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雑記草商店
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0903雑記草
090302昔、田畑彦右衛門という人が日本放送協会の番組に出ていた。幼少の頃によく観ていた子供向け情報番組「600こちら情報部*1」の解説員だった。「クイズ百点満点*2」にも出ていた。
名前が古風なので、兄弟の間*3ではかなり受けていた。画面に出てくるとツクツクボウシ*4の鳴き真似で「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ヒコエーモン、ヒコエーモン、ヒコエーモン、タバタバタバタバタバーーーー」とやっては大笑いしていた。
*1 アカイさんノート:NHKブログ | 情報/ワイドショー | 600こちら情報部
*2 アカイさんノート:NHKブログ | バラエティ | クイズ百点満点(1)テーマ編
*3 風呂での出来事
*4 ツクツクボウシ - 昆虫(昆虫綱) - Yahoo!きっず図鑑
090303最近、面白いと思う漫才師は、「キング オブ コメディ*1」「はんにゃ*2」「ジャルジャル*3」「ザブングル*4」である。
以前、記事で「麒麟*5」や「チュートリアル*6」を話題にしたことがあるが、売れてきてテレビジョンなどに頻繁に出るようになると漫才やコントが殆ど見られなくなった。
前述の漫才師達もいずれはそうなるのだろう。売れなくてもテレビジョンなどで見られなくなるのだから、どっちにしても彼らの漫才を楽しめる期間はそれ程長くない。
*1 キングオブコメディ
*2 はんにゃ - プロフィール - Yahoo!人物名鑑
*3 ジャルジャル:baseよしもと
*4 WE!マイページ: ザブングル
*5 麒麟
*6 チュートリアル
090304少し前に、簡単なオートクレーブ*1、火炎放射器*2、ジェットエンジン、ジェイコブス・ラダー*3などの実験ができる高電圧トランスなどを身近な物で製作する方法が載っている本*4を買った。実際にこれを読んで作ることはしないが、読んでいてあることを思い出した。
幼少の頃、シャープペンシルの芯が入っていたプラスチック製の筒*5に何本ものマッチの頭*6の火薬を削って、それを筒の中一杯に詰めて火を点けて遊んだことがある。火を点けると炎が筒の口から勢い良く吹き出た。その様を見て「ロケット」とか「ジェット」だと言って喜んでいた。
おもちゃの鉄砲用の火薬*7は使わなかった。マッチは家にいくらでもあるので只だが、おもちゃの火薬でやろうとしたら大量に買わなければならない。当時、経済的にそんな余裕はなかった。更に学校の先生から鉄砲の火薬をほぐして錠剤か何かのガラス瓶に一杯詰めて、それをズボンのポケットに入れたまま遊んでいた小学生の話を聞いていた。ポケットの中で揺さぶられた火薬が爆発しガラス瓶が破裂して大けがをしたと言うのだ。
筒の中に詰める作業中に爆発したら大変なことになった。とは言え、そんなことまで考えられたとはとても思えない。単に経済的な理由によって鉄砲の火薬を使わなかっただけだった。
*1 オートクレーブ
*2 HowStuffWorks "How Flamethrowers Work"
*3 参考資料(機体関連)
*4 Jacob's Ladder
*5 コーリン・シャープペンシル芯
*6 待ち針
*7 第3回:鉄砲は子供のパスポート!!
090305歯磨きに歯槽膿漏や歯周病に効くと謳っている練り歯磨き粉*1を使っている。最近気付いたのだが、チューブに「歯ソーローノー」と書いてある。
平仮名や片仮名で使う「ー」は長音符と呼ばれる*2。これは外来語などを表記する時にもっぱら使用される。元々日本語の場合は長音は「ー」ではなく「ウ」「オ」「ア」「イ」で表すのが普通である。歯槽膿漏であれば「シソウノウロウ」である。最近は日本語でも「ー」を使う場合があるが、固有名詞だ。ダイソー*3、ムトーハップ*4、イトーヨーカドー*5などは「大創*6」「武藤(六一〇)ハップ」「伊藤羊華堂*7」が元になっている。固有名詞であれば、どんな表記を使っても他人から文句を言われる筋合いはない。
件の歯磨き粉の場合、商品名ではなく、効能として「歯肉炎・歯ソーノーロー治療」と書いてある。一般名詞として使っているのだ。歯槽膿漏は漢字が難しいので、読めない人にも買ってもらえる様にしたのだろう。まぁ、この歯磨き粉が爆発的に売れる事はないだろうから、歯槽膿漏を「歯ソーノーロー」と書いても間違っていないと思う人はそんなに増えない。それにしても一年以上も使い続けているが、全く気付かなかったのは何故か。違和感が少ないのだろうか。
ただ歯学会*8などでは、こういう表記は絶対に避けてもらいたい。間違いだから避けるも何もない。だが既にこういう表記をしている歯科大学のページを見つけた*9。ここ*10でも使っている。大丈夫か。
*1 歯周病・歯ソーノーローには、アセス
*2 日本語における長音符の起源
*3 DAISO|ダイソーホームページ
*4 お風呂アドバイザー 洗いの殿堂 - 【六一〇ハップ】
*5 イトーヨーカドー トップページ
*6 ダイソー豆辞典|ダイソーホームページ
*7 イトーヨーカドー 沿革
*8 日本歯周病学会
*9 歯ソーノーローで歯ぐきがやせて、歯が不格好に長くなっています。 (福岡歯科大 医科歯科総合病院 診療Q&A)
*10 東北大学病院/Tohoku University Hospital:咬合回復科
090306風呂場に用途不明のものが置いてあるのに気付いた。かなり前から置いてあったようだが、用途不明なので気付かなかった。気付いても用途不明であった。網目状の合成繊維でできていて、てるてる坊主みたいな形をしている。pompon*1にも似ている。まさか風呂場で妻や娘たちがチアガールの真似をしている*2とは思えない。
何かのきっかけで手軽に石鹸の泡を立てられる道具*3だと知った。
使ってみると成る程、きめの細かい泡が簡単にできる。普通の手ぬぐい*4ではこうはいかない。面白い。この細かい泡で洗浄効果が高まったりすると言うことは一切ないと思うが、体中にホイップクリーム*5を塗る様な感覚で非常に楽しい。何かしらの効果がありそうな気がしてくる。
以来、これで体を洗う様になった。
*1 Ponpon de pom pom girl - Tête à modeler
*2 ポンポン
*3 洗顔用泡立てネット - その他のアイテム - 沖縄発の新スキンケアブランド パダーム|Padarm natural concept
*4 己已巳
*5 簡単!ホイップクリームの作り方・レシピ - [料理のABC]All About
090307湯桶読みとか重箱読みとか*1言う。「ゆとう」の様に訓音と組み合わせて読むのが湯桶読み、その逆で「じゅうばこ」の様に音訓で読むのが重箱読みである。「重箱」は湯桶読みとは言わない。
訓音、音訓で明確な区別があると思っていたが、そうでないことを知った。このページ*2に書いてあった。昔は湯桶、重箱どちらも「湯桶読み」と言っていたらしい。区別無しなのである。
「泥仕合(どろじあい→訓音訓)」「長丁場(ながちょうば→訓音訓)」は湯桶読みか重箱読みか。不思議なことに「音訓音」の三字熟語は見当たらなかった。かっての呼び方ならどんな場合でも「湯桶読み」と言える。
明治時代の国語辞書*3を引いてみる。「ゆとうよみ(名)『湯桶訓』漢語ノ熟語ヲ、音訓ヲ雑ヘテ讀ムコト、即チ、湯桶ハ、上、訓ニテ、下、音ナリ、其他、重箱、團子ノ類是ナリ、故ニ重箱訓ノ稱モアリ」とある。重箱読みとも言うが、区別はなかったようだ。因にこの辞書には「重箱」はあるが、「ぢゆうばこよみ」の見出しはない。従って通常は「ゆとうよみ」と称していたのだろう。
*1 雑記草の由来
*2 誤用日本語「至上命題」
*3 カバ
090308数年前に蚊よけ器を買った*1。一年半前にこの類いの商品に「表示に謳われている効果が見られない」と言うことで販売業者が排除命令を受けた*2。買った商品*3はまだ手許にある。
筆者は完全に騙されてしまった。幼少の頃、夏の夕方に川の土手などで「う〜」と少し高い声を出ながらその場で暫く立っていると蚊柱が顔の周りできる経験を何度もした。蚊は音を聞くことができると言うのは経験上知っていた。蚊の集まる音があれば、蚊の嫌がる音もあるだろうと考えたのである。
人間の血を吸う産卵期のメス蚊は、オス蚊の接近を極度に嫌うため、オス蚊が出す羽音を出してやれば蚊が寄ってこない*4と言う説明を購入の前後で見た様な気がする。これではもう疑い様がない。まんまとひっかかってしまった。とは言え殆ど使っていないので、実害はあまりない。恐らくこの商品に依る被害者はいないだろうが、効かないことに気付いた誰かが公正取引委員会に申告*5して、公取委が調査してみると販売業者が意外と儲けていた為に排除命令が下されたのだろう。インチキ商売で儲ける行為を排除することは非常に良いことだ。販売業者は確信犯*6的にこの商品が効くと固く信じて売っていたのか、効かなくても値段が安いから誰も文句を言ってこないだろうと思いながら売っていたのかは不明だが、前者であれば、効能に謳うからには何らかの事前検証が必要だったことは間違いない*7。
*1 蚊よけ器
*2 公正取引委員会:株式会社オーム電機に対する排除命令について
*3 kayoke.jpg
*4 本多電子ホームページ|50周年記念誌
*5 公正取引委員会:相談・届出・申告の窓口
*6 かくしん-はん 【確信犯】の意味 国語辞典 - goo辞書
*7 「蚊よけ器」公正取引委員会による排除命令につきまして
090309三年半程前に牛肉の個体識別番号の記事を書いた*1。牛個体識別番号とは、牛海綿状脳症の蔓延を防止するためにできた個体識別情報提供用の番号*2である。
筆者が三年半前に食べた牛の識別番号は「1180550729」だ。三年も経てば、いくら何でも消費用として流通していることはないと思われるが、検索する*3と今でもちゃんと情報が出てくる。
一体何年後まで検索できるのだろう。識別番号は10桁なのでこれが全て埋まるまで筆者が食べた牛の番号は消えないのだろうか。10桁で表現できる数は100億である。雄牛の「1180550729」君(ただし去勢)が生まれたのは平成14年12月28日だから、「1180550729」が上書きされるのは、この日から100億頭目が生まれた日である。肉牛が生まれてから屠畜されるまで5年*4とする。全国で飼われている肉用牛は300万頭位*5らしい。どの年齢の牛も同じ程度の頭数がいるとすれば、最年長が5歳だから60万頭の牛が毎年屠畜されることになる。となると100億÷60万で、「1180550729」が上書きされるのは約17000年後である。ほぼ永久に記録され続けることになる。
*1 個体識別番号
*2 牛個体識別制度-目的別索引-牛の個体識別情報検索サービス
*3 牛の個体識別情報検索サービス
*4 肉用牛の発育
*5 農林水産省/畜産統計(平成20年2月1日現在)(訂正版)
090310数ヶ月前、夜遅くに名古屋近郊のJR路線の駅で降りたらホームの反対側に見慣れない電車が止まっていた。JR東海*1にはない赤い車両で、側面には「KEIKYU」と書いてあった。京浜急行*2の車両である。JR路線を使った車両の輸送だとすぐ合点がいって、これは珍しいと改札に向かわずに車両の方へ近づいて行った。
すると一人の青年が興奮した様子で駆け寄ってきて「京浜急行の車両なんですよ」といきなり話しかけてきた。当人は嬉しくて堪らなかったのだろう。少しでも興味を持った人がいたら話しかけたくて仕方がなかったに違いない。そこで筆者は「どこから運んできたのですか」と尋ねると「兵庫の川崎重工*3です」と教えてくれた。と話している間に京急の新型車両は上り方面にゆっくりと動き出した。件の青年は動く車両に合わせてホームを上り方向に走り去って行った。
よく見るともう一つのホームには三脚を据えて輸送される車両をカメラで狙っている人が数人いた。車両輸送の日程など通常は手に入らない情報だろう。しかもその日の運行予定を把握して兵庫から神奈川*4までのどの駅で一旦停止するかを知っているのである。趣味人の情報収集能力は素晴らしい。
*1 全く謝らないJR東海
*2 京浜急行電鉄
*3 鉄道車両 KHI
*4 @nifty:デイリーポータルZ:車両基地めぐり
090311筆者の嫌いな言葉に「地産地消(ちさんちしょう)*1」がある。初めて見たとき何を意味しているのか全く分からなかった。意味を知って何と間抜けな熟語だ、と思った。どこかの環境保護団体があまり考えずに浮かれて作った言葉ではないか。まず概念が出来上がる。「地元でとれた生産物を地元で消費」すれば、食料輸送における二酸化炭素の排出*2などが抑えられ、環境負荷の低減に繋がる。「地元でとれた生産物を地元で消費」を略して「地産地消」だぁ、と言った具合にできたのだろう。とにかく新しい熟語は教養や知識として得ておかれるべきものではなく、常識の範囲で意味が類推できるような構成になっていないと言葉としての存在価値がない*3。
念のため調べてみると違っていた。農林水産省が言い出した*4らしい。「地元でとれた生産物を地元で消費」することを通じて農業者と消費者とを強く結びつけ、食料の安全性を確保しつつ関連産業の活性化を図る取り組みを表現したようだ。
本来、言葉の略と言うのは、元の言葉が人口に膾炙してから自然に行なわれるのであって、最初から略して呼ばせるのは如何にも傲慢な態度である。そしてそれを喜んで使う方も使う方だ。
嫌いな理由は、その成り立ちが変だからである。四字熟語を作るとき、ある文の単語の頭だけを順番に並べるというやり方が成立するのだろうか。例えば「豚も煽(おだ)てりゃ木に登る*5」という諺があるとする。これを使われている漢字の順番通り「豚煽木登(とんせんぼくとう)」とするのだろうか。少なくとも漢文風に「煽豚登木」の順番になるのではないか。「地元でとれた生産物を地元で消費」を「地産地消」とするのはあまりにも間抜けで、それを知らずに意味を考えようにも「地産*6」も「地消」も見た事もない熟語だからさっぱり分からない。
ではどうすればよいか。「産消同地」にすれば断然解りやすくなる。呉越同舟*7から作った。
*1 地産地消
*2 地球温暖化
*3 文章力
*4 地産地消とは?
*5 豚もおだてりゃ木に登る
*6 地産関連特別相談窓口の開設について|中小企業事業|日本政策金融公庫
*7 呉越同舟 - 語源由来辞典
090312筆者の嫌いな言葉の「地産地消(ちさんちしょう)*1」を好んで使う環境保護団体がある。ある環境保護非営利団体の小さな冊子が手許にある。この冊子の一番最初に「地産地消」と書いてある。「地元でとれた生産物を地元で消費」すれば輸送距離を短くすることができて余分なエネルギーを使わない*2ので、地球に優しい生活様式だと主張している。そしてこの団体は有機栽培で育てられた野菜や果物を農家から消費者に販売することを主な事業としている。
ところが野菜や果物を全国に配送してくれると言うのだ。離島にも届けると言う。「地産地消」はどうなっているのか。
結局、この程度なのである。これでは普通の商売と何ら変わりがない。うわべだけの環境保護を謳っている分、質が悪い。分かってやっているのか、矛盾に気付かないのか。どちらにしても恥ずかしい話だ。
*1 地産地消
*2 二酸化炭素削減技術
090313漫画家の田中圭一*1と国文学者の田中貴子*2との共著「セクシィ古文!*3」と言う本を読んだ。様々な日本古典文学の中の過激な性描写場面の一部を田中圭一の漫画と田中貴子の解説とで紹介している。その中に江戸時代初期にキリスト教布教の為、日本へ来たスペイン人神父コリャード*4が執筆し、ローマで1632年に刊行された「懺悔録」という古典の紹介があった。
原書は当然のことながらローマ字で書かれており*5、見開き左頁には日本語、右頁ラテン語対訳と言う構成になっているらしい。当時の日本語の発音をそのままローマ字で表現している。原書はローマ字で書かれているが、歴とした日本の古典である。
件の著書では国語学者の大塚光信が翻字した漢字かな混じりの文章*6を基にした内容が紹介されていた。キリスト教に入信したある男の性に関する罪の告白である。その告白内容がむちゃくちゃなのだ。
自分は妻を持ちながら愛人を設けてしまった。その愛人にも夫がいる。十分な時間がない時には、身体を触り、接吻をし、性器をまさぐり思いのままにした。また大抵は普通のやり方だったが、無理強いして二、三度、肛門を使ったこともあった。そしてこれらの情事を思い出しながら自慰にふけることも度々あった。その回数は前の懺悔以降、七、八十回である。
と言った調子である。これは面白いので全文が読みたくなった。早速、探してみると古本があった。文庫本で上中下巻の三巻もある。これは読み出があるわい、と思いながら通信販売*7で注文した。
本が届いた。早速、件の記述を見つけようとしたが、なかなか見つからない。ふと著者を見ると「ルソオ」と書いてある。ジャン・ジャック・ルソー*8ではないか。買う本を間違えた。注文したのはルソーの「懺悔録」*9だった。何と間抜けなことか。がっくり来たが、気を取り直して再度検索し、コリャードの懺悔録を注文した。これも古本である。ルソーの方は戒めとして返品せず蔵書とした。
再注文して届いた本は170頁程度で、その内、上記の様な性の告白は全部で10頁程度だった。注釈は付いているが、全文現代語訳ではないので、細かい部分がところどころ判らない。まぁ、雰囲気だけで良しとしよう。
*1 バロン吉元
*2 松岡正剛の千夜千冊『聖なる女』田中貴子
*3 商品詳細|株式会社メディアファクトリー セクシィ古文! (ナレッジエンタ読本8)
*4 Grammar of the Japanese Language.
*5 『日本懺悔録』
*6 コリャード 懺悔録
*7 雑記草商店 - 書籍
*8 ジャンジャック・ルソー
*9 太宰治 思案の敗北
090314葉書や請求書など自分の住所や電話番号が書いてある書類を捨てる際にそれが判らない様にして捨てる。自分が出したゴミからそう言った情報を抜き出されて被害に遭う確率など、宝くじ*1で何億円も当てる確率よりも低いのではないか。そもそも個人情報を集める人はゴミから集めるなどと言う手間の掛かることなどしないだろう。特定の人物に対して悪意を持っていれば、執念深くそういうことをするかも知れない。または自分や家族が絶世の美人で知らない人が何とか情報を集めようとしているのかも知れない。だがそのような心当たりがなければ、全く問題はないだろう。
それにゴミから住所や電話番号を知られても、せいぜい不動産の購入の勧誘や広告郵便物が届く程度で被害と言う程でもない。過去に執拗な不動産投資の勧誘を受けたことがあるが、これはゴミからの情報ではなく卒業写真の名簿などからだろう。そう考える根拠はない。根拠はないが、ゴミを暴いて自分の情報を収集してい人がいるとは想像できない。
とは言え、「もし漏れたら、何か恐ろしいことが起こるのではないか」と考えてしまい、可能な限り住所や電話番号が判らない様にして捨てる。やってもやらなくても結果は同じだからできるだけ手を掛けずに自分の気が済むように処置したい。ゴミからの個人情報漏洩防止はまじないやお守り*2と同じだからできるだけ簡単な方がいい。
以前は、紙を細かく切り刻む道具*3や専用のはさみ*4を使っていた。ゴミに手間を掛けるのはかなり面倒だ。
判子で情報を消すと言う商品*5が出ている。最初に出したのはプラスと言う文房具製造会社*6だった。発売された当時は面白い発想の商品だと思っていたが、家には切り刻む道具があるので、不要と考えていた。
最近、近所で500円位で売っていた*7のを見つけたので、買った。これは簡単でいい。判子を押しても住所を読もうとすれば読める場合がある。しかしそこまでして筆者の情報を知りたい人はこの世にいまい。これで十分だ。もっと早く買えばよかった。廉価版なのでインクの補充はできないと書いてある。そんなことはないだろう。この類いの商品はいろいろな会社から出ており、補充インクも発売されている。違う会社のものでも基本成分は同じに決まっている。適当に買ってきて補充してみた。綺麗に浸透*8して問題は全くない様子だ。これはいいおまじないになる。
*1 みずほ銀行 宝くじコーナー
*2 妊娠検査薬
*3 シュレッダー 「手回し式」 PSD-12 SC7 卓上型シュレッダー | 家電販売 eBEST イーベストへようこそ!豊富なアイテムからショッピングをお楽しみ下さい。
*4 はさみ型シュレッダー(ハサミ型) 手動ながら9連刃で3.5mm角に細かくカット
*5 個人情報 スタンプ - Google 検索
*6 プラスステーショナリー -ニュースリリース/新発想の個人情報を保護するスタンプ<ケシポン>-
*7 タイヨートマー 個人情報セキュリティスタンパー「字消屋」
*8 FAQ [浸透印について]
090315富士フイルムが化粧品を出している*1。テレビジョンで広告を放映し出した時、なんて間抜けな戦略なのだろうと思っていた。「富士フイルム*2」と言う名前を出すことに一体どんな意味があるのか。むしろ購買者となる女性にとって「富士フイルム」という名前は購買意欲を削ぐのではないか。
アジエンス*3という洗髪剤は花王が製造販売している。ところがテレビジョン広告では一切「花王」が出てこない。今はどうか知らないが、当初は花王のブランド*4として宣伝していなかった。MaxFactor*5かユニリーバ*6など西洋の化粧品メーカが日本向けに開発した東洋ブランドという印象を持たせていた。洗髪剤でさえこうなのだから、幻想で売る化粧品はなおさら「写真」という既成の印象は邪魔ではないのか。
当然、周到な市場調査の上での社名を出しているのだから、以上のことは下衆の勘繰り以外何ものでもない。
写真屋の前を通ったらあることに気付いた。店先に「富士フィルムの化粧品『アスタリフト』あります」と書いてある。これである。富士フイルムの社名を出した理由の一つはここにあった。既存の写真現像の取次店でも売れるように「富士フィルム」を全面に出したのである。
デジタルカメラが全盛になった今日、写真現像の取次ぎは壊滅状態*7になっている。その補填として化粧品が一役を買う。この化粧品を現像取次店で買ってもらうには、テレビジョン広告で富士フイルムが出していることを知ってもらわなければならなかったのだろう。
デジタル写真用フジカラー画像印刷の宣伝*8と一緒に化粧品の宣伝をしていない所を見るとこれも下衆の勘繰りの様だ。
*1 FUJIFILM ヘルスケアラボ(ffhc.jp)
*2 ホーム | 富士フイルム
*3 花王 アジエンス|新しいアジエンス〜1.5倍に秘められた美の可能性〜
*4 ブランド志向
*5 MAXFACTOR
*6 ユニリーバ・ジャパンホームページ
*7 スライドフィルムの現像
*8 フジカラープリントテレビCM : 出演/長瀬智也・樹木希林・堀北真希 | 富士フイルム
090316京都の東本願寺*1で法事があった。十数年ぶりに親戚一同が集まった。皆元気そうであった。
本願寺の近くの渉成園(しょうせいえん)*2でお斎(とき)が出された。
園内には大きな池があった。食事の後、腹ごなしに池のほとりを歩くと大きな鯉が餌をねだりに沢山集まってきた *3。その中の一匹に魚の尻尾を口から出している*4のがいた。こんな有様で泳いでいるのかこの一匹だけだった*5。鯉は魚を食べるのだろうか。今まで想像もしたことがなかった。
鯉は雑食性で小魚も食べるようだ *6。あれぐらいの「小魚」を食べてしまっても珍しくないのだろう。
*1 真宗大谷派(東本願寺)TOMO-NET
*2 東本願寺 - 諸殿拝観 - 渉成園(枳殻邸)
*3 _0018853.jpg
*4 _0018858.jpg
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*6 神奈川県のコイについて
090317トラックボール*1が滑って仕方がない。今、使っているトラックボールは三年ぐらい前に買った物*2だ。画面上のポインターが思い通りに動かない。特に縦方向の反応が極端に鈍くなっている。
とは言え、しばらく動かしていると正常に動くようになる。起動し始めにこの現象が起きる。トラックボールのボールがある程度、体温に近くなってくると上手く動いてくれる。今まではこのようなことはなかった。おそらく中のローラー*3が磨り減ってきたのだろう。それにしてもこんなに早く磨り減ってしまう物だろうか。
新しいトラックボールを検討するか、中古品を探すか。
*1 トラックボール
*2 中古パソコンの購入(7)
*3 kensington.jpg
090318自動車を運転しながらラジオ放送を聴いていたら、自動車の運転でもコミュニケーションが大切という公共広告が流れてきた。「コミュニケーション」とは意思疎通のことだが、挨拶の意味も多く含まれているだろう。そしてその手段は任意であり、常識の範囲で互いの意思を伝え合う事を指しているのであろう。
冗談じゃない。何度も記事で取り上げている*1が、自動車の運転は「危険業務」なのである。人間の移動能力を何十倍にも増幅させ、間違った操作をすれば、簡単に人命を奪う事が出来る装置なのである。それをコミュニケーションなど甘っちょろいものに頼る部分があってはならない。
大切なのは道路交通法で決められている運転方法を忠実に守る事である。危険箇所でもないのにクラクション*2を軽く鳴らしたり、停止する意思もないのに非常点滅灯を数回点灯させたり*3して挨拶の代わりにしてもらっては困る。道を譲ってもらってもお礼などしなくてもいいので速度を落とさず、交通の流れを乱さない事が重要なのである。道を譲ったり譲られたりするのはお互い様なのだ。お礼に気を取られる方が危険である。
譲ったのにお礼もないと怒るのは自動車を運転する資格はない。本質を全く理解していない。
とは言っても、ついつい筆者も「危険箇所でもないのにクラクションを軽く鳴らしたり、停止する意思もないのに非常点滅灯を数回点灯させたりして挨拶の代わり」にしてしまっているのである。早く改めなければならぬ。
*1 マナーで防げる交通事故
*2 MOMO
*3 サンキュー・ハザード
090319自動車の運転中に道路交通法に決められていない方法に依る意思疎通は危険*1である。決められた事を互いに忠実に守る事が一番大切である。とは言っても運転しているのは電子頭脳*2付きのロボットではなく人間なので、譲ったり譲られたりしたら何らかの挨拶がないとなかなか納得いかないかもしれない。
そこで筆者は出来るだけ左手を挙げて、これをお礼の意味にしている。車線を譲って貰った時など車室内で左手を上げて、後方車両の運転手に感謝の意を表している事を判ってもらえているだろうと期待しつつやっている。これの最大の利点は挨拶のために視線を移動させる事がなく、危険の程度を最小限に抑えられる点である。欠点は座席の高いトラックなどには全く見えない点で、これは非常点滅灯の挨拶に劣る。
後ろのガラスには車室内を見え難くするためカーテンを掛けたり透明度の低い全面シールを貼っているので、左手を挙げているのかどうか見難いのではないかと言う人がいるかも知れない。そもそもそのような危険装備を施している時点で運転の資格はない。更に言えばこの様な装備は後方車両にとっても迷惑である。前方車の運転者の挙動が掴み難いため防衛運転に支障をきたす。また前方車の更に前方車のハイマウントストップランプ*3が見難くなるので前々方車の急制動への対応にも支障が出てくる。
やはり挨拶など自動車運転に必要はない。安全第一である。
*1 運転走行中の挨拶
*2 電子の意味
*3 ハイマウント・ストップランプとは
090320レジ袋を断ることが環境保護に繋がるか。レジ袋とはスーパーマーケットなどで只で貰える白く不透明なビニール袋である。「只で」と書いたのは最近はレジ袋削減運動の推進で有料でレジ袋を販売する小売店が多くなってきた*1からである。これを使わないようにすると環境保護になるという。
確かに海や山に白いレジ袋が大量に風に舞っているのは唾棄すべき景色である。また海に漂うレジ袋をクラゲと間違えて食べてしまい腹に閊えて死んでしまうウミガメもいる*2らしい。亀が苦しむ姿を想像するのは亀好きの筆者*3も苦しい。そう言えば「American Beauty*4」と言う映画で、主人公の娘の彼氏が自分で撮影したビデオ映像を彼女に見せる場面が出てくる。街角で風に舞う一枚のレジ袋をカメラで追っているだけの映像だ。この袋の映像を見せながら「遊んでくれとねだる子供のように自分にからみついた姿が美しい」と彼女に説明する。どういう発想だろうか。空のレジ袋はどんな動きをしていようが単なるごみにしか見えないし、例え袋の中に食料品などが入っていて袋としての機能を全うしていても袋そのものは世界で最も無用なものである。公の場では絶対使えない。
そう言う観点ではなく、二酸化炭素の削減になると言うのだ。二酸化炭素が環境に対して悪いというのは、地球温暖化の要因であると言う考え方からである。そもそも二酸化炭素が地球温暖化の原因になのかどうかははっきり言えないし、そうだとしてもレジ袋の製造や燃焼による二酸化炭素の増加は微々たるものだろう。二酸化炭素の増加と言うよりも化石燃料資源の節約という意味でレジ袋を削減すると言うのなら納得できる。筆者はこのことを以前から主張している*5。
レジ袋削減を喧伝しているしている人は「レジ袋を減らすことによる二酸化炭素削減効果など高が知れていることは百も承知」で、レジ袋を断ることにより自分と環境問題との関わりを見つめ直すきっかけになる効果を期待しているという。
全く駄目である。完全に自己満足の世界に浸っている。まずレジ袋を断っても二酸化炭素削減の効果は全くないだろう。それにレジ袋を断ることにより環境問題のことを考え直す主婦がどれだけいるだろう。「レジ袋を使わない」ということでその人にとっての環境問題の一つは完結してしまっている筈である。その証拠に買い物には化石燃料で動く自動車を使っている人は沢山いる。
レジ袋1枚を石油から作って最後に焼却場で燃やすと、全体で二酸化炭素を50g出す*6らしい。この値は計算する上で想定した条件によって大きく変わるだろうが、代表的な数値として考える。一方、ガソリン1リットルをエンジンで燃やすと2300gぐらいの二酸化炭素が出る*7。2300gにはガソリンの製造で発生する二酸化炭素が入っていないが、これで比較するとレジ袋1枚で削減できる二酸化炭素量はガソリン46mL(ミリリットル)の消費分になる。燃費15km/Lの自動車で走ることのできる距離は690mだから、この程度なら自動車を使うのを少し控えるだけでレジ袋を断らなくても削減できる。しかしレジ袋を断っていても少し余分に走ったり、電気を点けっぱなしにする*8だけで、レジ袋を断った効果は吹っ飛んでしまう。
現在言われている環境問題の原因は経済活動に伴う化石燃料に由来するエネルギー消費である。現状の経済活動を現状の科学技術の範囲で続ける限り解決できない。これを理解できていれば、自分の買い物袋で自動車に乗って買い物に行き、安いからといって余分に買って結局冷蔵庫で腐らせたり、何ら役に立たない映像を垂れ流し続けるテレビジョン番組を数時間見続けることはしないだろう。
レジ袋を断っていることを示す「自分の買い物袋」は間違いなく免罪符になっている。とは言え多くは環境問題ではなくレジ袋が有料であることのみが「自分の買い物袋」の動機であろう。
*1 名古屋市:レジ袋有料化の全市拡大(暮らしの情報)
*2 【ウェルかめ】人間とウミガメ
*3 カメノメ(2)
*4 American Beauty (1999)
*5 地球温暖化(5)
*6 市役所からのお知らせ レジ袋削減にご協力ください
*7 ECCJ 省エネルギーセンター / Q&A 一般 / 二酸化炭素
*8 Kakeibo 環境家計簿 環境家計簿計算方法
090321レジ袋*1の続き。二酸化炭素の排出は現在の経済活動の維持を現状の科学技術で続ける限り、減らすことはできない。これが問題となるのは二酸化炭素が地球温暖化の原因である場合であるが、その肝心な前提は非常に心許ないような気がしてならない。そのことは記事にさんざん書いている*2。
仮に二酸化炭素の増加が環境問題として、経済活動が人為的なその排出の唯一の原因であり、その原因の一部を自分が必ず担っているという意識はレジ袋を断る一般の人にあるのだろうか。
化石燃料をいっさい使わない江戸時代の経済活動のようになれば、二酸化炭素排出問題は一気に解決するだろう。人命に関する医療の部分だけ現代風のエネルギー使用は仕方がないかもしれない。化石燃料由来エネルギーによる最先端技術を駆使した日本のお家芸の輸出工業が殆ど不可能になる。すると輸入は殆どできなくなる。食料など完全に自給体制にしないと駄目だ。江戸時代の人口は三千万人ぐらい*3で、今の四分の一*4だった。十分に食えたかどうか判らないが、食料は自給していた。四倍の人口で食料が自給できるだろうか。当時よりも多くの土地が開墾されているだろうし、地球温暖化も本当に進行しているのなら江戸時代よりも農業事情は格段にいいのではないだろうか。江戸時代までも遡らなくとも六十五年前の戦時中でも人口一億人で食料自給できていた。
現代は当時よりも物質的に豊かになっているだけで、文化的には変わっていない、否、文化程度や民度はかなり低下している。封建制度や帝国主義といった政治体制や思想背景などを別にすれば、当時に戻っても全く問題はないのではないか。そんな姿の日本が漫画になっている*5。
二酸化炭素の増加が経済活動に起因していることが自明であることが認識できれば、近々ばらまかれる「定額給付金*6」は当然、退蔵することになる。銀行に預金してもその預金は間接的に経済活動に使われるから、箪笥に入れて使わないのが二酸化炭素を削減する唯一の方法である。燃やしたり捨てても駄目だ。燃やせば折角紙幣に固定された二酸化炭素*7が放出してしまうし、拾われて使われたら意味がない。レジ袋は断れてもそんなことはできないだろう。我が家の場合、前回の「地域振興券」がそうであった*8。単純な欲求の前では崇高な精神も屈してしまうのである。
二酸化炭素の増加と地球温暖化との因果関係を妄信した結果の行動は崇高な精神とはとても言えないが、給付金使用での経済活動によるエネルギーや資源枯渇を心配しての行動なら頷ける。
*1 エコな私
*2 雑記草内検索 ※「地球温暖化」と入力して検索
*3 有史以来の日本の人口の変化
*4 統計局ホームページ/人口推計/人口推計月報
*5 ぜんまいざむらいとは? | ぜんまいざむらい
*6 総務省|定額給付金について
*7 三椏が原料の和紙 | アワガミファクトリー
*8 地域振興券
090322日本放送協会の教育番組*1には時々、国辱ものがある。「えいごであそぼ*2」については以前にも書いた。日本に生まれたのであれば、まず日本文化を吸収するべきなのに外国の文化を教え込もうとする。順番が違う。これを国辱と言わずして何と言う。
最近、新しい国辱番組に気付いた。「からだであそぼ*3」である。一体なんなのだ。どうして遊び方なんぞをテレビジョン番組で教わらなければならないのか。それに番組名が「からだであそぼ」である。子供が体を使って遊ぶのは当たり前で、わざわざ公共の電波を使って流す程の内容ではない。
構成も気に入らない。常に大人と子供とが一緒になって遊んでいる内容である。今の子供は大人が一緒でないと遊べないのか。自分で遊びを創り出すこともできないのか。上級生が遊びを教えないのか。本当に日本の子供たちがこの番組を必要としているのならば、世も末である。
*1 えいごであそぼ
*2 英語が得意な日本人
*3 からだであそぼ
090323O・ヘンリー*1の「賢者の贈り物*2」の原題は「The Gift of the Magi*3」ということを知った。
「賢者Magi」とはキリストの誕生の際に登場したと言われる三人の賢者*4のことで「東方の三博士」とも言われている。
「Magi」と言う言葉を知ったのは「TRON」と言う映画についてのテレビジョン番組か何かを見たときだった。「TRON*5」はコンピュータ画像を駆使して1982年に製作されたディズニー映画である。コンピュータ画像を担当したのは「MAGI*6」という名の会社だった。「Mathematical Applications Group, Inc*7」の頭文字である。
この番組で、「Magi」は「マジック*8」の語源*9であるが、英語の発音は「メイジャイ *10」となることも知った。
*1 William Sydney Porter (1862-1910)
*2 賢者の贈り物
*3 THE GIFT OF THE MAGI
*4 東方の三博士の礼拝
*5 TRON
*6 TRON - The 1982 Movie
*7 MAGI/Synthavision
*8 マジック
*9 Online Etymology Dictionary
*10 Kagi
090324「√T」「√K」と書かれた大学受験向けの通信添削の広告を見かけた。それぞれ東京大学*1、京都大学*2受験のための特別教材の名前らしい。
これを見た瞬間、rootとrouteとを混同してて大丈夫か、と思った。「√」はroot(根)の方だからroute(道)ではない。当然、受験だからrouteの方が相応しいに決まっている。rootとrouteとはどちらも発音が同じだから洒落で「√」を使っただけなのか。
「入試の根本(root)を知っていて、合格への道(route)を切り拓く*3」という意味らしい。どうも洒落にもなっていないようだ。rootとrouteとを「ルート」と発音する「√」という記号で代表させているだけらしい。
「√」はrootの「r」を図案化した物と考えられている*4。それをrouteの「r」と解して欲しい、というのはかなり無理がある。「the route to T/K」が一番言いたいことだから、√の本来の意味がrouteでないと解ってもらえないのではないか。更に「√」を「入試の根本(root)」と解すことができる人はどれだけいるのだろう。
東大京大を目指す人は、そのようなことを一瞬にして悟るから問題ないのだろう。
*1 東京大学[ホーム]
*2 ホーム—京都大学
*3 新聞広告ガイド 日本経済新聞社 ベネッセコーポレーション
*4 The History of Mathematical Symbols
090325三島由紀夫*1が結成した「楯の会 *2」の制服*3の意匠を担当したのは、ピエール・カルダン*4ではなかった。日本人らしい。
三島由紀夫は楯の会を結成した時に、当時西武百貨店社長で三島の友人であった堤清二*5に制服の作製を依頼した。意匠を担当したのは五十嵐九十九*6氏だった。この人はド・ゴールの軍服の意匠を担当した唯一の日本人だったようだ。これらのことは保阪正康*7の「三島由紀夫と楯の会事件*8」に書いてあった。
ド・ゴールの軍服を作った人→ド・ゴールはフランス大統領*9→フランスを代表するデザイナーはピエール・カルダン、という図式で出来上がった誤解だったのだろう。これは筆者の誤解の図式ではない。ピエール・カルダンが楯の会の制服を作ったというのを確か何かの本で読んだのである。そもそもド・ゴールの軍服制作に絡んだ人が楯の会の制服の意匠を考えたことなんて知らなかった。
しかし全然関係ないこともない。五十嵐氏はピエール・カルダンの許で仕立て技術を学んだ*10ことがあるらしい。
*1 三島由紀夫文学館
*2 日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【憲法改正について】
*3 (18日アップ用)【さらば革命的世代】「あいつらがナショナリズムを代行した」新右翼の鈴木邦男さん 第2部(7) - MSN産経ニュース
*4 Pierre Cardin - Haute Couture - Design - Beauté
*5 辻井喬『萱刈』|新潮社
*6 ハトホル ファッションセミナー
*7 保阪正康のホームページ
*8 雑記草商店 - 書籍
*9 シャルル・ ド・ゴール
*10 ブランドマーケティング編アパレルウェブ通信|メールマガジンバックナンバー|アパレルウェブ
090326食パンの語源が判った。「判った」と言ってもこの雑記草の趣旨*1を踏まえた表現だ。食パンの語源に付いては過去に記事にしたことがある*2。
語源について色々な説がweb上には存在する*3。「本食パン」説、「主食パン」説、「消しパンとの区別 *4」説、「フライパンとの区別」説。後半の二つは間抜け過ぎる語源説だが、一応、それらの説が間違っていることだけははっきりさせておく。
パンは食べる物なのに何故、消しゴム用のパンと区別しなければならないのか。それに万人がパンを食べる物としているのに対して消しゴムとしてパンを用いる*5人間はどれほどいるのか。考える時間ももったいないぐらい間抜けな俗説である。
昭和十二年に出された三省堂の「婦人家庭百科辞典」を見ると「食パン」「フライパン」は掲載されているが、「パン」は食べる「パン」とパニックの語源*6となった牧羊神の「Pan*7」しか載っていない。当時、鍋を指す言葉として「パン」を使わなかった。従ってフライパンと区別するために「食パン」となったと言う説は明らかに間違いである。
明治37年に出版された大槻文彦の「言海*8」でパンを調べると「饅頭ノ皮ヲ製スルガ如シ、西洋人、常食トス。アンナシマンヂユウ」とある。元々菓子との対比でパンを説明している。日本では最初、パンは菓子の部類だったのだろう。後に西洋人と同じように食事用にパンを食べるようになる。嗜好食物と主要食品との区別がなされ、前者を「菓子パン」後者を「食パン」と区別*9するようになった。「婦人家庭百科辞典」にはそのように区別されると既に書いてある。
食パンは菓子パンの対語として出現したことになる。「食」は「菓子」の対義語として使われている。と言うことは「食事」「主食」「食品」の略と考えるのが自然ではないか。そもそも「本食」という言葉はないので「本食パン」が「食パン」の語源にはなり得ない。「本食パン」という言葉が存在するのなら「本食+パン」ではなくく、「本+食パン」ではないだろうか。それでは「本 食パン」とは何か。「本格食パン」「元祖食パン」ぐらいの意味だろう。
*1 雑記草
*2 パン(2)
*3 食パン 語源 - Google 検索
*4 教育トピックス_株式会社正進社
*5 第10回デッサンの道具について
*6 Online Etymology Dictionary
*7 Pan, Pan Sculpture, Maenad, Menead, Greek God, Greek Goddess, Greek Mythology, Ancient Greek Art
*8 半田の語源
*9 パン類品質表示基準
090327二年半程前に買ったドイツ製の折り畳み傘*1がもう壊れた。差そうとしたら骨が折れていた。折れていたというよりもちぎれた感じ*2だった。軽量化のためにグラスファイバーが使われている。これがちぎれていた。ちぎれた部分は丁度グラスファイバーと金属との継ぎ目だった。いかにも力が集中しそうな部分だから、市場ではしょっちゅう壊れているのかもしれない。もうこのメーカの傘は買わないかもしれない。取っ手のボタンを押せば片手で傘が開くのは便利だからどうするか。
*1 折り畳み傘(2)
*2 IMG_0519.jpg
090328トラックボール*1の続き。最近、トッラクボールが滑って、画面上のポインターが思い通りに動かなくなった。読者の方から分解して掃除をしてみたらどうかと言う助言を頂いた。早速、分解してみた。するとボールの動きをポインターの動きに変換するローラーの裏側部分に綿ぼこりがぎっしり溜まっていた。ボールを外しただけ*2では判らなかった。分解してみるとボールとローラーとが接触する部分の反対側、つまり筐体内側に回路基板とローラーとの間に0.5mmほどの隙間がある。ここに溜まっていた。
この綿ぼこりの固まりは常にローラーに接触しており、ボールに付着している筆者の手から出た皮脂を集めてはローラーに供給していたようだ。これではいくら外からローラーを拭いても滑ってしまう訳だ。
分解掃除以降、ポインターの動きは正常になっている。これでしばらく様子を見る。新しいトラックボールの購入検討は延期だ。
*1 トラックボール
*2 kensington.jpg
090329俗字の辞典*1と言うページがあって、「傘」の略字について書いてある。その略字は「八十」を縦にして一つの字にしたような形*2だ。この形から八十歳を「傘寿*3」と呼んで長寿のお祝いをする。
結構、街中で見かける略字だと思う。看板に書いている人は略字として書いているのか、「かさ」と言う漢字はこういう物だと確信して書いているのかは判らない。それぞれの人がいれば、倍の数見られることになる。
ある日、その略字を見かけた。丁度カメラ*4を持っていたので撮影してきた。同じ店で両方書いてあった*5。この場合は略字で書いていることがはっきり判る。
*1 俗字の字典
*2 000366.gif
*3 便利マナー「内祝い」結婚式・出産内祝い・七五三・快気・長寿・還暦・お祝いのお返し
*4 GR DIGITAL(3)
*5 kasa_ryakuji.jpg
090330全知全能の神はいるか。「いない」と証明できる。もしいるとしたら「自分で持ち上げることができない石を創ることができるか」と質問する。「できない」という答えなら、それはもう全知全能ではない。「できる」と言うのならそんな石を創ってもらう。しかし創っても持ち上げることができないので全知全能ではない。証明終わり。
何故「石」なのか、よく判らない。「物」として聖書によく出ていそうだからか。元々、このなぞなぞはキリスト教圏から出てきたのだろう。これに関する英語の文献*1がある。
多分、これでは証明になっていないだろう。「私は全知全能だ」と今、自分の目の前で主張している人に対して「それはあり得ない」と証明するのはこれで問題はない。人じゃなく「装置」でも同じだ。「神」というものが人や装置と同列で考えられるのなら証明できたと言えるが、神とはそれらを超越しているとすれば、証明そのものが成り立たないような気がする。
身も蓋もないので、もう少し具体的な説明をする。全知全能の神がいるとして、神に問いかけるが、神は人からの問いかけにそもそも答えてくれるのか。仮定の話だから「答えてくれるに決まっている」としていいのだろうか。全知全能の神とはそのような問い掛けには一切答えなかったらどうするのか。答えるか答えないかは全知全能とは関係ない。
「神が答えるかどうかは問題ではない」と言うかもしれない。それならば上記の証明は「全知全能の神はいない」という証明ではなく、全知全能という概念そのものの矛盾性を言っているだけだ。堂々巡りになるが、概念は思惟の世界だから人間が考える範囲でしか通用しない。「全知全能の神とは何か」という考えが朦朧としているので、ちゃんとした証明ができない。それがはっきりした途端、人間の考える世界の話になってしまい、超越したものではなくなってしまう。つまり全知全能の神とは人間の妄想だから「いない」に決まっている。証明の必要もなしだ。
おそらく全知全能の神は、自分と同類の神からの問い掛けしか答えてくれないのだろう。もし全知全能ではない人間の問い掛けに対して何でも答えてくれるのなら宝くじ*2や株*3で大儲けできる。
答えてもらえるとなると問い掛ける本人も全知全能だから「いるに決まっている*4」という結論になる。
*1 Omnipotence (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
*2 期待値
*3 株
*4 YouTube - ドリフ大爆笑 - 神様コント
090331鉄道貨物車に「マニ車(しゃ)*1」と呼ばれる物があるらしい。かって日本銀行*2が現金輸送に使用していた。お金「money」を運ぶから「マニ車」ではなく、貨物の型式を表す記号である。「マ」は重量区分、「ニ」は荷物車を表しているようだ。貨物鉄道*3の荷重を表す記号は「ムラサキ*4」のはずだ。どういう事かとよく読んでみたら、マニ車*5は貨車ではなく客車であった。客車の場合の重量記号は「コホナオスマカ*6」でちゃんと「マ」が入っている。現金の場合は「お客」扱いだったのか。
マニ車と言えば「マニ車(ぐるま)*7」である。こちらはお金(money)とは関係がない。むしろ煩悩の原因である金と対極に位置している。
*1 マニ車について教えてください。:日本銀行
*2 日本銀行
*3 JR貨物 日本貨物鉄道株式会社
*4 日本貨物鉄道の貨車記号
*5 マニ30の部屋 MAIN MENU
*6 列車記号の意味(客車、貨車編)
*7 便利なマニ車
二酸化炭素の増加によって地球温暖化が進んでいる*1ことを多くの科学者が合意している*2、と言う人が時々いる。更に「科学は多数決ではないが、多くの科学者が合意している内容はそれなりに考えるべきだ」と追い打ちを掛ける人もいる。真実はどうであれ「科学者の合意に基づいて温暖化対策するのが一番良い」と主張する人もいる。さも二酸化炭素が地球温暖化の要因であるかの様に話す。
科学とはどういう物なのか考えた事もないような人がこういうことを平然と言う。科学者が言っているから正しい、と臆面もなく言う。
二酸化炭素は温暖化の原因だから、排出量を減らしましょう、という活動に何ら問題はない。エネルギー資源はに限りがあるだろうから、その浪費の結果である二酸化炭素の排出量増加を食い止めるのは正しい*3。問題なのは「二酸化炭素は温暖化の原因」と言うのを「科学者の合意」と言う点で「真実」と認識することである。こう認識している人は全く考えていないのである*4。大衆と言うものはこういうものだから仕方がないかもしれないが、大衆に対して発言力のある人などがこういう態度を取るのは非常に問題がある。
科学で追究する真理は「合意」によるものではない。科学者が思っている事と自然現象そのものとを混同してはいけない。自然科学と言うのは自然現象を科学的な方法で理解して記述しようとする学問であり、科学者はそれを行う者であって、決して科学者が自然現象を決めたり全て言い表したりしているのではない。
科学に於ける真理の追究は科学者の合意によるものではないが、現在の環境問題の解決はそれこそ利害関係者間の合意である。レジ袋を断る事はそれを断る人にとって一つの解決*5であり、北極のシロクマさんが絶滅するのは駄目だけどゴキブリが絶滅するのは問題なし*6というのも環境問題の考え方である。これと科学とを混同してもいけない。
*1 IPCCの科学者たちは各国環境大臣が温暖化防止へ行動をおこすよう強く促した:WWFの活動/WWFジャパン
*2 地球温暖化問題懐疑論へのコメント
*3 二酸化炭素削減技術
*4 Abstract for Symposium at JPS meeting Sprin 06 (Ikeuchi)
*5 エコな私(2)
*6 環境問題の本質
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