくしゃみをした時にそうならないように唱えるまじないであった。

 短命の前兆とされたこのくしゃみをすると誰かが噂をしているというようになったのはいつ頃からであろう。結構、最近かも知れない。

 一つ手がかりになるのは徒然草の第四十七段である。ここで登場する尼僧は道すがら「くさめくさめ」とずっとつぶやいている。なぜそんなにしきりに「くさめ」と唱えているかと聞いたところ、比叡山で養育した子供が今頃くしゃみをしているかもしれないのでその子が死なないように代わりに「くさめ」と唱えているのだ、と答えたらしい。

 これから「くしゃみをしていると誰かが気遣っていますよ、だから早くこの薬を飲んで良くおなりなさい」というような風邪薬の広告が明治大正昭和初期ぐらいに出来たのかもしれない。それが後に「誰かに気遣われる」のところが「噂される」となって広まったのだろうか。

001012

 数年前にある知人のところにこんな手紙が来た。原文は英語である。内容は大体こんな感じだった。

 イギリスに住むある少年が白血病に罹り、余命が幾ばくもないことを知った。そこでこの少年は短い自分の命の時間を何に使うかを考えたところ、全世界の人々の名刺を集めることを思いついた。ただ集めるだけではなく、一つの会社で一枚の名刺を集めることにした。
 この手紙を受け取ったら記載されている代理人に自分の名刺を送って欲しい。同封した名簿には既にこの手紙受け取った人の会社とその住所が記載されている。この名簿に新しく自分の所属する会社の名前と住所を加え、その名簿に記載されていない知人にできるだけ沢山この手紙を送って欲しい。時間はないのである。

 名簿には世界各国の大企業、研究機関、大学の名前が並んでいた。受け取った知人は何か胡散臭いと思い、自分以降の連鎖を切ってしまった。

001011

 日常よく目にするローマ字の言語はやはり英語だろう。英語の表記には綴りの中に記号がつかないので、ドイツ語やフランス語の綴りの中に色々見慣れない記号はかなり新鮮に見えるというか、奇異に見える。ドイツ語はエスツェット*1ウムラオト*2が英語には出てこない文字や記号であるが、フランス語はもっと沢山ある。アクサン*3セディーユ*3トレマ*4oとeがくっ付いた字*3などがあってフランス語を全然知らない状態で読もうとするといろいろ勝手に類推してし読んでしまう場合がある。

 日本語のローマ字表記で「^」や「-」を母音字の上に付けて長音を表すことがある。フランス語のアクサンやトレマもその類だと思って伸ばして読まれることがあるようだ。

 シトロエン*5はCitroenと綴る。綴り字の中の「e」の上にはトレマ「¨」が付いている。これは「oe」と母音が並んでいるのを別々に分けて「オエ」と発音するための記号で、これがないと一つの母音として発音されてしまう。フランス語では母音が連続することを避けるので、連続する母音を発音するためには記号が要るのであろう。

 このシトロエン*6を「シトローエン」と書いたり発音したりすることがある。検索エンジンで「シトローエン*7」を検索すると沢山出てくる。これは日本語ローマ字表記の長音の類推でこう考えてしまったのだろう。実際のフランス語発音は「スィトロエン」と聞こえる。



*1 ドイツ語の綴り字と発音
*2 ドイツ語の綴り字と発音 ドイツ語の文字
*3 French and HTM
*4 Windows95/98でフランス語を書く
*5 Citroen Japon
*6 Citroen.com : accueil
*7 Yahoo!検索 - シトローエン

001010

 ある雑誌を見ていたら腕時計の広告が目に入った。BLANCPAIN(ブランパン)の時計だった。

[2100]トゥールビヨン 世界初の日付表示、8日間パワーリザーブ付のムーブメント搭載。K18ホワイトゴールド、100m防水。¥10,500,000(消費税別)

 時計一つで1千50万円もするというのは凄いことである。これは骨董品でも美術品でもない。新品の工業生産品である。
 一方、時を知らせるという同じ機能を持つ1000円以下の時計も存在する。するとこの場合その価格差は1万倍にもなる。同じ機能を持ちながら、こんなにも値段が違う物があるだろうか。普通の時計の値段に慣らされていると値段とは一体何か、と考えてしまう。

 この時計の値段の根拠の一つはトゥールビヨンという仕組みにあるという。これは相当昔に発明された機械的な仕組みで、時計の姿勢によって針の進みの誤差が発生しないようにしたものである。トゥールビヨンにはかなり細かく精密な部品が使われているようだ。それなりに手間暇が要るのであろう。それにしても1千万円以上というのは凄い。

 こんな値段の時計の広告を出すということはその広告を見てその時計を買う人を想定しているのであろう。そんな広告が掲載されている雑誌を見ている筆者の腕にあるのはパワーリザーブが6時間程度しかない1万円程度の機械式自動巻腕時計である。

001009

 有毒ガスを扱う事業所などには必ず漏洩したときのために空気呼吸器が備えてある。

 ガスによっては目の粘膜を冒すものもあるので顔を全体覆う形になっている。眼鏡をしているとこのマスクを装着することができない。眼鏡を取って装着するので極度の近視の場合は何も見えなくなるので恐ろしくてこの空気呼吸器を付けることができない。

 有毒ガスの中には呼吸器や目だけを保護すればいいという甘っちょろいガスばかりではないだろう。フッ素ガスなどは空気中の水分と反応してフッ酸になり皮膚から浸透して骨を冒したりする。そんなガスが漏れたとき顔だけを覆う空気呼吸器で漏洩処理をするのは非常に心許ない。

 そう思っていたらどうもこれは勘違いであることが判った。備えてあるあの空気呼吸器は、あってはならないが、何らかの事故で僅かに漏洩したときの処置作業用のものである。大量に漏洩したときは退避するのが基本で呼吸器を付けて漏洩容器の処置をするわけではないようだ。こういう場合は消防機関などに届け出て専門家に任せるのだろう。

001008

 「JAの建更(たてこう)まもり10型」の絵入り広告が入ったポケットティッシュがあった。建更がどんなものかはリンク先を見て頂くとする。

 広告の絵はこんな感じだ。
 丘陵を開発した新興住宅地で新しそうな住宅が沢山建っているのだが、まだ所々が空き地になっているため造成したままの黄土色の地面が見えているところもある。
 その住宅地の真ん中に体高60メートルぐらいの全身鋼鉄でできたロボットが腕を振り上げて立っている。その姿は寸胴で足が太く腰には真っ赤に塗られたベルトをしている。ベルトには黄色い大きなリベットが打ち込んである。腕は宇宙家族ロビンソンフライデーのような伸縮自在になっており、指は円弧状のものが2本しかない。
 よく見るとベルトの上部分には手摺がついていてそこに人が立って手を振っている。胸には漢字で「建更」と書いてあり、その下には大きな窓が観音開きに開いている。この手のロボットでは胸の扉が開けばミサイルが出てくるものと相場は決まっているが、このロボットは「10」という文字が迫り出している。
 頭は切り妻型の家になっており、「妻」の部分が顔になっている。右目が四角い窓、左目が丸窓で中で照明が灯されている。口は玄関である。耳は換気扇の排気口で、その横にある屋外給湯器の上には3本の日の丸がはためいている。

 地上ではその団地の住人と思われる人々がそのロボットに向かって手を振っている。中にはロボットをビデオか何かで撮影している人もいる。ベルトの部分にいた人はこの住民の声援に対して答えていたのだろう。
 そしてロボットの背中からは後光が射している。

 広告文はロボットの頭上に黄色の枠取りをした赤い字で「JAの建更まもり10型」とある。広告の一番下には「火災・地震・台風・・・しっかり守ります」と書いてある。

 絵は水彩画だ。絵の感じや色使い、ロボットの描き方、どこかで見たことがある。昔懐かしい少年誌の挿し絵サンダーバードなどのプラモデルの箱の絵だ。これは小松崎 茂のパロディーだな、と思った。

 ポケットティッシュの大きさしかないので非常に見にくいのだが、絵の右隅に何かサインがしてあった。何と小松崎 茂本人のサインではないか。字の高さは1mm程度しかないが、「S.Komatsuzaki」のように見える。「S」は間違いない。「Komatsuzaki」は潰れて見にくいが筆の運びは小松崎である。

 恐らく大型ポスターの縮小版でポケットティッシュ用の絵ではないだろうが、こういう企画をした担当者とその企画に乗った小松崎 茂には敬服してしまった。そして小松崎 茂は85歳で現役であることも判って嬉しかった。

001007

 子供の宿題を眺めていたらこんな問題があった。

次の単位*1を直しなさい。

73dl=( )l( )dl

 dlはデシリットルでリットルの10分の1である。だから答えは7リットル3デシリットルであろう。しかしこんな表記を日常使うのだろうか。デシリットルもあまり使わないので「リットルデシリットル」という言い方は更に聞かない。

 そもそも「7リットル3デシリットル」という言い方は正しいのだろうか。65.5003kgを「65キログラム500グラム3ミリグラム」と言い直すのは聞いたことがない。「65キロ500」というのはあるかもしれない。

 例外がある。長さの単位では上記のような言い方をする。1.73mを「1メートル73センチ」と言うし、26.5cmは「26センチ5ミリ」と言う。ただ、「1メートル73センチメートル」「26センチメートル5ミリメートル」とはあまり言わない。

 小数点という便利なものがない頃は「1.8尺」を「1尺8寸*2」と単位そのものを変えて表記していた。今でも十進法以外の場合は小数点表示がしにくいので桁そのものを単位にしている。時間や時刻の表記がそうである。

 ところで73デシリットルを長さの単位のように言い直すのであれば「7リットル3デシ」となる。これは変である。「キロ」や「センチ」のような単位の桁を表す接頭語*3が、ある特定の単位として認識される場合は、小数点を使わなくても「1メートル73センチ」と冗長でない表現が出来る。

 しかし「デシ」や「ヘクト」のように接頭語としか認識されない場合は小数点を使わないとどうしても冗長で珍妙な表記になってしまう。



*1 標準
*2 Let's play bamboo flute
*3 語源探究雑学エッセイ集「コトバ雑記」 原子から宇宙まで

001006

 数年前に激安印鑑*1の新聞広告を見て通信販売で住所ゴム印*2を買ったことがあった。それ以来半年に一回ぐらいの割で印鑑の広告郵便が手元に届く。先日それを見ていたら面白い印鑑があった。

 TWINシリーズ*3という印鑑で一方には浸透印、他方には認印という構成の印鑑である。浸透印とは一般にシャチハタ*4印と呼ばれているもので、印面*5部分が浸透性の材質で出来ていてそこからインクがしみだしてくるのでいちいち朱肉*6スタンプ台*7を使わなくても印が押せるものである。シャチハタは名古屋にある会社の名前なのだが、ほぼ一般名詞として使われる。

 そのシャチハタ印と普通の認印を組み合わせた商品は一体どんな意味があるのか。朱肉を使わずに押せるシャチハタ印に朱肉が必要な普通の印鑑を組み合わせる事自体、機能の冗長ではないか、と思いたくなる。
 元々シャチハタ印は朱肉と印鑑を併せて持ち歩く必要のないところが受けて普及した。それを朱肉を常に必要とする普通の印鑑と組み合わせて商品化するのはかなり勇気がいるのではないか。

 ところが、印鑑を必要とする場面で「シャチハタ印不可*8」というのにしばしば出くわす。このような場面に円滑に対応するためには常に普通の認印とシャチハタ印の2本を持ち歩くのは誠に 不便である様な気がする。そんな場面に対応した商品である。
 普通の認印を要求するところでは大抵朱肉が設置してあるので、結局、朱肉を持ち歩く必要はない。従ってこれ一本で全てのビジネス局面に対応が出来る。でも、要らない。



*1 全日本印章業組合連合会
*2 【楽天市場】スタンプ工房デジはん
*3 2003年5月現在 株式会社 古山雄栄堂のサイトは消失
*4 Shachihata
*5 手彫り印鑑のできるまで
*6 ■スタンプ台・朱肉インデックス
*7 shachihataスタンプ台
*8 はんこ・印鑑の種類について/はんこ印鑑のインプレススクエア

001005

 以前、スケルトン*1の勘違いについて書いた。これに似た勘違い思い違いがある。

 ディズニーランドを「ネズミーランド*2」だと思っていたり、mikihouse*3を「ミキマウス」だと勘違いしている人が時々いる。ポケモンを「ボケモン」と思っている場合もある。

 こういう言葉を認識する柔軟性が年を取るとともに低下してくるような気がする。一度間違えて覚えるとなかなか直すことが出来ない。新しい言葉を覚えるとき語源を元に覚えれば間違いなく覚えられるのだが、「ネズミーランド」の場合は実際に「ネズミ」がいるところなので語源から間違えやすい。



*1 スケルトン
*2 Google 検索: ネズミーランド
*3 ★welcome MIKIHOUSE Web★

001004

 ヒクイドリを「低い鳥」だとずっと思ってきた。ダチョウに比べて少し小さい鳥なのでダチョウより少し「背が低い」鳥と勝手に解釈していた。「火食鳥、食火鶏」だった。どうして火を食う鳥なのか。頭部の形状が火を連想させるかららしいが、何とも不思議な名前の付け方である。殿様を喜ばせるために一所懸命考えたのだろうか。

001003

 境界に何故か魅せられる。境目を見たりするとドキドキしてしまう。裂け目ではない、境目である。物理現象でも境目を通過すると運動量が変化したりする。人間の感情も突き詰めれば物理的化学的反応であるから、運動量が変化してドキドキしてしまうのは仕方がないのかも知れない。

 日常出くわす境界は土地の区画線である。最も小さな区画は自分が住んでいる住居や自己所有の土地の仕切だろう。もしかしたら家の中にも家族それぞれの仕切があるところもあるかも知れない。これらの仕切は毎日跨いでいるので、それ程というか全く魅了されることはない。
 次の仕切は市町村の境界だろう。字(あざ)、大字(おおあざ)などもあるが、子供の頃はこれらの境界を越えることが滅多にないので隣町であることを示す標識を見たりすると少し興奮していた。しかし大人になった今はそんな興奮は味わえない。

 次に県堺や旧国界になってくると毎日越境すること場合が少なくなるので、これを越える瞬間は特別な気分になってくる。新幹線に乗っていて「この川を渡ると○○県に入るなぁ」とか、高速道路を走っていて△△県の看板が出てくると「もう△△県か」と感慨に耽ってしまう。

 関東地方や中部地方などの地方の境目だと更に嬉しくなってくる。電源周波数の50Hzと60Hzとの境目もうれしい。大人げないが、その境界を通過する乗り物から降りて境界を自分の足で跨いでみたいという衝動に駆られてしまう。

 そして一番大きな境目は日本では絶対見ることの出来ない国境である。日本の国境は全て海上にあるので、これがその国境です、と指し示し事が出来ないし跨ぐこともできない。

 数年前、筆者は海外でこれをやってきた。国境を自分の足で跨いできた。場所はドイツとオーストリアとの国境である。新婚旅行の際、妻と二人でノイシュバンシュタイン城を見た後、オーストリアの国境まで歩いて行った。国境には遮断機や詰所みたいな建物はあったが警備の人はいなかった。そこでドイツとオーストリアとを同時に踏んできた。多分、国境の上に立っていたと思う。とても嬉しかった。

001002

 AMGと言えば、BENZ車のチューナー会社である。チューナーとは現状生産されている自動車を自動車メーカーから直接買い付けて、エンジン、サスペンション、内外装などを改造して販売する業者のことを言う。

 AMGはドイツの会社なのでどう読むか迷うところである。AMGの日本の総合販売店は「エーエムジージャパン」と英語読みで読ませている。

 巷の一部ではAMGは「ドイツ語でアーマーゲーと読む」と伝えられているが、これは全くの間違いである。何故、ドイツ語の「M」が「マー」と読むと伝えられてしまったか。AMGをドイツ語で読むなら「アーエムゲー」である。

 「AMG」はAufrecht und Melcher in Grossaspachの頭文字であるようだ。だがこのAufrecht und Melcher in Grossaspachを略して「AMG」になった訳ではない。最初から「AMG」らしい。AufrechtとMelcherとがGrossaspachで商売を始めたということである。「M」は「メルヒャー」の「M」だから、語源からしても「M」を「マー」と読む理由がない。

 日本語をローマ字表記した場合、「あ」は「a」、「ま」は「ma」、「げ」は「ge」となる。従って「AMG」の読み方を上の類推から「A」は「アー」、「G」は「ゲー」と読んだのだろう。「G」は「ガー」と読み違えてもよさそうだが、ドイツ→ゲルマンの類推が働いて、「ゲー」とうまく読めたのかも知れない。
 問題は「M」であった。 前後をローマ字表記の類推で読んでいたので、「M」もそれに倣ってしまった。「マー」と読んでしまったのは母音を伴わない子音の綴りを中学生が英単語をローマ字読みで覚える時と同じように、代表的な日本語の母音「あ」を勝手に補ってしまったからであろう。

001001

 トランジスタ*1は発明されたのだろうか、発見されたのだろうか。

 発明*2は新しく考え出し、作り出すことである。発見はまだ誰も知らないことを初めて見いだすことである。トランジスタの場合、あまりにも世界に影響を及ぼしすぎているので単なる仕組みの発明で片付けられないような気がする。

 しかもトランジスタは電球や印刷などの機械的な組み合わせによる新しい仕組みではなく、半導体結晶の性質の特性を引き出すような仕組みである。
 トランジスタの発明のきっかけは電話交換機の信頼性の向上であった。まだトランジスタのない頃は遠隔地からの来る電話の音声を増幅する手段は真空管*3に頼っていた。また急激に増大する電話回線の切り替えスイッチをどうするかも課題となっていた。

 ベル研究所*4の電子管部長だった マービン・ケリー*5は後にトランジスタを発明した三人*6のうちの一人となるショックレー*7を呼び、こう言った。「いくら年月がかかってもいい。真空管と全く違った概念の増幅器を作って欲しい」
 当時、鉱石検波器という結晶を使ったレーダー用の固体電子素子があった。検波作用は真空管でも実現できたが、レーダに使う信号は微弱で高周波なので検波するには高性能な鉱石検波器が使われていた。ショックレー*8は次の増幅器は結晶を用いたものだと考えたのであろう。この検波器の性能を高めるには結晶がどうあるべきか、結晶の電子的性質の本質は何かを研究していった。

 研究の途中である仮説が考え出された。結晶というものは内部とその表面では電気的な性質が違うのではないかと考えたのは、ショックレーの部下でありもう一人のトランジスタ発明者となるバーディーン*9であった。この仮説を証明するため、色々実験している内に三人目の発明者となるブラッテン*10のちょっとした実験の失敗から、ショックレーは結晶の増幅作用発見のきっかけを見出した。

 そしてついにトランジスタ作用*11はショックレーらの鋭い洞察力により発見された。つまりもともと半導体結晶に備わっていた特性を才能のある研究者が見つけ出したのである。

 夏目漱石*12夢十夜の第六夜*13に出てくる仁王を彫る運慶*14のようなものである。もともと木の中に潜んでいる仁王の像を鑿を使って土の中から石ころを出すように間違いなく彫り出していくのと同様に、もともとある結晶の性質を正鵠を射た研究方法によって掘り出していったのである。

 結晶の電気的な増幅作用を取り出すためのトランジスタの仕組みは自然そのものではないが、こう考えていくとやはり発明というよりは発見されたと言った方がいい。



*1 トランジスタって何?
*2 特許法
*3 真空管 ラジオ のページ
*4 Bell Labs Innovations
*5 Bell Labs After the War and the Discovery of the Transistor
*6 John Bardeen
*7 Shockley Invents the Junction Transistor
*8 TIME 100: Scientists & Thinkers - William Shockley
*9 John Bardeen
*10 Walter H. Brattain - Biography
*11 トランジスタって何?
*12 現在製造しているお札
*13 夢十夜
*14 学報1 運慶の作品



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