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0407雑記草


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040701

 首都とは「一国の中央政府のある都市」のことで、首府ともいう。日本の首都は東京となっているが、この「東京」の範囲はどこからどこまでのことをいっているのだろうか。

 日本において東京が首都であるという明確な法律的根拠はない*1らしい。まぁ、そんなことを明確に定義しても実質的な意義は特にないと思われる。定義が使われるとしても思想統制のためぐらいだろうか。「国家元首であらせられる天皇*2陛下がまします東京を首都とする」などと表現すればそうなるだろう。とにかくその根拠が朦朧としている点は県庁所在地の定義とよく似ている*3

 日本の首都でさえ、千代田区*4なのか東京23区*5なのか小笠原諸島まで含めた東京都*6なのかはっきりしない状態なのである。外国の首都となると、行政区域はその国それぞれの都合があるので更によく判らない。法律など何か根拠があれば、それで話はおしまいであるが、それを調べるのはなかなか大変そうなので色々想像してみる方が面白い。



*1 首都 - Wikipedia
*2 日本の元首
*3 都道府県庁所在地
*4 千代田区総合ホームページ
*5 都庁所在地
*6 東京都公式ホームページ/都内区市町村マップ

040702

 首都の続き*1。日本の首都の範囲ははっきりしない。千代田区なのか東京23区なのか東京都なのか。外国はどうか。

 バチカン市国*2はどうか。バチカン市国*3の首都はどこか。一つの都市で構成される国家なので、国その物が「中央政府がある都市」であれば首都は「バチカン」でいいような気がする。ところが「バチカン市国 首都」で検索*4すると、バチカン市国には首都がない*5という記述に出くわす。外務省のwebページにも首都はないと書いてある*6。これは一体どういうことなのか。

 首都を明確に定義することの意義が特にないので、バチカン市国に首都があるとしてもないとしても全く問題はないだろう。雑学として「バチカン市国には首都がない」というのは面白いが、首都を定義することに意味がなければ、そもそも雑学にはならない。定義することに意義がなければ、誰でも自由に決めることが出来るということなので、それは知識でも事実でも何でもない。

 そもそも現代の国家に中央政府のないのはあり得ないのだから「首都のない国家」というのは存在しないはずである。敢えて首都がどこかと議論したいのであれば、バチカン市国の首都は、やはり「バチカン」でいいだろう。

 二番目に小さいモナコ公国*7の首都はどこか。モナコ市*8である。モナコ国内は複数の行政区がある*9ので首都が定義しやすい。

 バチカン市国よりも小さい国家「シーランド公国*10」はどうだろう。ここは国際的に国家と認められていないとも言われている。国家なのかどうか*11もよく判らない状態なので、その中の首都を議論するのは全く意味がないが、もしかしたら「この部屋がとりあえず首都ね」といった会話が「国内*12」で交わされているかも知れない。



*1 首都
*2 Vatican: the Holy See
*3 バチカン市国(State of the City of Vatican)
*4 Google 検索: バチカン市国 首都
*5 バチカン - Wikipedia
*6 世界の国一覧(ヨーロッパ州)
*7 モナコ公国(Principality of Monako)
*8 Welcome to tabiken's Site! モナコ公国
*9 モナコ政府観光会議局公式サイト monaco
*10 シーランド公国
*11 国家 - Wikipedia
*12 Principality of Sealand, Historical Site through 5 June 2000

040703

 更に他の国の首都*1はどうなっているのか。ナウル*2という国がマーシャル諸島*3ソロモン諸島*4との間にある。

 この国の首都は「ヤレン」となっているが、よくよく調べると「ヤレン」は都市名ではなく単なる地区名らしい*5。一般にいわれる首都とかなり雰囲気が違う。

 インドの首都はどこか。筆者が幼少の頃はニューデリーと習った。ニューデリーはデリー市内の新市街を指す*6言葉で、旧市街は「オールドデリー」というらしい。ニューデリーは「ニューデリー行政区」としてデリー市内でも特別扱いされているような雰囲気があるが、詳細は判らない。

 従ってインドの首都は「デリー」なのか「ニューデリー」なのかと言う議論は、日本の首都は国会議事堂*7などがある「千代田区」なのか千代田区がある「東京都」なのかとよく似ている。外務省のページでは首都はニューデリー*8になっている。

 アメリカの首都*9はどうか。アメリカの首都は「ワシントンにきまっとる」とか「甘い、ワシントンD.C.*10じゃ」という声が聞こえてきそうだ。

 アメリカ合衆国の中央政府が置かれている地域は「コロンビア特別区 District of Columbia」と呼ばれている。この地区はアメリカ合衆国のどの州にも属していない特別な行政区となっているらしい。合衆国憲法でその区域の面積まで規定(十マイル[16km]平方を超えてはならない 第一条第八節の十七)*11されている。

 驚いたのは「ワシントン」というのは通称で、正式名称は「District of Columbia」*12ということだった。



*1 首都(2)
*2 ナウル共和国(Republic of Nauru)
*3 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(マーシャル諸島共和国)-
*4 外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(ソロモン諸島)-
*5 ナウル - Wikipedia
*6 デリー日本人会ホームページ デリーの概要
*7 国会議事堂見学
*8 インド(India)
*9 アメリカ合衆国(United States of America)
*10 ワシントンD.C. - Wikipedia
*11 在日米国大使館 アメリカ合衆国憲法
*12 福岡アメリカン・センター/在福岡アメリカ領事館 ホームページ U.S. Consulateハ ハFukuoka, Japan 今月のおすすめリンク ワシントン D.C. の自治権

040704

 左利きの人*1を「ぎっちょ」という。「左ぎっちょ」ともいう。その語源は左毬杖(ひだりぎっちょう)や左義長(さぎちょう)*2が考えられるらしい。

 毬杖*3とは毬を杖で打ち合う遊び*4で、奈良時代に中国から伝わったらしい。子供の遊びなので、子供の間で左手で毬杖を持つ者を「ひだりぎっちょ」と呼んだのが始まりかも知れない。

 左義長とは何か。どんど焼き*5のことである。正月で使った注連縄や松飾りを燃やす民間行事*6として全国で行われている。

 この左義長と言う名前の由来は毬杖かららしい。三本の毬杖を青竹に吊して焼く陰陽師の行事を指したようだ*7。三本の毬杖だから「三毬杖(さぎちょう)」となる。「三毬杖」が「左義長」に変化した*8のは好字化*9と読みやすさからだろうか。

 マイマイギッチョ*10という言葉がかつてなごや弁*11にあった。ミズスマシ*12のことらしい。父がそう呼んでいた。



*1 左利き
*2 左毬杖と左義長
*3 毬杖
*4 こどもスクエア ちょっとれきしがく
*5 dondoyaki.JPG
*6 伝統行事−どんど焼き
*7 左義長(さぎちょう)(三毬杖)は何をする行事ですか
*8 リレーエッセイ
*9 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 好字
*10 人文学部フォーラム in 東紀州 2003 2,「まいまい」の意味用法と方言分布について
*11 なごや弁
*12 Web東奥/とうおう写真館・あおもり昆虫記/オオミズスマシ昆虫記

040705

 七夕*1が近い。街には笹が飾って*2あった。その中で備え付けの短冊に各自の願いを自由に書いて笹にぶら下げてくれ、というのがあった。神社に奉納された絵馬*3みたいに大量の短冊が笹に吊り下げられていた。

 その笹は待ち合わせで有名な場所*4に設置してあった。人が多く集まる場所なので、短冊の内容を他人に読ませるつもりで書いたのも沢山あるのだろう。

 「大学に絶体合格できますように」とかなり拙い字で書いてある短冊を見つけた。字の上手い下手はあまり関係ないが、熟語があからさまに間違っている。真剣にそう願って書いたのか、受けを狙って書いたのか。前者なら少し心許ないと思うと同時に、漫画の世界が現実に起こっていると思えて嬉しくなってくる。後者なら「短冊作者の思惑通り」に筆者が反応してしまったことになる。

 「金魚がたくさん飼えますように」というのがあった。これは一体どういう意味か。なぜここでこういう願いをしたのだろうか。金魚を沢山飼うことがそんなに嬉しいことなのか。筆者が*5の沢山遊んでいる*6を欲しがっているのと同じなのだろう。



*1 アマゾネスと七夕
*2 七夕さま
*3 Google 検索: 絵馬
*4 名古屋・栄・中日ビル
*5 亀の脱走(7)
*6 亀の池 亀山八幡宮

040706

 新聞を読んでいたら、また変な表現に出くわした。この新聞は変な表現が多すぎる*1

 「田んぼをむやみに耕さないと、イトミミズ*2が帰ってくる」とあった。田んぼを耕さずに稲作をする*3と、田んぼでイトミミズが繁殖してそれを食べる昆虫、魚、水鳥などが戻ってくると言うのである。

 記事の内容は問題ないのだが、書き出しに引っ掛かった。

 「むやみ」というのはあとさきを考えずにまたは度を過ぎて何かをするさまである。「むやみに歩き回る」「むやみに使わない」「むやみに叱る」など、肯定的な使い方はしない。

 一方、「○○しないと、××になる」という表現は、本来○○すれば、○○してくれれば××とはならないのにそうでないことを仮定する場合に使う。「勉強しないと、落第する」「雨が降らないと、枯れてしまう」「叱られないと、勉強しない*4」といった具合である。本来○○すれば、○○してくれればというのが重要である。「せかせか歩かないと、楽だ」とは表現しない。「せかせか歩く」のは当たり前でもないし、したくもないからである。

 「むやみに耕さないと、帰ってくる」だと、本来は「むやみに耕す」ということになってしまう。確かに文法は間違っていない*5。一般常識や記事の内容からすれば「むやみ」が本来のさまであるはずがないので、こういった「むやみ」の使い方は適切ではない。

 もしかしたら「田んぼを耕さない」という逆転の発想を強調するためだけに「むやみに○○しないと、××になる」という表現を使ったのかも知れないが、これでは違和感が出てくるので無理がある。どうしても「むやみ」を使いたければ、「田んぼをむやみに耕せば、イトミミスが帰ってこない」か「田んぼをむやみに耕さなければ、イトミミスが帰ってくる」である。

 新聞の記事などは文学作品ではないので、文法や表現方法に多少違和感があっても内容さえ購読者にとって価値があればそれ程問題はないと考えることができる。

 逆に文法や表現方法が素晴らしくても書いてある内容が詰まらないのは最悪である。「読みやすい文章だが、内容は稀薄」だと読み終わった後に悔いだけが残る。読了するまで内容の稀薄さに気づけなかった自分の未熟さを反省すべきなのだが、読むのに費やした時間をついつい惜しんでしまう。

 それにしても件の新聞には、文字や文章を使って商売をしているのだから、もう少し気を使って欲しい。



*1 直截
*2 [熱帯魚]All About Japan 【イトミミズ(イトメ)】
*3 不耕起農法、今最注目です!
*4 命題(2)
*5 ジャバウォッキー文

040707

 海はなぜ青いか。空の青が映っている*1と思っている人が意外に多いことを知って驚いた。そんなはずはない。

 この写真*2今年の四月、西表島に行った時*3に撮ったものである。空には厚い雲が一面にあって青空が一切ない。それなのに海は青い。手前の方は珊瑚の関係で色が着いて見えるのだろうか。遠くに珊瑚礁で砕ける波が小さく見える。少し緑がかっているが、青い。空の色が映って青くなると言う説明は明らかに可笑しいだろう。

 海が青い主な原因は「水が青い」からである。これはきれいな海に潜るとよく判る。海の中は青い*4。水の中では赤い光が吸収されやすく、青い光が通過しやすい。赤と青との中間の波長の黄色や緑も赤ほどではないが吸収される。太陽の光のように色々な色の光が混ざって白くなった光を通せば青色の光だけが目に届くので青く見える。

 コップの水は無色透明だが、何メートルもある細い管に水を満たして太陽光を当てて覗き込めば水は青く見える*5水によく似た重水*6は、目に見える光を殆ど通過させるので細い管に入れても青く見えない。透明のままである。

 ところが調べてみると空の青さも関係している*7という。

 海が青く見えるのは、海から青い光が飛んできて目に入るからである。海から飛んでくる光には「海面で反射する光」「海中の浮遊物に反射してくる光」「海底で反射する光」がある。海面で反射する光は空が出ていれば青い光で、曇り空なら白い光だろう。海中から来る光は、青い光だけにふるいを掛けられているので、空が晴れだろうと曇りだろうと青い光である。こう考えると、海が青いのは「水が青いから」であって空が青いからではないことになる。ついでに空の青も映っている程度である。

 船に乗って海を見下ろせば青く見える。水は目に見える光*8を殆ど通すから、海面で反射してくる光は殆どない。海が青いのはやはり空が青いからではない。重水の海ならどうだろう。浅ければ海底が見えるだけだろう。かなり深いとどうか。重水は赤い光よりもほんの少し青い光を余分に吸収する*5。緑と赤との光が残るので重水の深い海は黄色く見える*9のかも知れない。青空が出ていても。



*1 Google 検索: 空 海 青 なぜ
*2 bluesea.jpg
*3 石垣島・西表島
*4 石垣島・西表島(7) 040404w0204.jpg
*5 WHY IS WATER BLUE
*6 重水素
*7 海が青く見えるのはなぜですか?
*8 青色発光ダイオード
*9 色素を混ぜるとどうなるのですか?

040708

 空はなぜ青いか。海が青いから*1か。そんなことはない。近くに海がないところでも青空は見える。

 空が青いのは空気があるから*2らしい。空気のない宇宙や月では青空は見えない。それではなぜ空気があると青空が見えるのか。空気だけではだめで、当然太陽の光が必要である。太陽の光がなければ青空は見えない。夜に青空が見えないのは太陽の光がないからである。

 自分の周りの空気は無色透明なのに、なぜ空は青色なのか。上空の空気は青色なのだろうか。上空に行っても自分の周りの空気は無色にしか見えない。ただし、高いところで見る空の色は濃い青色になる。飛行機で雲よりも上に昇ると空の青さが一段と増す*3。山に登って見る青空も色が濃い*4

 色というのはその物の性質とは言えない。光と人間の目とが関連して初めて「色」が出てくる。色は当てる光で決まる。光が赤ければ白い紙も赤く見える。人間の目の感じ方でも決まる*5カラーのブラウン管など*6三色しか色を出していないが、人間の目は色んな色を感じている*7

 目に入ってくる光の波長でも「色」が決まる。光は波の性質もある。波ならば波の山と山もしくは谷と谷とに間隔がある。これを波長という。人間が見ることのできる光の波長は400〜700nmで*8、波長によって感じる色が異なる。400nmでは青色、700nmでは赤色に見える。この間の波長は虹の色の変化*9の通りに見える。

 色が付いた光の組み合わせでも波長によっても同じ「色」を感じるが、空の青はどちらなのだろうか。両方の効果が組合わさっているが、主に空から来る光が青いから青く見えるらしい。

 それでは、なぜ無色透明のはずの空気が太陽の光に照らされると青い光を放つのだろうか。無色透明というのは間違っていて本当は「青色」なのだろうか。



*1 海の青
*2 空はどうして青く、夕焼けはどうして赤いのですか?
*3 bluesky.jpg
*4 w10_bluesky_1280x1024.jpg
*5 光の三原色
*6 Yahoo!テレビ - 基礎知識編
*7 網膜細胞と三原色
*8 赤い色素とか青い色素とかがありますが、どうして色がついているのですか?
*9 niji05.jpg

040709

 空はなぜ青いか*1の続き。近くで見ると無色透明な空気がどうして遠くから見ると青く見えるのか。水は青い光以外を吸収し易いので海が青くなる*2のと同じように、空気も青い光以外を吸収してしまって青く見えるのだろうか。

 水を茶碗や盥に入れて覗いても水には少しも色が付いていない。深い池や海などでは、水がある程度沢山あるとほんの少し青く見えてくる。空気は常に身の回りにあって沢山あるはずだがなかなか青く見えない。青いのは空ばかりである。水よりも更に青色以外を吸収しにくいのだろうか。それとも空気の密度が薄いからだろうか。

 水に比べて空気は圧倒的に軽い。800分の1しかない。軽いと言うことは含まれる分子の数が少ないと言うことである。光を吸収するのは分子だから分子の数が少なければ吸収されにくい。

 光が吸収されて、その光が人間の目に入るためには、そのものを通過しなければならない。光は何もなければ真っ直ぐ進む。空は太陽の光で青く見えているはずである。夜になると黒くなることを考えれば明らかである。太陽が上空のどの位置にあっても空は青い。ということは太陽の光が空気を通過する内に青い光以外が空気に吸収されるから、空が青く見えるのではないことになる。上空の空気中を通った太陽の光は我々の頭をかすめて宇宙空間に放たれる。

 太陽の光は空気の中で散らばっているのである。空気が少ないと散らばる光の量も少ないので殆ど判らないが、空のように空気が沢山あるところでは散らばる量が多くなるのでそれが見えてくる。光の散らばり方は波長によって異なる。波長が短いと空気中で散らばりやすい。即ち太陽の光のうち波長が短い青い色の光が空気中で散らばりやすい。光が散らばれば地上にいる我々の目に入ってくる。それで空は青く見える。

 レイリー*3(レーリー、レーレー*4)散乱という。空気中の分子の数が多いほど散らばりやすい*5

 空気のない世界では太陽から直接降り注ぐ光しかないので青空は見えない*6



*1 空の青
*2 海の青
*3 Lord Rayleigh - Biography
*4 これでいいのだ! -天才バカボン-
*5 レイリー散乱 - Wikipedia

040710

 空はなぜ青いか*1の続き。光がどうして空気の中で散らばるのか。光が散らばるとは一体どういうことなのか。

 例えば、パチンコ玉が釘に行く手を阻まれてあらぬ方向に行ってしまう*2のが「散らばる」という感覚に近い。太陽の光をパチンコ玉、空気の分子を釘と考えてもいいのだろうか。

 パチンコ玉が大きければ釘に当たりやすくなるので散らばりやすい。釘が太くても散らばりやすい。これの類推で空気中での光の散らばり方を理解することはできそうだ。

 「光のパチンコ玉」の大きさと何か。光の大きさをどのように考えればいいか。光は「波」と同じ振る舞いをする*3ので「光は波」と考えてもいい。波ならば波長がある。山と山、谷と谷との間隔が波長と呼ばれる。波長が長い時「大きい」と考えればいいか。確かにさざ波と津波とでは、さざ波が小さく津波が大きいと言う感覚になる。波長も津波の方が長い。しかし波の高さが全く違う。むしろ波の高さで大小の印象が決まっている。

 波の高さで光の大小は決められるか。光の波の高さは光の強さと考えればいいだろう。光が強ければ「光のパチンコ玉が大きい」とする。光が強いと散らばり易いとすると空が青いというのが説明できない。太陽から直接来る光はいつも同じ強さで光の色が白っぽい。空気でいつも同じ強さの光が散らばっても光の色は変わらない。そうなると空は青くならずにいつも白っぽくなるはずである。

 「光のパチンコ玉」の大きさは光の強さでない。光独特の性質として、光の持つエネルギーの大きさは波長に反比例する*4というのがある。これはアインシュタイン*5が言い出した。前述した「光の強さ」と「光のエネルギー」との違いは、パチンコ玉でたとえれば、前者は「玉の数」、後者を「玉の大きさ」と考えればいいだろう。

 玉の大きさが波長に反比例すると言うことは、波長が短い青い光は「玉が大きく」、波長が長い赤い光は「玉が小さい」ことになる。これはたとえなので実際に青い光の玉、赤い光の玉というのが飛んでくる訳ではない。ただ、波とは言っても太陽から延々とつながっている波ではなく細切れになっていて、更に横方向も細かくなっている*6と考えられている。こう考えてくると光は粒々になって飛んでくることになるのでパチンコ玉のたとえもあながち外れていない。

 青い光は玉の大きさが大きいので赤い光よりも散らばりやすい。一般に波はその波長よりも小さい物の影響は殆ど受けない。空気の分子は1nm*7(1nmは100万分の1mm)ぐらいしかない。青い光の波長は400nmだから格段に小さい。光が単なる波であれば無視されてしまう。ところが光はパチンコ玉のようにも振る舞うので波長より小さな空気の分子でも、それに当たれば散らばると考えてもよさそうである。



*1 空の青(2)
*2 gazou203.jpg
*3 ■ようこそ! ひかりめいろ-光目色-へ■ *+* ひかりめいろ *+*
*4 Top page of Inet_Seminar (Japanese) Photo-electron (Japanese)
*5 La Vie d'Albert Einstein
*6 Laser Tutorial by SHARP Students las_tut2.gif
*7 ミクロの世界

040711

 空はなぜ青いか*1の続き。光をパチンコ玉にたとえると考えやすい。青い光は赤い光よりも玉の大きさが大きいので空気の中で散らばりやすい。青い光が空気の中でより散らばれば、青い光が目に入ってくる機会が多くなるので空は青く見える。

 玉の大きさは光の波長に依る。波長が短いと玉は大きく、波長が長ければ玉は小さいと考える。しかしどれくらいの大きさか、ということは言えない。あくまでも色々な波長の光との間だけの比較である。太陽からの光が空気中で散らばるということは、空気の分子から見ると青い光は玉が大きく赤い光は玉が小さいということに他ならない。

 空気の分子*2は窒素の分子や酸素の分子などで構成されている。これらの分子はばらばら空中に浮いている。光の玉と分子とがそれぞれ互いに作用しあうと考えられるだろう。空気の分子は原子核と電子*3とで構成されている。光は電磁波の一種である。電磁波は電気の波と磁気の波とが垂直に組合わさっている*4と考えられている。一方、電子は電気を持っている。どちらも電気が関係しているので出会えば何らかの影響が出るはず*5である。

 波長が短いということは山と山、谷と谷との間隔が狭いということだから振動数が高いということである。振動数が高いということは頻繁に状態が変わっているということなので影響を受けやすい*6し、与えやすい。その結果波長の短い、振動数の高い青い光は空気の分子によって散らばりやすくなる。つまり光の玉が大きいことになる。

 散らばりの度合いは光の波長の4乗に反比例して強くなる*7。赤い光よりも青い光の方が10倍程度散らばりやすい。だから日中の空は青く見えるのである。



*1 空の青(3)
*2 ツッチージュクールオフィシャルホームページ[愛知県豊橋市発信!] 理科室です。 空気ってなに?
*3 ミクロの世界
*4 Quantum mechanics of light (Japanese) 3-4: 光の量子力学
*5 Rayleigh Scattering -- from Eric Weisstein's World of Physics
*6 Advanced Classical Electromagnetism Radiation and scattering Rayleigh scattering
*7 Blue Sky and Rayleigh Scattering

040712

 後先を考えずに行動する人が多過ぎる。

 自動車で出掛けた帰りしなにちょっとした買い物をした。入った店の駐車場は自動車が十数台置けるぐらい広い。駐車場には筆者の自動車以外、一台しか止まっていなかった。

 自分の自動車に傷を付けられないように、駐車場で自動車を止める時には細心の注意を払っている*1。両側に自動車がないところに自動車を止めた。両脇には自動車が規則正しく並ぶ様に平行に引かれた白い線が数本あるだけだ。隣に自動車がないので、扉を開けた時にぶつけることは絶対にない。

 数分後、買い物を終えて駐車場に戻ってみると、自分の自動車以外にさっきとは別の自動車が一台止まっていた。驚くべきことにその一台は、筆者の自動車の直ぐ左隣に止まっていた。

 駐車場には筆者の自動車とその自動車しかないので、この場所以外に自動車を止めるところはいくらでもある。それにも拘わらず、よりによって筆者の自動車の隣に止めてあるのだ。しかも左隣である。駐車場に仲良く二台の自動車がぽつんと並んでいるのだ。止まっていた自動車は右ハンドルだったから、運転者の扉の開け方によっては筆者の自動車に扉が当たる可能性が十分にある。それなのにわざわざ「筆者の自動車の左隣」に止めてあるのだ。

 もう理解できない。どういう意図があるのか。いや、意図などないに違いない。何も考えていないのだろう。本能の赴くまま自動車を止めたのか。本能で運転されては困る。自動車の運転は危険業務*2なのである。

 手が滑って扉をぶつけることはないだろうか、突風が吹いて扉が余分に開くことはないのだろうか。こういうことを少しでも考えれば「左隣」に止めることなどできないはずである。

 拘泥しすぎだろうか。



*1 駐車場での努力
*2 昼間点灯

040713

 哀川翔*1の家庭では、長巻きの落とし紙、いわゆるトイレットペーパーがなくなったにも拘わらず、取り替えずにそのままにしておくと半殺しの目に遭わされるという。テレビジョンか雑誌の対談でそう言っていた。

 デパートやビルの手押し扉から出る時、後ろに人が続いているのにも拘わらず手を一方的に離す人、道路の混雑した合流地点でそれぞれの道の自動車が交互に合流しているにもかかわらず前の自動車に続いて合流しようとする人、辺りにごみやたばこの吸い殻を捨てて平気な人などが沢山いる。哀川氏の「トイレットペーパー換えずに出れば半殺し*2」は、こういった後の人のことを考えない人を戒めるのに的確な表現である。



*1 哀川 翔 公式サイト
*2 ウルトラサイゾー>「サイゾー」2004年1月号内容

040714

 「Franz Ferdinand*1」というロックグループのCDを買った。「take me out」という曲をラジオで何度か聞いて気になっていた。さわりの部分が何となく三昔ぐらい前の歌謡曲みたいで、最近ではかなり珍しい旋律である。

 「The Cure*2」というグループの音も似ている。

 「Franz Ferdinand」という名前をどこかで聞いたことがあると思って調べていたら、暗殺されたオーストリア皇太子の名前*3だった。この事件*4がきっかけで第一次世界大戦が始まった。

 「Fitzgerald*5」という名前も思い浮かべていた。聞いたことがあるのは「Fitzgerald」なのか「Ferdinand」なのかはっきりしなくなってきた。どちらも筆者にとって紛らわしい名前である。



*1 Franz Ferdinand
*2 The Cure : Official Site
*3 Archduke Franz Ferdinand
*4 サラエボ事件
*5 Google 検索: Fitzgerald

040715

 「Fitzgerald*1」というと、ジョン F. ケネディ*2の中間名がフィッツジェラルドであることに気付いた。道理でこの名前が思い浮かぶ訳である。



*1 Franz Ferdinand
*2 トップメインページ JOHN FITZGERALD KENNEDY

040716

 空は青い*1が、何故夕日は赤いのか。日中の空は快晴であれば隅々まで青い。厳密にいうと少し違う。水平線や地平線に近づくと青さが淡くなる*2。水平方向には何十kmにわたって塵や埃が浮遊している空気の層が横たわっているので、かすんで見える。このかすみの原因は浮遊する塵や埃によって上から来る太陽の光が散らばっているからである。

 この散らばりは空気の分子に依る散らばり*3とは違う。塵や埃は空気の分子に比較して格段に大きい。そしてそれらの大きさもばらばらである。光の波長に近い大きさの塵や粒子での散らばり方*4とそれよりも大きな埃などでの散らばり方*5では全然違ってくる。波長*6よりも大きい粒子が沢山浮いていれば、波長に関係なく方々に散らばるので白っぽく見える。従って水平線近くでは青色が薄まってくる。

 日中は太陽の光が上の方から降り注いでいる。太陽の光の内、空気中でよく散らばるのは青い光なので空全体が青く見える。赤い光は青い光に比べて散らばりにくいので空からは直接目に入らない*7

 日が傾いたり、日出の時は太陽の光は横から飛んでくる。青空の水平線近くの部分と同じように、水平方向には厚い空気の層がある。その厚い空気の層を太陽光が通過してくる。青い光は散らばりやすいのでどんどん散らばってしまう。赤い光は少しづつ散らばってくる。空気の層を通過する内にだんだん青い光は散らばり尽くして赤い光だけが残って散らばる。すると赤い光だけが目に入ってくるので夕焼けになる。

 地表近くには塵や埃が漂っているので、更に光は散らばる。夕方の太陽の方向から来る光は日中の太陽の方から来る光と違って赤い光しか残っていないから、空気中に程良い量の埃があると赤色が程良く散らばって更に鮮やかになる。

 これで夕焼けが赤くなる理由は判った。太陽の光が空気の中を長く通過するので青い光は散らばり尽くして赤い光だけが残って散らばって目に入るからである*8。日中は朝夕に比べて太陽の光が空気の層を通過する距離が短いので、青い光が散らばったのが目にはいるのである。赤い光はそのまま散らばらないので目に入らない。

 ここで疑問が出てくる。夕焼けは赤いが、空が全部赤くなるわけではない。真上の空は青い。太陽と反対側の空も薄暗いが青い。これは一体どういうことか。空の上の方や太陽の反対側の方が光が空気中を通過する距離が長いはずである。太陽の光が空気中を通過する距離が長くなると赤くなるはず*9なのに青い。何故だろう。



*1 空の青(4)
*2 Sky Saturation and Brightness
*3 レイリー散乱 - Wikipedia
*4 The optics of a water drop Mie scattering
*5 空はどうして青く、夕焼けはどうして赤いのですか?
*6 空の青
*7 Mie Scattering
*8 8月16日放送「夕焼けは、なぜ赤いの?」
*9 「科学の大百科(レイリー・ライダー)」NICT情報通信研究機構 北極域国際共同研究グループ

040717

 夕日が赤い理由の続き*1。何故夕日は赤いのか。太陽の光が空気の中を長く通過するので青い光は散らばり尽くして赤い光だけが残って散らばって目に入るからである*2

 ここで疑問が出てくる。夕焼けは赤いが、真上の空は青い。これは一体どういうことか。空の上の方が光が空気中を通過する距離はどう見ても長い。

 考えてみれば簡単である。空気は上空へ行くほど薄くなる*3。太陽の光の通過する距離が長くても、空気が薄ければ、青い光だけ散らばって、赤い光は通過してしまう。朝方や夕方の上空や太陽の反対側は、薄い上空の空気の層を通った太陽光のうち青い光だけが散らばった結果青く見える。

 あることに気付いた。朝焼けや夕焼けは夜と昼との境目*4にできる。天気がよければ境目のどこでも見える。その境目は地球を一周しているので、朝焼けと夕焼けとはつながっていることになる。

 夕焼けや朝焼けは太陽の周りにしかできていない様に見えるが、実は全地球規模でつながっていてしかも地球の裏側では朝焼けともつながっているのである。ロマンチック*5とはまさにこのことだろう。



*1 空の赤
*2 8月16日放送「夕焼けは、なぜ赤いの?」
*3 コズミックカレッジ ファンダメンタルコース テキスト −宇宙をまなぶ− 4. 地球をとりまく環境
*4 Earth at night and day wallpaper pictures space background for NASA desktop
*5 CottageLink Magazine - The Romantic Road v2n5s02b.jpg

040718

 夕日は赤く*1空は青い*2。その境目は何色になるか。薄い黄色というか白っぽい色*3になっている。

 太陽の光には色々な色が含まれている。虹は七色に見える。これは太陽の光には様々な色の光が含まれている*4ので、それが分かれて見えているのである。様々な色というのは様々な波長の光ということになる。短い波長の青色の光と長い波長の赤色の光との間には中くらいの波長の緑色の光がある*5

 空が青く見えたり、夕焼けや朝焼けが赤く見えるのは、太陽の光に含まれる様々な波長の光がその波長に応じて空気中で散らばるからである。青い空は青い光が散らばるから、赤い夕焼けは赤い光が散らばっているからである。赤い夕焼けでは青い光も散らばっているのだが、赤い光よりも早めに散らばり尽くしてしまっているので赤い光だけが目立っているのである。

 それでは緑色の光や黄色の光*6はどうしているのだろう。これらの光も当然散らばっているはずである。これらの光の波長は赤色の光と青色の光との中間の波長だから散らばり方も中間である。ところが青空と夕日の境目には緑色やはっきりした黄色の部分が出てこない*7

 飛行機で雲より高いところまで上がると空の色は青さを増す*8青色より波長の短い藍色や紫色の光*9が散らばっているからである。地上では藍色の光は、夕焼けや朝焼けの時の青色の光と同様、散らばり尽くしている*10ので赤色に見える。

 光の波長の順番に色が現れるのならばどこかで空が緑色に見えてもおかしくはない。一体どういうことだろう。



*1 空の赤(2)
*2 空の青(2)
*3 04/04 Sunset
*4 太陽(The Sun)
*5 太陽のフラウンホーファー線 (Fraunhofer Line)
*6 太陽望遠鏡
*7 Sunset Over the Sahara Desert sunset.jpg
*8 bluesky.jpg
*9 赤方偏移発見に貢献したドップラーとフラウンホーファー
*10 空の赤

040719

 緑の空は見えないのか*1。空が青く見えたり、夕日や朝日が赤く見えるのは、空気の中を太陽の光が通ってくる時に太陽の光に含まれる様々な色の光が散らばるからである。太陽の光は虹を見れば判る*2ように青や赤の他に色んな色が含まれる。それならば緑色の空がありそうだが、聞いたことがない。

 調べてみると「空が緑色になる」場合があるようだ。沈みかけているまたは昇ろうとしている太陽の上側が緑色に輝くこと*3があるらしい。「グリーンフラッシュ*4」と呼ばれている。滅多に見られないようだ。

 これが見える原理は空の青や夕日朝日の赤と少し違う*5ようだ。空気によって太陽の光が屈折してプリズム*6のように分かれた結果、かすかに緑色の部分が現れる*7らしい。

 空気によって太陽の青や緑や赤などの光が折れ曲がる差は非常に小さい*8ので、普段は夕日の赤に隠れてしまって他の色は殆ど見えない。緑色の光よりも青色の光の方が屈折しやすい*9。青色の光の方が夕日の赤から分離しやすいが、緑色の光よりも空気中で散らばり易いので「ブルーフラッシュ」はグリーンフラッシュ*10よりも更に見ることが困難らしい*11

 こうやって書いていると「グリーンフラッシュ*12」の理屈が解ったような気がしてきた。何度か夕日を観察していれば簡単に見られそうな気分になってきた。



*1 空の緑
*2 niji05.jpg
*3 グリーンフラッシュ
*4 美星町 星のデータベース グリーン・フラッシュ
*5 Red Sunset, Green Flash
*6 High Speed and Photoinstrumentation Photographs - Exhibit 3 prism-DSCN5003.jpg
*7 Jef Raskin - The Elusive Green Flash
*8 Red Sunset, Green Flash Green Flash Details
*9 人間は、特定の波長を色として感じることができます。 | コニカミノルタ
*10 Madagascar Green Flash
*11 green_flash
*12 Sunset science. III. Visual adaptation and green flashes

040720

 グリーンフラッシュ*1以外の緑の空は見られないのか。

 上空に行けば気圧が低くなる*2。ジェット旅客機は1万m上空を飛ぶ。この時、空気は地上の三分の一ぐらいの薄さになる。空気が薄ければ青色の光より散らばりやすい青色より波長の短い紫色の光*3が散らばって空の色は濃くなる*4

 地上から見ると紫色の光は上空で散らばり尽くしているので青色にしか見えない。夕日や朝日で青色の光が散らばり尽くして赤色にしか見えない*5のと同じである。この散らばり方は光の波長の4乗に反比例して強くなる*6。4乗なので波長のちょっとした違いが大きく影響する。

 空気が薄いということは空気の分子の数が少ないということである。空気の分子の数が減れば光は散らばりの度合いが減る*7。そうなれば波長による散らばりやすさの変化が少しは緩くなりそうだ。青空の青から夕焼け朝焼けの赤に急激に変化するのではなく、中間の波長の緑色が空に現れてもよさそうである。

 この写真*8筆者が4年前*9にたまたま飛行機から撮影した日の出である。何やら神秘的な光景だったので思わず写真を撮った。空気が薄いにもかかわらず緑色になっていない。むしろ地上で見るよりも色の変化が急に見える。



*1 空の緑(2)
*2 ◆空の日ネット:空の不思議◆
*3 人間は、特定の波長を色として感じることができます。 | コニカミノルタ
*4 bluesky.jpg
*5 Coherent Backscattering
*6 Blue Sky and Rayleigh Scattering
*7 レイリー散乱 - Wikipedia
*8 sunrise.jpg
*9 遺構探訪 米国自治領サイパンの遺構(その1)

040721

 地球が青いのは何故か。青い地球を人類で初めて見たのは旧ソ連の宇宙飛行士ガガーリン*1である。ガガーリンが「青い地球」を見たのは、一体どのくらい上空だったのか。

 181〜327kmの高さ*2だったようだ。この写真*3はアメリカのジェミニ宇宙船が上空257kmを飛んでいる様子*4を撮影したものである。ガガーリン*5もこんな地球の姿を見て「地球は青かった*6」と語ったのだろうか。ガガーリンは本当に宇宙でそう語ったのかどうか判らない*7もっと詳しく語った*8様でもある。いずれにしても確かに青い。

 ぼんやりとした宇宙との境界線を見ると地球を覆う大気が青く光っているとしか思えない。青空*9を宇宙から見ているようなものだろう。ということは「空気があるから地球は青い」のだろうか。

 他の写真*10を見てみる。大陸が茶色に見えて、海が青く見える*11何百万km離れて地球を見る*12と海の青色が目立つので、何色かと問われれば「青色」ということになる。。海が青いのは空のせいではなく、「水が青い*13」のが原因だから「海があるから地球が青い」ということになる。

 空気の層は地球の直径に比べれば薄い*14ので、遠くから見ると地上からの反射した太陽の光の方が強くて目立たなくなるのだろう。近くからならば空気の層を斜めに見ることができるので青く見える。真上から大陸や海を見れば、そこからの光が強いので空気の青さは見えない。

 地球が青いのは、「近くから見た時は空気があるから」「遠くから見た時は海があるから」ということになる。



*1 宇宙飛行士・ガガーリン、ユーリ・A
*2 ガガーリン、ユーリ・Aをよく知るためのアラカルト
*3 GPN-2000-001488.jpg
*4 GPN-2000-001488 - Gemini 6 Views Gemini 7
*5 Russian Archives Online > The Gallery > Yuri Gagarin p.1
*6 旧ソ連の有人宇宙飛行
*7 ユーリ・ガガーリン - Wikipedia
*8 First Flight Shrine: Colonel Yuri A. Gagarin - The First Flight Society - The First Flight Society
*9 空の青
*10 Earth Introduction
*11 as11_36_5355.jpg
*12 South America
*13 海の青
*14 日本惑星協会 惑星を知ろう...[ 地 球 ]

040722

 面白いサイトを見つけた。世界各地の衛星写真*1である。日本の写真*2もある。興味が湧いてくるのはやはり自分が住んでいるところ*3だろう。

 地図で見るのと同じ形をしている。かなり解像度の高い画像*4も提供されている。こういう衛星写真を見ると日本付近でも地球は丸くて青みがかっている*5と言うことが判る。日本付近だろうがどこだろうが、地球は丸くて青く見える*6のは当たり前である。宇宙から日本を全部見るためには地球の丸さや青さが判るぐらい離れなければならない。狭い国土だと思っていたが、それくらいの大きさはあるのだ。こんな興味深い写真が殆ど只で見られるというのは凄い。「殆ど只」というのは通信費やパソコン等の機材代が必要だからである。

 他に、確かに人工衛星から撮影したと言えるこういった写真*7もあった。



*1 Earth from Space - Search by Category
*2 Earth from Space - Clickable Map
*3 Earth from Space - Image Information
*4 EFS_highres_STS61A_STS61A-44-97.JPG
*5 Earth from Space - Image Information
*6 地球の青
*7 Astronaut Photography of Earth - Display Record

040723

 人工衛星から日本を撮影した写真*1で思い出した。吉田初三郎のという人が描いた鳥瞰図*2である。

 この人が描く日本地図には見えるはずのない地形が書き込まれている。例えば琵琶湖近辺の鳥瞰図*3樺太*4が書き込まれていたりする。

 鳥瞰図を描く時、吉田初三郎の頭の中ではこの写真*5のような光景が浮かんでいたのか。

 少し気になることがある。この人工衛星からの写真のように本当に地球の丸みが見えるのだろうか。吉田初三郎の鳥瞰図に地球の丸みは出てこない*6撮影に使われたレンズのせいで地平線が丸く歪んでいる*7のではないだろうか。この写真の撮影には焦点距離が40mmのレンズが使われた*8らしい。

 宇宙に持っていくレンズなので極端な歪みが出るような安物は使わないだろう。



*1 日本の青
*2 吉田初三郎
*3 吉田初三郎:地図の想像力
*4 稚内市ウェブサイト
*5 STS059/STS059-218-44.JPG
*6 パノラマ地図を旅する
*7 四角の物がゆがんで写るのはナゼ? / デジタルARENA
*8 Earth from Space - Image Information

040724

 火星の夕日は青いらしい*1。火星の大気は地球の大気よりもかなり薄いらしい。気圧で言うと地球の100分の1以下*2である。そしてその大気の殆どは二酸化炭素で占められている。

 地球の大気の圧力が100分の1になったら青空*3はどう見えるか。高いところに行けば空気は薄くなる。大気圧が100分の1になるのは高度30〜40kmぐらい*4である。ここで見える空はどんな色か。

 ほとんど真っ暗だろう。この写真*5高度14kmぐらいの空の様子*6である。気圧は10分の1ぐらいで、すでに日中でも空は暗い。これの倍以上の高さだから殆ど宇宙空間である。従って空の色は黒になる。

 ところが火星の日中の空は黒くないようだ。薄赤く明るそうだ*7。大気が薄いのに一体どういうことだろう。明るいか暗いかはカメラの露出設定に依るから何とも言えない。実際に行ってみたら結構暗いと言うことも考えられる。

 日中の空が赤みがかかっているのに夕日が青というのは誠に不思議である。いろいろ調べてみるとこの現象をやさしく解説したページ*8があった。そのページによると、火星で太陽が高い時には大気中に浮かんでいる砂ぼこりによって太陽の光の中の赤い光が散らばって空が赤く見え、夕日では赤色の光が散らばってしまうので青色の光が見えてくる、らしい。

 よく判らない。太陽の光のうち赤い光がよく散らばるのであれば、空全体が夕日のように真っ赤になってもよさそうである。火星の空の写真*7を見るとうっすらと赤いような黄色いような色である。つまりこれは青や緑のような他の色の光も散らばっている証拠だろう。他の色の光も散らばって合わさっているから火星の日中の空は真っ赤にならないのである。

 夕方になれば、太陽の光は更に分厚い砂ぼこりの舞い上がった大気の層を通過するので、更に赤みが増すような気がする。青い光が優先的に透過できるのだろうか。それとも砂ぼこりの中では青い光よりも赤い光の方が散らばりやすいのだろうか。

 火星の夕日の別の写真にこんなのがある*9。青い夕日ではなく桃色の夕日である。この色の原因は火星の塵の中に鉄の錆*10が含まれていてこれによって桃色になるとしている。となると青い夕日の時と砂ぼこりの成分が異なると言うことになる。

 夕日が青くなったり赤くなったり。一体どういうことなのか。



*1 火星探査車オポチュニティー、空を青く染める火星の日没を撮影
*2 火星
*3 空の青(2)
*4 気温の鉛直分布から見た大気の構造
*5 GPN-2000-000141.jpg
*6 GPN-2000-000141 - X-15 Mounted to B-52 Mothership Pylon in Flight
*7 Mars Exploration Rover Mission: Press Release Images: Spirit
*8 Mainichi INTERACTIVE ふれあいプラザ 2004年4月● 火星の夕焼けは青い?
*9 APOD: August 4, 1997 - A Rusty Sunset on Mars
*10 錆びない鉄

040725

 火星の空は一体何色*1なのか。

 火星は宇宙から見ると赤茶色*2である。一方、地球を宇宙から見ると青色*3である。地球の地上に立って空を見れば青色である。そうなると火星の地上に立って空を見れば赤茶色*4になると思ってしまうのが人情である。

 地球が青い*5と思うのは、比較的地球に近い宇宙から見た時は空気のせい*6だが、遠く離れれば海のせい*7である。月ぐらいの距離から見れば海のせいで青く見える*8。とはいっても写真では空気の影響で陸地も多少青く見えている。

 もし地球に海がなかったら、宇宙から見れば陸地ばかりの色が目立って茶色に見える*9だろう。植物が生い茂っていれば緑色に見えるかも知れない。逆にたとえ海がなくても空気があれば地上からは空は青く見える。

 地球が火星のように薄い大気で、かつ今と同じように海があるとすると宇宙から見たらどうなるか。大気が薄い場合、海が存在できるかどうか*10は別にして「地球は青い」となるだろう。空気が薄ければ空は暗い*11。つまり宇宙から見た星の色とその星の地上から見た空の色とは通常は一致しないといえる。

 火星の空の色が赤茶色なのか青色なのか何色なのか。CCDカメラ*12の映像では微妙な色が判らない。最終的には誰かが直接見に行くしかないような気がしてきた。



*1 火星の夕日
*2 火星
*3 地球
*4 marspath_83621f.jpg
*5 地球の青
*6 GPN-2000-001488 - Gemini 6 Views Gemini 7
*7 South America
*8 The Space Place :: Images of Earth's Moon for the Classroom EarthRising.jpg
*9 Horn of Africa, Somalia
*10 川村康文のホームページ §2 物質の状態
*11 GPN-2000-000141 - X-15 Mounted to B-52 Mothership Pylon in Flight
*12 Mars Exploration Rover Mission: The Mission

040726

 掃除機が壊れた。掃除機を掛けていたら何やら樹脂が焦げる様な匂いがしてきた。暫くすると掃除機のモータが止まった。掃除機に触るとかなり熱い。掃除機が冷えてから電源を入れるとモータは動くには動くが、瀕死の状態だった。動いたり止まったりして最後には全く動かなくなってしまった。

 待ちに待った掃除機の故障である。これで掃除機が買い換えられる。買い換えはダイソンの掃除機*1に決まっている。

 いつもの物欲によって新しい掃除機が二年前から欲しくて溜まらなくなっていた*2。理性と経済とでその物欲は抑制されていたが、必需品の故障という事象によって物欲は枷から解き放たれた。物欲ではなく必要だから買う*3のである。物欲は罪深いので、これを満たすだけの行動は慎まなくてはならない。何故なら経済的に余裕がないからである。ついでに環境にも悪い。

 掃除機を検討するため、店に行った。ダイソンの掃除機しか目が行かない。他の掃除機は格好が悪いので論外である。どうしてこんなに格好が悪いのだろう。昔の掃除機*4は単純な形ですっきりとしていた。今のは丸っこくて玩具みたいだ。丸っこいと家具に当たっても引っ掛かったりしないので機能的な意匠なのだが、その丸みが単純な円ではなく、コンピュータでないと面倒で描けない*5様な複雑な曲線や曲面*6で構成されている。曲線や曲面自体が複雑なのではなくそれを表す数式が恐ろしく複雑*7になっていると思うと鬱陶しくなってくる。単純な円と直線とがそれと判る様に大雑把に組み合わさっていた方が清々しくていい。ダイソンはそれに近い。

 試用のために置いてあるダイソンの掃除機のゴミ溜めを取り外し、中のゴミを一緒に置いてある小さな絨毯の上に散らして吸ってみる。よく吸う。他の掃除機でも同じように吸うに決まっているが、ダイソンは一段と吸ってくれる様な気がしてしまう。それは本体の形がいいからである。

 もうこれしかない。



*1 ダイソン株式会社:デュアルサイクロンクリーナーなどの開発、製造、販売
*2 物欲を刺激する掃除機
*3 シリコンの歯車
*4 15 シリンダー型電気掃除機/MC-8
*5 3D CAD & EDA Viewer: Pro/E, CATIA, UG, SolidWorks, Solid Edge, Inventor etc...
*6 フォトロン:CADシステム|ベジェ曲線
*7 Mathematica Graphics Gallery

040727

 雑記草を書き始めて五年が経過*1した。途中に中断しかけた時*2もあったが、何とか今でも続いている。

 五年というと結構長い時間である。大人になれば時間感覚*3というのが子供の頃よりもかなり短くなってくる。単に五年間を頭の中で振り返ると「あっという間」となってしまうが、今まで書き綴った文章を眺めていると、とても「あっという間」とは言えなくなってくる。

 いつまで続くか判らない。ただ、読んでくれる人々がいると思うとできるだけ続けたいと思ってしまう。今後とも雑記草を宜しくお願い致します。



*1 GR1s
*2 ネタの枯渇
*3 時間感覚

040728

 小学生の頃、幽霊*1を見た。大人になった今は全く幽霊*2など信じていないが、子供の頃は幽霊*3がいると思っていた。だからあれは幽霊だと思う。

 ある朝、集団登校*4の集合場所に向かう途中のことである。近くの踏切を渡る時に何気なく線路の方を見た。警報機が鳴っていなければ電車は来ないに決まっているので、渡る時に線路の方を見ることはあまりないのだが、この時は見た。

 すると200mぐらい先で、白いドレスのようなものを着た髪の長い女の人が小走りで線路を横切った。そこには踏切はない。ちらっと見ただけで正面を向き直した直後、「あれ?」と思い、また線路の方を見なおした時には誰もいなかった。線路の両側は道路で見晴らしがいい。直ぐに見えなくなることはまずない。それに朝っぱらから白いドレスを着る人はそうそういないだろう。もしかしたらネグリジェ*5だったかもしれない。恥ずかしいので全力疾走してどこかにいったのかもしれないが、幼少の頃の筆者が振り返る間に走れる距離に隠れるような所はない。

 そこで誰かが死んだというのは聞いたことはなかった。直ぐ消えていなくなったので幽霊だろうと思った。幽霊は怖いと思っていたが、朝なので怖いとちっとも思わなかった。



*1 幽霊
*2 伊勢神トンネル
*3 怖い話し(2)
*4 団長
*5 綿100%ニットキルトシリーズ/パジャマ・ネグリジェ

040729

 念力で空に浮かぶ雲を消す*1、という人をテレビジョンで見たことがある。カメラの前で適当な雲を指差してこれからあの雲を消すと宣言する。何か指先から念をを来るような仕草をする。その仕草が滑稽なのでお笑い芸の一種であろう。

 念力というのがあるかどうか判らない。あればあったで色々使えそうなので、あってもいいと思う。世の中はそんなに甘くないので、多分ないだろう。従って雲が消えるのは念力のせいではない。

 空気中の水蒸気が冷やされて小さな水滴や氷の粒になって浮かんでいるのが雲*2である。湯気と同じである。風呂や鍋の湯気は必ず消えてなくなるので、一旦できた雲もいずれは消えてなくなるはずである。雲が大きくなるのはその雲が膨らむのではなく、次々と雲が追加されて消える分よりもできてくる量が多いため、と考えた方がいいかもしれない。

 よく晴れた日にどこからか流れてきたような小さな雲であれば、その雲の周辺で再び水滴や氷の粒ができる必然性は全くない。従ってその雲は湯気と同じように必ず小さくなって消えていく。

 念力がなくても雲は消せる。こういったお手軽「芸」をデートの時に披露するのも一興かも知れない。ただし、相手の知識量を勘案しなければならない*3のはいうまでもない。



*1 不思議キッズ 科学マジックの部屋2001年10月
*2 雲のでき方
*3 Mitsouko 2

040730

 高校生の頃、テニス*1の得点の付け方が初めて気になった。ラブ、15、30、40という全くもって異様な得点付けの方法である。特に0点が「ラブ」というのは一体何か。「love」とどういう関係があるのか。当時その由来を調べてみたが、結局、詳細不明と言うことしか判らなかった。

 改めて調べてみるともっともらしい説明*2が見つかった。

 その由来を読んでみるとどうもしっくりこない。「0点がラブ」の由来は別として、まず0、15、30,40という得点の数え方の由来である。45ではなく40である理由は英語で発音する時の「フォーティ・ファイヴ」が簡略にされて「フォーティ」になったというのは納得できる。確かに「フィフティ−ン」「サーティ」「フォーティ・ファイヴ」より「フィフティ−ン」「サーティ」「フォーティ」の方が韻も踏んでいるので言いやすい。得点は0点を含めて4段階しかないので「45」が「40」になっても何ら不都合はない。テニスの得点は「0、1、2、3」でそれぞれを「ラブ」「フィフティ−ン」「サーティ」「フォーティ」と称すると考えればさほど問題はない。

 次になぜこの様な数え方になったのか。テニスが考案された頃は六十進法がよく使われていたからとか、時計を真似たとかという説明になっている。別に六十進法だからといって「0、1、2、3」を「0、15、30、45」に言い換える必要もないし、3点しか数えないのだからわざわざ時計を持ち出す必要もなかろう。時計なら「0、3、6、9」でもいいような気もする。

 通貨の単位ではないかという説*3を見つけた。金を賭けて遊ぶことはいつの時代でも誰でもやる。「15」の単位の貨幣を積んでいく姿は如何にもありそうだ。時計なんかの説よりももっともらしい。

 ところがテニスが作られた頃のフランスにおける通貨の単位を調べてみると六十進法にはなっていない*4。フランより古い銅貨の単位で「リーブル」「スー(ソル)」「ドゥニエ」というのがある。1リーブルは20スー、1スーは12ドゥニエだから六十進数になっていない。金貨には「ルイドール」銀貨には「エキュ」など*5があり、1エキュが60スー*6という時代もあったようだが、これにテニスの得点の根拠を求めるのは難しいような気がする。

 どのくらいの金額を賭けるかは当時の物価や貨幣制度の仕組みに依るので、その額面の数字だけが時代を超えて継承されるかといえば、そうは言えないだろう。やはり「賭の単位」説でもうまく説明できない。

 結局、詳細不明のままである。



*1 日本テニス協会公式サイト -トップページ
*2 テニス - Wikipedia
*3 こどもスポーツ研究室
*4 EFENDI.jp Liber ob Sciscitatora - Efendi's Site for RuneQuest Rationis
*5 La livre TOURNOIS monnaie Française L'écu, le franc, la livre tournois, le louis
*6 La livre TOURNOIS monnaie Française Valeur des monnaies

040731

 テニスの得点の続き*1。0点を何故「ラブlove」というのか。

 いかにも本当らしい説にフランス語が語源というのがある。ラブはフランス語で卵を意味する「l'œuf(ルフ)」が由来*2だという。卵の形が数字の「0」に似ているからそうしたらしい。「ルフ」がどうなると「ラブ」になるのか皆目見当が付かない。「l'œuf」はフランス語である。「love」は純粋な英語である。それが何故つながったのだろうか。

 フランス語の「l'œuf」と比べると「l」と「œ」は合字*3になっているが「o」とが一致している。更に「f」と「v」の違いは無声音か有声音かの違い*4である。最後の「e」は発音しないので無いのと同じである。単純に比較すると殆ど同じである。だから零点を表すloveの語源であると言えるだろうか。

 そもそもこの説に懐疑的になったのは、どうして定冠詞が付いた形「l'œuf」で語源になっているのか、ということである。英語で言えば「the egg」である。数字の0が卵の形に似ているから、と言うのはいいが、わざわざ定冠詞「le(母音の前ではl')」を付けるのだろうか。何か変である。

 英語の「love」の古い形は「lufu*5」らしい。「l'œuf」に更に近づいてきた。即ち、これは「love」から逆に語源を遡り、その語源である古い英語「lufu」によく似たフランス語の「l'œuf」を持ってきてこじつけたのではないだろうか。

 現在のフランス語では何と言っているのだろう。「l'œuf」だろうか「love」だろうか。「zero」のようだ。「zero」「quinze(15)」「trente(30)」「quarante(40)」*6となっている。

 では何が語源なのか。「playing for love(ただで勝負する)」の「love」ではないか*7、という説がある。これも分かったような分からないような説だ。他のページ*8では同じように「to play for love (of the game)」が由来であるとし、更に「l'œuf」が由来である可能性は殆どない*9と書いている。



*1 テニスの得点
*2 テニス - Wikipedia
*3 thとy
*4 英語の発音に自信がもてるシリーズ
*5 love. The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000.
*6 Tennis - Wikipédia, l'encyclop仕ie gratuite et libre
*7 Online Etymology Dictionary
*8 AskOxford: the free dictionary and language reference resource from OUP
*9 AskOxford: What is the origin of 'love' meaning 'nil' in tennis scoring?



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