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0009雑記草
000902アラン・ドロンと言えばダーバンである。30年ほど前のTVコマーシャルでダーバンのスーツを着たアラン・ドロンが喋る台詞が子供心に印象的であった。「ダーバン、へべべごん、でろろん、むにゃむにゃ・・・」ダーバンの部分はよく判ったが、その後は何を言っているのかさっぱり判らなかった。日本語以外は分からないので当然ではあった。「ダーバン」の部分は殆どの日本人に聞き取れるだろうからTVコマーシャルとしては十分目的を果たしている。
後の部分は誰に聞いても判らなかった。親に聞くとアラン・ドロンはフランス人だからフランス語だろうと言われたが、どういった意味のことを言っているのかは判らなかった。
それから15年ほど経って、ある語学の雑学本を読んでいたらあの懐かしのTVコマーシャルの台詞は何て言っているのか説明してあった。
D'urban, c'est une elegance de l'homme moderne.
ダーバン、セチュ ネレガンス ドゥ ロム モデルヌ赤字の「e」にはチョン(アクサンテギュ)が付いている。
長年の疑問が解けてよかったのだが、少し違和感があった。上の仏文の台詞で果たして「へべべごん」と聞こえるのだろうか。「セチュ ネレガンス・・・」は「へべべごん・・・」とかなり違うような気がした。
それからまた数年後、ある撞球場に遊びに行った時、場内に古びたアラン・ドロンのポスターが貼ってあるのに気付いた。ポスターの片隅にサインらしきものが書いてある。よく見ると「elegance」と書いてある様に見える。eleganceの前に「l」の字が書いてある。「une」ではない。
C'est l'elegance de l'homme moderne.
と書いてあるようだ。恐らくアランドロン本人が書いた上の文とサインと彼の写真とを組み合わせてポスターにしたのだろう。これで合点がいった。「へべべごん・・・」と聞こえたのは「セ レレガンス・・・」だったのである。意味は「ダーバン、それはモダンな男性のエレガンスだ」
全然関係ないが、アラン・ドロンついで。これも古い話しだが「あらんどろん」という二人組か三人組の女性お笑いタレントがいた。11PMなどにも出ていた。太田プロ所属だったらしい。
フォッサマグナ*1と糸魚川−静岡構造線*2を混同していた。同じ意味だと思っていた。フォッサマグナは本州の中央部を南北に横断する大地溝地帯*3のことで、その西側の境界が糸魚川−静岡構造線で、東側は地中に埋もれてしまっているのではっきりしていない。000903数年前、こういう中途半端な知識の状態で糸魚川−静岡構造線を見たくてわざわざ新潟県の糸魚川まで行ったことがある。だから当時は「フォッサマグナを見に行ってきた」とみんなに自慢していたが、わざわざ見に行ったのは「糸魚川−静岡構造線」であった。フォッサマグナは非常に広い地域なので「フォッサマグナを見る」と言っても全体を見ることは人工衛星からでないと無理だろう。
「糸魚川−静岡構造線を見た」と言っても全体を一度に見たのではなく、その断層が露呈している部分を見ただけである。糸魚川市には自然に露呈したのではなく人工的に掘り出したもの*4が公園の中にそのまま展示してある。場所はこの辺*5であった。
地層の違う岩がぶつかりあっているだけだが、そのぶつかりあっている岩は北アメリカプレートとユーラシアプレートなのである。地球を覆う巨大な一枚板同士が目の前でぶつかりあっているのは何ともスケールの大きな話しである。正確にはプレートがぶつかりあっているというのは少々大袈裟かもしれないが、アイスランド*6のプレートの吹き出し口のギャオ*7に匹敵する場所だろう。
この近くにフォッサマグナミュージアム*8という博物館がある。ついでにそこを見学した。そこで「フォッサマグナ」の名付け親はナウマン象*9で有名なナウマン博士*10というのを初めて知った。しかしフォッサマグナと糸魚川−静岡構造線とは同じ意味だと今までずっと思っていた。
*1 フォッサマグナ
*2 糸魚川―静岡構造線
*3 静岡県の自然
*4 【糸魚川市】フォッサマグナパーク
*5 シンプル地図:Mapion(マピオン) > 「新潟県糸魚川市大字根小屋」付近地図
*6 アイスランドに関する公式ホームページ
*7 Pingvellir / シンクヴェトリル
*8 ミュージアムのイベント紹介
*9 ナウマン象の歯化石
*10 Heinrich Edmund Naumann and the Development of Geo-Sciences in Japan
000904ベルーソフ-ジャボチンスキー反応という化学反応があるらしい。この反応をシャーレなどで観察すると渦巻きが繰り返し発生したりして大変楽しいそうである。その周期は時計が時を刻むかのように繰り返すらしい。
1950年頃、ベルーソフとジャボチンスキーとによって発見された。ということは発見されるまでどこかで人知れず渦巻きの周期的な発生を繰り返していたのだろうか。それともこの反応を起こすための薬液を今までだれもその組み合わせで混ぜたことがなかったのだろうか。そう考えるとベルーソフとジャボチンスキーはどうやってこの反応を見つけたのだろうか。
一度この反応をこの目で見てみたい。その映像はこのファイルをダウンロードすれば見ることが出来る。
さて、ここでこの化学反応をとりあげた理由は反応過程の見た目もそうであるが、その名前「ジャボチンスキー」が気に入ったからである。フルネームはAnatol M. Zhabotinsky。
000905乗用車の扉の内側の取っ手は進行方向前よりに付いている。運転席であれば右手をハンドルから少し動かすだけで体をねじらなくても手が届く位置に取っ手が付いている。最近の自動車はこのように手がすぐ届くように取っ手が付けてある。
しかしBMW車の取っ手は手を伸ばせばすぐ届くところになかった。進行方向少し後ろよりに付いていた。体を少しひねらないと取っ手に手が届かないような位置にある。これは扉を開ける際に強制的に後方を確認させるためであるらしい。扉の設計上どうしてもその位置にしか取り付けることが出来なかったための言い訳なのか、勝手に購買者が解釈したのか、はっきりしないが、BMWが本当にそのつもりでやっているならば、知ると嬉しくなる構造である。
何でも電子的に制御する仕組みを持たせた日本車と比べて何となく製造業者の思想が伝わってくる感じがする。ただ、現状のBMW車もそういう構造になっているのかというとそうでもない。購買者に不評だったためか、それともやはり構造上の都合だったのか、前の方に移動してしまっている。
BENZの制動灯の凸凹は泥や雪が付着しても視認性が確保できるようにするためであるらしい。本当にそういう効果があるかどうかはどうも疑問であるが、この形のこだわり続けている。こういう何となく意味のあるようなないようなこだわり姿勢が購買者の共感を呼ぶこともあると思う。
000906グアム*1はアメリカだがサイパン*2はアメリカではないらしい。
グアムは自治権のあるアメリカ準州*3のようだ。正式名称はTerritory of Guam*4。一方、サイパン*5の方は、含まれる北マリアナ諸島の領域の正式名がCommonwealth of the Northern Mariana Islands (CNMI)。サイパンはアメリカの自治領であって州ではないが独立しているわけでもない。少し前は国連がアメリカに信託統治させていたが、10年ほど前に信託統治は解消されたらしい。
従ってグアムはかつてのハワイ*6のような立場ではないだろうか。もう独立する意志はないのだろう。サイパンはかつてのフィリピン*7のようにアメリカからの独立を前提としての「コモンウェルス」なのかもしれない。
*1 Welcome to Guam Visitors Bureau Online!
*2 Commonwealth of the Northern Mariana Islands, Government: Introduction]
*3 グアムへようこそ!
*4 The Government of the Territory of Guam
*5 [CNMI GOVERNMENT: Geography & Location
*6 沖縄の廃藩置県
*7 フィリピン共和国(Republic of the Philippines)
000907職場からの帰り道、今日一日の勤労の喜びを反芻ながら歩道を歩いていたら、後ろからちりんちりんと自転車のベルの音が聞こえた。歩道の幅は1メートルぐらいで、そのほぼ真ん中を歩いていた。恐らく後ろから来た自転車は歩行者の筆者が邪魔だったのだろう。邪魔であれば車道によけて追い越してくれればいいと思ったのでそのまま歩き続けた。
するとまたベルの音がもう少し近づいて聞こえてきたのだが、構わず歩道の真ん中を歩き続けていると暫くして若い女性が二人が二台の自転車で私を追い越していった。追い越しざまに振り向き、筆者の顔を睨めつけていった。二人とも同じような顔をしていった。歩行者は自転車に道を譲るのが当たり前だと思っているらしい。
歩道は歩行者の通行の用に供するため縁石線又はさくその他これに類する工作物によって区画された道路の部分のことである。車道は車両の通行の用に供するため縁石線又はさくその他これに類する工作物又は道路表示によって区画された道路の部分のことである。自転車は軽車両の一種でペダル又はハンド・クランクを用い、かつ、人力により運転する二輪以上の車である。ということは関係ないが、一輪車は自転車ではない軽車両になる。
従って自転車は軽車両であって車両の一種であるから道路の車道を通らなければならない。歩道は歩行者のために設置してあるので普通、自転車は通ることが出来ない。ただし道路標識で通行できるとされている歩道では自転車は通行できる。また警察署長が許可した場合も通行できる。
そう考えるとあの自転車のベルは何のために付いているのだろう。自転車が来たことを歩行者に知らせる為ではないことは明らかである。原則的には自転車は車道を走るからである。路上の犬猫や雀に注意を喚起させるためだろうか。
000908カット綿とは使いやすくするため予め数センチ角に切ってある脱脂綿のことである。川本繃帯材料という会社のカット綿のブランド名は「月兎綿」である。そのマークは丸の中に横向きの兎とその背面に三日月が描かれている。丸の下には「月兎印」と書いてある。商標は登録されている。インターネットで調べてみるとこの「月兎綿」のブランド名はなくなったようだ。社名変更に伴って商品名の整理が行われたのだろうか。
「月兎綿」は何と読むのだろう。やはり「ガット綿」であろう。
000909磁性細菌*1と言う1000分の1ミリ程度の大きさの生物がいる。自分の体の中に10000分の1ミリぐらいの数珠状に連なった磁性体*2を持っているのでそう呼ばれる。走磁性細菌*3とも言う。「走磁性」とは地磁気や磁界の方向に従って動く*4性質と言う意味である。この細菌が腹の中に抱えている磁石はビデオテープ*5や冷蔵庫等にメモを貼り付けるための磁石等の親戚でフェライト磁石*6の一種のマグネタイト*7と呼ばれる鉄の酸化物で出来た磁石である。このマグネタイトは室温で強い磁性を発現*8するので、磁性細菌が持っているマグネタイトのように非常に小さい粒子だとその微粒子は何もしなくても勝手に磁石になってしまう*9。この体内磁石によって地磁気の方向に沿って磁性細菌*10は動くそうである。
どうしてこの細菌は磁気の方向を知る必要があったのか。それはこの細菌は酸素を嫌う細菌だかららしい。酸素を嫌う細菌は嫌気性細菌と呼ばれ、ボツリヌス菌や破傷風菌などがそれの仲間である。
地磁気の方向*11は平面的に見ると北極や南極の方向を向いているのだが、立体的に見れば愛知県付近の場合、北極に向かって48度斜め地中を向いている。北極や南極付近では真下であり、赤道付近では水平方向を向いている。この角度を伏角*12という。つまり水中や泥の中の細菌にとって磁界の方向は地球上の大抵の場所は斜めではあるが、地面の方向を向いている。磁性細菌は空気から逃げる*13為にこの地磁気*11を利用しているようなのだ。地磁気によって上下を知って上に行けば空気があるので、磁気の強い方向である斜め下に向かえば空気がないので生き長らえると言うわけである。
はたして本当にそうであろうか。赤道付近にいる磁性細菌にとって上下は南北になってしまい、空気から逃れる役目を体内磁石は果たしていない。それならば赤道付近には磁性細菌がいないのではないかと考えられるが、赤道付近で採取された磁性細菌は50%が北極、50%が南極に向かう*14と言う記述を見つけたので、この辺にもいるのだろう。
もしかしたら体内磁石は単なる錘ではなかろうか。これによって空気のある方向を知るのではないだろうか。ではどうして磁石なのか。それは結果的に磁石になってしまったのだろう。進化の途中、錘を獲得するための重い元素を体内に留めることが出来る細菌だけが生き残った。金属のままでは生体内では不安定なので安定な酸化物として体の中に蓄えた。それがたまたま磁石の材料だった。赤道でも磁性細菌が健在であることを考えるとそんな気がしてならない。
*1 Hyousi no Kotoba, Vol.67, No.10 (1998)
*2 生物磁石 磁性細菌とその応用
*3 鉄の中に書き込まれた細菌の歴史 (Writing Bacterial Histories in Iron)
*4 じしゃく忍法帳 / 第36回「カラス撃退に磁石?」の巻
*5 ビデオテープ「美しさ」Eシリーズ
*6 日立金属>製品情報>マグネット>フェライト磁石
*7 じしゃく忍法帳 / 第67回「岩石と磁石」の巻
*8 鉄や磁鉄鉱はなぜ磁石にくっつくか?
*9 じしゃく忍法帳 / 第36回「カラス撃退に磁石?」の巻
*10 生物磁石
*11 地磁気ってなに?
*12 地 磁 気
*13 magneto-lab : research
*14 Using Magnetotactic Bacteria to Study Natural Selection
000910英語になった日本語は色々あるが、大抵は日本語のローマ字表記がそのまま英語になる。tsunami、kaki、harakiriなどそのまま英語になっている。
中には少し綴りが変化して英語化しているものもある。honchoは上役、リーダーと言う意味で、日本語の班長が語源である。発音は「ハンチョウ」で、牛耳るといった動詞の意味もあるらしい。Bonin Islandsは小笠原諸島のことで「ボウナン」と発音するらしい。このBoninは「無人(ぶにん)」が訛ったものらしい。無人を「ぶにん」と読む場合は人がいないのではなく、人が少ないことである。
タバスコをかけると味がもっと良くなりそうな気がしたので冷蔵庫の奥に長年放置してあったものを開封した。このタバスコは普通の大きさの瓶ではなく高さ5センチ程度のミニチュア瓶である。3本か5本セットで売っていた。購入動機は通常より小さいものには何となく惹かれてしまうからである。酒は殆ど飲まないがウィスキーのミニチュア瓶などは蒐集欲を掻き立てられる。洋酒店でミニチュア瓶が並べてあると嬉しくなってついつい覗いてしまうことがある。しかし実際に集めたことはない。小学生か中学生の頃にこっそりと何本か隠し持っていた程度である。000911緑色の封を開けてタバスコをかけてみた。美味しくなるどころかものすごい味になった。直接、タバスコを舐めてみたら、ものすごく酸っぱい。タバスコの味と全然違う。色もよく見ると橙色になっている。タバスコも腐るのだろうか。辛いものは腐りにくいと漠然と思っていたが、そうではないらしい。
000912義理の父親の納骨の為に京都へ自動車で行った。納骨を受け付るところでCDが売られていた。「正信偈(しょうしんげ)」と題されたCDであった。お経が入っているCDである。面白そうなので買ってしまった。税込み1800円。
正信偈とは浄土真宗で葬式や日常の勤行で読誦されるものである。宗教においてその聖典それ自体も大切なものとして扱われる場合が殆どであろう。キリスト教でも聖書に手を置いて誓うと言うのを実際には見たことはないが、映画やテレビなどの映像で見たことがあるような気がする。キリスト教式の結婚式でそんな場面があるかも知れないが、見た記憶がない。
お経をCDにした場合、CD自体もやはりそんな聖典のように扱われるのだろうか。その宗教が発生してから今日までの時間の長さに比べればCDの歴史は短すぎるので、聖典が書かれた紙にに比べればまだまだ信者にとって認めがたい媒体であろう。
そんなCDを自動車の中で聞きながら帰った。高速道路を時速100km程度で走りながらお経を聞く。その高速道路でその日お経を聞きながら走ったのは著者だけだったかも知れない。もしかしたら道路が開通して以来、誰もやったことがない事かも知れない。
このような行為は罰当たりなのか、それともお経とともに生きる尊い行為なのか。CDが聖典と認められるかどうかが判断の分かれ目のような気がする。
000913今から一年ほど前に金が安いことを書いた。今でも安い。安いと言っても1kgが100万円以上するので買うには勇気がいる。勇気だけではなくお金も要る。金貨もあるが、やはりの延べ板を持ってみたい。
000914建国以来、国旗のデザインを何度も変更している国はアメリカ合衆国*1ぐらいであろう。州の数が増える度に星条旗の星の数を州の数に合わせて増やしている。
これまでに26回変更されている。太平洋戦争時代のアメリカ合衆国の国旗*2を映像で見る*3と星の並びが現在の並び方と違うことに気付く。太平洋戦争時代の星は格子状*4に並んでいるが現在は交互*5に並んでいる。
太平洋戦争時代の星の数は48個であった。横8個、縦6個に並んでいる。当時、アメリカは48州でアラスカとハワイはまだ州になっていなかったようだ。
1959年にアラスカが州になり*6、1960年にハワイが州となった。この1959年から1960年の間は州の数が49個だった。その間も国旗が変更された。これが49州時代の国旗*7の図案である。現在の星の並びとよく似ているが、星の並びの左右の端が違うのが分かる。49州だと横7個、縦7個にしたくなるのだが、そうしなかったのは星が描かれる青地の部分が長方形だからだろう。36州時代*8、25州時代*9も同様である。
法律上はどの時代の国旗のデザインでも正式な国旗*10のようである。従って国旗が変更されているのではなく、星条旗は一つだが様々な種類があるということなのだろうか。将来の51州になったときの国旗*11も紹介されている。
*1 Clickable map of the United States
*2 History of the Stars and Stripes (United States)
*3 Iwo Jima - The Picture
*4 48 Star Flag - (1912-1959) (United States)
*5 United States of America
*6 沖縄の廃藩置県
*7 49 Star Flag - (1959-1960) (United States)
*8 36 Star Flag - (1865-1867) (United States)
*9 25 Star Flag - (1836-1837) (United States)
*10 Legal aspects
*11 51 Star Flag - (future) (United States)
000915電車に乗ったら、三人の男子高校生が携帯電話をお互いに比べあったりして何か話していた。三人のうち一人は座席に座っていたが、あとの二人は電車の床に直に座っていた。座席はちらほら空いているのだが、座席に座ると三人が顔を合わせて喋ることが出来なかったからであろう。
筆者の感覚では地面に直に座ることにはどうしても抵抗があり、これを抵抗なくやっている人を見ると何となく気分が良くない。彼らは電車の床に直に座っているだけで他人に迷惑を掛けていないので、全く問題がないはずであるが、自分の価値観と大いに食い違う人間に出会すと平静を保つのは難しい。
とはいうものの地面に直に座る人はかなり増えてきたので、このことに対して慣れてきた。もしかしたら自分も無意識に普段着の時はやっているかも知れない。
電車が次の駅のホームに入り停車しようとしたとき、車内で空き缶がカラカラと甲高い音を立てながら転がりだした。すると件の高校生の一人が「だれだ、缶をほかってく奴は(だれだ、缶を捨てていく奴は)」といいながら、転がる缶を拾い電車を降りてホームに設置してある分別ごみ箱の空き缶入れにその缶を入れた。
新聞の投書みたいな記事になってしまったが、この時、自分との価値観が違うというだけで相手を勝手にあれこれ判断している自分を恥じた。ただ、そう判断したからこそ余計に彼の行動に対し感動できたのも事実である。それに意外性を出すためにわざと上記のような行動をする場合もあろう。何れにしろ行為自体は善いことであったので問題は全くない。
そう言えば、ほりのぶゆきの「不埒な善行三昧」という闇の三善人が登場する漫画があったが、何となくそれの感覚にも似ている。
000916高校生だった頃、化学の先生が学生時代のある試験の思い出を聞かせてくれた。試験の当日配られた紙は問題など一切書かれていない白紙が配られたらしい。そして指示されたのは問題を自分で作り、その問題について解答せよ、ということであった。
先生はこの試験の形式に痛く感動したらしい。筆者も当時感動した。
この先生は定期試験でこの形式を採用した試験を行った。ただし同じように白紙を配るのは問題があったのか、設問の中でこのような形式を採用していた。
「化学に関する問題を作り、その問題について解答せよ(配点20点)」
こんな感じだった。当時の筆者は以下のように書き込んだ。
「問題:SiH4は何という名前の物質か。答え:知らん(シラン)」
これでも確か満点だった。
000917九月になって少し涼しくなったので亀の食欲が旺盛になってきた。筆者が水槽に近づくだけで水面から首を出し、水中では手足をバタバタさせて餌を催促する。餌は合成飼料と天然のエビを乾燥させたものである。一緒に飼っている3、4匹のヨシノボリも同じ餌で賄っている。
亀もヨシノボリも乾燥したエビが大好物である。エビを水槽に入れてやると争って食べる。
近頃、餌をやろうと水槽を覗き込むといつもと同じように亀が手足をバタバタさせながら近寄ってくるのは同じだが、一匹のヨシノボリが亀の背中に吸着して餌をもらう準備をしているのだ。ヨシノボリはその名の通り、吸盤のように変化した腹びれで水草の茎に貼り付いたりして葦に登るかのような仕草をする。
そのヨシノボリが親亀の上に乗る子亀のようにちょこんと亀の上に吸い付いている。こんな姿は恐らく自然界では見られないだろう。
000918新しい500円玉を初めて見た。今までの500円玉よりも黄色い。ギザが斜めになっていたり、潜像加工といって斜めにすると縦書きの「500円」という文字が500のゼロの中に見えてくる。角度によっては縦線が見える。
ふと気付いたのだが、これは日本硬貨史で初めてのことではないだろうか。今回、新500円玉で採用された偽造防止のための斜めギサや潜像加工ではない。
アラビヤ数字と漢字表記の貨幣単位とを組み合わせた表記はこの新500円玉が初めてだと思う。現行硬貨で5円玉以外は金額の表記にアラビヤ数字と漢数字を用いているが、アラビヤ数字の表記には単位は書いてない。漢数字には「百円」といった具合に必ず「円」の文字が書いてある。
しかし「500円」というような表記はない。記念硬貨にも見あたらない。「100YEN」という表記はあるが、「100円」というのはない。と思って記念硬貨のページを見ながらこの記事を書き進めていた。そうしたら「500円」という表記が沢山出てきた。昭和63年の青函トンネル開通記念硬貨で「500円」という表記が出てきている。
ということはアラビヤ数字と「円」の組み合わせ表示は今回の新500円玉が初めてではなく、「青函トンネル開通記念硬貨」が初めてだったと言うことである。
000919デパートで万引きの常習犯など来店したとき用の店内放送の符丁があることをかなり昔に本か何かで知った。例えば東京にあるデパートならば「佐賀県からお越しの○○様・・・」と、かなり遠隔地からの架空の客の呼び出しで、店内の従業員に注意を促すと言うようなことをしていたらしい。現在もその様なことをやっているのか分からない。昔もこのようなことが本当に行われていたのかも不明である。
この他に雨が降り出すと包装に気を配るよう、それを店員に知らせる為に雨降りの音楽が流れたりするらしい。それを知って以来、デパートに行くとそういう遠い土地から来た架空の客の呼び出しが掛かるのを楽しみにしているのだが、これぞ、と言う確信が得られないままで今日に至っている。
店員に聞いてみればすぐ分かるのだろうが、なかなか聞く勇気が出ない。
「すみません、今の呼び出し放送は万引き発生のお知らせですか」
「はぁ?お客様、何かございましたでしょうか」こんな事を言われそうで聞くのが恐い。
000920苺は野菜か。果物か野菜かと言う議論に登場する果実は大抵は「西瓜」のような気がする。が、苺やメロンは文句無しに果物に入っているためか、議論に登場しない。。
果物は木本植物*1の果実のことでリンゴや桃やブドウなどを指す。木本植物とは茎や根がどんどん肥大化、成長して樹木になる植物である。草などのように茎の部分が1年で成長が終わってしまい木のようにならない植物を草本植物という。
野菜は食用になる草本植物の果実、根、葉っぱのことである。そうすると苺やメロンは野菜に分類される。
苺などが野菜に分類されるのはどうも納得がいかない。野菜はおかず、果物はデザート、と決まっているからである。でも西瓜は野菜でもいい。あまり好きではないのでどっちでもいいのである。
*1 植物のプロポーション
000921確か中川いさみの「大人袋」と言う4コマ漫画だったと思う。水族館の水槽の中に小さな丸い蟹が一匹いる。主人公がこの蟹の名前が「スベスベマンジュウガニ」と言うことを知って大笑いをして、変な名前を付けられた蟹に対して威張ってみせる。そして解説に「人を殺せる毒を持つ」と書いてあることに気付くとその主人公は水槽の前でひれ伏すのである。
このスベスベマンジュウガニというのは作者の中川いさみがこの4コマ漫画の為に創作した名前だとずっと思っていた。そうしたら本当にそういう名前の蟹がいることをここの掲示板で知った。
この危険なスベスベマンジュウガニは海外では何と呼ばれているのだろうか。タマゴガニと呼ぶ場合があるらしい。思ったよりつまらない。学名のAtergatis floridusはどんな意味だろう。これもあまり期待できないかも知れない。
000922チャンジャという韓国産の漬け物がある。鱈の内蔵を白菜のキムチのように辛子で漬けたものである。
10年ほど前、24時間営業の定食屋さんで食べたのが最初であった。このとき鱈の内蔵と言う説明は全くなく、珍味の王様チャンジャと書いてあるだけであった。珍味と言えば食べないわけにはいかない。食べてみると見た目通りものすごく辛い。しかし歯触りがコリコリとして何とも言えないうまさがある。一体何を辛子で漬けてあるのかどうも見当が付かない。なんとなくミル貝ではないかと勝手に思っていた。
最近、街中のスーパーマーケットでチャンジャーを見かけるようになった。説明書きには鱈の内蔵とあった。そこで初めて知った。しかし、欲しいときには大抵チャンジャーは置いてない。いつも白菜キムチばかりである。
通販を利用して買うしかないのだろうか。
000923数というのは天与のものであると考えるべきなのか、人間が作り上げたものと考えるべきか。算数や数学を習う上では何となく天与のものであるかのように教えられてきたような気がする。よく考えてみれば「数」というのは人間が作り出した概念であって、人間以外の生物が独立に同じような数学という学問を作り上げるかどうかとなると疑わしい。
例えば地球以外に文明を持つ生物がいるとして、その生物が三角関数*1とか、微分積分*2とかトポロジー*3という概念を持ち得るか、と考えると、とても同じような考えを持つとは思えない。表記法が同じになると言う意味ではなく、同じ概念が発生するかと言う点で考えると、そうでないと考える方が自然である。基本的な概念の数についても同じだろう。しかし人間の考えた数学を宇宙人が理解するかどうかは別問題である。
そうすると数は天与のものと考えるよりは、勝手に作り上げたものと考える方が妥当であろう。勝手に作ったものであるが、神秘的なところが沢山あるので、勝手に作り出したとは言え、不思議なものである。
小学生の頃、12345679×9=111111111というような計算で数字がきれいに並ぶのを本か何かで知ったときには、何かを発見したような気分になった。筆算で計算していくと将棋倒しのように1が並んでいくのが面白かった。
最近、同じような気分を味わった。
実数は有理数と無理数とに分類する事が出来る。更に無理数*4は2次方程式や3次方程式などの解になり得る無理数と係数が整数のn次方程式の解になり得ない無理数に分けられる。後者を超越数*5と呼ぶ。超越数には円周率πや自然対数の底eなどがある。
さて、この超越数を累乗によって整数に変換することは簡単にはできない。√2は2次方程式の解なので自乗すれば整数の2になる。πの自乗を計算しても三乗根を計算しても、もともと方程式の解になっていないので整数にならない。0乗すると「1」になるが、これは除外する。
しかし限りなく整数に近づけることが出来る。
R=eπ√163=262537412640768743
.99999999999925・・・ *6となり、殆ど整数になっている。これを見たとき無限小世界の隙間を顕微鏡で覗いたような気分になった。この数はエイプリルフールにマチン・ガードナー*7が整数であると、かつて発表した事があるらしい。それにしてもこのような数をどうやって見つけたのだろう。
*1 中学生に送る簡単三角関数
*2 やさしい数学講座第13章 微分と積分?イントロダクション?
*3 『位相幾何』
*4 π,その甘い響き(1)
*5 πとは?Part1
*6 Ramanujan Constant -- from Wolfram MathWorld
*7 あなたの知らない世界
000924数年前、世田谷区の砧にある円谷プロに息子と一緒に見学に行ったことがある。ウルトラマン発祥の地であることに関して特に息子は感激しているという様子がなかったが、ウルトラマンの着ぐるみがそこら中に無造作に置いてあるのを見てびっくりしていた。
自分も懐かしいので辺りをいろいろ眺めていたら、棚の上にチビラくんの頭が置いてあった。チビラくんに登場する青色のてるてる坊主の怪獣で、たしかチビラくんの友達だったような気がする。埃をかぶっていて十数年はそこに置きっぱなしになっているような感じであった。
チビラくんが住んでいた丸窓の家は世田谷区内に実際にあった建築物であった。今から15年ほど前は、まだあった。近くにいた職員の方にチビラくんの家の事を聞いたら、もう取り壊されてしまったと聞いている、と話してくれた。
子供の頃に現実にあると思っていたチビラくんの世界が、自分の成長とともにそれが仮想の世界であると思うことが出来るようになってきた。そしてその仮想の世界の中に現実が潜んでいることを知る。この時、何とも言えない興奮を味わえた。
000925よく似ている言葉*1で「しかつめらしい」と「しかめつら」がある。漢字で書けば「鹿爪らしい」と「顰め面」なので間違えることはないが、平仮名で「しかつめらしい」と書かれると「しかめつら」と勘違いしてしまうことがある。意味は「もったいぶっている」と「不機嫌な顔」なので用法を間違えることはない。
もっとよく似た言葉で「おざなり」と「なおざり」がある。漢字で書けば「御座成り」と「等閑」で、意味はそれぞれ「その場の間に合わせ」と「いい加減にほうっておくさま」である。 漢字で書けば違いがよく分かるが、平仮名で書かれるとどっちがどっちだか分からなくなる。
意味は全然似通っていないのだが、「しかつめ」と「しかめつら」との組み合わせと違って態度としては根がよく似ているので用法を間違える可能性が非常に高い。
*1 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
000926トランジスター、バリスター、サイリスター、サーミスターとこれらの固体電子素子の名前には「スター」という言葉が入っている。この「スター」は何か。星のスターではない。それぞれをローマ字で書くと「transistor」「varistor」「thyristor」「thermistor」なので星の「star」とは綴りが違う。
この「stor」は「resistor」のスターである。レジスターとは抵抗器のことである。バリスターはvari+resistorで「変化する抵抗器」。加える電圧の大きさによって電気抵抗が変化する回路素子である。サーミスターはthermo+resistorで「温度の抵抗器」。温度によって抵抗値が変化する回路素子である。
トランジスターは電気信号を増幅させる回路素子なので電気の流れにくくする抵抗器とは少し毛色が違う。サイリスターはあまり聞かない名前かも知れないが、これも抵抗器としての役目はなく、機械的な駆動部分のない半導体電子スイッチとして家電製品から電車まで幅広く使われている。いずれも半導体で構成される電子部品である。
抵抗器は大抵、セラミックスや金属などの固体を使うので「レジスター」というのは固体という意味が強いのかも知れない。トランジスターやサイリスターが発明されたときは、今までの真空や気体を利用した「電子管」から「固体素子」への変化を強調したかったのかも知れない。
サイリスターはサイラトロンthyratronという電子管の半導体版ということでthyratron+resistor「サイラトロンのような抵抗器(固体素子)」である。トランジスターはtransfer+resistorである。transferは「運ぶ」。最初のトランジスターは結晶に二本の針を立てたもので、その結晶が「レジスター」というのは判る。しかし何を「運ぶ」のだろうか。おそらく結晶の中の電子を運んで増幅作用を起こすという意味合いからtransfer resistortと名付けたのであろう。
00092720歳ぐらいから精神的には年を取っていないつもりでも、端から見ればすっかり中年になりかけている、もしくは、なってしまっているようである。
おやじギャグ*1といわれるような地口の類を口にすると直接的に受けとめられ「やはりおやじだな・・・」と思われているようで恐い。おやじギャグを言っている本人にとっては、そのギャグの受けを狙っているのではなく、「ギャグを言った状況」に受けて欲しいのである。しかし聞いている側はそのギャグを「おやじ」そのものが発しているので、ギャグそのものを真っ向から受けとめてしまう。
ギャグを言った本人は精神的には20歳のつもりなので、「おやじ」ならこんなギャグをいうだろうな、と第三者的な立場になろうとする。ところが自分より遥かに年下の者はそうは受け止めてくれない。
最近、筆者と同じ年代と思われる人が連れの人に「コーディネートはこうでねぇと」という懐かしいギャグを発していた。その連れの人も大体、同年代のようだった。二人してガハハと大笑いしていたが、恐らく彼らも筆者と同じつもりであのギャグに受けていたのだろう。
しかし、端から冷静に見るとやはり「おやじギャグ」を言うおやじそのものであった。気を付けたいものでアルハンブラの宮殿*2。
*1 おやじギャグ研究室
*2 Alhambra.org
000928先日の話題*1で固体素子のスターはレジスターのスターである、と書いた。
サイリスターの語源*2をよく見たらthyratron+transistorであった。サイリスターのスターはトランジスターのスターということになる。
しかしトランジスターの「スター」はレジスターのスターなので全く間違っているわけではないだろう。
*1 スター
*2 English Definition of thyristor - WordReference.com
000929強力な磁界によってガソリンの性質を改変させて自動車の燃費をよくする装置が巷では売られている。説明書には磁界によってガソリンの分子が揃ってガソリンが燃焼しやすくなり、燃費が良くなると言うような事が書いてある。
化学的、物理的にそんなことが言えるかどうかは今一つ釈然としない部分がかなり多くあるが、製品として成り立っているところを見ると何らかの効果があるのであろう。
数年前にこの自動車の燃費改善装置に興味を持ち一寸調べてみたら、どうも磁石が付いているだけのようである。燃費改造装置としてはどのメーカーのものも数万円という値段が付いていた。磁石だけで数万円も払うのは癪なので磁石だけを買ってきて装着することを考えた。上の原理で燃費が良くならば磁力は強ければ強いほど効果がありそうである。燃費改善装置の磁石を見てみると単なるフェライト磁石のようなので、それよりも格段に強い磁力をもったNd(ネオジム)-Fe(鉄)-B(ほう素)磁石を買ってきた。
燃費改善装置を装着するのとと同じように自動車の燃料配管にその磁石を取り付けた。比較実験するために知人の自動車にも同じように取り付けた。
燃費を満タン法で測定してみると僅かであるが燃費が向上している。磁石の効果があるのか。同じように磁石を取り付けた知人に燃費が良くなったかどうか聞いてみた。さほど変わらないと言う。
これはどう読むか。プラシーボ効果のようなものだと思う。燃費が良くなるかも知れない、良くなって欲しいと思いながら運転するので無意識のうちにアクセルペダルの踏み方やブレーキを踏む回数などが変化してくるのだろう。半ば強制的に磁石を取り付けられた知人は実験結果などどうでもよいので運転の仕方が変わらなかったのだろう。
科学的な実験方法では全然なかったが、磁石を付ければ燃費が良くなるはずだ、という心理的な効果として燃費が良くなったということは、それはそれでその装置の効果があるとすべきだろう。
000930世田谷の祖師谷にあった中華料理店によく行っていた。今もあるかどうか知らない。学生時代によく通った。この中華料理屋のキャベツの浅漬けが美味しかったのだが、今回はその話題ではない。
ここの青椒肉絲が滅法うまかった。定食なので料金が押さえてあるため、量は少な目だった。量が少ないのに、皿が異様に大きかったので少ないおかずが更に少なく見えた。
普通に考えると量が少なければ皿も小さくして、釣り合いを取りたくなるだろう。大きな皿だと使ってない部分が多く残っていても一旦使えば洗わなければならないので、汚れの割には洗う手間が増えることになる。しかし何と言っても料理を出された客に料理の量が少な目に見えてしまうような大きな皿は使いたくないのが店側の心理ではないだろうか。
ところが件の中華料理屋は大きな皿を使っていた。もともと少ない量なので普通にご飯に添えて食べるとご飯が余ってしまう。しかし大きな皿に盛ったおかずは更に少な目に見えるので箸で摘んでご飯に添える量が普段よりかなり少なくなる。その結果どんなことが起こるかというと、ご飯が余らなくなるのである。
少な目の料理に大きな皿という逆説的な組み合わせが、客の食べ方をうまく制御していたのだ。
テレビジョンで自動車の広告を見ていると運転者の運転姿勢が気になって仕方がない。背もたれがかなり傾いてハンドルを握る腕がピンと伸びた状態で運転している場合が多いような気がする。
あの運転姿勢ではすぐに疲れてしまう。腕はピンと伸ばした状態ではなく肘がだいたい90〜120度前後になるぐらいが疲れにくい。そうなるように背もたれの角度を調節する。広告のような運転姿勢をずっと続けていた人がこのように調節すると最初はものすごく窮屈に感じるが、すぐ慣れて運転が今までよりもずっと疲れにくくなることに気付く。
またハンドルの操作も機敏になるので安全上も有利である。
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