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0505雑記草


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050501

 亀の水槽*1の掃除をした。冬眠明けの際*2、行方不明になっていたイシガメの幼亀の亡骸が見つかるかも知れないと思っていたが、結局何も出てこなかった。完全に食べられてしまったのか、それとも水苔を台にして水槽から逃げ出したのか。



*1 完璧な水槽
*2 亀の冬眠明け(3)

050502

 なぜだか解らないが、遺構探訪の掲示板*1の書き込みが消失していた。これは二度目である。前回は2003年の末頃に起こっていた。

 書き込みの内容を一々保存していないので、消えてしまったのはどうしようもないと思っていたが、勝手に世界中のwebページの内容を保存*2している「Internet Archive*3」を思い出した。ここに過去の書き込みが残っているかもしれない。早速検索をしてみた。

 ちゃんと残っていた*4今回消失した分*5前回消失した分*6が記録されている。

 雑記草も精密雑学*7も同じサーバ*8を使っているのに、遺構探訪の掲示板だけが二度も壊れてしまった。それにしても何が原因なのだろう。



*1 遺構探訪掲示板
*2 インターネットアーカイブ(3)
*3 Internet Archive
*4 Internet Archive Wayback Machine
*5 遺構探訪掲示板 Oct 25, 2004
*6 遺構探訪掲示板 Dec 02, 2003
*7 精密雑学掲示板
*8 COOL ONLINE

050503

 休みを利用して中学一年の息子と二人で旧東海道*1を歩いてみた。

 一日かけて歩けるところまで歩こうと計画した。旧東海道といえば日本橋を起点*2としているので、東京から京都へ向かって歩きたくなるが、逆に歩いてみた。愛知県内では旧東海道は名古屋鉄道*3の名古屋本線が殆ど並行している。行き先で歩き疲れたら最寄りの駅から電車に乗って家に帰るつもりだった。

 有松から出発することにした。目標到達地点は岡崎宿とした。できれば藤川*4まで行くつもりだった。

 そのためには有松をできるだけ早く発たなければならない。朝七時ぐらいのつもりだったが、結局、起きられなくて有松を出発したのは八時四十五分ごろ*5だった。有松絞り*6で有名なここは旧東海道の雰囲気を色濃く残している*7

 有松の街を抜け、桶狭間古戦場跡*8の近くを通って名鉄前後(ぜんご)駅*9前を歩く。ここもほんのわずかであるが旧街道の町並みの面影*10が残る。道標*11を見つけた。文字が達筆でしかも古いから何が書いてあるのかさっぱり判らない。市の教育委員会などが史跡としての保護をしているといるのだろうか。誰にも気付かれずにひっそりと*12立っている。

 暫く行くと阿野一里塚*13があった。街道の両側に塚が残っている。かなり浸食されていてどちらも高さが1m程度しかない。ゆっくり歩いているので街道周辺の様子がよく観察できる。一里塚の近くの幅60cm程度の汚いどぶに大きなミドリガメが二匹いた。あんな汚いところで一体何を食べて生きているのだろうか。

 やがて尾張国と三河国との境界になっている境川に着いた。境川を渡ると今川町に入る。今川にも古い町並みが残っていた*14。もう少し行くと芋川うどん発祥の碑*15があった。芋川うどん*16とは平打ちのうどんのことで紐革(ひもかわ)が訛ったとも言われている。今川は古くは「いも川」と呼ばれていたのでこれが語源とも言える。

 市教育委員会が設置した小さな説明板があった。先程の前後の道標と比べると地方自治体の史跡に対する考え方に違いがあることがよく解る。



*1 ふらっと旧東海道のフレーム
*2 東海道五十三次をゆく(基礎知識・五街道)
*3 meitetsu.co.jp
*4 藤川宿
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*6 有松・鳴海絞会館
*7 arimatsu report
*8 国指定史跡 桶狭間古戦場伝説地/観光-じゃらんnet
*9 前後駅の情報(名鉄名古屋本線) | Excite エキサイト : 乗換案内
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*12 遺構探訪
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*16 名古屋名物・きしめん 愛知県製麺組合 ==地域モール連合【にっぽん市】==

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 息子と二人で旧東海道を歩いた*1今川町の芋川うどん発祥の碑*2から少し行ったところに洞隣寺*3という寺があった。入り口に古くから伝わる物の怪に関する小さな説明看板を見つけた*4妖怪好きの筆者*5としてはこういうものは見逃すわけにはいかない。

 「中津藩士の墓」と「めったいくやしいの墓」と書いてある。早速これらを見るために寺の中に入っていた。墓所の入り口にはきれいな看板*6が立ててあった。

 中津藩士とめったいくやしいとが並んで立っていた*7。「中津藩士の墓」のいわれはこうである。寛保二年(1742)六月二十五日に豊前国中津藩の家臣たちが帰国の途中、この付近で突然、家臣の一人の渡辺友五郎が他の家臣の牟礼清五郎に斬りつけ、ついには二人とも死んでしまった。遺骸は洞隣寺に葬られた。

 生前、この二人はいがみ合っていたらしい。そのためか並べ立てた墓が知らぬ間に互いに反対側に傾いてしまう。何度直しても傾いてしまうので、その怨念に恐れをなした村人は墓地を整備して厚く弔った結果傾かなくなったという。とは言うものの左側の牟礼清五郎の墓が少し傾いている*7のは面白い。それに、何度も傾いたのは地盤が緩かった所為だろう。

 中津藩士の墓の横にある背の低い石ころ*7が「めったいくやしい」である。これのいわれ*8はこうである。容貌は悪いが気だてがよく働き者の娘が医王寺*9という寺の僧侶に恋心を抱いたがあっさり振られてしまった。娘は片思いのため恋煩いに陥り最後は死んでしまった。亡骸はここ洞隣寺に葬られたが、墓石から火の玉が出たり「めったいくやしい」と声がしたという。

 気だてのよい娘が恨みを持つとは余程冷たくあしらわれたのであろう。それにこの現象がなくなってしまったのは時が経ったためだけなのか。誰かが本格的な供養をしたのだろうか。非常に気になる。もしかしたら今でも火の玉が出るかも知れない*10

 洞隣寺から離れて知立に向かって行く途中に一里塚の説明*11を見つけた。すでにここの一里塚は消失しているらしい。

 一里塚はこの看板の横に、四十年ぐらい前から時が止まっている廃屋*12目に留まった*13。何となく気になって近寄ってみると柱に「日本傷痍軍人会々員乃章*14」というアルミ製の小さな標札を見つけた。傷痍(しょうい)軍人*15とは、戦闘で負傷した軍人のことである。これは旧東海道とは全く関係ないが、様々な時代が同居しているようで興味深かった。



*1 旧東海道を歩く
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*3 洞隣寺
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*5 加牟波理入道(2)
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*7 0505030024.jpg
*8 KATCHコミュニティ
*9 マピオン - 「愛知県刈谷市高津波町2丁目」付近地図
*10 火の玉・UFO・ミステリーサークル
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*13 遺構探訪
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*15 (財)日本傷痍軍人会

050505

 息子と二人で旧東海道を歩いた*1。その続き。刈谷の物の怪*2を後にして、逢妻川を渡り*3知立(ちりゅう)に入った。

 ここで街道を見失ってしまった*4。街が発達して新しい道ができるとどの道が旧街道だったのか判らなくなる。少しうろうろして花菖蒲で有名*5知立神社*6を見つけた。そこにはちらっと立ち寄ってまた街道歩きに戻った。たまたま知立は祭りだった*7ので街道に山車が何台か出ていた。

 街中は旧道を見失いがちなので目標を決めて歩いた。「池鯉鮒(ちりゅう)宿問屋場」を目指した。商店街かビルの駐車場の一角にぽつんと「池鯉鮒宿問屋場之跡*8」と書かれた碑があった。問屋場は昭和46年に取り壊されたらしい*9。史跡よりも駐車場建設が優先するというのは理解しがたいが、いろいろと事情があったのだろう。

 丁度昼になった。芋川うどん発祥の地*10を見たせいかうどんが何となく食べたくなった。江戸時代に街道を旅した人々も昼食を摂ったのだろうか*11うどんやそばを食べた*12のかもしれない。入るなら街道に相応しいうどん屋でないと駄目だ。

 いい感じの店があった*13。外装を数十年いじってなさそうなところがいい。こういう店の味は期待できる*14。早速二人で入ってみた。

 親子でやっているようだ*15。内装もいじった形跡がない。賞状一杯飾ってある。机には花が生けてある。しかも*16だ。これはすごいうどん屋を見つけた。

 思った通り、美味かった*17



*1 旧東海道を歩く(2)
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*3 マピオン - 「愛知県知立市西町」付近地図
*4 ふらっと旧東海道/池鯉鮒宿
*5 知立神社
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*9 問屋場跡
*10 旧東海道を歩く
*11 そばの雑学−歴史
*12 【三島市】〜江戸時代の庶民のお金〜 銭
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*14 不味いラーメン屋
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*16 ランの館
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 息子と二人で旧東海道を歩いた*1

 知立(ちりゅう)のうどん屋を出て暫く歩くと松並木*2が見えてきた。500mぐらいあるらしい*3。松並木を抜けて、高速道路をくぐったところ*4道標*5があった。「從是(これより)五丁北八橋業平作観音在 八橋山無量壽」と書いてある。業平とは在原業平*6のことである。反対側には「天下和順 元祿十二巳年三月吉日施主敬白」*7とある。無量寿寺はカキツバタで有名な寺*8である。元禄の世でも有名であった。

 無量寿寺の近くには在原(ざいげん)寺*9がある。「業平作観音」はこの寺にあるらしい。

 少し行くと一里塚*10があった。阿野一里塚*11一里山一里塚*12に続いて三つ目である。来迎寺一里塚*13と呼ばれている。街道の両側に塚が残っている*14

 街道とは関係ないが、いい雰囲気を醸し出している看板と建築物*15があった。どうも街道筋には時間を遅らせる作用があるようだ。

 また道標があった*16。今度は辻の東西に二本建っていた。西側の道標*17には「日月清明*18 元祿九丙子年六月吉朔日施主敬白」「八橋山無量寺*19 (達筆過ぎて読めず*20)」、東側は「天下和順 元祿九丙子年六月吉朔日施主敬白*21」「從是四丁半北八橋業平作観音有 八橋山無量寺*22」とある。西は行書、東は楷書になっている。寺の名前は無量寿寺であるが、道標には「無量寺」となっている。高速道路近くの道標の方は「無量壽*23」に見える。もしかしたらこれも「無量寺」なのかもしれない。

 かきつばた祭りをやっているようなので、ついでに昔の人に倣って無量寿寺に寄り道*24することにした。



*1 旧東海道を歩く(3)
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*3 知立の名所・旧跡
*4 マピオン - 「愛知県知立市牛田町」付近地図
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*6 八ツ橋
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*8 無量寿寺
*9 在原寺
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*13 来迎寺一里塚
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*16 マピオン - 「愛知県知立市来迎寺町」付近地図
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*18 民間信仰
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*20 元禄の道標
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 息子と二人で旧東海道を歩いた*1

 カキツバタで有名*2元禄年間に建てられた無量寿寺への道標*3があったので、街道から外れてそこへ寄ることにした。丁度「かきつばた祭*4」の最中らしい。

 十五分程度歩くと寺に着いた*5。中に入ってうろうろしていたら観光案内のボランティアの方が八ツ橋の歴史を聞かないかと声を掛けてきた。一通り聞くには一時間ぐらいかかるという。東海道を岡崎に向かって歩いていて、ここは寄り道なので長居はできないという事情を話したら、三十分程度に端折ることもできるということなので、案内をしてもらうことにした。

 亀の上に石碑が乗っている*6。亀好きの筆者としてこれは見逃せない。荻生徂徠の弟子の秋本嵎夷*7が八橋と業平とについての故事をまとめたものらしい。漢字三百五十七文字で記されている。内容が難しく未だかって全部読み上げた者がいないといわれる。全部読み上げると下の亀が動き出すという伝説があるぐらいである。

 業平を慕って追いかけてきてこの付近の淵で身を投げた小野篁*8の娘とされる杜若(かきつばた)姫の供養塔*9心字池*10の由来、心字池に水を入れるために掘ったと伝えられる方巖の井戸、辻灯籠などを説明して貰った。説明して貰ったが予備知識がない状態での説明なので殆ど頭に残っていない。

 説明の中で亀の石碑以外で気に入ったものがもう一つあった。「八つ橋」という地名の由来についてである。この地名の由来はこの二つの小さな墓だという。菓子の名前の由来*11八橋検校*12など「八橋」については今まで雑記草で何度か取り上げてきた。

 八橋の由来は逢妻男(あいづまお)川の下流域が八本に別れており、それぞれに橋が架けられていたのが由来といわれる。因みに水源を異にする逢妻女(あいづまめ)川*13という名の川もあり、これら二つの川は合流して逢妻川*14となる。

 昔、ここ八橋の辺りに羽田玄喜という医者がいて二人の子供があった。ところが子供が幼いうちに玄喜は亡くなってしまい、その妻が女手のみで子供を育てることになった。母親は生活の資を得るために入江浦で昆布などを採っていた。ある日、二人の子供が母親を慕って後を追い入江に行こうとした途中、川に落ちて二人とも溺れて死んでしまう。母親は嘆き悲しみ尼僧になりここに墓を建てた。

 暫くして大雨か何かで大量の流木が流れ着いた。これを利用して村人は川に八つの橋を架けた。

 更級日記*15には、既に橋は消失してしまって地名だけが残っている*16、と書かれている*17らしい。またこの北斎の八橋の絵*18を見ると川に掛けられた橋には見えない。この頃から完全に観光地と化しているようだ。

 案内して頂いた方と記念写真*19を撮って、無量寿寺を後にした。寄り道ついでに少し鎌倉街道*20を歩くことにした。



*1 旧東海道を歩く(4)
*2 八ツ橋
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*4 史跡八橋かきつばたまつり
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*7 アルカディア第18号 収蔵品展 岡崎城下町の文芸
*8 小野篁 - Wikipedia
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*10 八橋無量寿寺(やつはしむりょうじゅじ)
*11 宮城道雄の事故
*12 八橋検校
*13 新川流域・境川流域の総合治水対策 東海豪雨について
*14 新川流域・境川流域の総合治水対策 流域の概要
*15 更級日記 - Wikipedia
*16 更科日記(有朋堂文庫) 11 それよりかみは
*17 整版本『竹斎』の研究(その四)
*18 三河の八ッ橋の古図
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*20 鎌倉街道

050508

 息子と二人で旧東海道を歩いた*1。無量寿寺を出て鎌倉街道を西に向かって歩き出した。目的地である岡崎とは反対方向である。

 この辺りでは鎌倉街道*2と東海道とはほぼ並行している。少し行ったところに在原業平ゆかりの在原寺*3業平塚*4があった。道を眺めていると*5アスファルトで舗装されているが、街道の雰囲気が伝わってくる。街や家並みは時を経ることによってどんどん変わっていくと思っていたので、こうやって何百年も前にできた道*6を歩くことができるというのは感動的である。息子はどう思っているのか。おそらく何とも思っていないだろう。

 在原寺、業平塚や街道沿いにあった珍しい松の木*7を眺めてから来た道を辿って東海道に戻ってきた。そしてまた岡崎に向かって歩き始めた*8

 無量寿寺への道標*9がある交差点*10から1.5kmほど行ったところ*11に珍しい物を見つけた。三灯式の歩行者用の信号*12である。錆が浮き出た緑と白との斜め縞板が付いている。なぜ今まで生き延びることができたのだろう。発光ダイオード信号*13への切り替えで近々消えるかも知れない。

 やはり旧街道は時間をゆっくりにする作用*14があるに違いない。



*1 旧東海道を歩く(5)
*2 鎌倉街道と八橋古蹟(かまくらかいどうとやつはしこせき)
*3 在原寺(ざいげんじ)
*4 業平塚(なりひらづか)
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*6 あのみちこのみち 歴史みち
*7 根上りの松(ねあがりのまつ)
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*10 マピオン - 「愛知県知立市来迎寺町」付近地図
*11 マピオン - 「愛知県安城市今本町1丁目」付近地図
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*13 ちょっと違うぞ!? 歩行者用信号機の秘密 <NHK高知>
*14 旧東海道を歩く(4)

050509

 息子と二人で旧東海道を歩いた*1。更に岡崎に向かって歩いた。

 古い信号機*2から少し行ったところ*3に花崗岩で出来た石柱が乱立*4しているところが見えた。何となく異様な雰囲気である。

 記念碑や石柱碑が所狭しと建っている。設置してある間隔が通常の感覚よりも狭すぎる。この間隔の狭さが独特な雰囲気を醸し出しているのだろう。その場所を更に不思議な感覚にさせているのは、この「お相撲の石像*5」である。像の大きさは道端の地蔵*6程度しかない。力士は大きいと言う概念があるので、地蔵程度の大きさというのは何とも不釣り合いである。全体は人の背丈と同じくらい。土俵をかたどっていると思われる台座も何となく違和感がある。考えてみると力士の像というのを初めて見たような気がする。これが変な感覚の原因だろうか。この土地出身の力士なのだろう。旧街道とは特に関係がないに違いない。

 調べてみるとやはりそうだった。「濱碇(はまいかり)*7」という名の明治時代の力士だった。ここの石柱群がいつ頃建てられたのかはよく判らないが、江戸時代ではないことは確かである。東海道とは関係がない。濱碇は廃業後、薬の行商を始めた*8らしい。受け継がれて現在は薬局*9になっている。

 1.5kmほど歩くと寺があった*10萬寿寺という名の寺*11だった。何の変哲のない寺だったが通り過ぎる時に何かが見えた。梵鐘である。鐘楼*12に吊り下がっているのが見えたのではない。本堂の軒先に置いてある*13のが見えた。住職が不在なのだろうか。檀家がいなくなり廃寺になったのか。とにかくこういった寺を見るのは初めてだ。

 お相撲の石像、古ぼけた信号*2時間が止まっている看板*14いい感じのうどん屋*15傷痍軍人の廃屋*16と旧街道の時刻の経過を遅らせる不思議な力を見せつけられているようだ。

 寺から暫く行くと一里塚の跡*17があった。一里塚その物は消失してしまっている*18。そのすぐ横には第一岡崎海軍航空隊*19があったことを示す看板*20があった。これは本業の領域*21である。ここは改めて探索することにしよう。



*1 旧東海道を歩く(6)
*2 旧東海道を歩く(6) 0505030080.jpg
*3 マピオン - 「愛知県安城市里町」付近地図
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*6 歩く地蔵
*7 濱碇之碑
*8 はまいかり・濱碇又七
*9 濱碇・ハマイカリ山口旭薬局のプロフィール
*10 マピオン - 「愛知県安城市浜屋町」付近地図
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*12 3-3. 梵鐘と鐘楼との大きさの関係寸法
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*14 旧東海道を歩く(4) 0505030053.jpg
*15 旧東海道を歩く(3) 0505030040.jpg
*16 旧東海道を歩く(2) 0505030030.jpg
*17 0505030090.jpg
*18 東海道と一里塚 東海道 尾崎一里塚
*19 戦争遺跡見聞録 海軍航空隊 岡崎基地
*20 0505030091.jpg
*21 遺構探訪

050510

 息子と二人で旧東海道を歩いた*1。歩いている間、何人かとすれ違った。同じように旧街道を歩いている人達である。大抵は二人組だった。皆、京に向かって歩いているので、江戸に向かう我々とすれ違う。すれ違った人々の中には赤ん坊を背負った夫婦もいた。挨拶をする人もいるが、黙々と歩いている人もいた。

 日が暮れかけてきた。矢作川*2を渡れば岡崎宿である。結構疲れてきた。息子の顔が険しくなってきている。日が沈めばもう歩けないのでやはり岡崎がこの徒歩旅行の終点となる。

 矢作川の手前までは街道は真っ直ぐ*3で地図を見なくても大体歩けたが、矢作川を渡り岡崎城*4下に入ると東海道は曲がりくねる*5らしく地図なしで旧東海道を辿るのは難しい。本当にこの道が旧街道なのか道の形状を見ただけでは全く判らないし、旧街道を詳しく示した地図*6を持っていかなかったので、自分たちが歩いている道がそうなのか自信がなくなってきた。何となくそんなことはどうでも良い気持ちになってきて大雑把な地図を見ながらそれらしい道を歩き続けた。

 矢作川を渡ると東海道は八丁味噌*7の工場の近くを通るということは判っていたので工場を目指して歩いた。その後はもう適当である。丁度日が沈んだ頃に籠田公園*8に着いた。旧東海道はこの籠田公園の真ん中を南北に通っていた*9らしい。公園になっているのでその部分の街道の痕跡は一切ない。主要な道路が消失してしまうというのはどういう理由からだろう。町並みは道の形状に左右される。古くからの道を潰してしまうと言うのは余程のことがあったのか。戦災復興の都市計画でなくなったのだろうか。この部分だけ潰した理由がよく判らない。

 この籠田公園で旧東海道歩きを終了した。公園の前で記念写真を撮り、名鉄東岡崎駅に向かった。駅に着いたのは六時五十分頃であった。



*1 旧東海道を歩く(7)
*2 愛知県  岡崎平野(西三河)
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*4 岡崎城 施設案内
*5 岡崎二十七曲
*6 岡崎市観光協会/おすすめコース
*7 マピオン - 「愛知県岡崎市籠田町」付近地図
*8 岡崎二十七曲り 伝馬町から材木町

050511

 ひょうたん*1の種を庭に蒔いた。蒔く時期が一月ぐらい遅いようだが、まぁなんとかなるだろう。蒔いたのは「千成兵丹*2」と「大兵丹*3」という品種である。それぞれ二本ずつの苗を作るつもりで蒔いた。

 千成の方は小さいひょうたんがいくつもなって、大兵丹は二升以上の大きなひょうたん*4がなると書いてある。鈴なりのひょうたんの姿を想像するだけでわくわくする。筆者はひょうたん好き*5なのである。

 ただ、熟したひょうたんを加工するのはかなり苦労する。ひょうたんを水に漬けて中身を腐らせて作る*6。この腐らせる時の臭いが強烈なのである。物凄く臭い。

 小学生の頃、どこかで瓢箪を買ってきたことがあった。既に加工してあるのだが結構臭いがする。水に漬けるといいと近所で母が聞いてきてくれた。言われた通りに水に漬けておいたら物凄く臭くなった。こんなに臭くなるとは思ってもみなかったので、臭い抜きに失敗したと思って捨ててしまった。

 ある程度加工したひょうたんでもあの臭いだから、生のひょうたんを腐らせればもっと凄い臭いになるに違いない。とはいえ臭いの心配はひょうたんがなってからでいいだろう。どれだけ採れるだろうか。



*1 季節の伝統植物 夏:ウリとヒョウタン
*2 Yahoo!ショッピング - ひょうたん(千成兵丹)
*3 o_hyotan.jpg
*4 季節の伝統植物 夏:ウリとヒョウタン [国立歴史民俗博物館]
*5 無病息災
*6 ひょうたん展覧会

050512

 機関車が好きである。好きと言っても無茶苦茶好きというわけではない。公園などに保存してある*1のを見つけるとそれに吸い寄せられる。大抵の幼児が「機関車トーマス*2」を見て喜ぶのと同じ程度である。

 好きな機関車は何かと問われれば、「C62*3」とか「D51*4」といった有名な車両ではなく、少し変わったものが好きである。

 例えば「B形*5」とか「E形*6」の機関車が珍しくていい。B、C、D、Eは動輪の数を表している*7。Bならば動輪数が2輪、Eならば5輪になる。

 マレー式*8という形式も好きである。通常の機関車の動力源は一組のシリンダ*9しかないが、このマレー式は二組持っている。二両の機関車を合成したような形式である。このため機関車自体が長くなる。長くなったボイラー*10に全ての動輪が固定されていると曲がった線路を走ることができなくなるので、一両分の動輪全体が回転する*11ようになっている。

 シェイ式*12というのがある。通常横になっている動力源のシリンダが縦になっている*13。動輪への動力伝達もクランクだけではなく途中から歯車になっている。

 シェイ式蒸気機関車はつげ義春*14の「ねじ式*15」で登場する。メメクラゲに刺された主人公*16が医者を捜して線路を歩いていると、狐の面をかぶった少年がシェイ式蒸気機関車を運転して主人公の前に現れる。

 漫画や絵本*17などでシェイ式が登場するのは「ねじ式」ぐらいだろう。



*1 全国保存車両データベース
*2 きかんしゃトーマスとなかまたち オフィシャルサイト
*3 Steam Locomotive C62 Museum
*4 JR東日本:車両図鑑>在来線 D51 498
*5 梅小路蒸気機関車館|車両の紹介 B20形10号機
*6 交通博物館 : 青梅鉄道公園 E10
*7 鉄道博物館 展示資料紹介 [ナンバープレート]
*8 鉄道博物館 計画概要イメージ [歴史ゾーン]
*9 benkei2.jpg
*10 梅小路蒸気機関車館|SLのしくみ
*11 An Overview of Mallet locomotives
*12 ASME History Mechanical Engineering Landmarks Program - Image - Geared Locomotives
*13 Shay No 11
*14 初茸がり
*15 松岡正剛の千夜千冊『ねじ式・紅い花』つげ義春
*16 4883790517.jpg ねじ式
*17 交通博物館 : やえもん物語(改訂版)

050513

 今年の四月から保育園に通い出した末の三歳の娘*1がこれを保育園の先生と一緒に作ったと見せてくれた。

 娘は作った物を「キンギョボリだ」という。

 鯉のぼりではなく「金魚のぼり」らしい。「の」が抜けてしまっている。そう言えば、近所で屋根より高い鯉のぼりを見つけては「キンギョボリ、キンギョボリ」と叫んでいた。

 一体誰が「金魚のぼり*1」という言葉を教えたのだろうか。



*1 逆さ絵
*2 Google 検索: 金魚のぼり

050514

 亀を捕まえに行った。いつもの場所*1である。あいかわらずミドリガメばかりがいる。亀がうろうろしている用水路の両側は垂直になった亀の背の何倍もある高さのコンクリートの壁なので、一度その用水路に入り込むと一生出られないような気がするが、幼亀がそこを泳いでいるのを見ると、上手く外に出て卵を産んだりしているのだろう。増水時を見計らって用水路から出ていくのだろうか。

 イシガメの幼亀*2らしきものが潜んでいたのでたも網ですくってみた。ミドリガメのチビ*3だった。去年の秋に孵化した個体だろう。甲長は3cm程度しかない。頭手足はミドリガメの模様だが、甲羅の色が緑色ではなく、茶色で細かい模様もない。泥水が流れている用水路に一日中いるので汚れているのだろうか。

 家に持ち帰ってメラミンフォームのスポンジ*4甲羅を擦っても色は落ちない*5。泥ではなかった。腹の甲羅も茶色*6である。一体このミドリガメは何なのだろうか。

 突然変異なのか、イシガメ*7かクサガメとのあいの子なのだろうか。甲羅の色と模様だけが違うだけで、あとは普通のミドリガメ*8である。

 病気とは思えない。丸々と太っているし、活発に動き回る。もう少し成長を待ってから判断するとしよう。

 この時、クサガメ*9も捕まえた。甲長が10cmぐらいである。尻尾の根元が太いので雄*10と思われる。これで家の亀はクサガメ三匹、イシガメ二匹、ミドリガメ一匹、不明一匹の七匹となった。



*1 イシガメの幼亀
*2 自然賛歌
*3 占い結果 〜ミドリガメ
*4 メラミンスポンジ
*5 chairogame01.jpg
*6 chairogame02.jpg
*7 isigame イシガメ
*8 ミドリガメ
*9 kusagame クサガメ
*10 クサガメのつがい

050515

 株式投資*1のやり方の一つに「つなぎ売り*2」という方法がある。この方法を使うと手数料以外に金を使わずに株式の取得が可能になるという。この方法を使えば、最終的には原資が「0円」になってしまう。夢のような方法らしい。

 金を儲けることで「夢のような方法」というのはこの世の中にはないないはずであるが、これは確かに辻褄があっている方法である。

 まず株式投資でどうやって儲ける*3か。株式の売買で儲けることが出来る。ある銘柄を500円で買って1000円で売れば500円の利益になる。いくらで売れるかは株式市場*4によって決まる。市場に参加している人がその株を欲しいと思えば、高い値段でも買おうとするので値段が高くなる。逆であれば安くなる。人々は何故それが欲しくなるか。更に高くなるかも知れないと思うからである。こうやって市場に参加している人の思惑のみで、その瞬間の株式の売買価格が決定されていく。市場経済であれば株式に限らずどんな物でも同じである。

 普通の考え方だと、まず株式投資は最初に株式を買わないと始まらない。しかし昔の人は上手い仕組みを考え出した。手持ちに株式がなくても「株を売る」ことができるようにした。証券会社から株式を借りてそれを売るのである。これを「信用売り」という。逆に手持ちの資金がない状態で証券会社から金を借りて株式を買うことを「信用買い」という。あわせて信用取引*5という。

 借りた株式や金はある期限内に返さなければならない*6。信用売りで株式を売れば、同じ銘柄の株式を買い戻して返済する。買い戻す時に最初に売った値段よりも安くなっていれば、利益になる。例えば500円のある銘柄の株式を1000株信用売りしたとする。500000円が手に入る。借りた株式を返そうと思った時にその銘柄が450円になっていれば、買い戻すのに450000円で済むので差し引き50000円の利益になる。逆に550円に値上がっていれば50000円の損失になる。

 つなぎ売りはこの信用売りと普通の株式の売買を組み合わせた方法である。500円のある銘柄を1000株買ったとする。これが値上がりして800円になった。この先、何となく値下がりしそうだが、手に入れた株を売却したくない。そこでこの銘柄を信用売りする。現在1000株持っているのだが、改めて800円で1000株借りて売るのである。果たせるかな株価は200円下がって600円になった。この時点で買い戻すことにしたので200円×1000株で20万円の利益となる。

 暫くすると再び値上がりして1100円になった。そこでまた1000株を信用売りにしたら800円に戻った。そこで買い戻して300円×1000株で30万円の利益となる。

 最初に500円で1000株買ったので元手に50万円かかっている。つなぎ売りをすることにより20万円+30万円=50万円の利益を得ているので差し引き「0円」である。しかし最初に500円で買った1000株が手元に残っているので「0円」でそれを得たことになる、というのだ。

 辻褄は合っているのだが、何か釈然としない。何かがおかしい。



*1 株
*2 ダイワの証券用語集/つなぎ〈つなぎ売り〉
*3 株を買うとどんなメリットがあるの?
*4 東京証券取引所
*5 infoseek マネー > 日本株 > 信用取引情報 > 信用取引ガイド
*6 期日(きじつ)

050516

 株式のつなぎ売り*1の続き。つなぎ売り*2とは、信用売り*3普通の株式の売買*4とを組み合わせた投資方法で、やり方によっては取得した株式の買値を最終的に「0円」にすることができる素敵な手法である、らしい。

 株価500円のある銘柄を1000株買う。これが値上がりして800円になった。この時点でこの銘柄を1000株信用売りする。後に株価は200円下がって600円になった。この時点で買い戻し200円×1000株で20万円の利益。再び値上がりして1100円になった。そこでまた1000株信用売りにしたら800円に戻った。そこで買い戻して300円×1000株で30万円の利益となる。

 最初に株価500円の株を1000株手に入れるのに50万円使った。信用売りで20万円+30万円=50万円の利益を得ているので差し引き「0円」である。「0円」で1000株を得たことになる。しかも現時点の株価は800円である。

 「0円」にするために信用売りを使う必要があるのだろうか。

 最初に株価500円で1000株買う。800円に値上がりしたので普通の株式の売買で全部売却した。30万円の利益になった。後にこの銘柄の株価が600円になった。そこで1000株購入する。これが再び値上がりして1100円になった。そこでまた売却したので50万円の利益が出た。合計80万円の利益である。暫くすると同じ銘柄が800円になっていた。そこで儲けた80万円で1000株買った。従ってこの銘柄を「0円」で手に入れたことになる。信用売りはしなかった。

 売買の間合いは「つなぎ売り」の時と全く同じである。つまりわざわざ信用売りを使う必要がないのである。信用取引は決められた期限内に株や金を返さなければならない*5。期限内に株価が思惑通りにならないといけないのでその分不利である。

 結局、最初に買った時点から「どうしても株式を手放せない事情」がある場合にのみ意味のある手法と言うことになる。個人投資家にそういった事情*6がそんなに起こるとは思えない。「つなぎ売りで0円株式投資」とは、個人投資家が生み出した妄想なのか、はたまた売買高を増やして手数料を稼ぐために証券会社が考え出した方法なのか。



*1 つなぎ売り
*2 Beans CAFE 投資講座・信用取引講座
*3 infoseek マネー > 日本株 > 信用取引情報 > 信用取引ガイド
*4 現物取引
*5 金融語辞典
*6 株式投資はスローライフな貯株で - [資産運用のノウハウ]All About

050517

 web上には便利な百科事典*1がある。この百科事典は、自らの意思で参加した非特定の人々が内容を自由に書き込むことによって作成*2されている。

 記事によっては書きかけの状態になっているので、それを判りやすく示す様に記号が設定されている*3ジグソーパズル*4の一欠片に「途」と書かれたしるしである。

 「途中」の「途」だろう。しかし「途」だけでは道(みち)の意味しかない。物事が終了していないことを「途中」とか「中途」と表現するのは、目的地までの道の半ばだからである。「途中」と熟語にして初めて物事が進行している状態という意味になる。「途」一字だけを取りだしたら意味が変わってしまう。「大和*5」の「大」だけでは「やまと」を表せないし、「大切」の「大」だけでは「たいせつ」という意味にはならないのと同じである。

 「途」の一文字だけでは「書きかけ」という意味にどうしてもつながらない。記号を作った人の意図は想像できるが、不適切である。この記号を一体誰が作ったのか判らないが、言葉の意味や定義を扱うサイトなのでもう少し気を使って欲しい。



*1 ウィキペディア
*2 ウィキペディア - Wikipedia
*3 画像:Stubico.png - Wikipedia
*4 ジグソーパズル - Wikipedia
*5 治具

050518

 「ヒルベルト第十問題」というのがある。ヒルベルトという数学者が提起した二十三題の数学の問題*1中、十番目の問題*2である。どういう問題かというと「任意個数の未知量に関する、整数を係数とするような一つのディオファンタス方程式に整数解があるかどうかを有限回の手順で判定する方法を示せ」というものである。ディオファンタス方程式*3というのは、例えばX2+Y2-3=0といった方程式を考えた時、XとYとを整数に限定して解を求める。例の場合、これをディオファンタス方程式と考えた時、解は存在しない。X2+Y2-1=0ならば(X,Y)=(1,0)、(X,Y)=(0,1)、(X,Y)=(-1,0)、(X,Y)=(0,-1)と四つの解がある。

 「任意個数の未知量」なので未知数はX、Yだけではなく、いくつでも設定される。更に次数も任意である。上手い手順*4がなければ、手当たり次第数値を当てはめていくことになる。解が見つかればそこで止めることができるが、もともと解がない場合は当てはめる作業は永遠に終わらないことになる。X2+Y2-3=0には解がないので上記のような手当たり次第の機械的な方法では永遠に動作は止まらない。

 ヒルベルトは与えられた方程式に解があるかないかだけを判定する方法を求めている。問題の内容自体は簡単に理解できるが、こうやって考えると途方もない問題であることが判る。

 1970年にこの問題が解かれた*5。問題がヒルベルトによって提示されたのは1900年だから解くのに70年かかった。問題は解けたのだが、実は「有限回の手順で判定する方法は存在しない」ということが判ったのであった。それを示したのはソ連のマチャセヴィッチ*6という二十二歳の青年だった。

 ディオファンタス方程式に整数解があるかどうかを有限回の手順で判定する方法は「存在しない」という事を証明するには、ある特徴を持ったディオファンタス方程式*7の実例を示せばよいということがアメリカの数学者ロビンソン*8などによって1960年に証明された*9

 マチャセヴィッチはその実例を見出した。それは次のようなものだった。

u+w-v-2=0
l-2v-2a-1=0
l2-lz-z2-1=0
g-bl2=0
g2-gh-h2-1=0
m-c(2h+g)-3=0
m-fl-2=0
x2-mxy+y2-1=0
(d-1)l+u-x-1=0
x-v-(2h+g)(9e-1)=0

これら十個の方程式をそれぞれ自乗して全て加え合わせて得られる方程式がその実例らしい。こんな複雑な式をどうやって思い付いたのだろう。



*1 ダフィット・ヒルベルト - Wikipedia
*2 Hilbert's Problems -- from MathWorld
*3 『ディオファントスの方程式』
*4 5−2−2 拡張ユークリッドの互除法
*5 Hilbert's tenth problem
*6 Yuri Matiyasevich's home page (original in Russia)
*7 Matiyasevich's theorem: Information From Answers.com
*8 Robinson_Julia
*9 Hilbert's Tenth Problem. Diophantine Equations. By K.Podnieks

050519

 中学生の頃、数学で三平方の定理*1 を習った。この時、32+42=52というきれいな関係を知って感心した憶えがある。連続する自然数がこの様な関係になるのは(3,4,5)しかない。

 もっと凄いのがある。33+43+53=63という関係がある。33=27、43=64、53=125、27+64+125=63=216。連続する自然数がこの様な関係になるのも(3,4,5,6)しかない。連続していなければいくらでもある*2

Xn+(X+1)n+(X+2)n+ ・・・ +(X+n-1)n=(X+n)n

が成り立つ自然数Xを求めればいい。n≧4のときXはどうなるか。n=4、5の時は 少なくともX=3の時は成り立たない。即ち(3,4,5,6,7)と(3,4,5,6,7,8)とにおいて上記の関係になっていない。何となくn≧4では解がなさそうだが、筆者の能力ではそれを証明するのが難しい。

 少し違うが、「オイラーの予想*3」というのがある。「一般にn乗数の(n-1)個の和はn乗数にならない」という予想である。X1n+X2n+X3n+ ・・・ +(Xn-1)n=Ynが成り立つ整数の組(X1,X2,・・・,Xn-1,Y)は存在しないというのである。XやYは連続していなくてもよい。nが最小の場合、即ちn=3の時、X13+X23=Y3は解が存在しない。これはオイラー自身が証明*4している。

 n≧4はその拡張なので、オイラー*5は何となく「解なし」と予想したが、1966年にn=5の場合の275+845+1105+1335=1445という解が見つかった*6。これによってオイラーの予想は間違っていることが判った。

 n=4の場合、1988年にまず26824404+153656394+187967604=206156734が発見された*7和が最小になる解でも958004+2175194+4145604=4224814*8だからオイラーが解はないと考えるのは無理もない*9



*1 中学校数学〜三平方の定理〜
*2 Cubic Quartets With a,b,c < 1000
*3 オイラーによるフェルマーの大定理の拡張的予想
*4 フェルマーの大定理
*5 Euler
*6 Euler's conjecture
*7 Euler Quartic Conjecture -- from MathWorld
*8 Euler's Conjecture
*9 Brouwerの問題

050520

 自分の自動車を公共の駐車場に停める場合細心の注意*1を払っている。できるだけ端に停めるようにしたり国内外の高級車隣に停めたりしている。また車体が傷や凹みだらけの自動車やワンボックス型の自動車の横には停めないようにする。ワンボックス型自動車*2は家族向けなので車体の傷などに無頓着な人が乗る可能性が高い。自分の自動車に無頓着なのだから隣の自動車のことは更に考えてくれない可能性が高い。

 小さな確率の積み上げであるが、これによって傷の数が抑えられていると信じている。それでも知らない内に傷が付いている*3

 最近、注意点を増やした。それは「三菱車の横には停めない」である。三菱自動車*4はその経営体質が原因でリコール隠し*5などの問題を多発させたことにより売り上げが減少し続けている。そしてそれを補うため、かなりの値引き販売を余儀なくされている。

 一部の車種*6などはその自動車に熱中している人々が購入する。それ以外、三菱車を買う理由は「安い」「お付き合い」しかない。保安基準を満たさない状態*7を放置するような製造業者の自動車を自分の命よりも「安い」とか「お付き合い」だけで購入する人が自動車の傷を気にするとは到底思えない。

 つまり三菱車の横も自分の自動車を傷付けられる可能性が高いことになる。三菱車の横には停めないようにする。



*1 駐車場での努力
*2 ワンボックスカー
*3 駐車場での努力(2)
*4 MITSUBISHI MOTORS JAPAN
*5 警視庁;30年間にわたるクレーム・リコール隠しで三菱自工を、
*6 ランサーエボリューションIX
*7 自動車不具合情報受付

050521

 ふと思い立ってADSLの速度*1を測ってみた。2Mb/秒ほどある。以前に測定した時は1.2Mb/秒*2だった。増えている。

 家までの電話線がかなり遠回りしていたので、これが知らぬ間に解消されたのだろうか。近所で電話の架線工事をしていた憶えがないが、念のため家の前の電話線の状態を見てみた。以前と全く変わっていない。遠回りのままである。

 一体何が変わったのだろう。原因は何であれ速くなったのは良いことである。速度が上がっていたというのは日頃あまり実感ていなかった。しかし考えてみると通信速度を測定してみようという気になったということは、無意識にそう感じていたのだろう。



*1 SPEED TEST
*2 Yahoo!BB(2)

050522

 web上のページを自動的に名古屋弁へ変換するページ*1を作った。かなり前から作ってみたいと思っていたのだが、作るのをすっかり忘れていた。作りたいと思っていたのは、まともな名古屋弁の変換器がなかったからである。「ない」を「にゃあ」に換え、語尾に「がや」「ぎゃあ」を付けただけでは名古屋弁にならない。名古屋人が納得できる変換器が欲しいと思っていた。

 数年前にこういった方言変換器*2が流行ったらしい。名古屋弁変換器も多く作られて、消えていったようだ。

 変換プログラムを一から作るのは大変そうなので、既存のプログラムを拝借することにした。簡単なプログラムが公開されているところを探したところ、あるにはあったが、既に閉鎖されていた。そういう場合はインターネットアーカイブ*3が威力を発揮する。URLさえ分かっていればプログラムを手に入れられる。あった*4

 このプログラムは博多弁の辞書を使っているので、それを名古屋弁の辞書*5にすれば名古屋弁変換器になる。早速、名古屋弁の辞書を作ってみた。結構作るのが大変であった。動詞の活用に合わせて語句を揃えておかないと言葉が不自然になる。五段活用、上一段活用、下一段活用、カ変、ラ変に合わせて辞書を作っていったが、数が多すぎるので適当なところで諦めた。名詞は色々ありすぎるので変換させるのは止めた。他の品詞もよく使う名古屋弁を代表するもの*6だけにして他は割愛した。

 プログラムを動かしてみると何とか名古屋弁らしく読める。ところどころしか変換されていないので、一見すると何も変わってないようだが、読み進めるとビシッと決まっているところが出てきてなかなか良い。ただ、どういうわけか長い文章のページは全く変換してくれない。雑記草などは単語数が多くて駄目である。プログラムを見直せば解決できるだろうが、内容は800行もあるので断念した。

 変換して面白いのは、日記*7顧客の声*8など話し言葉に近い文章である。

 勝手に文章を変換して表示することは著作権に抵触*9しないだろうか。web上には自動翻訳サイト*10が存在しているので、多分、問題ないだろう。

 それではお楽しみ下さい*11



*1 Google 検索: 名古屋弁 変換
*2 Google 検索: 方言 変換
*3 インターネットアーカイブ(5)
*4 Tongco2/替え玉一丁
*5 PART1★近頃の名古屋弁辞書
*6 ノンネイティブの名古屋弁講座
*7 小泉内閣メールマガジン
*8 放送大学 > 学生・卒業生の声
*9 リンクの制限(2)
*10 Yahoo! JAPAN - 社会科学 > 言語学 > 翻訳と通訳 > 自動翻訳サービス
*11 なごや弁純正変換『純正なごやん』

050523

 十代の頃、なぜ同い年ぐらいの女性には脇毛が生えない*1のか疑問だった。 夏の体育の水泳の時間に準備体操をする女子を見ながら不思議に思っていた。

 水泳に限らず体育の授業は男女別なので、なかなか詳細を観察する機会はなかったのだが、体育祭*2の時は別だった。体育祭は男女一緒になって繰り広げられる。詳細に 観察しようと思えばできるのだが、体育祭は健全な行事なのでそういった気持ちは御法度だ。とはいっても、もともと体育祭の時にはそんな気持ちになることは特になかった。

 ある年の体育祭の時、同級の女生徒*3と一緒に何かの競技を見ながら立ち話をしていた。少し暑かったせいかその女生徒は半袖の体操着のそでをまくしあげていた。この時、話をしながら彼女は何気なく両腕を自分の頭の後ろに持ってきた。ふと横を見ると彼女の脇の下がまくしあげた袖から間近に見えた。

 そこには剃り残したひげのような数ミリ伸びた腋毛がまばらに生えていた。この時はじめて「あぁ、普段は剃っているのか」と合点がいったのであった。



*1 恐怖の報酬
*2 Google 検索: 体育祭
*3 二声のインベンション

050524

 「捨て印*1」というのがある。申込書や契約書などの欄外に押す印*2のことで、記入事項に誤りや変更があった場合に当人の断り無しに勝手に書き換えるのを承諾する押印のことである。むやみに押すのは危険なので気を付けて捨て印を押すべきだと解説しているページ*3が多い。

 「捨て印」という言葉の語源は何となく想像できる。本来押すようなところではない箇所に押す印なので「自分の手元から離す」という意味だろう。それでは、なぜ欄外の印が任意の訂正を承諾する意味になったのだろうか。

 捨て印とは訂正印の拡大解釈の結果のようだ。訂正印*4とは文書の字句を訂正した時にその訂正行為が正当であることを明確にするための押印である。訂正印は判子そのもの*5を指す場合と印影を指す場合があるが、捨て印は印影だけを指す。

 訂正印を押す方法は二通りあるらしい。訂正した箇所に押す場合と訂正した箇所とは別に欄外に押す場合*4である。それに加えて欄外に「削○字、加○字*6」などと訂正した字数を記載する。訂正した箇所に押印するのが自然な感覚のような気がするが、文書を訂正した上に判子をその近くに押すのは文面が読みにくくて仕方がない。それを避けるために印を欄外に押すのも認められたのだろう。  

 欄外に訂正印を押すことが広く認知されると、訂正してから判を押すのではなく、判を先に押させてから後から好きなところを訂正するという仕組みを考え出した人が出てきたのだろう。

 欄外の押印は、文面の後からの修正が可能なので、できるだけ避けるべきであると言われている。捨て印であれば、修正は誤字脱字など書面の内容に大きく影響しないような場合に限られると考えられている。欄外にぽつんと判を押すと「訂正印」と見なされ大修正も認められてしまうが、欄外の押印でも「捨て印」と明記*7して押しておけば訂正印と見なされることはない。



*1 ミナミの帝王超法律学-32
*2 apli-bankaccount-transfer
*3 小林弁護士 法律豆知識「契印、訂正印、捨印、割印、消印の意味と押し方 1」
*4 小林弁護士 法律豆知識「契印、訂正印、捨印、割印、消印の意味と押し方 2」
*5 訂正印
*6 3. 定款変更
*7 apli-bank-example.gif

050525

 ノートパソコンを買った。DVD再生機付き*1である。SONYのVAIO*2にした。衝動的に買ってしまった。

 家に元々あるWinのノートパソコン*3の画面表示が突然おかしくなった。色が16色しか表示されなくなり、表示範囲も極端に狭い。設定を操作しても全く直らない。おそらく液晶画面の表示を制御するプログラムがおかしくなったのだろう。OSを最初から入れ直せば元に戻ると思われたが、それを行うと電子メールや写真などのデータが全て消えてしまう。どこかに一時的に保管すればいいのだが、そのような術がない。廉価版のノートパソコン*4なのでCD-Rがついていない。Mac用のハードディスクはある*5が、これをこのノートパソコンで使えるようにするにはインターフェース回路*6を買ってきてハードディスクの設定を書き換えなければならない。面倒と言えば面倒である。

 買い換えたいと思っていたので、新しいのを買ってしまった。

 内蔵無線LANの設定をしていたが、なかなかつながらない。おかしいと思って説明書をよく読んだら、無線LANは内蔵されていなかった。内蔵されているつもりだった。やはり衝動買いはよくない。今まで使っていたノートパソコンの無線LANカード*7を使って無線LANに接続できるようにした。

 今までのパソコンにOSを入れ直した。正常に動くようになった。



*1 ノート型パソコンの購入検討
*2 ソニー VAIO typeF VGN-FS21B
*3 Mac-Win間ファイル転送法
*4 NEW PRODUCTS TESTREPORT
*5 壊れるデータ
*6 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - IEEE 1394
*7 無線LAN

050526

 日増しに暑くなってきている。家の亀たちにとって絶好の陽気だろう。朝、餌をやるために水槽*1を覗き込むと、餌をくれと寄ってくる。首を思いっきり伸ばして手足を忙しなく動かしながら水槽の縁に集まってくる様子は毎度見ても飽きない。

 この餌くれの動作は冬眠明けの頃は全くなかったが、最近は筆者の姿を見つけるとすぐ反応する。冬眠明け直後は、食べる餌の量は少ないが食べないわけではない。気温が上がってきて食欲が増すとこういった餌くれの動作をするようになるのだろうか。まぁ、とにかく、餌を与えてくれる主人の姿を覚えて反応してくれるというのは嬉しいことである。主人が判るとは爬虫類のくせに結構頭がいい。

 考えてみると毎年こういったことを繰り返しているような気がしてきた。つまり気温が高くなると餌くれ動作*2をするようになる。冬眠が明けた時は、餌は食べるが筆者の姿には反応してくれない*3。冬眠前までは物凄く反応してくれたにも拘わらず。

 もしかしたら冬眠で亀の頭*4の中は白紙になるのではないだろうか。冬眠前に覚えた筆者の姿は冬眠中に完全に忘れ去られ、冬眠が明けて、筆者から餌をもらうのを何度か繰り返すとまた覚えて、餌くれ動作をするようになる。こう考えれば冬眠明けすぐは筆者の姿に全く反応しないと言うのも頷ける。

 やはり爬虫類の頭はこの程度なのか。



*1 完璧な水槽
*2 亀の脱走(2)
*3 亀の冬眠明け(2)
*4 亀頭

050527

 亀は冬眠すると冬眠前の記憶がなくなってしまうのではないか。亀の仕草を見ているとそう思えてきた*1

 人間の脳の記憶のしくみはどのように考えられているか。記憶とは何か記憶物質が脳細胞に蓄えられることだろうか*2何らかの作用によって脳細胞の状態が変化*3してそれが維持されれば記憶が残ると言うことになるだろう。この脳細胞の状態の変化は一度起こったらずっとそのままだろうか。そうだとすると健忘症や度忘れということはなかなか発生しないような気がする。ということは何かのきっかけで元の状態に戻ってしまうこともあるだろう。

 亀の記憶のしくみはどうなっているのだろう。基本的に人間と同じだろう。亀は冬眠中、代謝が極端に低下する。代謝が殆どないので呼吸も殆どしなくても良い。従って水中で何ヶ月も皮膚呼吸*4だけで生きていける。脳細胞の代謝も同じように低下しているだろう。代謝がなければ記憶状態の脳細胞が元に戻ってしまうかもしれない。だから冬眠すると主人の姿を忘れてしまう*1のだろう。

 SFなどで人間を長い間冬眠させる*5というのがある。数十時間程度の短い期間なら記憶した脳細胞が元に戻らないだろうから問題ないが、それ以上の期間になると亀と同じように記憶が白紙になってしまうことはないだろうか。

 難病を将来の医学で治すために冬眠をする*6ということが考えられている。人間の冬眠が可能になったとしても亀のように記憶が白紙になってしまったら、その人の人格が消失したのと同じである。しかも記憶が一切ないのだから冬眠から覚めた直後は本能で動き回る赤ん坊である。小便や大便は垂れ流す、言葉は喋れない。一から教育し直して何年かして普通の大人と同じ様に行動できるようになっても冬眠前の記憶が甦るわけではない。これで周りは納得できるのだろうか。本人は記憶がないのだから納得も何もない。

 この方法が適用できるのは、大人になったら殆ど記憶が残らない幼児期だけかもしれない。



*1 亀の記憶
*2 記憶の移植
*3 記憶
*4 亀の冬眠
*5 Austin Powers - Official Web Site
*6 F.E.R.C Research Data - 2001/02/11

050528

 ロエベ*1は皮革製品でスペインの有名な店である。この店のマーク*2を見ていたら、ローマ字の「L」の大文字の筆記体*3を四つ組み合わせたものだと言うことに気付いた。スペインなので唐草模様か何か*4だとずっと思っていた。

 web上で調べてみるとロエベの「四つのL*5を組み合わせたモノグラム*6」と言うのは、ルイ・ヴィトン*7「L」と「V」とを組み合わせたモノグラム*8と同じくらい当たり前のようだった。

 「LOEWE」と書いてどうして「ロエベ」と読むのか、と思っていた。もともとスペイン語には綴りに「w」を含む単語がないらしい。入る場合は外来語で、音は「ワ」行か「バ」行になるようだ*9。そうなると「LOEWE」は外来語ということになる。

 ロエベ*10はドイツ人のEnrique Loewe Roessbergがスペインのマドリードで皮革製品の工房を開いたのが始まりである。従ってロエベはもともとドイツ語であった。だから「we」は「ベ」と読む*11のであった。



*1 LOEWE
*2 JDN /東京ショーウインドー /ロエベ 銀座本店 04年02月 -2.
*3 letter21_large.gif
*4 The Alhambra - Granada: Arabian Ornaments, Spain
*5 ロエベ:LOEWE
*6 モノグラム - [ファッション用語集]All About
*7 サァヰ゛ス
*8 Louis vuitton : French fashion designer, luxury leather luggage.
*9 スペイン語の玄関
*10 --- LOEWE ---
*11 ドイツ語入門・初歩の初歩/武蔵大学/ドイツ文化専攻

050529

 英語を常用している西洋人は、「虫の声」が雑音にしか聞こえないという。これの原因は、英語で使われる音声の周波数が虫の声の周波数と重なっているので英語としての意味のない虫の声は雑音にしか聞こえない*1、というのだ。

 どういうことだろうか。もっともらしい理由だが、何か釈然としない。日本語を常用する日本人が英語を苦手とするのは、言葉で使用されるこの周波数の領域が違う所為だという。これは何となく理解できる。聞き慣れない音を聞き分けるのは難しい。それが「虫の声」か「雑音」かの分かれ目になるのか。

 例えばスズムシの声の周波数は3200Hzぐらい、コオロギは4000から5000Hzぐらい*2で、人間の声は300から3400Hzぐらい*3らしい。楽器の音域*4はどうであろう。スズムシの声の高さ*5に近い周波数の音*6が出せる楽器もある。オルゴールも周波数が高そう*7だ。

 それに大抵の音には倍音が含まれている*8基本となる音*9の高さの二倍三倍の周波数の音が含まれているのである。上の説からすれば、倍音は雑音になってしまう。

 その音が雑音かそうでないかは旋律として言葉として聞くことができるかどうかの差であって音の高低の違いではない。西洋人がスズムシを「声」として聴けないのは、そういう素養がないだけの話だろう。周波数説はこじつけである。



*1 Google 検索: 虫の声 西洋人 高周波 英語
*2 2.どのようにして鳴くの?
*3 知識の宝庫!目がテン!ライブラリー
*4 オーケストラ各楽器の音域図
*5 音のディジタル化
*6 音階と周波数の対応表
*7 シリンダーオルゴール|オルゴールショップ
*8 Sound Inspection
*9 《九州リオン:計測器の豆知識》

050530

 スペインの皮革製品店のロエベ*1のマークは、筆記体で書かれた「L」を四つ組み合わせて*2作られている。ぱっと見ると全くローマ字とは関係のない図形に見える。ちょうど同じ文字を連続して何度も書き続けると「これは一体何を意味する図形なのか」と思えるのと同じ現象*3を簡単に味わえる。

 そういった意味で面白く秀逸なモノグラム*4だが、やはり「Sun*5」にはかなわない。「U」だけを使って「Sun」と言う文字を表している。しかも「Sun」が四つ巴になっていて、そろぞれの「un」の部分がそれぞれの「S」になっている*6。モノグラムの最高傑作である。



*1 ロエベ
*2 JDN /東京ショーウインドー /ロエベ 銀座本店 04年02月 -1.
*3 ゲシュタルト心理学 - Wikipedia
*4 H.L. de Groot | Graveerbedrijf
*5 マーク
*6 Sun4Cotag.gif

050531

 精子や卵の中に最初から小さな子が宿っている*1とする説を前生(成)説*2というらしい。精子に子が入っていると言えば、この図*3である。こういう絵*4もある。

 この絵を見ていると自分がロシア人形のマトリョーシカ*5になった気分になってくる。



*1 江戸時代の避妊法
*2 Chapter 12: Differentiation | Heredity and Development, Second Edition | John A. Moore | National Academy of Sciences Classic Textbooks in Science
*3 human_sperm.gif
*4 2004.p006preformation.GIF
*5 Matryoshka Dolls - Russian Nesting Dolls



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