雑記草検索                 

使い方 かつ または
表紙 目次 リンク集 掲示板 メール 遺構探訪

0104雑記草


前へ 次へ
010401

 日本で出版される書籍は特別な場合を除いて、どこでも同じ値段で売られている。これは市場原理に従ってこのような状態が作り出されているわけではなく、ある制度によって消費者がどこで買っても同じ値段になるようになっている。その制度は著作物再販売価格維持制度と呼ばれる制度で略して「再販制度」といわれている。

 この再販制度というのは独禁法又は独占禁止法と一般に呼ばれている「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」で規定される制度である。

 事業者は健全な市場原理によらない不正な取引をして、消費者が不利益を被るような行為をしてはいけない、とこの法律にある。例えば、非常に人気のある商品を安売りされると製造業者の利益が減るからと言って、卸や小売りに販売価格を指定して安売りできないように製造業者が何らかの圧力をかけると、その製造業者は法律によって罰せられるのである。

 再販制度はこのように販売価格を指定するために製造事業者が小売り事業者に圧力をかける行為をしても独禁法で罰しないという、法律の適用除外をするための制度である。

 ある事業者Aがある事業者Bに対して物を販売し、更に事業者Bが値段を付けて販売する時の値段を「再販売価格」という。再販売価格の「再」というのは事業者Aから見て事業者Bが「再び」設定する販売価格、と言う意味である。

 本でいえば出版社が取次店に対して書籍を売るときに書店に卸す時の値段を設定することであり、取次店が書店に対して書籍を売るときに消費者に販売する値段を守らせるのである。その価格を守らせるために再販売価格維持契約を結ぶのだが、一般の商品の場合、この契約自体が独禁法で禁止される行為である。ところが本やCDなどを販売する場合は、適用除外によってこのような契約は違法ではないことになっている。

 従って書店は本の安売りが法律で禁止されているわけではなく、安く売ると契約違反となり本を仕入れられなくなったり、制裁金を払わなくてはならなくなったりするので安売りをやらないのである。

010402

 特許を申請するときは個人(自然人)であれ、法人であれ特許庁長官から付与された「識別番号」が必要である。この番号には名前や名称、住所や居所が情報として記録される。また出願や申請に使う印鑑の印影も情報となる。

 識別番号が付与されると請求すれば識別ラベルというシールが特許庁から発行される。このシールはバーコードと識別される者の名称が記載されているだけである。これは特許を出願するときなどに提出する書類に押す印鑑の代わりに貼る。

 この識別番号は申請すれば誰にでも付与される番号である。公の機関が無条件で何らかの番号を付けるのは今のところ、この特許庁長官が付与する識別番号だけではないだろうか。自動車等の免許証や様々な許可証の番号は何らかの試験に合格するか資格がないと与えられない。

 国民健康保険年金受給者番号などは働いていたり結婚したりして民法上成人と見なされているか20歳以上でないと加入できないだろう。加入しなければ番号は付けられない。ところで国民健康保険の場合、身よりの全くない子供はその子供自身に単独で国民健康保険証が発行されるのだろうか。

 ところが、特許庁長官が付与する識別番号は全くその制約がない。未成年でも特許出願が出来る、筈である。0歳の赤ん坊にでも番号は付与されることになる。特許庁長官が付与する識別番号の請求書には年齢を書く欄はないので、やはり人間もしくは法人であれば問題がない。

 因みに特許では「発明者」と「出願人」というのがあって、この「識別番号」は「出願人」に付与されるものである。発明者と出願人との違いは前者はその特許を発明した個人で出願人はその発明の特許を出願した人もしくは法人である。発明者は個人の名前でしか表示できないが、出願は個人でも法人でも出来る。発明「者」、出願「人」の違いはこういうところから来ているのかも知れない。そして特許の権利は出願人にあって発明者にはない。

010403

 現在、日本で発行されている貨幣は6種類ある。その中で10円玉と5円玉の品位、つまり合金の割合には幅がある。この謎については先日記事にした。

 貨幣の品位は法律で決められている。作る度に品位が変化してしまうようでは国の信用が疑われてしまうだろう。ところが10円玉と5円玉は、それぞれの品位が10円玉は銅95%亜鉛4〜3%すず1〜2%、5円玉は銅60〜70%、亜鉛40〜30%になっている。他の貨幣はちゃんと割合が一定になっているのに。

 わざわざ幅を持たせる理由は何だろう。うまくピッタリ配合できないからだろうか。そんな筈はない。他の硬貨はちゃんと合わせているのだ。材料の高騰や不足で硬貨が変更されるということはかつてあったらしいが、元々10円や5円に配合されている金属が高騰になったり不足になったりしているとは考えにくい。それに少々品位を変更する程度で配合する金属材料の高騰や不足を吸収できないだろう。

 どうしても判らないので造幣局に尋ねてみた。現行の5円玉と10円玉は終戦から間もない昭和20年代に製造が開始された。貨幣の材料として戦時中に使用された弾丸の後ろに付いている薬莢を溶融して利用したらしい。この薬莢は銅と亜鉛の合金で出来ているのだが、大砲の場合、銃の場合、また海軍や陸軍によって合金の配合の比率が異なっていたため、貨幣の方で品位に幅を持たせて戦争の残骸を有効に使えるようにしたようだ。

 終戦直後の事情によるのであれば、いつ頃からかは判らないが、薬莢が底をついた時からは品位は一定で製造されているはずである。

010404

 電気には正と負の2種類があることが知られている。1733年にフランスの科学者デュ・フェイ*1が言い出した。それまでは電気にどんな種類があるか判らなかったわけである。というより電気に種類があることなど判らなかったのだろう。電気という物は、例えば琥珀*2を毛皮で擦ったときに琥珀が埃などを引きつけたり飛ばしたりする現象が電気と思われていた。

 この現象は摩擦によって「電気の素」が発生し、それが物を引きつける能力を発現すると考えられた。この「電気の素」が何種類あるかはどのようにも考えることが出来たはずだが、デュ・フェイは様々な物質の摩擦電気*3の引力や斥力の関係から、「電気の素」は二種類あるとし、ガラスを擦って発生するものを「ガラス電気」、琥珀を擦って発生する電気を「樹脂電気」とした。これらは接触によって物質間を移動すると考えられた。

 これに対して雷の実験や避雷針*4の発明で有名なアメリカのフランクリンは、「電気の素」は一種類と考えた。摩擦によって「電気の素」が移動することで二種類の状態が発現するとした。そしてここが重要で、フランクリンは「ガラス電気」の状態を「電気の素」が過剰となった状態、即ち「正」として、「樹脂電気」の状態を電気の素が不足となった状態、即ち「負」と決めた。

 「電気の素」が流れる現象を電流と呼んだ。電流は過剰となった正の状態から負の状態へ流れて電気が中和されると考えると実際の現象と一致し、非常に合理的であるため、フランクリン式の「正負(プラスマイナス)」が定着した。

 1889年トムソン*5によって電気伝導の担い手である電子が放電管の中で発見された。放電管の電極から放射される未知の放射線が電気を持つ粒子であることを突き止めたのである。放電管の中の放射線に正電極を近づけると放射線が近づき、負電極を近づけると放射線は遠ざかるので電気を持った粒子は「負」の電気を持つことが判った。つまり電流の担い手である電子はフランクリン式でいえば「負(マイナス)」ということになった。

 「電気の素」である電子の電気が「正」ではなく「負」のままになったのはフランクリン式が科学の世界で定着しすぎたためだろうか。これによって電流の方向と電子の流れる方向は逆となった。元はと言えばフランクリンがガラスに帯電する「ガラス電気」を「正」としたためにこういう事になった。

 それにしてもフランクリンは何故「ガラス電気」を「正」としたのだろう。硬貨を投げて決めたかどうかは定かではない*6。たまたまそう決めてしまったのだろうか。

 こう決めたのは当然なのである。電気electricの語源はギリシャ語で琥珀を意味するelektrikからである。イギリスの物理学者ギルバート*7が16世紀に琥珀を擦ると物が引きつけられる現象をelektrikと呼んだのが最初だった。 
 フランクリンはこの「電気」の由来を知っていた筈である。知っていたので、電気の出発点である琥珀を毛皮で擦ると「電気の素」が毛皮に移動して「樹脂電気」の状態になるのを「負」としたのである。電気の起源である琥珀を毛皮で擦ることで抜け出る「物」を「電気の素」とするのは当然である。そして一種類しかないと仮定した「電気の素」の正負を考える必要はなかった。

 以上から「電気の素」が抜け出た状態になった「樹脂電気」を「負」、「電気の素」が入り込んだ状態になった「ガラス電気」を「正」としたわけである。電流の方向と電子の流れが逆になってしまったのは電気発見の起源が琥珀だったことに由来している。



*1 Internet Archive 電気の歴史
*2 琥珀堂
*3 秋田県本荘市立南中学校 平成3年度「摩 擦 電 気 の 研 究」
*4 日経サイエンス1997年10月号 レーザーで雷撃制御
*5 J.J.トムソン
*6 The Exploration of the Earth's Magnetosphere The Direction Assigned to Electric Currents
*7 William Gilbert

010405

 ジレンマはdilemmaと綴る。di+lemmaである。「di」は2つ、「lemma」は仮説である。このジレンマに倣ってトリレンマtrilemmaという言葉がある。「tri」は3を表す接頭辞である。三者択一を迫られた窮地、という意味である。

 四者択一のテトラレンマtetralemmaという言葉はあるのだろうか。ここまではあるようだ。5以上の接頭辞+lemmaは一般的ではないが、web上で検索すると出てくるので使われないこともないようだ。

010406

 2の平方根は「一夜一夜に人見頃」、3の平方根は「人並みに奢れや」、5の平方根は「富士山麓鸚鵡鳴く」という数値を覚えるための語呂合わせがある。

 学生の頃何の疑問もなくこれらの語呂合わせを覚えたが、よく考えてみれば、これらの値は日本語に合わせるために決められたわけではなく、たまたま意味のある日本語らしく聞こえるような数字の配列になっていたのである。これはこれで結構、不思議である。

 日本語はそれだけ語呂合わせに柔軟な言語なのだろう。日本語の音節の数が欧米の言語に比較して極端に少ないからそうなるのだろうか。モールス符号や二進法のように二つの音節さえあればしゃべり言葉は構築できる。そうなればもっと語呂合わせがしやすくなるのかもしれない。

 円周率は「産医師異国に向こう、産後厄無く産婦御社に、虫散々闇に鳴く」、自然対数の底は「鮒、一杯二杯、一杯二杯、至極惜しい」とこれらの定数の語呂合わせも日本語らしく聞こえる。では「ひふみ、よごむな」は何か。何となく日本語みたいだが、意味は全く通じない。1234567を語呂合わせ風に読んだだけである。

010407

 ある雑誌を読んでいたら、おもしろい時計の紹介があった。男心をくすぐる機構を持った時計である。

 時計の動力源としては様々なものが利用されている。ゼンマイ時計はゼンマイ、鳩時計などは錘、電気式の時計は電池であったり家庭用100Vであったりする。腕時計の中には充電池に太陽電池で充電*1したり、自動巻腕時計についている回転する錘で発電機を回し発電して充電池に充電するもの*2もある。もっと変わっているのでは電波で電磁エネルギーを時計に送り、それを腕時計の中で電気に変換して充電するもの*3もある。

 腕時計の電池を交換するのではなく、外からのエネルギーで充電する機構はそれなりに男心をくすぐるのであるが、何か安直な気がする。時計の針を動かすのにゼンマイの代わりに電池とモータを使うという発想に安易なところがある、ともともと感じている。自動車のエンジン制御がどんどん電子化されるようなものでつまらない。やはり機械は最後まで機械機構で制御するのが粋である。

 紹介されていた時計は置き時計で1926年に発明された。Atmos*4という名の時計でジャガールクルトJaeger-LeCoultre*5という有名時計メーカが生産している。動力源は気体の温度変化による膨張収縮を利用している。時計自体はゼンマイで動く*6。ゼンマイを巻くのに気体の膨張収縮を利用している。

 蛇腹*7を持った金属製の密閉容器にある気体と液体の混合物を入れておく。気温が変化するとこの密閉容器の中の気体が蛇腹をアコーディオンのように膨らませたり縮ませたりする*8。この力を利用してゼンマイを巻く。15℃から30℃の室温状態で1℃の温度変化があれば48時間動く。

 平和鳥もしくは水飲み鳥*9と呼ばれる玩具に匹敵する清々しいほどの駆動機構である。特別なエネルギーは一切使っていない。地球に降り注ぐ太陽からの光によって発生した気象エネルギーだけで動くのである。殆ど永久機関だ。温度差で発生するエネルギーはそれほど多くないので時計の機構はできる限り滑らかに静かに動くように作られている。たとえば時刻の基準となるテンプは1分に1回しか往復しない*10。エネルギーを消費しない度合いは、この置き時計を6千万台同時に動かしたとしても消費されるエネルギーは15Wの電球のそれよりも少ないらしい。

 精密に作ってあるだけではなく、摩耗もほとんど無いので耐用年数が優に600年に達するようだ。ただ最近は大気汚染の影響があるので20年に一度は点検に出した方がいいとしている。

 それにしても6千万台とか耐用年数600年とか1℃で48時間とか景気がいい話がぞろぞろ出てくるのはやはり「粋な構造」だからだろう。



*1 エコ・ドライブの構造と機能
*2 K I N E T I C の 駆 動 原 理
*3 電磁誘導式無接点充電アナログウォッチREQ
*4 Perfect Tyme - Atmos (Jaeger-leCoultre) Clocks
*5 Jaeger-LeCoultre - Bienvenue - Welcome - Willkommen
*6 アトモス/ジャガールクルト
*7 Atmos Clock: Replacement of Old Bellows
*8 Atmos Clock | Le Coultre Atmos Clocks | Mark's Atmos Clock Web Site http://www.abbeyclock.com/gbk/aatm21.html
*9 ああ懐かしの玩具たち
*10 Mike's Clock Clinic's Atmos Clock Caliber 540 Parts Page

010408

 先日、日本語の語呂合わせに対する柔軟性を話題にした。

 円周率を1000桁まで覚える方法を見つけた。これは凄い。覚えてどうなる、という声が聞こえてきそうであるが、意味がないところに意味がある場合も沢山ある。

 だいたい1000桁まで覚えようというのが奇特である。500桁目の数字が間違っていても実生活でも、科学技術の世界でも全く問題はない。数学の世界では問題が出るだろうが、間違えて大騒ぎになるのは精密数値計算の分野ぐらいかもしれない。

 ではどういう時にこの1000桁の円周率が役に立つか。それは人が集まったときにこの知識を披露する時だけであろう。例えば数学の授業の時に円周率は無理数で循環小数になっていないということを示そうとする。先生が黒板に「3.14159265・・・」と延々1000桁も書き出したら、生徒達はびっくりするだろう。

 しかしこれが円周率の真値と合っているか間違っているのか生徒には判らない。高校生の頃、学校にプログラムはできるけど命令文が50行位しか記憶できない電卓のようなコンピュータがあった。確かイタリアのオリベッティ社製だったと思う。当時は日本のパソコンの先祖のようなものであるNECの「TK-80」などが登場した頃である。

 このおんぼろコンピュータで計算できる円周率はせいぜい20桁ぐらいで、桁数を増やすためにはメモリーを増やすしかないのだが、そんな自由度がある設計にはなっていない。もしかしたら磁気コアメモリーを使っていたのかもしれない。これでは使用者が自由にメモリーを増やすのは困難である。しかし筆者は円周率の数百桁分をこのコンピュータに出力させたことがある。最初の20桁は本当の円周率の値であったが、それ以降は乱数発生機能を使って数字の羅列を出力させただけだった。だれもこの円周率計算の出力結果を疑う者はいなかった。

 先生が黒板に円周率を1000桁書けば、かつての筆者と同じ発想の生徒は必ずいるのだろうから「本当に合っているのか」と言い出すかもしれない。それに対処するため先生は

「そんなことはありません。ここに円周率の数表があります。これと照らし合わせれば間違っていないことが判ります。凄いでしょう」

といいながら円周率の計算結果を書いた紙か本を取り出す。1000桁記憶術を披露するために、常に検証用の計算結果を持ち歩く。パームトップ端末機を使いこなすために取扱説明書や参考書を持ち歩くようなもので、かなり虚しいような気がする。

 パームトップの場合は本質を履き違えた例であるが、円周率1000桁は本質も何も初めからない。全く意味がないのである。しかし計算結果は持ち歩かない方が粋だ、と言える。

010409

 先日、公の機関が無条件で個人の番号を付与するのは特許庁の識別番号だけではないか、と書いた。

 考えてみたらパスポートもおそらく無条件だろう。しかしこれは申請するのに費用が必要だし、失効すれば番号は変化する。特許庁の場合、恐らく死ぬまで失効はないし、発行には手数料は必要ない。

 ところでパスポートには赤と紺と緑と茶がある。緑色と茶色は公務で使う場合の旅券で、緑色は外交以外の公用で海外に渡航する場合に発行される旅券らしい。海外青年協力隊に行った知人が教えてくれた。

010410

 腕時計にはよくカレンダーが付いている。日付だけのもあれば月と曜日まで表示できるものもある。中には2100年2月28日まで大の月、小の月閏年の修正がいらないカレンダー付きの腕時計もある。

 もっと凄いのがあった。IWCというスイスの時計製造会社が発売している「Da Vinci」という時計である。この時計は何と西暦2499年12月31日まで、西暦年の4桁表示、月、日、曜日が無修正で表示できる。しかもこれを純粋に機械で行っている。

 大の月、小の月、閏年機械的に判別して表示するのである。これはどういう機構になっているのだろうか。大小を区別する歯車が内蔵されていて、この歯車の歯の切り込みの深さで月末が28日か29日か30日か31日かを区別できるようになっている。閏年を含めれば月の大小は4年周期になる。従ってこの歯車は4年かかって一周する。

 更に西暦を表す文字盤を動かす歯車は10年かかって一周する。西暦の上二桁の表示は回転板ではなく、説明図で言うと上下に移動する板になっている。この表示板が「19、20、21」しか表示されていないのは、移動する余裕がないためで、現状のままでは2199年12月31日まで表示できない。2200年からはこの表示板を取り替えが必要となる。

 修正はこの時だけではない。グレゴリオ暦では100で割り切れる西暦年は閏年にしない。2100年は4年周期では閏年であるが、100年周期で閏年ではない年になる。「Da Vinci」は100年周期までは対応できないので2100年3月1日に日付を修正しなければならない。つまり「Da Vinci」にとって当日は閏年なので「2100年2月29日」と表示しているので1日進めなければならない。

 この作業は内部の調整を必要とするらしいので、これまた時計職人の手がいる。日付の表示機構から見て単に1日進めるだけよさそうな気がするが、そうではないらしい。

 電子的に「100年周期の閏年ではない年」の区別は簡単にできるだろう。しかし今から100年後に腕時計に内蔵されたIC回路が動作するかは全く保証がない。配線などが腐食して恐らく動かなくなるだろう。機械式腕時計であれば100年後、200年後、500年後のカレンダーはある程度意味があるが、電子で制御されている腕時計の100年後までのカレンダーは全く意味がない。

010411

 モノリシックIC製造工程の専門用語にLOCOSというものがある。LOCal Oxidation of Siliconの略で選択的にICの基板となるシリコン単結晶の表面にその熱酸化膜を形成する技術である。

 モノリシックICやLSIはシリコンの単結晶の表面に何百万個というトランジスタが作り込まれている。このトランジスタが十数ミリ角のシリコンの単結晶のチップに納められているわけである。これらのトランジスタが全体で電子回路として機能するためにはそれぞれが電気的に分離されていなければならない。トランジスタが分離されていると言うことは、隣同士のトランジスタが電気的に影響し合わないことである。隣のトランジスタに電流が漏れて流れないようにしなければならない。

 そのためにトランジスタとトランジスタとの間に仕切を設けてある。基板の単結晶シリコンを熱で酸化して作った膜であり、その膜はトランジスタ一つ一つがある部分以外のシリコン単結晶の表面を覆っている。表面に膜を置くだけで電気的な仕切ができるのは、シリコン結晶中を流れる電流はその表面近くだけを流れるので、電流が流れない酸化膜が表面にあれば仕切として作用する。ただしこの仕切が通用するのはMOS型トランジスタと呼ばれる電流がシリコン単結晶の表面近くだけ流れる方式のものだけである。他の方式のトランジスタでは仕切にならない。

 この「LOCOS」は何故「LOCOS」と略されたのだろう。「部分的にシリコン単結晶を酸化させる」という意味の中で「部分的に」の「LOCal」で3文字も略語の中に組み込まれている。普通、「LOCal Oxidation of Silicon」であればそれぞれの頭文字で「LOS」のような気がする。

 それに「of Silicon」とあるが、モノリシックICやLSI製造工程で「酸化する」と言えば「シリコン」しかないのである。なのにわざわざ「シリコンの」と付けている。

 もしかしたらLogos(理性)の洒落にしたかったのかもしれない。そのためにわざわざ「LOCal」の3文字と「of Silicon」の「S」を付けたのだろうか。それともLOCOSを開発した技術者は機関車好きでlocomotiveの略語の複数形locosを当てたかったかもしれない。しかしわざわざ「s」を付けて複数形にする理由がない。重連が好きだったのだろうか。

010412

 以前、只で無制限のファイルスペースを貸してくれるところを紹介した。ここは最近つぶれたようだ。全くアクセスできなくなった。

 本業のファイルスペースとして使っていた。表示速度が遅かったり、アクセスが上手くいかなくなることが頻発していたので、少し心配になってミラーサイトを作っていた。将来はこちらに移行するつもりであった。

 やはり「只」で「容量無制限」で、しかも「バナー広告なし」というのは事業として少し難しかったようである。

 ここの収益の仕組みは次のようだったと考えられる。基本的には広告収入のみであるが、貸し出したファイルスペースの内容を表示する際にはバナー広告を出さなかった。これがここの「売り」だった。この業者は貸ファイルスペース業界の将来は「無広告、容量無制限」が当然になってくると主張していた。それに先駆けていたわけである。

 その代わりバナー広告はこの事業者のサイトのみで表示されていた。そしてファイルスペースを借りた人はファイルの転送はFTPではなくこの業者のサイトからHTTPで行わなければならなかった。更に1ヶ月以上更新をしないとファイルが消されてしまう契約だった。つまりファイルスペースを借りた人は1ヶ月に一度、必ず業者のサイトを訪れなくてはならない。

 ここでファイルスペースを借りる人が爆発的に増えれば業者のサイトへのアクセスが増えて、広告のクリック率が上がるが、やはりwebサイトを運営する人の数はそのwebサイトを見るだけの人より圧倒的に少ない。これでは広告主は広告を出せない。

 残念ながらこの試みは失敗に終わったようだ。

010413

 このサイトではリンクを沢山貼っている*1。「貼る」が適当か「張る」が適当かはいろいろ議論があるが、筆者は何かに紙みたいなものをひっつけるのを「貼る」と表現するのが好きなので、「リンクを貼る」といつも書く。「張る」だと障子を張るみたいで何となく違うような気がするが、実際はどちらでもいい。

 古い記事を読み返しているとリンクが切れてしまっているものがかなり増えてきた。以前、リンクの見直しをしなければならない*2と書いたが、リンクの切れ具合は更に深刻になってきた。

 このリンクの仕組みは欧州核研究所CERN*3で発明された。電子的に記述された文章中で他の文章が参照できるようにした仕組みをリンクという。

 CERNに集まった世界中の研究者はそれぞれが自国で使っていたOSや記述ソフトで文書を蓄積したものを持ち込んでいたので、電子文書のまま他の研究者の文書を参照しようとするといちいちソフトの変換が必要であった。あまりにもこの作業が研究の本質とかけ離れていたため、ある研究者*4が論文の参照を容易にするためにリンクという仕組み*5を作り、CERNの研究者に電子的に記述する文書の統一を呼びかけた。参照先がどんどん辿れて、まるで文書が蜘蛛の巣を張り巡らしたようなので、この仕組みをwww*6と呼んだ。

 このお陰で雑記草がある。しかし大前提はリンク先に文書が存在することである。論文などの参照先がころころ変化していたのでは折角のwwwの意味が薄れる。また学術論文は参照されることが目的でもあるので、文書の場所を変えることはできるだけしないようにするだろう。

 一方、現在の多くのwww上のサイトは泡沫のように生まれては消えていく。場所もどんどん移動する。

 雑記草ではリンクを設定するに当たって検索を何度も繰り返す。そして、これは面白い、と思われるサイトをリンクする。リンク先を探すのにもそれなりの労力がかかるのである。そしてしばらくしてそのリンク先を見ようとするとつながらない、ということになっている。非常に残念である。

 記事中のキーワードがそのままリンク先のキーワードと一致する場合は探し直すことができるが、「ここ*7」という単語のリンク先が切れてしまうと探し出すのはかなり困難になってくる。

 リンクが切れることを前提として、どんな内容のサイトにリンクしたかが判るようにしていく必要があるかもしれない。たとえば脚注を付けているここ*8が参考になる。



*1 リンク
*2 切れたリンク(2)
*3 CERN - Public home
*4 MacWIRE:「ウェブの発明者」Tim Berners-Lee氏にインタビュー
*5 World Wide Web Consortium
*6 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - World Wide Web
*7 雑記草語句検索【か】
*8 ZDNet: NetLife - WebGuide「今日は何の日?」

010414

 「あたりき しゃりき せんめんき けつのあな ぶりき」という慣用句があった。「あたりき しゃりき くるまひき」とか「あたりき しゃりき の こんこんちき」とも言う。

 「き」で韻を踏んでいる。そういえば「エッチ スケッチ ワンタッチ」というのもあった。地方によっては「エッチ スケッチ マイペット」というらしい。しかしこれでは韻を踏んでいない。何故、「マイペット」なのか。このマイペットとは花王*1の「マイペット*2」のことであろう。ワンタッチがマイペットになってしまったのは、恐らくマイペットが発売されたときの「お掃除簡単。ワンタッチマイペット」というような広告文案からだと想像される。この文案中の「ワンタッチ」とは「扱いが簡単」という意味である。

 「あたりき しゃりき くるまひき」は「当たりき 車力 車引き」で車力とは大八車で荷物を運ぶ人のことである。そして「車」でつなげて「車引き」となる。車引きとは人力車を引く車夫のことである。浄瑠璃の車引き(くるまびき)*3ではない。「こんこんちき」は何か。新明解国語辞典*4によれば「・・・どころではない」の意味で添える言葉とある。語源がはっきりしない。「この畜生」が変化した「こん畜生」がコンチキショウに訛って、更にコンチキと短くなり、そのコンチキを強調するために「コン」を重ねてコンコンチキになったのか。

 元々「当たり前」という言葉は、「当然」が「当前」と書き換えられたのを訓読みしたものであるらしいが、「あたりき」は「当然」を訓読みして「あたりしかり」、更に「しかり」が「き」に変化したのではないだろうか。

 最初の「あたりき しゃりき せんめんき けつのあな ぶりき」は「当たりき 車力 洗面器 ケツの穴 ブリキ」である。ケツは尻のことで、漢字で書くと「穴」になる。車力以降の洗面器とブリキは「き」で韻を踏んでいるだけである。「あたりきしゃりき せんめんき」で七五調になっている。

 「ケツの穴 ブリキ」では調子が崩れている。しかも「ケツの穴」は韻を踏んでいない。ブリキで韻を踏むために「ケツの穴」を登場させている。ケツの穴から出るのは「ブリッ」だからに違いない。

*1 主に生活用品の製造業者
*2 家庭用洗剤
*3 「菅原伝授手習鑑」第三段の最初の場面の通称
*4 三省堂の国語辞典

010415

 工業製品の中で、時計ほど同一基本機能で価格の差が大きなものはないと以前書いた*1。つまり時計は時刻を示す機能を1000円以下でも実現できる一方、1000万円以上の値段がついているが、時計の機能しかないものもある。価格の幅が大きい工業製品は価格が高くなるとその機能以外に、装飾としての価値が出てきたり、社会的地位を誇示できたりする。自動車もその類だろう。しかし1000円以下の自動車はない。自動車としての機能を実現するためには数10万円は必要である。

 宝石などをちりばめれば値段はだんだん高くなっていくが、これは時計だけではなく自動車でもカメラでもパソコンでも同じことである。ところが時計は宝石をちりばめなくても価格の幅が10000倍以上にもなる。自動車やパソコンではそうはならない。

 最近、凄い時計を見つけた。775万ドルの懐中時計*2である。特に宝石が装飾されているわけではない。カレンダーや月齢表示、日の出日の入り時間の表示が付いているだけで普通の時計とそれほど変わらない。これを機械的に表示するのは機構が少々複雑になるだろうが、もの凄く難しいわけではないだろう。機能だけからすれば電子的に簡単に出来る。材料の値段にしてもすべて金で作ったとしても1g1000円*3程度なので時計の重さが200gだとしても20〜30万円程度だろう。

 それにしてもどう考えれば775万ドルという値段*4が付けられるのだろう。その値段で買う人が納得する価値がなければならない。売れない価格設定は全く意味がない。時計に何があれば750万ドルという値段に購買予定者は納得できるのだろう。

 しりあがり寿*5の「少年マーケッター五郎*6」という漫画は小学生が経営するマーケッティング事務所が舞台となっている。シャンプーの売り上げに伸び悩む社長が五郎のところに相談に来る。五郎は億万長者向けに一本一億円のシャンプーの開発を進める。年間10本売れば売り上げ10億円になるわけだ。

 この値段設定の途方もなさが漫画の面白みなのだが、この懐中時計を作っている会社*7はそれを地で行っているような感じがする。この自信はどこから来るのだろう。

*1 BLANCPAIN(ブランパン)の時計は¥10,500,000(消費税別)
*2 スターキャリバー2000
*3 三菱マテリアルゴールドパーク
*4 Robb Report's luxury gift list 'less conspicuous' ム but still expensive
*5 漫画家。経営する会社名「(有)さるやまハゲの助」
*6 サラリーマン3部作の3部目。他は「流星課長」「ヒゲのOL」
*7 パテック・フィリップ。スイスの時計製造会社

010416

 イタリアにブルガリ*1という有名宝石店がある。宝石だけではなく家庭用日用雑貨*2*3香水*4腕時計*5などもある。

 ブルガリはBvlgariと綴る。創業者はSotirio Bulgari*6。BvlgariとBulgari。家の名前はBulgariでBの次は「u」だが、店の名前はBvlgariでBの次は「v」になっている。

 もともとローマ字の「u」は「v」から出来た文字*7で昔は母音を表す時でも「v」を使っていたらしい。だからBvlgariの「v」は母音として読むべきである。「ブヴルガリ」でもなく「ヴルガリ」でもなく「ブルガリ」と読む。何故、「v」なのかは筆者には判らない。「v」はvictoryに通じるからだろうか。イタリア語*8ならばvittoriaのようだ。

 ブルガリのサイトのURL*9は「http://www.bulgari.com/*10」でbの次は「u」となっている。これは家の名前を尊重したのか、「www.bvlgari.com」を先に登録されてしまったからなのか。

*1 BVLGARI COMTEMPORARY ITALIAN JEWELLERS
*2 食器など
*3 牛革の鞄
*4 母子で使う香水がある
*5 ScubaとScuba Chronoは200m防水。他は一部を除いて30m防水
*6 The History of BVLGARI
*7 17世紀の間に「u」は母音に「v」は子音に用いるようになった
*8 イタリア語・入門の入門
*9 Uniform Resource Locator
*10 Best viewed with Internet Explorer/Win, Netscape/Mac

010417

 愛知県*1小牧市*2田県(たがた)神社*3に昔から伝わる奇祭がある。豊年祭*4と呼ばれる祭りで巨大な木製の男根の御輿を担いで練り歩くのである。この田県神社のすぐ近くには大県(おおあがた)神社*5という神社があり、ここは女性の方が祀ってある。ここも小牧市である。

 ついでに小牧市内には間々(まま)観音*6という乳房の観音*7があり、参拝すると母乳がよく出るようになるという。

 これらの名所は一直線に並んでいる*8らしい。

 田県神社の豊年祭*9は海外にも名を轟かせており、「Penis Day*10」として紹介されている。

 説明文中では東京から「南に250マイル」とあるが、「西に250マイル」の間違いである。

*1 愛知辞典
*2 名古屋市の北にある
*3 田縣神社と書く
*4 毎年3月15日
*5 姫の宮と言われる
*6 付近の地名も間々。間々の発音は「ママ」ではなく、そのままの「まま」
*7 日本で唯一のおちちのお寺
*8 衝撃リサーチ200X
*9 愛知日本語研究センター
*10 Hounen Matsuri

010418

 先日、ブルガリの綴りについて書いた*1。あの記事を書いてから気になったのでイタリアのブルガリに英語で聞いてみた。サイトの中に質問を書き込むページ*2があったのでそこに書き込んだ。日本語のホームページは現在はまだないようだ。独自のドメイン名*3bvlgari.co.jpについてはブルガリジャパンが既に取得している。

 イタリアに英語で質問したのだが、回答はブルガリジャパンから日本語で返ってきた。

 それによると「Bvlgari」はブランドのロゴタイプとして登場するそうである。創業者のSotirio Bulgariはギリシャの出身で「Bvlgari」は「ブルガリ」のギリシャ語表記の名残がそのままロゴに生かされていると言うことであった。

 ギリシャ文字とローマ字との対応表*4からするとローマ字の「v」はギリシャ文字の「Υ(大文字)、υ(小文字)」(ユプシロン)になるらしい。ローマ字の「u」は17世紀以降できた文字で、それ以前は母音「ウ」も子音「ヴ」も表すのに「v」を使った。従ってギリシャ文字の「υ(イと発音、ουと組み合わせてウと発音)*5」に対応するローマ字は17世紀までは「y」か「v」になる。

 Sotirio Bulgariがイタリアに移民してきたのは19世紀だから母音を表す場合は「u」が使われていたはずだが、古い表記を用いたのだろう。日本でも屋号に旧字を使ったり変体仮名*6を使うことにより店の永続性を示しブランドの信頼性を高める手法はよく用いられる。

 発音はやはり「Bvlgari」と「Bulgari」、どちらも「ブルガリ」だそうである。

 それにしてもイメージを大切にする企業であるだけあって反応が速かった。

*1 010416の記事
*2 CONTUCT US
*3 IPアドレスを判りやすくしたもの
*4 アルファベットの歴史(1)
*5 文字、発音、音節、アクセント
*6 草(そう)仮名

010419

 内視鏡*1は胃カメラのように医療の現場だけではなく、工業用途*2にも使われる。胃カメラと同じで機械を分解せずに中の様子を観察したり、見ている先で作業をしたりする。

 この工業用内視鏡*3は長いパイプの中を検査するのに非常に都合がよい。そして管内を効率よく観察するために色々な工夫が施されている。

 うまく先端の小型カメラが管内の中心になるように星形の鍔*4が装着できるようになっている。これはちょっとしたアイディアだが、あると便利そうである。

 凄いのは先端の小型カメラが重力を検知するセンサを内蔵*5しているのである。何のために重力を検知するのかというと、小型カメラを管内にどんどん押し込んでいくとカメラが回転してしまって映し出された映像のどちらが上か下か解らなくなってしまう。そこでカメラに組み込まれている重力センサによって画面のどちらが下かが表示されるようになっているのだ。

 この機能もあるといかにも便利そうである。

*1 オリンパス医用内視鏡
*2 オリンパス工業用内視鏡
*3 カメラヘッドの交換で、あらゆるパイプの太さに対応。PT400
*4 PT400用センタリングディバイス MAJ-1043
*5 パイプ検査システム用カメラヘッド・ボトムインディゲータ(重力方向指示センサー)付き D40N

010420

 鎌倉時代の説話集に宇治拾遺物語*1というものがある。現存しない「宇治大納言物語*2」で漏れたものを集めた、つまり宇治大納言物語の拾遺なのか、宇治に残ったものを拾ったから宇治拾遺なのか、侍従俊貞という人の手元にあったと言うことで、侍従の唐名である「拾遺」から宇治拾遺なのかよく判らない、と序文で自ら書いている。作者も不明である。全編197話のうち84段が今昔物語と同一の話になっているようである。

 学生時代に読んだ説話の中で未だに印象に残っているものがある。「十六 尼地蔵み奉る事*3」という年老いた尼さんが歩く地蔵を見つけ出して極楽往生した話である。

 昔、あるところに年老いた尼さんがいて、地蔵菩薩が朝方歩き回っていると言う噂を聞きつけた。それを拝みたい一心でそこら中を尋ね歩いていた。それを見ていた博打打ちにその尼さんは声をかけられた。地蔵が歩く道を知っているから何かくれるなら教えてやろうというので、尼さんは自分の着ている紬の衣を渡す約束をして、教えてもらうことになった。

 博打打ちは隣の家に「ぢぞう」という名の子供がいるのを知っていたので、そこの家の者に「ぢぞうは?」と尋ねた。するとその子供の親は「遊びに行っている。もうすぐ帰ってくるだろう」というので、博打打ちが「ここが地蔵菩薩のいる所だ」と教えると、尼さんは喜んで紬を渡した。博打打ちはそれを受け取るとどこかに行ってしまった。

 地蔵の親たちが「どうしてうちの子を見たいのだろう」と思っていると、程なく十歳ぐらいの子供が帰ってきたので「ほら、ぢぞうだ」というと、尼さんは夢中になって拝みだし、地面に俯(うつぶ)せになった。

 その子供は手に木の枝を持っていて、それを玩(もてあそ)んでいると自分の額に当たって、額が裂けてしまった。するとその裂けた額の中に地蔵菩薩の顔が現れた。尼さんが拝みながら見上げると、地蔵菩薩が立っているので、涙を流して拝み続け、やがて極楽へいってしまった。このように深く念じれば仏の顔も見られるようになる、と信じるべきである。

 この話は駄洒落と仏教説話が組み合わさって非常に面白い。「朝方に歩き回る地蔵」→「ぢぞうという名の子供」→「子供の額が裂けて地蔵菩薩の顔が出現」と話の展開も奇想天外である。もともと地蔵*4は釈迦入滅後、弥勒が現れるまで現世の衆生を救済するのが役目なので、それも話の中にちゃんと含まれている。よく出来ている話である。

*1 440Kバイト程度の文字だけのファイル
*2 リンク先は宇治拾遺物語「序」の現代語訳
*3 リンク先は宇治拾遺物語「巻一 十六 尼地蔵み奉る事」の現代語訳
*4 弥勒が現れるのは釈迦入滅後、56億7千万年後とされている

010421

 新聞*1を読んでいたら、電力業界と電機メーカと が家庭用電圧を現在の100Vから200V以上に引き上げるのを提言しているそうである。その理由として情報技術(IT)の進展で情報機器が増えて、電力需要の増大が予想されるため、送電損失を押さえる目論見があるらしい。

 本当にそうか。現在の送電電圧*2は、変電所から電柱の変圧器までは6600Vで、電柱の変圧器で100Vまで電圧を下げる。それを変電所から電柱の変圧器まで22000Vで送電して電柱で200〜400Vに落として各家庭に送るようにしようとするのである。

 電気を送る時、電線の抵抗と電流によって熱が発生するので電力が損失する。電気を送る距離が長くなればなるほど電線の抵抗が増えるので電流はあまり流したくない。そこで電力は「電圧」×「電流」なので電圧を高くしてやれば、同じ電力を送るのであれば「電流」を少なくすることが出来る。電流が少なければ熱の発生が少なくなる。電力が熱にならないので損失が減ることになる。これが送電線の電圧を出来るだけ上げたい理由である。

 送電電圧*3を上げることは送電損失を減らすことにつながるが、使用電圧を上げることは特に送電損失の低減にはつながらないような気がする。電柱から各家庭までの十数メートルの距離を今までの2倍の電圧で送電すればその間の電流は半分で済んで、その間の電線で発生する熱は電流の自乗に比例するので1/4になる。効果が全くないわけではないが、十数キロの送電線の電圧を6600Vから3.33倍の22000Vにする効果の方がもの凄く効果が大きいだろう。この場合損失は1/10になる。比率で言えば大したことはないが、絶対量で言えば大きそうだ。

 家電を200Vにするのはどうも家電業界の長期的な買い替え需要の創出のためのようである。IT機器の増加とか送電損失とか言っているが、企業の都合を上手くすり替えている。電力損失を抑えるために買い替えのための新しい製品を作ったり、配電盤を切り替えるのは本当に全体としてエネルギーの浪費を少なくしていることになっているのだろうか。

 また家電業界は200Vにすると海外でも電化製品が使える、と言っているらしいが、そんなことは売る側の都合であって、使う側にとってはどうでもよいことなのである。日本で使っている機械を海外で使わなければならない理由はどこにもない。どうしても使いたいのであれば電圧変換アダプタ*4を使えばよい。

 環境の保全に最も役に立つ行動は「人間が何も活動しないことである」ことを忘れている。

*1 記事を読んだのは紙の媒体の方
*2 日本では52万5000Vが最高
*3 送電鉄塔見聞録
*4 海外プラグ変換アダプター・海外旅行用トランス・海外プラグ

010422

 近くの高級時計や宝石を扱う店*1で色々な時計を見せてもらった後で、Sinn*2という時計のカタログが欲しいと言ったら、「少し書き込んでありますが、これしか今ございませんので、これで宜しかったらどうぞ」と言われて渡された。

 それにはボールペンでこんな書き込みがある。

 左利き限定ではない。

 親指で操作し安いため。

 対テロリズム

 5000m防水(オイルが全体に浸透しているため防水性ばつぐん)
※オイル注入時に気泡が少々入る。100%気泡を抜くことは不可能。
 寒い時期に気泡が出やすい。

 「左利き・・・」と「親指で・・・」はmodel 503. EZM1*3という名の時計のページに書き込まれている。これはドイツ税関犯罪局の税関特殊部隊である税関中央支援グループ用のモデルで、行動中に手首を痛めないように竜頭と押しボタンが3時側ではなく通常の時計の反対の9時側に付いている。左利きの人が右腕に付けると竜頭が手首側に来るので、この書き込みは「左利き用ではないか」という質問に対する説明であろう。

 「対テロリズム」と「5000m防水・・・」はmodel 403. GSG9*4というモデルに付いての書き込みである。GSG9*5というのはドイツ内務省直轄の国境警備隊の対テロリズム専門特殊部隊のことらしい。この時計はGSG9のダイバー部隊用だそうである。防水性を高めるためにシリコンオイルを封入*6している。製品にはどうしても気泡が入るらしく、その言い訳が書き込んである。「寒い時期に気泡が出やすい」というのはどういうことだろう。暑いと空気の気泡が膨張して目立つような気がするが、寒いとシリコンオイルが収縮して隙間が出来てそれが気泡になるのだろうか。

 店員が商品についてこれぐらい勉強していると頼もしく感じるが、その店で時計を買ったことはまだない。

*1 宝石の八神
*2 ドイツの腕時計製造会社
*3 Modell EZM1
*4 Modell EZM2
*5 Grenzschutzgruppe 9
*6 このため水中ではっきり文字盤が見えるらしい

010423

 麻雀を全く見たこともやったこともない人にどんなゲームか説明するのはかなり難しい。それだけ他の伝統的なゲームに比較して複雑だからだろうか。それに必ず4人で遊ぶという特殊性があるからかもしれない。

 麻雀は136枚の牌と呼ばれるある一面だけに文字や絵柄が書いてある直方体を使う。その牌を4人それぞれに配り、牌を取り替えながら、その絵柄の組み合わせの複雑さ難しさを競う。絵柄の組み合わせの完成形を「役」という。「符」と呼ばれる基本の点数に対して「役」の出来映えによってその「符」を何倍するか決まる。難しい「役」であれば倍数も高くなる。その倍数を「飜(はん)*1」という。役が複合していれば役の分だけ飜も増える。

 特に作るのが難しくて綺麗な形をした役にはあらかじめ最高の飜が設定されている。そのような状態を「役満貫」略して「役満」という。

 どんな役を「役満*2」とするかは日本全国統一ルールというのがないので様々である。その中で「天和(てんほう)」「地和(ちいほう)」「人和(りぇんほう)」というのがある。ただし「人和」は役満にしない場合がある。

 「天和」は最初に配られた状態で既に役が出来上がっている状態である。牌の取り替えは親と呼ばれる人から一枚ずつ順番に行う。4人の中で親は一人で、あとは子と呼ばれる。親が最初に取り替えた牌で子の役が完成した場合、「地和」という役満になる。「人和」は子が最初に牌を取り替えて役が出来上がった場合である。

 牌の取り替えが一周するのを「一巡」という。この一巡というのは自分が牌を取り替えてから次の取り替えまでをいう。従って四人それぞれ一巡の始まりが違う。つまり巡目は満年齢*3と同じ数え方である。麻雀をやる人でも「一巡」を皆が正月に一斉に年を取る「数え年」式と勘違いしている人が多い。

 従って「天和」「地和」「人和」の成立が「第一巡目」と定義する人がいるが、これは間違いで、まだ牌を一度も取り替えていないので一巡する前の状態での役満である。敢えて言うならば「第零巡目」かもしれないが、一周していないので「巡」というのはおかしい。ただし、一巡の概念は日本式ルールの場合だけのようである。

*1 フランス人の麻雀
*2 確率
*3 満0歳

010424

 www上の検索エンジン*1を用いて色々調べていると、目的としないページが沢山出てくる。選択したキーワードは確かに含まれているページなのだが、そのキーワードの羅列だけで情報が全く得られない場合がよくある。

 もっともよく出てくるページは大学や専門学校などの講義内容を公開しているものである。このようなページは講義の内容そのものが書いてあるわけではなく講義の題目しか書いてない。しかも講義内容の紹介だけなのでリンクはそこで完結してしまっている。だからそのページからは新しい情報が得られない。

 「シラバス*2」を含む場合は表示しないという設定にすればいいかもしれないが、それもいちいち面倒だし、完全ではない。何かいい方法はないだろうか。

 専門用語を検索しているとここ*3が出てきて「なんだこりゃ」と思っている人がいるかもしれない。お互い様なのか。

*1 Google
*2 syllabus: sittybas(本のラベルの意)の誤記が語源らしい
*3 雑記草

010425

 最近、ここの形式とよく似たサイト*1を見つけた。そこの記事を読んでいたら、「発電出来る服」が紹介してあった。一体、発電出来る服とはどんなものか。極めて興味深い。

 合成繊維の服は冬になると高電圧を発生するようになる。静電気*2のことだが、これを「発電」と言っているのではない。電源として使える電気を発電する服のようだ。

 記事の中のリンク先*3を見てみる。「光があたると発電する服」でモバイル機器を常時充電?とある。どうも太陽電池*4のようである。リンク先は日本語で150字程度の記事であった。シュトゥットガルト大学*5電子物理工学研究所の研究者たちが、光があたると発電する合成繊維を開発した、と書いてあるが詳細は全く判らない。この合成繊維で服を作れば光が当たるところにいるだけでモバイル機器が動かせるというのである。この服は電気機器ということになる。電気関連の装置は大抵、水に弱いので、この服が洗濯出来ないかもしれない。これを克服すれば非常に便利なものとなる。この記事ではこんなことばかり書いてあって肝心の発電の原理が全く触れられていない。

 もともと米国のサイト*6の記事の翻訳らしく、その元記事*7を辿ってみる。日本語の記事は寸分違わず翻訳してあるだけであった。ただし、開発したとされるInstitute of Physical Electronics at the University of Stuttgartのリンク設定が間違っていた。正しくはここ*8である。しかしここにアクセスしてもInstitute of Physical Electronicsには直接辿り着けないので、日本語訳の記事ではリンクでInstitute of Physical Electronics(電子物理研究所)*9に行けるようになっている。

 ところが光で発電する服のことがどこにも書いてない。英語とドイツ語で書いてあるのでかなり見落としがあると思うが、それらしきページが見つからない。シュトゥットガルト大学には他の電子物理研究所があるかもしれないと思ってサイトの中*10を探し回ったが、どうもここだけのようだ。

 それらしきページ*11を見つけた。低温で形成出来るアモルファスシリコン太陽電池*12を開発した、と言う記事である。通常、アモルファスシリコンの形成は200℃程度の温度が必要*13であるが、シュトゥットガルト大学電子物理研究所では80℃で形成する方法を開発したという。

 アモルファスシリコンはメッキの膜のように非常に薄い膜で出来上がる。メッキと同じように何かメッキをする板が必要である。この板を「基板」と呼ぶ。アモルファスシリコンを作るには200℃の温度が必要なので基板も200℃で融けないような材質である必要がある。通常はガラス板などを使う。アモルファスシリコンの形成温度が低いと言うことは熱に弱い材質でも基板として使えると言うことである。

 そこで100℃以下でアモルファスシリコンが形成出来れば基板にポリエチレンやPETが使える、というのだ。これがおそらく「発電出来る服」の元だろう。合成樹脂基板にアモルファスシリコン太陽電池が形成出来る→合成樹脂の太陽電池→合成繊維の太陽電池→発電出来る服、となったに違いない。

*1 あけてくれ「出エジプト日記」
*2 関西テレビ あるある大事典
*3 HotWired Japan
*4 シャープ 太陽電池の部屋
*5 Homepage Uni Stuttgart
*6 Wired News
*7 How about this one?
*8 European Database of Suppliers of Energy Efficient and Sustainable Building Products and Services from James & James
*9 Institut fuer Physikalische Elektronik
*10  Fakultaeten und Institute
*11 Low Temperature Deposition of Amorphous Silicon Based Solar Cells
*12 シャープ 太陽電池の原理と技術
*13 太陽光発電新時代の現状と将来の展望

010426

 ある読者の方からメールを頂いた。以前、DoCoMoは何の略か*1、を話題にしたことがあった。現在、DoCoMoは株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモとなっているらしい。

 社名の由来を「Do」は移動の「ど」で「Co」は通信communicationの「Co」で「Mo」は網の「も」と勝手に考えていたが、実は違うようだ。

 「Do Communication over the Mobile network」の頭文字をつなげて「DoCoMo」らしい。この英文は設立当初のスローガンだったと言う。合っていたの「Co」だけだった。

 英語名称の略語が日本語っぽくなるのは何となく気に食わない場合が多い。アメダス*2とかナスダ*3というのは何となく嫌いな略語である。ただ本当に筆者が嫌なだけである。ところが「ドコモ」はそれ程気にならなかった。余りにも日本語の単語らしかったからだろうか。

*1 DoCoMo
*2 レーダーアメダス合成値(気象庁発表)
*3 宇宙開発事業団ホームページ

010427

 名古屋の銘菓に「ダイナゴン*1」というものがある。改めて片仮名で書いてみると何か怪獣の名前か「動きのある多角形」のような感じがするが、れっきとした日本語であることは周知の通りである。漢字では大納言と書く。

 この「ダイナゴン」という菓子はカステラに小豆を入れたもので、そのカステラも全体が小豆色に染まっている。幼少の頃、このダイナゴンが入っていた小さな箱に苦労して捕まえたカブトムシを入れておいたら一晩で死んでしまった、という苦い経験がある。

 このダイナゴンと言う菓子の名の由来はおそらく徳川家御三家尾張大納言*2の大納言と小豆の「大納言」という品種からと思われる。

 小豆の品種名の大納言の語源は、やはり原産地が愛知県の尾張地方であるため「尾張大納言」としゃれているようだ。ところが、web上で調べてみるとこの大納言小豆は煮ても腹が割れないことから切腹する必要のない大納言になぞらえた*3とあった。ただこれはこじつけのような気がする。切腹するのは武士だけだから、腹が割れないのは大納言だけではない。太政官*4でもいいはずである。

 調べている途中で判ったことだが小豆には「ダイナゴン」の他に「チュウナゴン」「ショウナゴン」*5があるらしい。

*1 名古屋菓膳ダイナゴン
*2 東海の諸藩 尾張藩
*3 丹波大納言小豆
*4 奈良時代 律令制度の確立
*5 「旬・彩・健・美」オンラインショッピング

010428

 確率というのは小口の人にとって本当に役に立っているのだろうか。「小口の人」というのは宝くじなどでせいぜい数十枚しか購入しない人である。

 このような人たちにとって、宝くじを買って期待することは一等を当てることであるが、大抵の場合、末等しか当たらない。つまり当たるか外れるかしかなく中間の状態も殆どない。しかし一等が当たる確率は計算出来る。計算出来て具体的な数値となって我々の眼前に示される。ジャンボ宝くじならば数百万分の一*1と言った具合にである。

 確率論というのはある事象が起こると言うことが断定できないときにすべての考えられ得る事象を挙げて、それぞれが起こる度合いを調べるもしくは計算することである。宝くじで言えば「一等が当たるという事象が必ず起こる」とは断定できないので「末等しか当たらない事象」や「一等組違いが当たる事象」などの起こる度合いを考えるのが、我々小口の言う「確率」である。

 ところが「一等が当たるという事象が起こる」確率の数値は実生活において「殆ど起こりえない」と「断定」出来る数値なのである。例えば駐車禁止の路上に自動車を駐車しようと考えるのもふぐ*2の刺身が食べられるのも、検挙されたり中毒死する確率は零ではないが、殆ど全くと言っていいほど無視出来るからであろう。従って「一等が当たらない」確率は有用であるが、「一等が当たる」確率は殆ど意味を成さない。

 しかし一旦その期待しない事象、宝くじで言えば最も期待している事象が起きてしまうと状況が一変する。宝くじの一等が当たれば、生活は変わるだろうし、駐車違反で捕まれば駐車場料金の何十倍の反則金を支払わなければならないし、中毒死すれば元も子もなくなる。

 このように当たるか当たらないかによってその当事者に大きく影響するということはその事象に対処して行動するのが非常に困難ということである。つまり事前に確率を把握していても結局は起こってしまえば、準備が役に立たないことが多い。その確率が低ければ低いほどその事象に対する用意は手薄になるからである。それに確率がいくら低くてもその事象が起これば、当人にとっては確率の意味がなくなる。それは限りなく零に近い確率はその事象が将来起こらないと納得するための物だからである。

 逆に大口の人にとってはいくら小さな確率でも無視はできない。宝くじの胴元にとって一等が当たる確率は収益に関わることなので絶対無視出来ない。同じ確率だが、立場によって大きく意味が変わってくることになる。

*1 第一勧銀 宝くじコーナー
*2 HGMP Resource Centre FUGU Project

010429

 Kilroy*1とは落書きの名前である。辞書*2にも載っている。正体不明の人物の名前でその落書きには「Kilroy was here(キルロイ参上)」という文句が添えて書かれていたらしい。第二次世界大戦中米兵が各地に残していった落書きのようだ。

 Macで動作するソフトで「Kilroy」というものがある。数分間クリックボタンかキーボードを操作しないと、一番前面で開いているウィンドウの上辺に「Kilroy」が現れるソフトである。ただこれだけの機能で他に何の役に立たない。強いて言えばKilroyの目玉がマウスのポインタの方向を見ることぐらいである。

 数年前、初めてこのKilroyを見た時、Macintoshというパソコンはなんて遊び心があるのだろうかと思った。このソフトは1991年に作られたものでフリーウェアとして配布されていた。厳密に言えばPoastCardWareと作者は定義しており、説明書にもKirloyを使うならばPoastCardを自分に送れと書いてある。現在、このソフトウェアの配布は停止しているようで、これがダウンロード出来るサイトは検索で見つけることができない。

 このソフトで「Kilroy 」を初めて知ったのであるが、「キルロイ」という言葉はどこかで聞き覚えがあった。今から18年ほど前に流行ったSTYX*3の「Mr. Roboto*4 」という曲である。歌の最後の方で「I'm Kilroy! Kilroy! Kilroy!」と叫んでいた。当時は何のことか判らなかった。今でもよく判らない。

*1 Kilroy Was Here
*2 リーダーズ英和辞典 第2版・並装
*3 Styx : Kilroy Was Here
*4 Domo arigato, Mr. Roboto

010430

 a+biと表す数を複素数*1という。ここでa、bは実数である。iは虚数単位と呼ばれるもので√-1のことである。英語で虚数はimaginary numberというので、その頭文字の「i」をとってそれを記号としている。読む時は日本語でも「アイ」と発音する。電気電子工学では「i」は電流の記号として使われるので、特別に虚数は「i」の代わりに「j」を使う。日本語では「ジェイ」と発音する。

 電気電子工学で虚数単位に「j」を使うようになったのはアルファベットの順番から「i」の次の「j」になったと思われる。ローマ字の歴史からすれば「i」の異形が「j」なので、「j」は後発である。虚数の発明が電流の発見よりもあとならばすっきりする。虚数単位を「i」と書き出したのは18世紀の終わり頃であった。一方、電流を「i」と書き出したのはいつの頃からなのだろうか。電線を流れる電流の概念が明確になってきたのはアンペール*2ファラデー*3の時代だろうから18世紀終わりから19世紀始めだろう。

 こう考えると電流の「i」の方が後発のような気がしてきた。虚数単位の方が後ならば撞着しないで済んだ。だからと言って虚数単位「i」と間違えやすいから電流の強さintensity*4を「j」にするわけにはいかなかったのだろう。

*1 複素数の定義
*2 アンペール(Ampere,Andre Marie)
*3 ファラディ(Faraday,Michael)
*4 電流の量記号



前へ 次へ



9907へ 9908へ 9909へ 9910へ 9911へ 9912へ
0001へ 0002へ 0003へ 0004へ 0005へ 0006へ
0007へ 0008へ 0009へ 0010へ 0011へ 0012へ
0101へ 0102へ 0103へ 0104へ 0105へ 0106へ
0107へ 0108へ 0109へ 0110へ 0111へ 0112へ
0201へ 0202へ 0203へ 0204へ 0205へ 0206へ
0207へ 0208へ 0209へ 0210へ 0211へ 0212へ



雑記草検索                 

使い方 かつ または
表紙 目次 リンク集 掲示板 メール 遺構探訪

Copyright (c) 2001 Yoshitaka Gotoh, Japan

Counter