雑記草検索                 

使い方 かつ または
表紙 目次 リンク集 掲示板 メール 遺構探訪

0406雑記草


前へ 次へ
040601

 書道家も字を間違えるらしい。弘法*1にも筆の誤りと言うぐらいだから、間違えて当然と言えば当然かも知れない、ついつい凡人は、大家はその道において過ちなどないと考えがちである。篆刻*2に関する本を読んでいたら、ある書道家が堂々と間違った字を書いて日展*3などに出品していたと書いてあった。

 篆書*4で書かれたある作品中の字が駄目らしい。例えば「雲崗*5」の「崗」の字の「山」がはっきり斜めに書かれている*6。「崗」の上の「山」は山岳の意味だから真っ直ぐになってないと駄目らしい。

*7」「*8」などの「山」の部分は篆書になると斜めになる。山の形ではなく草の芽の形を表している。「而」の部分は根っこである。水分を得て植物が発芽して根を張るさまをかたどっている。山とは関係ない。「微」の真ん中の部分も「端」の旁が変化したものだ。

 従って岡と同じ意味の「崗」の山の部分は山そのものを意味しているので、斜めにするのは完全に間違っているということである。そもそも山が崩れていては山でなくなる。「*9」という字の篆書でも「山」は傾いていない。

 表面的な理解では書き表せないとは、漢字というのはなんと奥が深いのだろう。



*1 高橋泥舟
*2 篆刻網Online<
*3 日展(日本美術展覧会)一般TOP
*4 篆書でGO!
*5 seitou
*6 文化勲章受章作家展ギャラリ−
*7 bi.gif
*8 tan.gif
*9 hou.gif

040602

 あるきっかけでヤフーのID登録ページ*1を見たら面白いことに気付いた。

 「ご希望のYahoo! JAPAN IDを入力してください」と書かれた部分に、例として(例:lildude56、goody2shoesなど)*2と書いてあった。こういった記入例にはそのページの制作者の感性が出てくる。銀行などに置いてある申込用紙の氏名記入例にはよく「○○太郎」「△△花子」などと書かれていた。最近は男女平等の観点からこういう表記は少なくなっているかもしれない。

 「○○太郎」では全く面白くない。感性の欠片もない。知る人が見てその人が「にやり」とするのを想像しながら考えられた記入例がいい。そんな制作者を想像するのがまた楽しい。アメリカ特許庁*3の記入例では「ブーブークッション*4whoopee cushion*5」が登場する。

 「goody2shoes」という言葉は聞いたことがある。Adam Ant*6の曲名である。1982年に「Goody Two Shoes*7」という曲を出している*8。もう少し調べてみると「善良ぶった人」という意味*9の成語だった。由来は1765年に出版された「The History of Goody Two-Shoes*10」という物語かららしい。片一方の靴しか持っていなかったある女性がもう片方の靴を貰って「靴がふたつある*11」と喜んでみんなに見せた、という話のようだ。「goody」はおかみさんといった意味で姓の前に付ける場合もある。「Goody Two-Shoes」は「靴ふたつおばさん」と言ったところか。この物語は「The history of Little Goody Two shoes」または「The history of Mrs. Margery Two shoes」*12とも題されているらしい。

 「lildude56」とは何か。「dude」は気取り屋*13「lil」はlittleの口語体*14。従って「lil dude」は「小さな気取り屋さん」ということだろう。「56」は何を意味しているのか判らない。



*1 Yahoo! JAPANへようこそ
*2 YahooID.gif
*3 United States Patent and Trademark Office Home Page
*4 ブーブークッション(2)
*5 Help on the Advanced Search Page
*6 adam-ant.net
*7 adam-ant.net
*8 Goody Two Shoes - Lyrics - Adam Ant
*9 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: goody-two-shoes
*10 Questions & Answers: Goody two shoes
*11 数字を使った英語の表現を覚えましょう。
*12 Goody Two-Shoes (3rd edition)
*13 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: dude
*14 lil - WordWeb dictionary definition

040603

 なぜ人を殺していけないのか。当たり前である。人を殺してはいけない。理由などない。

 そもそも「なぜ人を殺していけないか」などと問うこと自体に意味がない。何でもかんでも理由があると思う*1のは、それこそ不遜であり、何も解っていない阿呆が考えることである。そういったことを考えるのは、下手の考え休むに似たり*2で、何もせず寝ているのと同じなのである。

 大地があり、空には太陽と月とがあるのと同様、理由はない。根源的な事柄なので理由などないのである。それでは何故世の中の殆どの人は「人を殺してはいけない」と思っているのか。理由もなくそう思っているのか。

 人を殺すにはある程度の力や技術がいる。いるはずである。赤ん坊や幼児には人を殺せない。人は成長過程で相手や自分を殺そうと思えば殺すことができる力や技術を身に付ける。だが、その過程で人は生き物を慈しむことや他人の死もしくは別れによってもたらされる自分の感情により、自ら他人を死に追いやることは絶対に避けなければならない事であると悟るのである。人を殺す能力を得ることができるのだが、それは使わないようにするのである。親からそうするように教わる場合もあるだろう、自分で気付く場合もあるだろう、周りの人に教わる場合もあるだろう。

 理由も何もないから、考える必要はない。まず最初に「人を殺してはいけない」のである。従って殺人は日常茶飯事には起こらない。それでも時々起こる。人が人を殺すのは何故か。人には感情があるから相手や自分が憎らしく思えることがある。目の前からいなくなって欲しくなる。これが度を過ぎると、自分の能力をついつい使ってしまうのだろう。それによって引き起こされる結果も予想できずに。

 成長過程で死や別れによる自分の感情を十分に理解していれば、自分のする事によって相手の周りの人がどう思うか十分予想ができるので、殺人には滅多には至らないはずである。結局、自分の目の前からいなくなってくれさえすればいいという自己中心的な考えと成長過程での理解不足とが原因なのであろうか。

 となれば、殺人は巡り巡って親や周りそして社会の責任が大きいと言うことになってしまうのであろうか。



*1 一神教と多神教
*2 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 下手の考え

040604

 人を殺して何故いけないか。他人にしても自分にしても殺してはいけない。当たり前のことである。理由なんかない*1。まず最初に守るべきことである。何らかの理由で殺しても仕方がない状況*2が出てくるかもしれない。しかしそういった状況は滅多には起こらない。本当に殺しても良い理由というのは直ぐには出てこない。悩み抜いてそういった結論に至る。直情的に判断されるものではない。

 悩み抜くのは「人を殺してはいけない」と理由もなく思っているからであり、この感情と殺さなければならないと言う状況とが葛藤*3するからである。

 こういった感情はどのように作られるのだろう。本能として互いに殺さないという機能がはじめから備わっているかも知れない。それよりも人間の社会の中で育てられる過程で「人を殺してはいけない」ということを身近な人の死や他の生物を育むことによって間接的に知るだろう。死とまで行かなくとも身近な人との別れによる悲しみ、自分の親と離れてしまった時の不安からも理解できるようになるはずである。

 それでも殺人が発生するのは加害者が成長する過程でそういった体験を一切しないからだろうか。戦災や親の事情などにより幼少の頃から孤児となってしまった場合は、死に対する恐れや悲しみを知る機会が極端に減るかも知れない。普通の家庭で育てられているにも拘わらず、殺人を犯してしまうというのはどう考えても親の責任が大きい。

 加害者の親を責めることは難しいことだが、親は自己の責任を十分認識して被害者に対しても加害者である自分の子供に対しても償うべきであろう。これによってそれ以降の親の人生は他人に尽くすだけのものになる。

 親自身はなんと惨めな人生か、と思うのだろう。そうではなく、大衆に同じ様な惨事を繰り返さないことを訴える使命を与えられたと考えられれば少しは楽になるかも知れない。人生とは何か。幸福とは何なのか。



*1 人を殺すということ
*2 青空文庫 Aozora Bunko 森鴎外 高瀬舟
*3 葛藤

040605

 人生における幸福には三段階があると思う。その前に、まず幸福とは何かを考える。幸福とは心が満ち足りていて不自由のない状態である。幸せなことである。「幸福とは幸せな事」というのでは意味をかみしめているだけになってしまっている。「忘却とは忘れ去る事なり*1」とよく似ている。幸福という言葉が持つその意味と自分の状態とが一致していることである。

 第一段階は幸福も何も判らない状態である。この世に生まれて、成長するに従って沢山の言葉を憶えていく。その過程で「しあわせ」とか「幸福」という言葉を知る。しかしこの段階ではその言葉の意味とその状態とを明確に結びつけることができない。

 赤ん坊は苦しい時と楽しい時とを区別している。苦しい時は泣き、楽しい時は機嫌がよい。苦しい時はそれから逃れようとするが、楽しい時は特に何もしない。笑っているだけである。つまり本能で反応しているだけで「幸福」を追求する訳ではない。腹が減って乳が欲しいが、母親から乳が貰えないので辛い。その代用として自分の手や足の指を口にくわえることを憶え、乳が貰えない時にくわえて落ち着く。この時赤ん坊にとって幸福な時かも知れないが、幸福を追究した結果ではなく本能の延長であることは間違いない。

 このように幸福という概念が解らなければ、本人が幸福かどうか判断できない。他人がとやかく言うのも意味がない。本人が幸福という意味を知って、その意味と自分の状態が一致して初めて幸せになる。「幸福とは幸せな事」なのである。

 成長するに従って色々な体験を重ねる。過去の体験が記憶できるようになる。すると自分の過去の体験と現在の状態を比較するようになる。過去と比較して今の状態が良いか悪いかを判断する。そして更に良い状態を求める。これが第二段階である。「幸福とは何か」を追求する状態である。自分の過去の体験との比較だけではなく、他人の状態が幸福であるかどうか勝手に想像して、それと自分の状態を比較して良いか悪いかも判断する。

 幸福とは、幸福という概念と自分の状態とを比較することと理解するのだが、この段階では「幸福とは何か」ということに確信が持てていない。確信が持てないので常に色々なものと比較しなければ自分が幸福であるかどうか判断できない。一時的に自分は幸福であると結論付ける時もあるかも知れないが、比較するものは無限にあるので、この状態では幸福の追求は永遠に終わらない。

 第三段階は「幸福とは何か」を知った状態である。幸福は本人が感じることであって、他人が決めるものではない。従って自分の今の状態と比較する状態というのは、自分の意思しかない。自分で「幸せとはこうであること」と決め、それが今の自分の状態と一致した状態が幸福な状態である。

 今の自分が幸福であると感じなければ、それは幸福ではない。明日は幸福になるだろうと思っていても、今日中に死ぬかも知れない。これでは意味がない。今、「幸福とは何か」を知り、それが今の自分の状態と一致していることが確かめられれば、明日死んでも悔いはないだろう。こうすれば死ぬまで幸福を得ることができることになる。

 人生では必ずこの順番の段階を経ることになると思う。自分は今、一体どの段階だろうか。少なくとも第一段階は通過しているだろう。



*1 菊田一夫記念館

040606

 一般に自動車や二輪車の原動機はガソリンエンジンやディーゼルエンジン*1が使われる。これらのエンジンは燃料が燃焼したときの気体の膨張が原動力になっている。エンジンの気筒の中に霧吹きの様な物で燃料を吹き付ける*1。これをピストンで圧縮して、その圧縮した燃料の霧に火を点けて爆発させる*2。爆発するとピストンが押されるので力が出る。つまり気筒内に霧を吹き込んでその霧を圧縮した状態で点火しないと力が出ないので、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンは自分から動き出すことが出来ない。とにかくだれかに燃料の霧を圧縮するところまで最初にやってもらわないと動き出せない。一回動き出せばその勢いで燃料を圧縮することができるので回転し続ける。ある程度の回転数がないと霧を圧縮できなくなるので止まってしまう。

 一方、電気モータの原動力は電磁力*3である。磁界の中で電気を流せば、その電線を動かそうとする力が発生する*4。モータが止まっている状態でも動き出すことができる。磁界の中で電流を流せば力が発生するので電源を入れれば、自分で動き出す。

 エンジンは燃料の霧の濃さで回転数をある程度調整できるが、低回転時には力がでないことや燃料の使用効率を考えると変速機で回転数を大きく変えてやった方がいい。微調整は燃料の霧の量で行う。自動車や二輪車はゆっくり走ったりかなり速度を出したりするので変速機がどうしても必要である。電車のモータは回転数が0でも電流を流せば大きな力が出る。従って変速機を使わなくても電流の流し方で速度が自由に調整できる*5。モータは電流の向きを変えれば回転の方向が変わるが、エンジンは回転方向が常に同じなので、歯車などで回転方向を変える仕組みが必要である。

 自動車の変速機による回転数の変換は人間がシフトレバーで行う。大抵は歯車で回転数を変える仕組み*6なので、変換が段階になっている。乗用車では3〜6段*7になっている。大型トラックだと7段もある*8場合がある。自動的に変速してくれるオートマチックトランスミッション*9でも変速用のレバーが付いている。オートマチックトランスミッションには半分自動で半分手動*10のものもある。この型は各段階に自動的に移行する設定にしたり、レバーで切り替えることにより運転者の意思で各段階に移行させることができる設定にすることができる。筆者の所有する自動車も半分自動半分手動*11になっている。



*1 ISUZU:ディーゼルエンジンの特長としくみ
*2 イリジウム
*3 TEPCO : 電気・電力辞典 | フレミングの法則
*4 モーターの話
*5 Just! Railway 鉄道技術解説トップページ 第四章 電気車の制御方式(本編)
*6 技術科@スクール(Technology Education @ School) 分解博物館〜トランスミッション(変速機)
*7 SUBARU−IMPREZA WRX
*8 ISUZU:トラックゼミナール
*9 【Movie】Q&A動画版「トランスミッションを"解剖"する」
*10 第86回 より安定した走りへ -AT最新事情 その2- |テクの雑学|TDK Techno Magazine
*11 auto-innovations : glossaire transmission

040607

 雑記草の記事中にはリンクが一杯設定*1してある。他のファイルだけではなく、同一ファイルの中でもリンクが設定してある場合がある。

 雑記草では一つのファイルに一ヶ月分の記事が入っている。単にファイルにリンクするだけだといつもファイルの先頭が表示されてしまう。目的の日付の記事に直接リンクするには、ファイル内に目印を入れておく必要がある。

 <a name="000000">*2というタグを入れて、<a href="zakkisou.html#000000"> で指定してやると直接その場所に移動する。

 雑記草の記事全てに<a name="000000">(000000の部分は日付)と言うタグが付けてある。例えばこの記事へ直接リンクさせるには

<a href="http://www.zakkisou.com/mukasizakkisou/0406zakkisou.html#040607">040607の記事<a>

と設定すればよい。



*1 リンク(4)
*2 name=name - 名前指定

040608

 幼少の頃、ブーメラン*1が流行ったことがある。手許に上手く戻ってこなくて途中で落ちたブーメラン*2を拾いに行こうとして、肥溜め*3に落ちたことがある。夢中になりすぎてブーメランしか眼中になかったのであった。

 そのころブーメランに関して勘違いをしていた。投げると手許に戻ってくるのは、実際にそうだから勘違いも何もない。ブーメランは狩りの道具であるという知識はあった。勘違いはここからである。鳥や小動物を目がけてブーメランを投げるて上手く当たれば、獲物がブーメランに引っ掛かった状態で戻ってくると思っていた。ちょうどへの字に曲がった角の内側に首が引っ掛かって飛んで戻ってくる様子を想像していた。そうでないことは大人になってから気付いた。

 それにしてもブーメランの動きは不思議である。何故戻ってくるのだろう。

 ブーメランは飛行機の翼のような断面*4をしている。竹とんぼの断面と言った方がいいかもしれない。竹とんぼの羽根*5を「へ」の字に曲げたと考えればいいだろう。ブーメランをへの字に置いた時、左側の部分の断面は上の方が細くて下が太くなっている。右の部分はその逆になっている。飛行機*6の進行方向を上にした時、左の翼は進行方向に対して逆にして、右側の翼はそのままにしたような物である。

 これを右手で縦に持って投げる*7断面の太い部分が進行方向に向かって風を切るように回転させる*8

 ブーメランが縦に回転しながら飛んでいる時、への字の左側が上に来た時は進行方向と回転方向が一致するため速い速度で風を切ることになる。すると進行方向に向かって左方向に力が発生する。この時、への字の右側は下にあり、進行方向と逆に回転しているので風を切る速度が遅くなる。その分進行方向左方向に発生する力が上で発生している力よりも小さくなる*9。この結果、ブーメランの回転軸を進行方向に対して左に回転させようとする力が働くことになる。つまりブーメランを縦になって転がっていく硬貨に見立てると、回転する硬貨の上部を左に向かって指で弾いた状態と同じである*10。硬貨が止まっていればぱたんと左側に倒れるだけだが、転がっていると倒れまいとする力が働いて進行方向左側に曲がっていく。硬貨が回転している方向と指で弾いた方向とを足し合わせた方向に曲がっていくのである。

 従ってブーメランは左の方向に曲がっていく*11。無風状態で投げればそのまま丸く廻って手許に戻ってくるのだろう。風に向かって投げれば、左へ十分に曲がれば、風にすくわれてブーメランは水平に回転するようになる。水平になれば竹とんぼと同じ構造なので上に向かって上昇する。上昇する間も風が自分に向かって吹いているのでブーメランは自分の方に近寄ってくる。頂点まで行くと力尽きて回転しながら舞い降りてくる。風速に応じて投げる力加減をうまくすれば手許に上手く降りてくるのだろう。

 幼少の頃、興じていたブーメランは殆ど手許に戻ってこなかったような気がする。最初から水平に投げていたせいかもしれない。そのおかげで野壺にはまってしまった。



*1 h i d e k i - s a i j o official Homepage (C) Music 1977
*2 ブーメランのように - goo 映画
*3 写真で見る人と自然環境・地域共同体とのかかわりの変化
*4 Aerodynamics in Sports Equipment, Recreation and Machines - Boomerang - Instructor boomerang.gif
*5 スーパー竹とんぼ
*6 なぜ飛ぶの?紙飛行機も実物の飛行機も、飛ぶ原理は同じです。では、飛行機は どうして 飛ぶのでしょうか。
*7 IRUKA's Homepage Play with the Boomerangs(main),1996,5,31
*8 Boomerang
*9 Aerodynamics in Sports Equipment, Recreation and Machines - Boomerang - Instructor bmg_1.jpg
*10 IRUKA's Homepage Play with the Boomerangs(main),1996,5,31
*11 Bumerangs am WOG

040609

 ブーメランの続き*1。それにしてもどうやってこんな道具を発明したのだろう。

 曲がった木の枝を投げたら何やら戻ってきたのでこれは狩りに使えると思い付いたのだろうか。単に曲がっているだけでは駄目で、棒自体が平たくないといけない。このきっかけさえ掴めれば断面をどうすれば上手く飛ぶか工夫が出来る。

 棒の断面が丸ければ、原理からすれば回転しながら真っ直ぐ飛んでいくだけである。しかし完全に丸い断面の棒などはないから、どれか棒を投げた時、石を投げた時と違った何かしら変な飛び方をすることに気付いたのだろうか。

 その中で平たい棒切れだと飛んでいく方向が曲がったり時々戻ってきた。更に曲がった棒だと投げやすく確実に回転しながら飛んでいってくれる。こうやって曲がった平たいブーメランが出来上がってきたのかもしれない。

 相当昔からありそう*2なので、どういう経緯で発明された*3のか判らない。

 原理からするとブーメランは必ずしもへの字になっている必要はない。調べてみると様々な形のブーメラン*4が考案されている。



*1 ブーメラン
*2 Boomerang History
*3 Howstuffworks "How Boomerangs Work"
*4 Boomerang Passion - Plans de boomerangs Classiques I

040610

 最近は「地球にやさしい*1」といった言葉をよく目にする。この言葉が出てきた当初はかなり違和感があったが、今では慣れてしまった。そもそも人間が自然の中の一部*2であるので、その人間が「地球にやさしい」など、おこがましいにも程がある。自己中心の考え方の極みである。ところが繰り返されると慣れてしまう。恐ろしいことである。気を付けなければならない。

 表現の仕方はどうであれ、自然を保護していこうという気持ちは何もしないよりはましである。そのための努力は必要だろう。

 「地球にやさしい」のは大抵、商品である。地球にやさしい○○という広告文案で売り上げを上げていく。地球や環境へのやさしさが倍になってもその商品の売り上げが倍になれば現状維持、4倍ならば地球に「倍の厳しさ」を与えていることになる。「地球にやさしい」という言葉でこういった事柄に気付きにくくなっている。

 新しいエネルギーの開発*3で、よく話題になるは「太陽電池は本当に環境保全に役立つのか*4」である。太陽電池*5は太陽の光で発電するので火力発電や原子力発電のように二酸化炭素や放射能を排出しないので綺麗な発電装置である。ところが太陽電池を製造するには電気を沢山使用する*6。これでは何もならないということになる。

 電気を沢山使用すると言ってもどれくらいなのだろうか。屋根などに設置した太陽電池の寿命*7が尽きるまでに発電する電気よりも、太陽電池を作るのに多く電気が必要ならば間抜け*8としかいいようがない。少なければ、最初は他の発電方法を利用して太陽電池を作らなければならないが、太陽電池が発電の主流になればそれで発電した電気で新たな太陽電池が作れるので問題はない。

 真実はどっちなのだろうか。



*1 環境goo
*2 一神教と多神教
*3 NEDO:新エネルギー・産業技術総合開発機構
*4 ほめられもせず、くにもされず 太陽電池というモノ
*5 環境保全と免罪符
*6 ほめられもせず、くにもされず 太陽電池というモノ 太陽電池の製造にはエネルギーが必要です。
*7 ほめられもせず、くにもされず 太陽電池というモノ 太陽電池が本当の意味でエネルギーを生み出すのは
*8 バカについて

040611

 太陽電池が地球に「やさしい*1」かどうかは実際に計算してみればいい。計算するには太陽電池を作るのに本当にどれくらいエネルギーを使ったかを調べる必要がある。しかしこの計算は少し考えただけでも面倒極まる*2ということが判る。

 太陽電池を作る*3にはシリコン*4がいる。シリコンを精製するのに電気がいる。シリコンの原石を採掘するにも機械が必要だら石油エネルギーが必要である。シリコンの原石を輸入すれば船舶の燃料も必要である。更に採掘機械を作るのにエネルギーが必要である。船舶を作るのにもエネルギーが必要だ。

 もっと細かく言えば、これらの産業に携わる人々は家に帰ると電気やエネルギーを使って食事をしたり風呂に入ったりしている。飯も食べる。飯を作るにもエネルギーを使う。仕事一辺倒では働く意欲がなくなるので、余暇を楽しむ。旅行に行けばエネルギーを使う。趣味で自動車を買って乗る。その自動車を作るにはエネルギーがいる。走らせるにはガソリンがいる。ガソリンを原油から作る装置を作るにもエネルギーがいる。原油を輸入するにもエネルギーは要る。

 太陽電池を作っている人の中には環境への感心が高い人がいるだろう。この人は自分の家の屋根に太陽電池を設置*5しているかも知れない。この人は石油エネルギーを使う量が少し少ないので、この人が作った太陽電池は少しだけ石油エネルギーがかかってないことになる。こうなってくると複雑に絡み合って更に巡り巡ったりしていて「太陽電池を作るために必要とする正味のエネルギー量」をどうやって計算すればいいのかさっぱり判らなくなる。

 こんな状態では太陽電池が本当に環境保全に有効かどうか全然判らない。太陽電池だけではなく「地球にやさしい」という商品全てに関して同じ事が言える。

 どうすれば本当にやさしいかどうかが判るのだろう。



*1 やさしさの真実
*2 水素自動車(2)
*3 京セラ | 製品情報 | 太陽光発電(ソーラー発電) | 京セラのソーラーエネルギー | 太陽電池のしくみ
*4 cz
*5 太陽光発電システム(ソーラー発電システム) 製品紹介

040612

 その商品を作るのにどれだけのエネルギーを使ったのか*1。例えば太陽電池が寿命の尽きるまでに発電する電気の量が、太陽電池を作る時に掛かった電気の量よりも少なければ何ら意味がない。

 ところが太陽電池を作るのに掛かったエネルギーを厳密に計算*2しようとするとどこまで計算すればいいのか判らなくなってくる。駕籠(かご)に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人で一つの太陽電池を作るのに様々な産業や人々が関わっている。そんな中で、これは太陽電池に使ったエネルギー、こちらはそれ以外と分けて計算するのは至難の業だろう。どうすればいいか。本当に太陽電池は環境保全に役立つのか。

 産業連関表*3というものがある。1936年アメリカの経済学者W.W.レオンチェフ博士*4によって考案された。産業連関表は産業相互間、あるいは産業と家計などの関係を表にしたもの*5である。様々な産業が何かを生産するのにどれくらい費用がかかったか、生産した物をどこにどれだけ売ったかが一覧表になっている。これを使えば太陽電池を作るのにエネルギーがどれだけ投入されたかが解るはずである。

 産業連関表は各産業間の関係を示している*6ので、自分が買ってきた太陽電池が具体的にどれくらいのエネルギーを使って作られたか知るには太陽電池専用の連関表がいる。そんなのはない。

 それに自分が買ったものが作られるまでに環境に対してどれくらい影響を及ぼしてきたかを知るのに、いちいち産業連関表を計算しなければならないとなると、環境保全への関心が消沈してしまう。どうすればよいか。

 商品の値段は原材料費や人件費や利益で構成されている。原材料費にはエネルギー費も含まれている。原材料も商品なのでその価格の中には原材料の原材料費や人件費や利益が含まれる。そのまた原材料の原材料も商品なのでそれにも原材料費が含まれている。入れ子状態*7になっているのだが、最終的には小売りでの価格に全て反映されているはずである。

 物の値段はそれを作るのに要したエネルギーの量を反映しているのである。値段でその物を作るのに使ったエネルギー量の比較ができる。同じ物でも利益や人件費によって値段が違うので一概にそうとは言えない、と思うかも知れない。そうではない。人件費は最終的には消費に回される。つまりエネルギー量なのである。利益に関しても、配当や役員報酬分は消費に、税金も消費、社内留保も最終的には消費に回る。経済活動は全てエネルギーに換算されるので、物の値段はエネルギー量と考えても差し支えはない。

 こう考えていくと「少し高価ですが、地球のことを考えて材料を選びました」というのはエネルギー消費の面からするとおかしな話になる。

 結局、人類の経済活動の量そのものが問題であるので、物を中心とした経済発展と環境保全との両立は不可能ということになる。



*1 やさしさの真実
*2 やさしさの真実(2)
*3 1 産業連関表とは
*4 Wassily Leontief - Autobiography
*5 3 産業連関表の仕組み
*6 平成12年(2000年)産業連関表
*7 宇宙の果て

040613

 その商品を作るのにどれだけエネルギーを使ったか*1。その商品の値段が高ければその分だけエネルギーを使っていることになる。つまり値段が高ければ環境に負荷を掛けていることになる。

 それでは値段が高い物は全て環境保全にとって不都合なのか。そうではない。その商品の寿命が長ければ値段が高くても結局はその商品を作る量が少なくなる。全体として使用するエネルギー量は少なくなる。

 安くても大量に作られて売り上げが増大すれば、それだけエネルギーが消費される。いつまでもこういう事を続けていけば、地球環境は有限なので、限界が来るのが自明なのになかなか諦めがつかない。どうすれば諦めがつくのだろうか。



*1 やさしさの真実(3)

040614

 去年の夏に植えた睡蓮*1が花を付けた。巷で売っている睡蓮鉢の値段が少し高かったので小さいトロ舟*2に土と水とを入れて育てていた。水の中にはたにしやめだかがいる。

 睡蓮の花は朝に咲いて*3夕方閉じる。これを数日繰り返した後、花はしぼんでいく。今回初めて知った。

 写真で睡蓮の茎の根元にある黒い塊*3たにし*4である。

 筆者の妻は、なぜ泥水と草とが置いてあるのだろうと思っていたようである。捨てられなくて良かった。



*1 めだかとひる
*2 ガーデン紀行
*3 suiren.jpg
*4 タニシ(マルタニシ)

040615

 プリンタを修理に出した。印刷すると白い線が出る様になったためである。

 家のプリンター*15年前の年末*2に買った。年賀状製作用に買ったのである。

 印刷方式は熱転写方式*3である。インクリボンを使って印刷をする。現在、家庭用のカラープリンタはインクジェット方式*4が主流である。購入当時も主流であったが、確か印刷の細かさは熱転写方式が最も高かった。

 このプリンタ*5三年ぐらい前に店頭販売を中止してしまった*6。現在はメーカ*7通信販売店*8のみでの販売になっている。従って修理は店頭への持ち込みではなく、宅配便でメーカまで送らなければならない*98

 送るのが面倒だから、オークション*10で中古品を探してみた。意外なほど値段が高い。少し無理をして新品を買った方がいいくらいの値段*11である。

 インクジェット方式も考えたが、買い換えればゴミが増えるので、やはり修理をすることにした。現物をメーカに送った。元の箱はとうの昔に捨ててしまったので、段ボール箱をわざわざ買ってきて、緩衝材として新聞紙を詰めて送った。

 修理の見積もりが来た。1万5千円程度で済むというので、修理実施を指示した。リボンに付いているインクを紙に熱で転写する機構*12の一部が駄目になっていた。何年も使っていればいくら硬い材料で作ってあっても非常に微細な構造なので、ちょっとした摩耗でも影響が大きくなるのだろう。これを交換した。

 数年後に同じ様な不具合が発生するのは必至である。そうなった時もう一度修理をするだろうか。



*1 蔵書票
*2 ガラス管ヒューズd
*3 @IT:Insider's Computer Dictionary [熱転写プリンタ]
*4 @IT:Insider's Computer Dictionary [インクジェット・プリンタ]
*5 アルプス電気ホームページ マイクロドライ(R) プリンタ
*6 マイクロドライ(R) プリンタの販売チャネル変更のお知らせ
*7 アルプス電気ホームページ
*8 電子部品の通信販売-アルプス電気の通販サイト-電即納-でんそくのう
*9 お預かり修理について
*10 Yahoo!オークション
*11 マイクロドライプリンタ//アルプス電気
*12 Micro Dry(R)プリンタとは?

040616

 修理したプリンタ*1は熱転写型である。熱転写とは、インクが塗ってあるリボンを印刷する紙に押し当て、押し当てた部分を熱することによってリボンのインクを紙に付着させる方式である。

 リボンを紙に押し当てる部分を印字ヘッドといい、この部分が非常に精密にできているので、砂粒など硬いほこりが挟まれると印字ヘッドが破損してしまう。

 この印字ヘッドの発熱体は単結晶シリコン*2でできているらしい。厳密に言えば、画素を形成する配線部分が発熱している様である。電流を流すと熱が発する抵抗体になっている。おそらく多結晶シリコン*3が抵抗体として使われているのだろう。発熱体の保護のためにその表面は酸化シリコンに覆われていると考えられる。

 砂粒の成分は大抵酸化シリコン*4なので、いくら砂粒が小さくても同じ材質の物がぶつかれば、ともに潰れ合ってしまう。その結果印字ヘッドが破損することになる。

 修理書の注意書きには、ほこりや粉塵の付着には細心の注意を払ってくれとあった。更には床に落とした紙で印刷をしないで欲しいともあった。紙に砂粒が付いている可能性があるというのだ。

 和紙*5も使用していけないとある。和紙は繊維が粗いのでほこりが付着しやすいのだろうか。以前に蔵書票を和紙に印刷して作りたい*6と書いたことがある。一年以上も経ってしまったが、未だに実施していない。実施しなくてよかったのかもしれない。



*1 プリンタの修理
*2 Micro Dry(R)プリンタとは?
*3 CZ
*4 身の回りのケイ素
*5 紙の温度ホームページ
*6 蔵書票

040617

 一般の自動車や二輪車などに使われているガソリンエンジンやディーゼルエンジンは回転数が小さい時には力がでない*1。そのためにエンジンから車輪へ力を伝達する間に変速機*2が用いられる。

 自動車の変速機には手動と自動の二種類がある。手動はマニュアルトランスミッション*3、自動はオートマチックトランスミッション*4と呼ばれる。最近のオートマチック*5には全自動と半自動とがある。半自動は運転手が自在に変速できる様になっている。目的とする変速比に固定できる。ただし、自動的にエンジンに大きな負担が掛かるような変速比にはならないように工夫されている。

 市販車ではじめて半自動のオートマチックトランスミッションを搭載したのはポルシェ*6だろう。ティプトロニック*7と呼ばれている。国産車で同じような変速機を最初に搭載したのは三菱自動車*8だった。

 ポルシェも三菱もシフトレバーを操作することにより全自動、半自動どちらも選択することができる。通常、切り替えは前後にレバーを動かして*9行う。半自動へはレバーを左右どちらかに傾けて切り替える。切り替えた後はレバーを前後に動かして目的の変速比にする。この形式はどの製造会社の自動車でも同じ*10だろう。

 ところが細かいところで違う。全自動、半自動の切り替えでどちらにレバーを倒すかが違う。ポルシェは最初、助手席側に倒していた*6が、最近は運転席側に倒す*11ようになっている。全自動、半自動どちらを常用するかによって設計の仕方が変わってくるかも知れない。ポルシェのように変速操作を好む購買者が多ければ運転席側にするのが良さそうだし、半自動がおまけのであれば助手席側に倒す方がいいのかもしれない。

 変速比を切り替えるのに前後どちらに倒した時に速度が上がるかも違う。大抵は前に倒すと速度が上がる。最近のBMWは後ろに倒すと速度が上がる*12

 なぜ大抵のシフトレバーは前に倒すと速度が上がるようになっているか。ポルシェが最初に半自動のオートマチックトランスミッションを出した時*13、前に倒すと速度が速くなるようになっていた。これを皆真似したという考え方がある。

 違うだろう。全自動側ではD(通常走行)から後ろに向かって3(速)、2(速)、1(速)と並んでいる。3とはこの変速比に固定されるのではなく、1速から3速までエンジンの負荷状態で自動的に最適な変速比に切り替わる。手動の切り替えとは少し違う。しかし後ろに倒せばだんだん速度が出なくなる。半自動に切り替えた時もそれの類推で後ろに倒すと速度が下がるつもりで操作することになるだろう。この心理に設計を合わせただけである。

 ではBMWはどうして反対にできるのだろう。全自動側ではD(通常走行)しかないからである。そうなれば半自動での速度の切り替えはどちらにしても違和感はない。ちょっとした違いだが、後ろに倒すと速度が上がる方に切り替わるようになっていれば、感じる加速度と一致しているのでそちらの方がいいだろう。



*1 自動車の変速機
*2 ISUZU:トラックゼミナール
*3 ギアミッション
*4 【Movie】Q&A動画版「トランスミッションを"解剖"する」
*5 Automatic Transmissions A Short Course
*6 ヒストリー - ポルシェ - Japan - Porsche Japan KK
*7 911 Carrera Models - 911 - Japan - Porsche Japan KK
*8 FTO MECHANISM
*9 5.エラー発生のメカニズム
*10 auto-innovations : glossaire transmission
*11 3.jpg
*12 1_enlarged.jpg
*13 tiptronic.jpg

040618

 腕時計を買った。昔から物欲の対象となっているBell&Ross*1ではない。セイコー*2の逆輸入品である。

 webのページを見ていて猛烈に欲しくなってきた。文字盤がベージュ色で、裏蓋がガラス製なので時計の中が見える。それでいて6000円程度の値段である。裏蓋がガラス製で中が見える腕時計は安くても日本製*3でも外国製*4でも数万円はすると思っていた。

 こんな時計*5である。裏はこうなっている*6。本来、この時計はナイロン製バンド*7のものしか見つからなかった。同じ型で文字盤の色が違うものには金属バンドがあるが、ベージュ色の文字盤にはない。欲しいのは文字盤がベージュ色でバンド*8が金属になっているものなのである。

 そこで同じ型の金属バンドがついた文字盤が色違いの腕時計をもう一つ余分に買った。そしてバンドを入れ替えた。これで数多ある物欲の一部が満たされた。



*1 Bell & Ross
*2 セイコー株式会社
*3 オリエントスター
*4 ORIS
*5 7S26A_1.jpg
*6 7S26A_2.jpg
*7 Seiko Sports Watches - Military Series seiko-military-strap.jpg
*8 株式会社バンビ

040619

 腕時計の続き*1。手にして思ったのは、何となく貧乏臭いことである。安っぽいのである。値段が6000円と安いからに決まっているが、ぱっと見て安物という感じがする。人に譲って今は所有していない*2この腕時計*3に比べると、大分安そうに見える。

 買った時計の文字盤を仔細に見る*4と文字盤の数字がだめである。単に文字が印刷してあるだけ、という感じである。実際に印刷してあるだけなので仕方がないが、文字の部分のインクが薄っぺらなのである。これでは時針と分針がくっついていて竜頭を回さないと針がまわらない子供用の玩具腕時計*5と変わらない。

 印刷で文字盤の文字を作るなら文字のインクを盛り上げないとだめである。文字のインクが盛り上がっているだけで全然違う。インクの量なんて微々たるものだから、インクを盛り上げても値段なんてそんなに上がらないだろう。

 貧乏くさい意匠とそうでない意匠との差はどこからくるのだろう。やはり何度も何度も検討したかしなかったかの違いだろう。何度も練り直せば良い物ができあがる。それだけ時間をかけるのだから値段も上がってくる。だから素晴らしい意匠の製品は値段が高い。優れたデザイン家*6が考えれば短時間でも、優れた意匠ができるが、デザイン家がそういった能力を身に付けるためには多大な時間が費やされているので、そういったデザイン家を起用すればやはり値段が高くなる。

 安くて優れた意匠というのは偶然出来上がることはあっても、基本的にはあり得ないのである。



*1 新しい腕時計
*2 Alpinist
*3 alpinist.jpg
*4 7S26A_1_2.jpg
*5 Tokei4K.jpg
*6 柳宗理のやかん

040620

 ハードディスクの最適化は無駄*1らしい。今まで筆者はこのハードディスクの最適化は必須だと思ってきた。

 この記事*2を読むと如何に無駄であるかがよく判る。データがハードディスク*3上に記録される時、物理的にデータが分断されることがあるらしい。ハードディスクの中の円盤にデータが書き込まれる*4時、書き込める領域の状態によって書き込むデータが分断される。100MBのデータを記録しようとする場合、100MB分の空いた領域が物理的に連続していないと100MBのデータを分割してハードディスクに書き込む。

 このデータを読み出す時、データが連続していれば、ディスクの読み出しヘッド*5をディスク上で単純に滑らせるだけである。データが分散していれば、その分散したデータをつないで読み出すためにハードディスク上に分散したデータがある場所にヘッドを動かさなければならない。ヘッドやディスクは機械部品なので動くのにある程度時間が必要である。従ってデータの分断化が進むと読み出す時に頻繁にヘッドを動かさなければならなくなるので、コンピュータの動作速度が遅くなる。

 コンピュータの動作速度が遅くなるとなれば損をした気分になる。だが、よく考えてみるとあるデータを読み出すのに、分断されていなければ0.1秒で済むところが、分断されていると1秒かかったとする。時間は10倍だが、余分な時間は1秒程度なので全く問題ない。このために何か対処する方が余程時間の無駄になる。

 オペレーションシステム*6のファイルが分断しているとどうなるだろう。オペレーションシステムはコンピュータのシステム全体を管理しているのでしょっちゅう読み出しを行っている。これが分断されていれば時間が掛かって仕方がなくなるのではないだろうか。

 そうではない。オペレーションシステムは沢山のデータから成り立っている。このデータは決められた手順によって読み出されるが、常にその順番が決まっている訳ではない。個々のデータが分断されていなくても読み出しの順番が決まっていない複数のデータの読み出しをしなければならないヘッドは頻繁に動かなければならない。つまりもともと断片化しているようなものなので、これも大して問題は発生しないということである。

 ではなぜハードディスクのデータの最適化をやってしまうのか。分断されたデータが整理されていく様子*7を見ると清々しい。耳掻きと同じ*8である。不必要であると知る前は、必要であるということと気持ちがいいということとが理由であった。それを知ってからは気持ちがいいことだけが理由になってしまった。ほどほどにすべきなのであろう。



*1 TidBITS 日本語版 #686/30-Jun-03
*2 ディスクの最適化は時間の無駄
*3 パソコンの仕組み パソコンの基礎知識 > ハードディスクドライブ > ハードディスクドライブの構造
*4 新・イラストで読むパソコン入門 パソコン・ハードディスク
*5 情報処理概論 ハードディスク
*6 IT用語辞典 e-Words : OS 【オペレーティングシステム】 (Operating System)
*7 Review: Disk Utility Shoot-Out speeddisk.gif
*8 究極の耳掻き

040621

 広辞苑を105円(税込み)で手に入れた。大手古本チェーン店*1で買った。

 ここの買取価格は定価の一割程度*2と言われている。本が汚ければそれだけ安くなってしまう*3

 現在の広辞苑*4は第五版になっている。手に入れた広辞苑は第二版補訂版である。発行は1976年で定価は4600円。全体が少し黄ばんでいるが使用には全く差し支えない。

 売値が105円だと買取価格はいくらだったのか。10円から50円程度だったのだろう。

 辞書の内容は殆ど陳腐化しない。辞書の機能としては殆ど衰えないので、価値は変わらないはずだが、一般の書籍と同じ基準で買い取っているらしいので30年近く前の本はこの程度の値段になってしまうのかもしれない。辞書は売れにくい。特に漫画やCDが売り場面積の半分以上を占めている店では学術書は殆ど売れないのだろう。商売では不必要な在庫は罪悪なので、少しでも早く売り払わなければならない。だからこの店では、辞書は安めの値段が付きやすい。筈である。

 去年は比較的新しい英語辞書を格安に手に入れた*5。まめに通えば希少本を安く手に入れることが可能である。



*1 本を売るならBOOK OFF(ブックオフ)
*2 買取価格について BOOK OFF
*3 買取査定について BOOK OFF
*4 広辞苑
*5 安く手に入れた英和辞典

040622

 Zipが動かなくなった*1。今度は新しく入手した方*2である。Zip*3とは磁気ディスクを用いた記憶装置である。一時期はよく見かけたが、最近は店頭で殆ど見かけることはなくなった。

 古い方のZipの電源と入れ替えてみると正常に動作する。電源が壊れていた。古い方の電源も一度壊れている。新しい方のZipは殆ど使っていなかったが電源が壊れてしまった。設計がだめなのだろう。



*1 Zip(7)
*2 Zip(6)
*3 アイオメガ株式会社 (Iomega Japan) ->バックアップ: ネットワーク・ストレージ (NAS) : 再書き込み可能なCD (CD-RW) : ハード・ドライブ (HDD) : クイックシンク (quiksync) : ジップ250 (zip 250) : データ・ストレージ: CD書き込みソフトウェア: アイオメガ製ジップ (ZIP) ドライブ: ハードディスク・ドライブ (HDD) : アイオメガ製ジャズ (jaz) : フロッピー・ディスク: ジップ100 (zip 100) : ジャズ (jaz) ドライブ

040623

 前(さき)の戦時中のこと*1をもとにして描いたSFアニメーション*2を見ていたら「せろん(世論)」という言葉が何度も出てきた。

 「世論」は戦後の漢字使用統制で出てきた言葉である。もともとは「輿論」と書いていたが、「輿」という字が当用漢字*3に入らなかったため、同じ様な読み方の「世(よ)」を「輿(よ)」の代わりにして書き換えた「世論」という熟語が一般化した。「輿」が「与」の本来の字体である「與」に似ていることから「輿論」を「與論*4」「与論*5」と書き換えて同じ意味とする場合もあるらしい。

 「輿(よ)」を「世(よ)」に置き換えた結果、「世論」という言葉が成立し、漢字熟語の読み方の原則は訓読みなら訓読み、音読みなら音読み*6という「読み方を揃える」に倣い、「世論」を「訓 音(湯桶読み)」の「よろん」ではなく、「せろん」と読むようになった。

 従って「せろん」は戦後の言葉なので戦時中に「せろん」と言うのはおかしいと思った。このアニメーションは、もし歴史がこうだったら、という内容なので史実を描いている訳ではない。別に「せろん」でも「パブリックオピニオン」でも何でもいいが、レーダーは「電探(でんたん)」と言い換えているのでこの不統一が気になってしまった。



*1 遺構探訪 本文の索引
*2 紺碧の艦隊
*3 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: とうようかんじ
*4 Multimedia & Internet Dictionary 與論調査
*5 Google 検索: 与論 世論 輿論
*6 四元数

040624

 「世論」は漢字使用統制による「輿論」の書き換えなので、戦前には「世論(せろん)」という言葉はなかった*1、と思っていた。

 ところがどうも違うらしい。世論(せろん)という言葉は昔からあったようだ。輿論(よろん)と同時に存在していた。代用ではないので意味はそれぞれ違うらしい。

 世論は民衆の心情、輿論は公の意見*2と別れていたという。原敬*3彼の日記*4の中でこれらの言葉を使い分けていたらしい。世論は輿論の代用で作られた熟語ではなく、明治の昔から存在していた*5

 世論は「世上の論」で世の中一般の論、輿論の「輿」という字は「多い、もろもろ」という意味で多くの論だから、考えてみるとそれ程意味に差があるとは思えない。そうなると「よろん」だ「せろん」だと目くじらを立てるほどのこと*6ではなくなってくる。

 「せろん」か「よろん」か*7。格好良さでは「よろん」だろう。もともとは「輿論」だから漢字の複雑さが玄人らしさを醸し出している。小学校で習う漢字が入った「世論」ではいかにも素人っぽい。それでは「世論」は何と読むべきか。漢字熟語の読み方原則*8から言えば「せろん」だし、明治の頃から「世論(せろん)」という同じ様な意味の言葉があったのだから「せろん」と読んだ方がいい*9世論が「輿論」の純粋な書き換え、つまり戦後にできた言葉*10なら「よろん」と読むべきだろうが、昔から「世論」という言葉があるので「せろん」が妥当である。

 まぁ、そんな程度の話なのだろう。



*1 せろんとよろん
*2 「よろん」と「せろん」の違いはあるのか?
*3 原敬記念館
*5 原敬事典 「原敬日記」
*6 日めくり 〜・〜・世論・〜・〜 本来の読みはセロンだが
*7 ほんまかいな 「世論(せろん)」はおかしいで!
*8 雑記草の由来
*9 大谷大学 読むページ>バックナンバー>今という時間(とき) 「世論」 竺沙 雅章(ちくさ まさあき)
*10 言葉について 当て字から作られた言葉の例

040625

 相変わらず無断リンクお断りのサイトが多い。新聞社などはリンクを設定するには事前の申込が必要*1であったり、リンクする場所が指定されている。

 著作権を主張するページと同じページにリンクに関する考え方や制限などを掲載してあたかも無断にリンクすることが著作権を侵害するような印象をもたせようとしているサイトもある。確かに勝手にリンクされるのは人情として気に障ることがあるかもしれない。しかしそれはリンクという仕組みの無理解が起因していると思われる。

 何度もここで記事にしている*2が、リンクというのは、URL*3を手で入力する手間をパソコンが代行しているだけなのである。そういった仕組み*4なのであって内容そのものではない。著作権は関係ない*5ワールド・ワイド・ウェブ*6を利用している人々は、そういった仕組みが存在していることを前提にしているはずである。それに対して拒否反応を示すは、無理解としかいいようがない。嫌ならば最初から使わないか、暗証番号などを設定して利用者の制限を徹底すればいいだろう。

 「嫌なら使うな」「利用者制限しろ」というのは、インターネットを自由に利用する権利を侵害していると怒るかも知れない。「リンクさえこちらが思った通りにしてくれれば、インターネットを自由に使える」と一方的に権利の主張をしているのである。

 無断リンクは許さないが、クッキー*7を使って閲覧者の情報を収集して、様々なことに利用しているサイトがある。個人情報を勝手に収集するのはけしからん、と怒る人もいるので「クッキーでは個人の秘密などは流出しない」などと言い訳をしている場合*8が多い。

 言い訳はいいが、クッキーは閲覧者が利用するパソコンの設定で無効にできるから問題ないと主張しているのは、全くもってけしからん。こちらでは無断リンクの対策はやりたくないけど、クッキーはそちらで対策してくれと言うのは虫がよすぎる。

 とにかく「無断リンクお断り」という主張はいい加減にして欲しい。



*1 Google 検索: 新聞 リンク 無断
*2 リンク(3)
*3 IT用語辞典 e-Words : URLとは 【Uniform Resource Locator】 ─ 意味・解説
*4 リンク(2)
*5 マルチメディアと著作権
*6 IT用語辞典 e-Words : WWWとは 【World Wide Web】 ─ 意味・解説
*7 IT用語辞典 e-Words : クッキーとは 【Cookie】 ─ 意味・解説
*8 Google 検索: 個人情報 クッキー

040626

 偶然、「捕らえられた宇宙人」の写真*1を見つけた。昔から有名な写真である。「lildude*2」を検索していた時に出てきた。

 試しに「捕らえられた宇宙人」という検索語句で調べてみたら、日本語のサイトでも出てきた*3

 たまたま「捕らえられた宇宙人」と言う語句で、件の宇宙人の写真を見つけることができた。これは写真が掲載されているページに「捕らえられた宇宙人」という文字列があるから検索できた*4

 こちらが考えている画像の様子を言葉にする。それを基に画像を検索してくれるといいのだが、それはかなり難しいのだろうか。



*1 Antiquities of the Illuminati :: Grey Lodge Occult Review :: Yeats :: lildude.jpg
*2 Goody Two Shoes
*3 12 捕らえられた宇宙人
*4 Google イメージ検索に関するFAQ イメージ検索の仕組みは?

040627

 折り紙の本*1を眺めていたら「迦陵頻*2」と題されたものがあった。「迦陵頻伽(かりょうびんが)」が省略されて迦陵頻*3となったらしい。迦陵頻伽はインドの神話*4に出てくる美声で鳴く鳥のことである。

 「かりょうびん」というと上田知華*5を思い出す。「上田知華+KARYOBIN」という音楽グループを作って活躍していた。今も音楽活動は続けている*6らしい。

 ただ、それだけ。



*1 折り紙(2)
*2 秘傳千羽鶴折形 S12-1.jpg
*3 加陵頻 (かりょうびん)
*4 ジャガーノート
*5 上田知華 参加作品 CD DVD ...
*6 Music For ATOM AGE レコーディング・レポ

040628

 なごや弁が死にかけとる。市井での会話に耳を傾けてみてもちっともなごや弁が聞こえてこうせん。なんだしゃん、なごや弁みたぁな言葉はときたま聞ける。しゃべっとる本人は標準語か東京弁のつもりだが、ところどころ名古屋独特の言葉が出てくる。何でかというと、なごや弁は東京弁とアクセントが大体おんなじだで、単語が大きく違うとは思っとれせんのだわ。なんでほんなことまでして東京弁を使いたがりゃあすのか。

 特に若年層はひでぇでかん。全くと言ってええくらぁ、なごや弁をしゃべっとらん。前に書いたみたぁに、ときどき知らずに名古屋言葉を使わっせる場合もある。本人は東京弁のつもりだで滑稽だわな。ほうではにゃあかもしれん。もう東京弁という感覚はのうて、名古屋式東京弁しかしゃべれぇせんのかもしれん。もうなごや弁は通じいせん。このまんまでは完全に死んでまう。方言が死んでまうというのは文化が消えるということだで、考えてみやぁ、おそがいことだわなも。

 テレビジョンやラジオの影響が浸透した結果である。歳を取ってなごや弁が染みついている人はちょっとやそっとでは言葉は崩れないが、若年層はかなり影響されてしまう。中年ぐらいもまだ影響を受ける。こうやってなごや弁が急速に衰退してしまっている。

 テレビジョンなどでなごや弁がしょっちゅう登場すれば、崩れた言葉が矯正されるだろう。ところが殆ど聞くことができない。はるか大昔になごや弁の芸能人で南利明*1という人がいた。特にオリエンタルスナックカレーの宣伝*2では一世を風靡した。テレビジョン漫画で「幽霊城のドボチョン一家*3」というのがあった。これに登場するドラキュラ*4の声の吹き替えは南利明である。名古屋弁をしゃべるドラキュラという設定がよかった。

 現在、名古屋弁をテレビジョンなどで披露する人は衆議院議員の河村たかし氏*5ぐらいしかいない。なごや弁保護に尽力して欲しい。



*1 オリエンタルカレー
*2 オリエンタル cm-song2.wav
*3 FILMATION STUDIOS ORIGINAL PRODUCTION CELS AND DRAWINGS SABRINA AND THE GROOVIE GOOLIES (1970)
*4 SABRINA AND THE GROOVIE GOOLIES (1970) 00gg04.jpg
*5 衆議院議員河村たかし

040629

 以前、オーディオ装置で聴く音楽は所詮偽物なので、装置に金をかけるのはほどほどにしておいた方がいい*1と言うことを書いた。

 映画のDVDをよく買う。家にあるテレビジョン受像機は32型*2である。32型といえば横66cm縦37cmにもなる*3。家の中で見る画像としてはかなり大きい。日常に見られるこれくらいの大きさの画像は新聞の全面広告ぐらいだろう。昔のテレビジョン受像機の画面と思うとかなり大きい。

 映画を家で見るのだから映画館で見るよりは画面がどうしても小さくなる。ホームシアター*4と言って映画館で見るような画面を家で再現して楽しもうとする趣味が最近出てきた。家で*5を設置してそれに投影するのだから映画館と同じには絶対にならないのだが、ブラウン管、プラズマや液晶の画面よりは大きくできるので迫力は出てくるのだろう。

 家で見る映画は偽物だろうか。映画自体、一旦フィルムに焼き付けた画像を投影しているのだから、映画そのものは本物だが、画像そのものは本物の世界ではない。何かに記録された画像を見ることがすべて「映画鑑賞」と考えることができ、家での映画も映画館での映画もどちらも本物となる。音楽を家のオーディオー装置で鑑賞するのとは違う。

 所詮、映画館に匹敵する迫力を家で再現することは普通の財力では不可能だから血道を上げるのもほどほどにすべきだろう。その資金を映画鑑賞料に投入した方が無駄がない。



*1 オーディオ
*2 テレビを買った
*3 テレビの画面サイズ「36V型」と「36型」は大きさが違う?
*4 エンジョイ!ホームシアター シネマステーション
*5 株式会社オーエス

040630

 家で飼っているほぼ同じ大きさの二匹のクサガメの性別が判った。どちらも甲長は10cm程度だ。一匹は雄で、もう一匹は雌である。カメの性別は尻尾の形状で判別できる*1。オスの方が尻尾の根元が太い。小さい時はよく判らないが、ある程度成長するとはっきり違いが出てくる。オスメスどちらも尻尾の根元に総排出腔*2と呼ばれる穴がある。オスはこの穴から陰茎を出す。根元が太いのは陰茎がそこに仕舞ってあるからと思いたくなるが、そうではなさそうだ。

 カメの陰茎は比較的大きい*3。尻尾の根元に陰茎が折り畳まれている訳ではなく、おそらく甲羅の中に格納されている*4のだろう。穴から出てきた大きな陰茎*5をカメはどうやって体の中に戻すのか不思議である。裏返ったりするのだろうか。

 将来はこの二匹に多くの子ガメを作ってもらう計画である。



*1 猿沢池の淡水ガメ オス・メスの見分け方
*2 「カメの眼から見た現代社会」
*3 W W W . K O N N A M A A . C O M penis.jpg
*4 The Turtle Pages - Reproductive and Excretory System
*5 Zience CMS FREE v1.0 - Landskildpaddens anatomi



前へ 次へ



9907へ 9908へ 9909へ 9910へ 9911へ 9912へ
0001へ 0002へ 0003へ 0004へ 0005へ 0006へ
0007へ 0008へ 0009へ 0010へ 0011へ 0012へ
0101へ 0102へ 0103へ 0104へ 0105へ 0106へ
0107へ 0108へ 0109へ 0110へ 0111へ 0112へ
0201へ 0202へ 0203へ 0204へ 0205へ 0206へ
0207へ 0208へ 0209へ 0210へ 0211へ 0212へ
0301へ 0302へ 0303へ 0304へ 0305へ 0306へ
0307へ 0308へ 0309へ 0310へ 0311へ 0312へ
0401へ 0402へ 0403へ 0404へ 0405へ 0406へ



雑記草検索                 

使い方 かつ または
表紙 目次 リンク集 掲示板 メール 遺構探訪

Copyright (c) 2004 Yoshitaka Gotoh, Japan

Counter