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0405雑記草


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040501

 シソーラスの距離という考え方があるらしい。シソーラス*1とは語句を意味によって分類配列した語彙集、もしくは類義語集*2のことである。シソーラスの語源は英語である。

 「シソーラスの距離」即ち「語彙集の距離」とは一体どういうことなのか。数学的に距離というと、二点のそれぞれの座標の各要素の差を自乗して」、それらの和の平方根だったり、もっと拡張すればある関数又は写像である性質を持てばそれを「距離」*3と表現したりする。シソーラスの距離とは言葉の「意味の近さ*4」のようだ。

 ある二つの単語が同義語であれば「近く」、関連しているだけであれば「遠く」なる。例えば「雑記」であれば「メモ」は殆ど同義語なので距離が近い。「随筆」だと少し遠くなり、「伝記」となれば書き物として関連はしているもののかなり距離があると感じられる。「雑記」と「雑草」とでは関連も何もないので距離は無限大になる。

 ある単語に対する距離を記載した語彙集があればある単語と単語との距離が測れるようになる。ある単語の語彙集に距離を測る相手の単語が載っていなければ、関連性のない単語なので自動的に距離が無限大になる。

 こういった単語の意味の距離を測れば日本語の構文を自動的に的確に解析できるようになるらしい。解説のページでは「望遠鏡で泳いでいる彼女を見た」という例文を挙げている。「望遠鏡で」は「泳いでいる」と「見た」とに文法的には係る可能性があるが、意味の距離からすれば「望遠鏡」と「泳ぐ」とは距離が無限大になってしまうので「見る」にしか係らないと結論付けることができる。今までは単語の文中の位置そのものから読み取る方法が取られていたらしい。関連する言葉は互いに近くに配置するのが普通の文章の組み立て方だからである。

 それでは「ロケットで木星を周回する衛星に飛び立つ」という文はどうだろう。「ロケットで」が「周回する」と「飛び立つ」とどちらでも係る可能性がある。しかもどちらもロケットに関連している単語である。しかし「ロケットで周回する衛星」などあるわけないので、「ロケットで」は「飛び立つ」に係るしかない。

 文学的表現の都合で、係る言葉が離れてしまうことがあるかも知れないが、やはり普通は直近に配置すべきだろう。最初の例であれば「泳いでいる彼女を望遠鏡で見た」だろうし、次の例は「木星を周回する衛星にロケットで飛び立つ」と書くのが普通である。



*1 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
*2 類語辞典
*3 距離空間とコンパクト性
*4 シソーラスで語と語との意味的な距離を測る

040502

 文中で係る言葉が離れていると意味が通じにくくなったり、意味不明になったりする。例えば「宇宙船で木星を周回する衛星へ向かう」という文では、「宇宙船で」が「向かう」に係るのに文頭に来ているため、「衛星が宇宙船で木星を周回している」という意味にも取れてしまう。

 ただし、「衛星が宇宙船で木星を周回している」のは文章の意味としては全く成り立っていない。このような文を読む場合、意味として成り立たない解釈は最初から放棄して読むことを身に付けているので大抵は問題ない。ところがコンピュータなどで機械的に文を解釈させようとすると、文法と文中の単語それぞれとが正しいとなれば、「衛星が宇宙船で木星を周回するはずがない」という情報がない限り正しい解釈ができない。

 「シソーラスの距離*1」という係る言葉の関連性を数値化する考え方を用いれば、こういった紛らわしい文を機械的に的確に解釈することが可能になる。

 文法も、そして用いられている単語も正しいのに文自体に意味がないというのは面白い。例文のように同一文でも解釈によって意味不明になったり意味が出てきたりするのは、考えてみれば不思議である。これは日本語の文法の不完全性からくる現象なのだろうか。

 おそらくどんな言語でもこういった現象は起こりうるのだろう。文を構成して伝えようとする事柄そのものと文法とは関係ないからである。相手に伝えようとする事柄は頭の中で考えたことだから言葉とは関係ないはずである。伝えるために考えたことを言葉に変えて表現しているのだから語順や活用が間違っていても何とか意思は通じる。文法から外れていると何か変だと思うだけである。

 ということは自然言語*2の文法の本質は意思の疎通のためのものではなく、形式美のようなものに思えてきた。例えば「大きな草原にある家*3の飼い犬が吠えた」という文では、「大きい」のは「草原」なのか「家」なのか「犬」なのか厳密には判断はできない。通常は直近の「草原」である。しかしそんなことは問題ではない。文を構成する上で伝達される内容を区別する要請はなく、聞いた時の違和感をなくすことだけが文法の役割のような気がする。



*1 言葉の距離
*2 NICT News
*3 大草原の小さな家

040503

 文法が正しくて、使われている単語が正確でも意味が通じない文を作ることができる。「僕はうなぎだ*1」「ママは卵を入れてオロナミンセーキ*2よ」と場合によっては通じるが、通常はおかしな内容になっている。文中で使われているそれぞれの単語の意味に関連性が殆どない*3からだろう。

 文法は正しいが、単語が無茶苦茶という文は全く意味が通じなくなる。これは当たり前の話で、意思の伝達は単語によってなされている*4からである。自分が使う単語は、話す相手も知っている単語でないと全く通じない。相手が意味を了解して初めて「言葉」となる。

 「文法は正しいが、使われている単語が無茶苦茶」という文を「ジャバウォッキー文*5」というらしい。ジャバウォック*6とは鏡の国のアリス*7登場する怪物*8である。

 なぜ意味をなさない文を総称する必要があったのだろうか。こういった文は脳が言語の文法をどのように処理しているかを探る*9のに用いられるようだ。

 「ジャバウォッキー」という言葉自体はルイス・キャロル*10英語のjabber(わけの分からないことをペチャクチャ喋る)から作ったと言われている*11



*1 思索の遊び場 高杉親知の日本語内省記 うなぎ
*2 オロナミンC CMヒストリー
*3 言葉の距離
*4 文法の意味
*5 NLP Meets the Jabberwocky: Natural Language Processing in Information
*6 LOQ: synthesized speech jabberwocky-txt-3pps.jpg
*7 鏡の国のアリス Through the Looking Glass: And What Alice Found There
*8 ジャバウォッキー
*9 文法処理の脳機構
*10 The Lewis Carroll Society of Japan
*11 Online Etymology Dictionary ETYMOLOGY J-Ji

040504

 筆者の現状の視力*1は両目とも0.1以下である。あと0.1下がると視力*2が「0.0」となる。視力が「0.0」というのは目が見えない状態に他ならない。

 それにしても視力の数字は一体何なのだろう。視力が1.0というのは何が「1.0」なのか。今まで気にしていなかった。視力が1.5ならばよく見える。サンコンさん*3ニカウさん*4は視力が「5.0」ぐらいあるというのを聞いてどういう風に見えるのか想像できなかった。遠くの物がズームレンズで見た時のように大きく見えるわけではないだろう。

 角度らしい。離れたところにある二つの点がはっきり区別できるならば、見えたと言うことになる。5m離れて1.5mm離れた点が区別できれば、10m離れて3mm離れた点が区別できる。見た目には二点の間隔が同じになるからである。つまり二点の間隔は眼球とそれぞれの点とを結ぶ線の開き具合*5ということだから角度となる。この時の角度は「1分(1/60度)」で、これの逆数を単位としたのが視力である。角度の単位というのは何か変な感じがする*6が、そう定義されている。二点がもう少し離れてないと区別ができない場合、その角度が「2分」だとすると視力は「1/2」で「0.5」となる。点の代わりに区別するのを隙間にしたのが「C」の形をしたランドルト環*7と呼ばれる図形である。フランスの眼科医Edmund Landoltが考案したらしい。

 隙間の区別だから「C」の大きさは関係ないような気がするが、視力検査表では大きさが変化している。これはもともと視力1.0のランドルト環を動かして視力を検査したのを表にしたからそうなったようだ。ランドルト環が離れれば隙間も小さく見えるが「C」も小さくなる。これをそのまま表にしたという。「C」の大きさを一定にして隙間だけ変化させてもいいような気もするが、そうはなっていない。

 視力*8が角度ならば「0.0」というのはないことになる。二点の間隔が90度即ち「5400分」になっても視力は「0.0002」だし、180度になっても視力は「0.0001」である。90度も離れているのに区別できない状態というのは考えられない。これは見えていないのと同じである。ということは視力の最低値というのがあるはずだ。そしてその値は 少なくとも「0.0002」よりも大きいと思われる。



*1 視力検査表
*2 FLASH視力検査表 (拡大縮小ができる視力測定)
*3 SANKHONYA
*4 Nixau (ニカウ) - goo 映画
*5 No.037 視力検査の「C」
*6 温度の単位(1)
*7 視力の正常値 ランドルト環
*8 眼の事典・視野・視力について

040505

 こんな歌が昔あった。「陸軍の 乃木(のぎ)さんが 凱旋(がいせん)す すずめ めじろ ロシヤ 野蛮国 クロポトキン 金玉 丸麩(まるふ) ふんどし 締(し)めた タカジャッポ ポンヤリ 李鴻章(りこうしょう)の禿頭 饅頭喰って皮残す 擂(す)り粉木(こぎ)頭に灸据えて 帝国日本大勝利 陸軍の・・・*1」といつまでも終わらないしりとり歌である。

 ところどころ意味不明な言葉がある。「タカジャッポ」はおそらく「高シャッポ」で山高帽のことであろう。その後の「ポンヤリ」が判らない。

 検索で調べてみると択捉島の地名にそれらしき名前*2が出てくる。しかし何故この歌に択捉島の地名が突然出てくるのか。このしりとり歌は日清日露戦争時代のことを唄っている。その時代に択捉島が何かの舞台になったのだろうか。更にいくら調べても択捉島の「ポンヤリ」の位置がはっきりしない*3

 検索結果を見ていると「ポンヤリ*4」を「ぼんやり*5」の意味で使っている人が多い。また、このしりとり歌の「ポンヤリ」は「ぼんやり」が訛った言葉だと主張している人がいた。やはり「ポンヤリ」の意味は不明のママである。しかし今のところは「ぼんやりとした李鴻章」で歌はつながっていると考えるのが妥当かも知れない。

 「ポンヤリ」を調べている内に「丸麩(まるふ)」はどうも違うということが判ってきた。「マカロフ」のようである。「金玉、マカロフ、ふんどし、・・・」と続く。丸麩よりもマカロフの方が相応しい。マカロフ*6という人はロシアの提督で日露戦争で戦死した*7のでこの歌に合っている。このマカロフ*8という名前は旧ソ連の拳銃としてトカレフ*9と並び、関係者にはよく知られた名前らしい。

 この歌で「丸麩*10」の登場はいけなくて、時代背景に全く関係ない「金玉」「ふんどし*11」「タカジャッポ」などは何故いいのか。「金玉」はそれだけで面白いし、「ふんどし一丁の山高帽をかぶった紳士*12」はその間抜けな姿を想像するだけで笑えてくる。それに対して「丸麩」では全く面白くない。



*1 めじろ、ロシヤ、野蛮国
*2 北方領土対策本部関係資料 元居住者の援護
*3 北海道大学附属図書館 北方古地図高精細画像 千島州択捉嶋概測図_javaApplet
*4 Google 検索: ポンヤリ
*5 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: ぼんやり
*6 Макаров makarov.jpg
*7 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: マカロフ
*8 SV-MEK - Explosionszeichnungen makarov.jpg
*9 SV-MEK - Explosionszeichnungen Tokarev.gif
*10 津島麩
*11 女のふんどし、行徳の俎
*12 近代日本における帽子の盛衰

040506

 「鉄」の音読みは「てつ」だが、訓読すれば「くろがね」である。意外と読めない。色が黒い「かね」だから「くろがね」である。黒く見えたのは黒錆のせい*1だろう。漫画家の黒鉄ヒロシ*2氏を思い出せば「くろがね」と読める。

 こういった読み方をする金属元素は他に、「金」ならば「こがね」、「銀」ならば「しろがね」、銅ならば「あかがね」がある。それぞれ一字で金属の意味をなすが、更に色の漢字を補って「黄金」「白銀」「赤銅」という言葉ができあがっている。「黄金」「白銀」は一字の場合と同じだが、「赤銅(しゃくどう)」は少し意味が変わる。赤銅は銅に金を混ぜ込んだ合金*3のことらしい。

 赤銅が本来の「あかがね」から意味がずれてしまった原因は銅には多くの種類の合金が昔からあったからだろうか。赤銅の他に「青銅」「黄銅」「白銅」など*4がある。

 ところで「こがね」の「こ」とは何なのか。黄色の「き」が訛ったのか。それとも「黄」の音読み「こう」をそのまま「黄金」に当てはめて読んでしまったのか。そうだとすると「こがね」は純粋な大和言葉*5ではないということになる。



*1 錆びない鉄
*2 日動火災 HOMEPAGE 黒鉄ヒロシ展
*3 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: 赤銅
*4 NIHON KOGEIKAI NAZO-NAZO 伝統工芸なぞなぞ百科
*5 数詞の規則性

040507

 金物というと鉄をまず思い浮かべる。磨いた鉄は銀色なので、金属*1の代表色は銀色という感覚がある。アルミニウムや錫、鉛なども銀色なのでそう言ってもおかしくはないだろうが、金、銅にはそれぞれ色があるし、真鍮*2にも独特の色がある。

 色というのはその金属その物の性質とはちょっと違う。色は物に光が当たって反射してきた光を人が感じ取って得られた結果である。金属にあてる光が変われば、色も変わる。太陽光、蛍光灯、白熱電球の下ではそれぞれの光によって色は変わってしまう。

 とはいっても色と言えば、大抵は太陽光の下での話しである。銀色というのは鏡のように光を全部反射するから銀色に見えるのだろうか。もともと鏡はガラスの裏に銀メッキしたもの*3だったり、磨いた金属表面に水銀を塗ったもの*4だから、「鏡のように」見えるのは当たり前といえば当たり前である。鏡のように磨いていなくても、金属は銀色に見える。光が全部反射するからという単純な理由ではなく「銀色」という色に見える理由がありそうである。

 金や銅に色が着いて見えるのは太陽光に含まれる様々な波長の光の内、特定の波長の光が反射しにくいため、銀色とは違った色になる。金は赤色や黄色に見える光がよく反射して、銅は赤色がよく反射する。銀は赤も黄も青もよく反射する*5

 全ての色がよく反射するならば、キラキラした太陽光そのものに見えてもよさそうである。金属の表面が研磨してあって、直接光が当たっていればそうなる。周りが映り込めば、その像が金属の表面の形状に従って見える。こういった状態を総称して「銀色」に見えるというのだろうか。

 そうではない。表面が磨かれていなくても「銀色」に見える。独特の色である。銀の反射率*6を見てみると全ての色が100%ではない。赤色が98.5%に対して紫色は94.8%である。少しであるが差が出ている。もしかしたらこの差が「銀色」という色を醸し出しているのかも知れない。



*1 SATO LAB's HomePage 物質の不思議鉄
*2 ゲジゲジ
*3 三重硝子工業株式会社(鏡,板ガラス内装材製造) 鏡のマメ知識 鏡の分類
*4 三重硝子工業株式会社(鏡,板ガラス内装材製造) 鏡のマメ知識
*5 キリヤ: Q&A 金や銀はきれいですが、なにか色素が入っているのですか?
*6 城南電化協同組合 東糀谷めっきセンター 反射特性

040508

 一番末の娘が意味不明な言葉を時々発する。いろんな言葉を憶える時期なので、うまく発音できない単語はいくらでもあるが、その意味不明の言葉は元が何なのか全く類推ができないのである。

 以前にテレビジョンを見て憶えた言葉に「シーユー*1」がある。最初は何のことか判らなかったが、英語の「See you」だと気付いた。半年ぐらい前はよく使っていたが、最近は全く言わなくなった。

 現在の意味不明語は「カーコヮ」である。「カーコヮ、カーコヮ」と念仏のように唱えている時がある。何かの呪文だろうか。「ポークショ*2」「ポコペン」「チチンプイプイ」などのように昔から意味不明語*3は沢山ある。こういった言葉は幼児ではなく、ある程度言葉の構造を習得した子供や大人が作ったのだろう。幼児が突然作った言葉が永く世代を越えて伝播する可能性は非常に少ないような気がする。

 聞き慣れない言葉を面白がってまねて出来上がった言葉もある。南無阿弥陀仏*4が「のんのんあん」「まんまんあん」などになったりする。子供が「のんのんあん」と手を合わせながらしゃべっていれば、南無阿弥陀仏のことかと類推できる。動作が伴えばそれが手掛かりになる。「カーコヮ、カーコヮ」の手掛かりはなんだろう。

 この言葉は娘が自分で布団を敷いて昼寝の真似などをする時に発することが判った。布団に入りながら「カーコヮ、カーコヮ」という。家人で布団に入る時こういった奇声を発するものはいない。

 「カーコヮ、カーコヮ」とは一体何なのかを家族で話していたら、真ん中の娘*5があることに気付いた。

「それって、父さんのいびき*5じゃないの」

 そうか、それならば筆者にとって意味不明なのは当然である。



*1 シーユー
*2 めじろ、ロシヤ、野蛮国
*3 むまのきつりやう
*4 お経CD
*5 物の名前
*6 いびきと睡眠時無呼吸症候群

040509

 イリジウム*1を使ったエンジンプラグ*2がある。プラグを製造する各社から発売*3されている。イリジウムを電極に使うといいらしい。何が良いかというと着火性がいいらしい。ガソリンエンジンはそのシリンダー内で霧状にしたガソリンに火花で点火して爆発させる*4。その爆発で動力を得る。火花を起こすのがプラグの役目である。火花は電気の放電によって起こす。 

 プラグの電極は火花の熱によってどんどん酸化されていく*5。酸化され電極がすり減ってしまうと火花が飛ばなくなるのでエンジンが動かなくなる。これを防ぐためにある程度電極を太くしておく*6

 電極を太くしておくと、電極は酸化して減っていくが直ぐには無くならないので長期間火花は飛び続ける。火花が発生すればそこからガソリンの霧が燃えだして爆発に至る。ガソリンが燃えだした瞬間は火玉が小さいので近くに火玉の熱を吸収するものがあると爆発に至らず、火玉が消えてしまうことがある。これを消炎*7という。電極を太くするとこの火玉の熱が電極に奪われ易くなってくる。電極が直ぐに無くならずに、熱が逃げにくい丁度良い細さがあるはずである。

 電極にもともと火花で細らない材質を使えば、初めから細い電極にすることができる。そうすれば火玉の熱が電極に逃げにくくなるので、確実に爆発させることができる。

 この細りにくい材質の一つがイリジウム*5らしい。イリジウムを使ったプラグは 消炎し難くなるので燃料を無駄にしないことになる。従って従来のプラグよりも燃費が向上する。燃費向上は筆者の永遠のテーマ*8なので、非常に興味がある。100回の爆発の内、従来10回ぐらい消炎していたのが、イリジウムで殆ど消炎しなくなるのであれば燃費向上に相当効きそうである。

 しかしそんなに消炎しているのだろうか。しょっちゅう消炎していればアイドリングの時、不規則なエンジン回転になるだろう。普通の自動車のエンジンではそんなに変なエンジン音にはならない気がするので、やはり消炎は滅多に起こっていないかもしれない。

 消炎の可能性を下げることができるので、イリジウムプラグに変更すれば燃費は必ず上がるはずである。試してみたくなってきた。



*1 イリジウムのデータ
*2 デンソー イリジウムパワー特徴
*3 NGK PLUG STUDIO / sparkplugs
*4 デンソー プラグの基礎知識
*5 デンソー イリジウムパワーQ & A Q10
*6 デンソー イリジウムパワー特徴
*7 日本特殊陶業 スパークプラグ/グリーンプラグ
*8 金属原子結合の歪みとダランベールのパラドックス

040510

 イリジウム*1というと衛星携帯電話の「イリジウム」*2を思い出す。すでに日本イリジウムは事業を廃止してしまっている*3が、何故、携帯電話でイリジウムという名前が付いているのだろう。電話の中にイリジウムが使われているのだろうか。

 イリジウムに特有な電気特性があるとも思えない。むろん放電火花に対する耐性*1など携帯電話には必要ない。一体何なのだろう。「イリジウム」という語感が何となく格好良かったからだろうか。

 そうではなかった。「イリジウム」は77個の人工衛星を使った全地球的な携帯電話サービスだった。実際には66個になってしまったらしいが、当初の計画は77個だった。77個の衛星が地球を周回する姿を、電子が原子核を周回する原子に見立たらしい。電子を77個持つ原子は「イリジウム*4」なのでこれが名前の由来になったようだ。

 なかなか洒落た名前の由来である。実際は地球の周りには他の人工衛星*5無数に回っていて*6、更に天然衛星の「*7」まであるので、端から見ると原子の姿を想像するのはとてもできない。事業者にとっては自分たちの衛星しか眼中にない筈なので、イリジウム原子に見立てることが出来たのだろう。



*1 イリジウム
*2 衛星通信のホーム 衛星を使った移動通信
*3 日本イリジウム株式会社ウェブページ
*4 イリジウムのデータ
*5 Technical Report on Space Debris
*6 HITF | The Problem
*7 月

040511

 先日、「黒鉄ヒロシ*1」氏の顔写真を検索しようとして、Googleのイメージ検索で検索を行った*2。検索語句は「黒鉄ヒロシ」である。

 黒鉄ヒロシ氏に関係する画像*3が表示された。その中で黒鉄ヒロシ氏に全く関係ないと思われるページがあった。

 それはこのページ*4である。ある大学*5の研究室の教官の紹介ページである。このページのソース*6を見ても「黒鉄ヒロシ」という言葉は一切出てこない。唯一の手掛かりは「黒鉄ヒロシ*7」氏にこのページに掲載されている教官の顔がそっくりだということだけだ。

 恐るべき検索機能である。「黒鉄ヒロシ」と入力すると「黒鉄ヒロシにそっくりな人の画像」まで検索できているのである。「黒鉄ヒロシ」という言葉からまず本当の「黒鉄ヒロシ」を検索して、更にその画像と同じような特徴を持つ「黒鉄ヒロシにそっくりな人の画像」まで抽出するのだろうか。

 類似画像検索技術*8は実用化されているので、こういった芸当はやろうと思えばできるのだろう。

 Googleのイメージ検索*9解説を読む*10と、画像周辺の文や画像の解説などを分析して判定しているらしい。類似画像検索技術に関しては触れていない。もしかしたら最近取り入れられた技術かも知れない。Googleはどんどん進化*11している。



*1 金属の色
*2 Google イメージ検索
*3 Google 検索: 黒鉄ヒロシ
*4 takagi_lab:Homepage
*5 筑波大学
*6 HOW TO MAKE WEBPAGE (index.page) HTMLソースと実際
*7 黒鉄ヒロシ氏
*8 類似画像検索技術
*9 Googleの特殊機能
*10 Google イメージ検索に関するFAQ イメージ検索の仕組みは?
*11 Google電卓(2)

040512

 金属の色*1は、その表面で金属以外の一般の物質では起こっていないようなことが起こっているから独特であるらしい。

 しかしその金属色を出すためには、金属がないと駄目かというとそうではない。現に写真で金属のような色を十分出せる*2。印刷物にしてもパソコンのモニタ画面にしても、金属らしく見える。当然、これらは金属からの光の反射で見えている訳ではない。三原色*3だけの組み合わせで「金属の色」に見えている。

 小学生や中学生の頃、図工で絵を描く時、金属を描くことは非常に難しかった。今は絵など描かないので全く困らないが、当時は銀色や金色を表現するのがなかなかできなかった。仕方がないので灰色や黄色で済ませていた。経済的に余裕があった学友は銀粉や金粉が入った絵の具を探し出してきて、それを塗っていた。粉を塗るのだから銀色や金色だが金属のようにはなかなか見えなかった。

 三原色の組み合わせでどんな色でも表すことができる*4ので、絵の具でも金属色を表現できるはずだが、小中学生の頃にはその方法が分からなかった。

 画家はちゃんと表現している*5。色だけではなく周りの映り込みを描き込むことによって金属らしさを出している。何色で塗るかだけではなく、映り込みを描くことが重要なのである。

 こう考えていくと物の色というのは、その物の本来の性質ではなく、やはり光の反射の仕方のみで決まっているということを実感することができる。



*1 キリヤ: Q&A 金や銀はきれいですが、なにか色素が入っているのですか?
*2 金の延べ板 gold.jpg
*3 キリヤ: Q&A 製剤色素のページではいろんな色素を混ぜていますね。色素を混ぜるとどうなるのですか?
*4 光の三原色
*5 WebMuseum: Chardin, Jean-Baptiste-Siméon goblet.jpg

040513

 日本で使われている漢字の読み方には「音読み」「訓読み」の二種類がある。音読みしかない漢字もあれば、訓読みしかない漢字もある。音読みは中国式の読み方である。訓読みは中国から伝わったその漢字の意味から日本で考案された読み方だから、「訓読み」しかない「漢字」というのは矛盾している。日本で作った文字だから訓読みしかないのである。そういった漢字は和製漢字・日本製漢字*1もしくは国字・和字*2と呼ばれている。

 音読みしかない漢字は日本に輸入されたが、特に日本式に読む必要がなかった漢字だろう。音読みしかない漢字は両方の読み方がある漢字よりも圧倒的に数が多い。多いはずである。

 音読みはその漢字の中国での読み方に基づいて日本語の発音で読むようにしたものだから勝手に音読みを作ることはあまりない。「雑」は「ぞう」「ざつ」と読む。訓読みはない。「ぞう」は中国語から直接でてきたと読みだが、「ざつ」は慣用音*3である。これは勝手な音読みと言っていいかもしれない。

 訓読みに明確な定義はあるのだろうか。常用漢字の場合、常用音訓*4というのが決められていて「訓読み」が定義されている。

 それ以外の漢字の訓読みは漢和辞典の編集者の考え方で訓読みが変化してくる。その漢字の「訓読み」と定義するか、訓読みではなく「字義」にとどめておくかの違いが出てくる。常用漢字でなくても巷によく知れ渡っている漢字の読み方というのは問題がないだろう。「*5」は常用漢字に含まれていないが、「ともえ」と大抵の人は読める。むしろ音読み「は」の方が難しい。巴里*6という熟語があるので、「は」という読みは大して意外に思わないが、巴を「は」と読む習慣は殆どないのでこの読みは難しいと考えてしまう。

 そう考えると以前書いた「長い訓読み*7」というのは「訓読み」としていいのだろうか。定義の問題になるのでいいだろう。常用音訓も常用漢字表で決められているからそうだといっているだけなのである。漢和辞典などでこれを「訓読み」とすると定義していれば、それは漢字の意味そのものではないか*8と思われても「訓読み」となるのである。



*1 和製漢字の辞典
*2 日本語を読むための漢字辞典 国字の世界、ネットに開く
*3 「固執」は「こしゅう」なのか「こしつ」なのか?
*4 常用漢字表(学年配当・総画数付き)
*5 TOMOE Soroban
*6 「巴里祭」から「パリ祭」へ・・・・・・・・・植木 浩
*7 政関白
*8 長訓読み選手権

040514

 月面反射通信*1というのがある。アマチュア無線での通信方法の一つで電波を月面で反射させて交信する*2のである。

 地球と月との往復の距離は約75万km*3である。この距離を電波が走るには、電波の速度は秒速約30万km*4なので2秒ぐらいかかる。この時間を正確に計れば地球と月との距離が測定できることになる。

 以前、アポロ月着陸船が月に行った証拠*5として、月面でのレーザ反射鏡の設置を取り上げたことがある。アポロ計画によって月面にレーザ光を反射させる鏡*6が設置された。地球上からこの鏡に向かってレーザ光を発射してその光が戻ってくるまでの時間を測定して地球と月との間の距離を正確に計る*7ためである。

 しかし前述したように電波を使えば、電波は月面で反射してくれるのでレーザのような専用の反射鏡など置かなくても距離を測定することができる。電波とレーザ光とではレーザ光の方が波長が短いので測定精度が高い*8だろうが、本当の距離は誰も分からないし、極度に精度の高い距離を知る必要はそれ程ないだろう。

 レーザ光用の反射鏡が月面になくとも、ある程度正確な月と地球との距離が測定できるのならば、レーザで距離が測れることは人類が月に行った証拠にはなり得ないことになる。



*1 Welcome to Earth-Moon-Earth Home Pages.
*2 No.22 月面反射通信 (1) | BEACON | アイコム株式会社
*3 月
*4 1メートル
*5 アポロ計画の疑惑
*6 10100567.jpg
*7 Q&A: 月までの距離の測り方
*8 『光を使って距離を測定しよう』

040515

 「キャッスル・オイル*1」という日本製の自動車用オイルがある。ローマ字で書くと「Castle」である。

 何故、「城」なのだろうか。商品の名前や商標は創業者やその商品に関係する言葉などから作られやすい。一見、全く関係がないように思えても少し考えるとなるほどそういう意味なのかと類推できる場合がある。そうでない場合も当然ある。例えば、「ペンギンワックス*2」という商標がある。まさかペンギンの脂*3が原料となったワックスではあるまい。ペンギンと言えば南極大陸、南極は氷原、氷原はぴかぴか光る、ぴかぴか光るワックスであろう。

 靴墨の「Kiwi*4」はどうか。まさかキーウィ*5の脂が原料となった靴墨ではあるまい。Kiwiの創業者の奥さんがニュージーランド出身だったのでそれに因んだ*6らしい。万年筆のペリカン*7の場合は、創業者から事業を引き継いだGuenther Wagner*8という人の家紋が由来*9である。

 エンジンオイルで有名な商標*10に「カストロール*11」がある。ローマ字で書くと「Castrol」である。語源は「Castor Oil(ヒマシ油)」*12らしい。

 それにしてもキャッスル「Castle」オイルの由来は何なのだろう。創業者の名前*13なのか、事業所が*14の近くだったのか。



*1 SLオイル
*2 ペンギンワックスのウェブサイトへようこそ!
*3 11 Penguin/Sea Birds (Japanese)
*4 KIWIシュー&フットケアセット
*5 <データファイル>キーウィ
*6 Kiwi Shoe Polish and Design Technology
*7 Pelikan
*8 Auktion
*9 タテ株式会社>万年筆の話
*10 オイル・ケミカル石油製品
*11 Home
*12 世界におけるカストロール
*13 ジェットストリーム
*14 名古屋城公式ホームページ

040516

 かなり昔だが、テレビジョンのクイズ番組で石坂浩二*1が回答者として出演していた。「作曲家ワーグナー*2の信奉者を一般に何と呼ぶか」という問題に対して彼は「ワグネリアン*3」と即答した。これを見て、いたく感心した。石坂浩二は何でも知っている人だと思った。筆者はこの時「ワグネリアン」という言葉を憶えた。

 「〜イアン」という言い方は他に「シャーロキアン」とか「シェークスピリアン*4」などがある。言語学*5においては「チョムスキアン*6」という言葉もあるらしい。この「〜イアン」はベジタリアンvegetarianの「-ian*7」と源は同じらしい。

 「シャーロキアン*8」は架空人物に対する信奉者、愛好家となる。物語の中の人物だが、それに対して人格を認めるというのは非常に面白い。子供の頃は夢とうつつとの区別が付かない状態というのがありうるが、大人の場合は知的な遊びとなるのだろう。

 「ドラえもん学*9」というのがある。ドラえもんという漫画が成立する背景や漫画の中でドラえもんが使う様々な道具を解析する*10

 ただ、研究の対象となる作品が新しいければ、その作品の背景など大抵の人が容易に考えることができる。また物語の作者は、物語において既に創造性を発揮させてしまっている。古典の研究と違い、こういった作品の研究は研究そのものに独創性が出にくいのが難点である。



*1 石坂浩二 (イシザカコウジ) - goo 映画
*2 交響曲などの作曲
*3 Wagnerian. The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000. W0006100.wav
*4 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書
*5 普遍文法
*6 Google 検索: チョムスキアン
*7 -ian. The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000.
*8 イギリス生活情報週刊誌 - 英国ニュースダイジェスト - シャーロキアンが誘う知的遊戯の世界
*9 ドラえもん学コロキアム
*10 ドラえもん学宣言

040517

 自分の所有する自動車の燃費の改善は筆者にとって永遠の課題*1である。自分以外の人々が所有する自動車でも燃費は良くなって欲しいと思っている。

 最近の自動車には1リットルのガソリンで何km走れたかを示す燃費計*2が取り付けられている。こういった装備は技術的には簡単なので、昔の自動車にも装備することはできた*3が、そういった要求が購買者からはなかったため付けられてなかった。自動車走行中に燃料消費量が分かって何が嬉しい、というのが普通の感覚だった。

 今は自動車を動かすことは環境に対して悪影響を及ぼすことだと認識している人が多くなってきたので、自動車に燃費計を装備する価値が明確になってきたのだろう。

 運転中に燃費計が大量の燃料を使っていることを示すとアクセルペダルを戻そうとする。燃費向上には絶大な効果がある。筆者の自動車の燃費*4は装備されている燃費計によると、現状、7.7km/Lを示している。

 この燃費は累計である。ある時点からの走行距離と燃料消費量とから自動的に割り出している。計測開始時点は任意に設定できる。現在の燃費は数ヶ月前から測定を開始した結果である。

 この累積の燃費計の数字は気を緩めるとどんどん低下していく。急発進の機会やアイドリングの時間が増えれば走行距離の割には燃料の消費量が多くなってしまうからである。一方、数値はなかなか上がらない。燃料の使用効率には上限があるので、その値に近づくことは難しい。エンジンを動かしたまま自動車を止めることは簡単だが、走行しし続けるというのは一般道では難しい。なかなか数値が上がらないのは感覚的に判るが、どの程度上がりにくいのだろうか。

 ガソリン100Lを使って770km走ったとする。そうすると現在の燃費7.7km/Lとなる。渋滞などでエンジンが作動しているにも拘わらず走行距離が伸びず、ガソリン20L使って100kmしか走れなかったとする。その区間の燃費は5km/Lに低下する。合計120Lの使用で880kmの走行になるので、燃費は7.3km/Lとなる。

 0.4km/L下がった。これを元の7.7km/Lに戻すためにはどの程度の燃費で走らなければならないか。7.7km/Lで走り続けていては戻らない。これ以上でなければならない。しかしエンジンの性能からくる上限がある。その自動車の燃費の公称値*5を燃費の上限とするして、例えば9.8km/Lで走行できたとする。この燃費でどれだけ走れば累積の燃費は7.7km/Lに戻るか。

 205kmである。5km/Lで100km走っても累積の燃費が0.4km/L下がるだけだが、それを元に戻すためには理想的な燃料消費状態でも倍以上走らなければならない。感覚通りで、燃費の向上はなかなか難しい。



*1 金属原子結合の歪みとダランベールのパラドックス
*2 Google 検索: 燃費計
*3 燃費計
*4 自動車のアース
*5 クルマ何でも質問箱 Q&A/基礎知識8

040518

 web上の面白そうなサイトやページ*1はそのURL*2を記録しておく。一般的には閲覧用ソフトの「お気に入り」や「ブックマーク」に記録する。

 筆者はMacOS*3を使っている。そして閲覧ソフトはNetscape*4iCab*5とである。どちらのソフトにも共通で使えるようにURL管理の専用ソフト*6を別に利用している。

 集めたURLを整理していたら「へぇへぇボタン*7」というページのURLと「平凡社 東洋文庫*8」とが隣り合っているのを見つけた。自分で集めておいて「見つけた」というのは変だが、とにかく気に入ったURLは片っ端から記録していくので、後から見て「こんなものが」というのがしょっちゅうある。

 片っ端なのでアイウエオ順には並んでいない。にもかかわらず 「へぇへぇボタン*9」「平凡社 東洋文庫」と並んでいたのは偶然なのだろうか。

 筆者の場合、URLを知るきっかけの殆どは検索によるものである。雑誌や本などの記事に掲載されているURLを直接入力することはまずない。並んでいたのは順番に検索語句を入れた結果だろうか。「へぇへぇボタン」の次に「平凡社 東洋文庫」を検索するのはどういう心境だったのか。

 確かに「平凡社」は「へぇぼんしゃ」と発音する場合もあるが、ワープロで変換する時は「へいぼんしゃ」と入力する。

 従って並んでいたのは単なる偶然であろう。



*1 リンク切れ対策
*2 www.omeco.de
*3 Apple - Support - Mac OS 9
*4 Netscape Japan
*5 iCab日本語版 トップページ
*6 栞(3)
*7 トリビアの泉 リアルへぇ〜ボタン----僕の見た秩序。
*8 平凡社 東洋文庫
*9 he-dfnt2.swf 利用規程

040519

 庭にナメクジが発生している。あまりにも沢山発生するので気持ち悪いという感覚がなくなってきた。指で摘むのも何ら抵抗がない。以前、ビールに溺れて死んだナメクジ*1を見て、イカの燻製*2を思い出してしまい、イカの燻製を見た時には逆にナメクジを思い出して食べられなくなるのではないかと心配していた。

 現状、全く問題なくなってきた。イカの燻製を見てナメクジのビール漬けを思い出してもイカ燻を美味しく食べられる。むしろナメクジを上手く料理すれば、食べられるのではないかとも思えてきた。ナメクジを食べるのはねずみ男*3だけと相場は決まっていたはずだが、もしかするとエスカルゴと同様に食べる価値があるかも知れない。

 そもそもエスカルゴ*4はどうして食べられるようになったのだろう。蛸やほや*5が食べられるきっかけと同じ様なもので、ある一人の勇者によって食べたことがきっかけ*6なのかそれとも飢餓がきっかけ*7なのか。そんな記録は残ると思えないので永遠に真相は判らないかもしれないが、とにかく誰かが最初に食べたことは間違いない。

 その時、気持ち悪いと言う感覚があれば絶対に口にすることはできない。もしかすると喰えるかもしれん、と思うことが先決であろう。筆者の現状の心境が必要なのである。とは言っても筆者は先駆者になるつもりは毛頭ない。

 遠い昔にエスカルゴを食べたことがあるような気がする。もしかしたら思い違いかも知れない。味は全く記憶にない。やはり食べたことがないのかも知れぬ。カタツムリの味というのは殆どなくてソースの味*8だということなので、ナメクジでも変な味の成分が入っていなければ食べられるはずである。

 エスカルゴの刺身*9食べさせてくれるところ*10がある。「森に生きるアワビ」らしい。アワビ*11によく似た味なら美味いはずだ。食べさせてくれるところは家からそれ程遠くない*12ので一度食べに行ってみなければならない。



*1 ナメクジ
*2 【函館のいか製品】
*3 妖怪大全 ねずみおとこ
*4 FROZEN ESCARGOTS 冷凍エスカルゴ 36〜38個入り
*5 ほや専門店 (有)宏洋水産
*6 Welcome to arcan エスカルゴ
*7 ようこそ丸や呉服店へ メルマガ 「かたつむり(蝸牛)」 丸や呉服店
*8 ブルゴーニュだより Bourgognissimo エスカルゴ ローマ帝国でもカタツムリを食べていた
*9 株式会社三重エスカルゴ開発研究所 製品情報
*10 株式会社三重エスカルゴ開発研究所
*11 アワビ エゾアワビ −これでも巻き貝−
*12 エスカルゴ牧場 ご案内マップ

040520

 ナメクジ*1ゴキブリ*2かどちらかを食べなければならない、とした時どちらを選ぶか。調理しても良いという条件ならば、迷わずナメクジ*3である。「生」が条件でもやはりナメクジ*4だろう。



*1 エスカルゴとナメクジ
*2 KINCHO | ウルトラがいちゅう大百科 | 害虫の種類 | ゴキブリ
*3 教材バンク(小学校−理科) かいのなかま拡大メニュー
*4 群馬県立自然史博物館 - マイマイ・ナメクジの仲間

040521

 通信販売専門の店*1で買った足ふき絨毯*2を風呂で使っている。

 説明文を読んでこれは凄いと思い、普通の物に比べてかなり高かったが買ってみた。大勢の人が使った後でもじめじめしていないので「さらさらバスマット」という商品名である。買ってから一年以上経つ。

 確かに常にさらさらしている。しかし全く足の裏の水は拭き取れない。今まで使っていた木綿の足ふき絨毯*3は、すぐにびっしょりした感じになるが、足の裏の水はある程度拭き取れる。

 使い続けていれば、こなれて足の裏の水を吸い取ってくれるだろうと何ら根拠のない期待を持ちながら使い続けていた。ところが全く変わらない。常に絨毯はさらさらしているが、足の裏はびっしょりのままである。

 そもそも足ふき絨毯で足の裏の水気を取るという考え方が間違っているのだろうか。風呂場から出てきて足ふき絨毯の上で足の裏の水分を手拭いでよく拭き取るのが本来の使い方なのだろうか。どうも釈然としない。それならば風呂の洗い場で片足ずつ足の裏を拭きながら出てくればいい。それが面倒なので足拭き絨毯を敷くのだろう。

 「さらさら」なのは「バスマット」の方だけであって、足の裏はびしょびしょなのである。足の裏が「さらさら」になるから「さらさらバスマット」と勝手に解釈していた。

 これは銭湯やプールなど業務用として使われているらしい。大人数が使ってもいつまでも「さらさら」なので好評だという。いつも「さらさら」なので取り替える手間が省けるからそこの従業員には好評なのだろう。一体誰のための絨毯なのかよく判らない。



*1 カタログハウス
*2 セブンドリーム さらさらバスマット
*3 手作りのやさしい布 ★和紡布★

040522

 どうして足拭き絨毯の吸水性が悪い*1のか。一年ほど前に通信販売専門の店*2で買った足ふき絨毯*3の水の吸い取りが悪い。

 繊維の水の吸い取り性能は何で決まるか*4。素材自体の水の濡れやすさと繊維の構造による。繊維を構成する糸一本一本が水に濡れやすければ吸水性は当然高くなる。糸自体がそれ程濡れなくてもその糸が物凄く細く、それらが上手く束ねられていると糸と糸との隙間に水が取り込まれ易くなる*5。これによって水の吸い取り性能を高めることができる。

 濡れやすさは繊維の表面の微細構造と化学的構造とによる。表面がつるつるしているよりもざらざらしていた方が濡れやすい。ざらざらな部分に水が引っ掛かるからである。化学的に水に馴染み易くなっていると濡れやすい。化学的に水に馴染むとは水分子を引き付ける分子構造を持つ*6と言うことである。

 購入した足拭き絨毯の材質はポリエステルである。ポリエステル自体の水を吸い取る能力は無茶苦茶悪い*7。木綿と比べと1/20である。もともとポリエステルは化学的に水となじみにくい*8のである。このままではお話にならない。

 上に書いたように、素材自体が濡れにくくても糸を細く*9したり糸の断面の形を工夫する*10などして細かい隙間を沢山作ってやれば水を吸い取る能力が高まる。吸水しても素材自体が濡れにくいので乾きやすい。これでいつも「さらさら」な繊維の出来上がりである。

 繊維の構造によって吸水性が高まっているはずなのだが、家にある足拭き絨毯は吸水性が非常に低い。足の裏の水分を殆ど吸い取ってくれない。そのかわり絨毯の方はいつも「さらさら」である。素材の性能が十分活かされているが、役に立っていない。



*1 さらさらバスマット
*2 カタログハウス
*3 セブンドリーム さらさらバスマット
*4 FB基礎講座/繊研新聞
*5 実験説明ページ 学校の理科の実験でおなじみの毛細管現象
*6 洗剤や界面活性剤の基礎講座
*7 やさしく学べる表示入門
*8  ■ 変糸 ■ かわりいと ■  ポリエステル繊維の歴史
*9 高吸水性タオル「カネボウコスモス」
*10 ユニフォームのUniform-Navi ユニフォーム入門Vol.3「ユニフォームに適した生地とは(素材編2)」

040523

 かなり昔、テレビジョンの深夜放送で「四季・ユートピアノ*1」というドラマを見た。佐々木昭一郎*2という映像作家が作った作品であることを知った。この人はかなり有名な人らしい。

 非常に感動的なドラマで、はっきりした筋書きはなく音を巡って様々な人々に出会う一人の女性主人公に関する数個の挿話の集合体のようなものであった。一つのドラマだけどそれぞれの挿話はドキュメンタリー映像のように見える。この不思議な感じがいつまでも頭の片隅に残り、もう一度見たいとずっと思っていた。

 このドラマを弟と二人で見ていた。はっきり憶えていないが、どうもそうである。そのドラマの放映後数年後して、弟が再放送されたユートピアノをビデオ録画した。新聞の番組欄の「四季・ユートピアノ」という題名だけで見ただけでは普通は録画する気にはならない。あのドラマを一度見たら忘れられないので、再放送されると判れば録画するに違いない。つまり弟もあのドラマを見たのである。

 主人公を演じたのは中尾幸世*3という女優で、ドラマ自体も良かったがこの人*4も大変魅力的だった。

 録画したビデオがあるのでいつでも見られるが、画質が悪いのでちゃんとしたものが見たい。ビデオが1986年出たようだが、現在は品切れで、中古品も見つからない状態である。DVD化が待ち遠しいが、それがいつになるかは皆目見当は付かない。



*1 「NHKアーカイブス」バックナンバー2001年10月 ■ ドラマ「四季・ユートピアノ」90分/1980年(昭和55年)
*2 映画祭TAMA CINEMA FORUM Daily Report 11/25 (Verbu) 映画祭レポート(11月25日) 「RESPECT 佐々木昭一郎」(鼎談編)
*3 第2回 ムービー俳句・ムービー短歌
*4 ★ROBAHOUSE LIVE2★ 「ユートピアノ」が忘れられない中尾幸世さん

040524

 家の発光ダイオードナツメ球*1が一個切れた。1年2ヶ月以上使わないと普通のナツメ球よりも得にならない計算なのだが、半年で*2切れた。これでは目論見が外れてしまっている。

 発光ダイオードの寿命は半永久的*3であると思っていたが、現実には違っていた。

 家の中で7個の発光ダイオードナツメ球を使っている。7個全部が毎日夜間はずっと点いているわけではないが、そう言う使い方をしていると仮定する。

 7個の発光ダイオードナツメ球*4の点灯延べ日数は30×6×7=1260日間である。この日数で一個のナツメ球が切れてしまったので、故障率*5は1/1260=0.0008となる。1260日間で1個壊れたから、3.45年間で1個の割である。

 筆者が購入した7個のナツメ球でたまたまこういう結果なったかもしれない。また残りの6個のナツメ球はまだ点灯するので、全部が切れるまでの時間を入れれば故障する平均の時間はもっと延びるかもしれない。こういった不確からしさのある結果をある確率で保証するためには係数を掛けて故障率を多めに見積もる必要がある。発光ダイオードナツメ球の故障の発生の分布がある数式に従うと仮定して計算した係数*6がある。90%の確からしさの場合、係数は3.89なので、0.0008×3.89=0.003で320日間に一個壊れるナツメ球であると予測できる。

 320日間は1年弱である。1年2ヶ月間保ってない。平均すれば1年弱で1個壊れるという意味なので中には10年保つものも含まれる場合がある。しかし平均で1年弱しか保たないのであればいつまで経っても元が取れないことになる。1年2ヶ月以上使って初めて普通のナツメ球*7から発光ダイオードナツメ球に換えた意味が出てくる。たまたま10年保つものに当たればいいが、そうはいかないだろう。

 とはいっても上の比較は普通のナツメ球が全く切れないことを前提としているので、何とも言えないような気もしてきた。ただ、今までに普通のナツメ球が半年で切れるというのを経験したことはない。

 発光ダイオード自体の寿命は電球のフィラメントに比べて格段に長い。一方、発光ダイオードナツメ球はフィラメントだけの普通のナツメ球に比べて部品が多く複雑な構造*8である。部品が増えたり構造が複雑になればどこか一箇所でも壊れれば動作しなくなるので、それだけ故障しやすくなる。低品質の部品を使用したり作り方がぞんざいだと今回のように寿命が普通のナツメ球よりも短くなる可能性は十分あるだろう。



*1 節電ナツメ球(2)
*2 節電ナツメ球(3)
*3 everLEDs::エバーレッズ::LED基礎知識::LEDの発光原理と寿命
*4 【楽天市場】e-プライス:LED常夜灯
*5 信頼性について/[2] 信頼性の尺度
*6 東芝セミコンダクター社|共通情報 ch3_09.pdf
*7 ナショナル 白熱電球 100V1CT/2P ナツメ球 5W 2個入り:ヨドバシ・ドット・コム
*8 節電ナツメ球(5) led.jpg

040525

 小豆は英語で「adzuki bean*1」である。「azuki」ではなく「adzuki」となっているところが、玄人っぽくていい。

 大豆は「soybean」である。昔、筆者の友人が「soy sauceは『ショーユ*2・ソース』が訛ってできた言葉」と発言したことがあった。それを聞いた筆者は「違う、soybeanからできたソースだからだ」と笑った。

 ところがどうも友人の方が正しかったと言うことを最近知った。「soybean」の語源は「ショーユ・ビーン」*3である。「soy」はオランダ語の「soja」「soya」が由来のようだ。1679年が初出らしい*4

 17世紀の言葉でしかも日本語の「醤油」がオランダ語を経由して英語になったというと、長崎の出島*5が思い起こされる。なんと、鹿児島弁で醤油のことを「そい」「しょい」という*6らしい。「soy」は鹿児島弁の「そい」が語源である*7、という説もある。

 「そい」が長崎弁*8ならばずばりだが、鹿児島弁*9というのが惜しいところである。鹿児島弁の「そい」が直接「soy」の語源になったのではなく、醤油「syouyu」がオランダ語では「soja」「soya」*10、鹿児島弁では「soi」「syoi」にそれぞれ変化したと考えた方が自然だろう。



*1 adzuki bean
*2 秋野夜長に
*3 soy. The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000.
*4 Online Etymology Dictionary ETYMOLOGY Sou-Spl
*5 甦る出島
*6 醤油加工品 そいのみ(しょうゆもろみ 内容量350g)
*7 4Reference || Soy sauce
*8 分析・長崎弁 《 長崎ガイド 》
*9 鹿児島の方言集
*10 Sojaboon

040526

 携帯電話*1は持たない。使う用事が殆どないので基本料金を払うのが勿体ないからである。大抵の連絡は公衆電話で事足りるのでわざわざ毎月払うことは必要ない。

 いい年をした大人が携帯電話の呼び出し音に反応して、ごそごそとポケットや鞄から取りだして「もしもし」と喋っている姿はどう見ても格好が悪い。呼び出し音に「ゴジラのテーマ*2」や「ミッキーマウスのテーマ*3」などを入れたりしていることが格好悪い訳ではない。どんな音にしているかでその人のセンスが伺い知れたりするが、そもそも携帯電話を鳴らしていること自体が格好が悪いと思っているので、そんなことはどうでもよい。

 電話はいつ鳴るか判らない。便所に入っていても、食事をしている時でも、談笑している時でも、お構いなしに掛かってくる。掛けてきた相手はこちらが何をしているのか慮(おもんぱか)っているのかだろうか。そうだとしたら滅多に掛けないはずだから、やはり考えていないのだろう。自分自身も食事時や深夜には掛けない程度で余り考えていない。

 携帯電話を持っていつでもどこでも電話を受けられる状態に自らしておくというのは、掛けてくる相手よりも常に自分の立場を下げていることになる。仕事であれば仕方がないが、そうでない場合にそうしておくのは、随分と格好が悪い。

 携帯電話は常に電源は切っておいて、必要な時にこちらから一方的に掛けるのが理想的な使い方である。そのためだけに毎月基本料金を支払うほどの経済的余裕はない*4から、やはり携帯電話は持たない。



*1 アンテナマーク
*2 godzilla.mid
*3 mickey.mid
*4 年収100万円で楽しく幸せに生活する方法

040527

 最近、テレビジョン番組や日常での会話で「頂いて下さい」という言葉をよく耳にする。料理番組や食事を振る舞われた時に聞く。「食べる」の敬語として使っている。

 食べるという意味での「頂く*1」の動作の主体は、話をしている本人なので「〜下さい」というような依頼や命令の形はあり得ない。

 つまり「頂く」は「食べる」の謙譲語なので、自分もしくは敬意を払う相手に対して自分と同じ立場にある自分以外の人の動作をへりくだる場合に使う。自分の立場を下げて相対的に相手を敬うのが謙譲語*2の用法であることを理解していれば、こういった間違いをしなくても済みそうだ。しかし「頂く」が「食べる」「もらう」の単なる丁寧語ではなく謙譲語であることを知らなければ、どうしようもない。

 「頂いて下さい」ではなく「召し上がって下さい」である。「お食べ下さい」でも「頂いて下さい」よりは格段にいいだろう。こういった敬語*3には命令形はないはずである。敬う相手に命令するというのは論理的におかしい。

 ところが「召し上がれ」とか「お食べ*4」」という言い方がある。これらは尊敬語から派生した言葉であろうが、敬語*5とは言えないのだろう。



*1 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: いただく
*2 国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書: けんじょうご
*3 敬語大百科
*4 年収100万円で楽しく幸せに生活する方法
*5 日本語Q&A:スペースアルク ことばの使い方(社会言語学・敬語)

040528

 真の情報は必ず人間に付随しているので、人間関係の中でしか真実を知ることはできない。インターネットや携帯電話などで安易に得られる情報が多くなりすぎたので、それによって真実も含めて必要な情報が常に得られると錯覚してしまう様になってきた。面倒な人間関係をわざわざ築かなくても真実を得られるので、敢えて互いに深く関わろうとしない。

 こうした人間関係の稀薄さが蔓延しているためか、言葉の中でも相手との関係が混乱してしまっているようだ。謙譲語を尊敬語のつもりで使う*1のも、関係が稀薄なため相手の立場と自分の立場とをことさら明確にする必要がなくなったのかもしれない。

 「〜んだ」という筆者にとって耳障りな表現*2がある。「そうやってるんだ」とか「駄目なんだ」と言った使い方である。自分の行為や状態の表現ではなく、相手に対する表現として使っている。方言なのかもしれないが、色々な場面でよく聞く。男女ともに使う。

 「そうやっているのですか」「駄目ですか」と言えばいいのに「そうやってるんだ」「駄目なんだ」となる。「〜んだ」は一人称が主語の場合、もしくは命令する場合に使う。「僕はいつもそうやっているんだ」「さぁ、きりきり歩くんだ」といった具合である。

 これも言葉における立場の混乱だろうか。本来、一人称が主語なのに、相手が主体となっている動作や状態を表現するのに使っている。

 幼児との会話で似た様な現象が起こることに気付いた。「僕は、ぞうさんの絵を描いてるんだ」と話しかける場合がある。自分が「僕」ではない。話しかけている相手が「僕」なのである。幼児が返答すべき内容を代弁することによって、拙い会話を成立させようとしているのである。正常に会話ができる相手にはこういった話法は使わない。

 それにも拘わらず使うのは、相手を幼児の如く見下しているのである。これは「不遜語」である。この言葉は今作った*3。自分の立場を上にすることによって相手をさげすんでいる。謙譲語の反対という意味である。

 人間関係が稀薄なっているので、「〜んだ」を使っている当人は「不遜語」であることに全く気付いていないのかもしれない。



*1 頂いて下さい
*2 気になる言葉
*3 Google 検索: "不遜語"

040529

 家の近くで定期的に青空市が開かれていることをつい最近知った。この土地に十年以上住んでいるが、全然知らなかった。

 *1の門前で九の付く日の午前中に開かれる。ここでは陶器、野菜、乾物、花、鮮魚などが売られる。

 この市場が開かれる場所は最寄りの漁港*2から直線距離で20kmぐらいある。冷凍ではない魚介類*3を生け簀を使わずにそのまま陸路で運んで売るための距離の限界というのがあるはずだが、20kmというのが限界に近いのかそうでないのか皆目見当が付かない。寺の付近は海の雰囲気は全く感じられない。そう言った場所で半分生きている魚が売られているのは何となく不思議な感じがする。

 生蛸が売っていた*4。まだ生きていた。内陸ではゆで蛸しか店頭では見られないと思っていたので、嬉しくなってしまった。魚の卵も売っていた*5。買って、早速、含め煮*6を作って食べた。美味しかった。何の魚の卵か聞いたが、忘れてしまった。この市を見つけたおかげで魚の卵を探し回る必要*7がなくなった。



*1 曹源寺山門 − 豊明の文化財
*2 愛知の漁港概要
*3 鍼で魚を眠らせる方法
*4 0405190103.jpg
*5 0405190104.jpg
*6 真子の含め煮
*7 たらこ(2)

040530

 九が付く日は近くの寺の門前で市場が開かれる*1。「九の市」と呼ばれている。

 昨日、少し離れたところに住んでいる親戚の家に遊びに行った。そこでたこ焼きを作って振る舞うことにした。材料*2はこちらで全て用意して持っていった。中心となる材料は蛸である。たこ焼きは通常「ゆで蛸*3」を使うが、今回は九の市で手に入れた「生蛸」を使うことにした。

 生蛸は一般家庭では滅多に使わないだろう。蛸の足をブツ切りにする時、吸盤が指に吸い付いた。ゆで蛸ではこんな経験をすることはできない。これは相当高級なたこ焼きが出来上がりそうだ。こんなに鮮度の高い蛸を使ったたこ焼きがあるだろうか。

 たこ焼きにするとゆで蛸と使った時と見た目はそんなに変わらなかった。たこ焼きの中でゆで上がるのだろうか。食べてみると蛸の足が程良く締まっていて歯ごたえがよく大変美味であった。たこ焼きの蛸は生蛸に限る。



*1 九の市
*2 ヒマジンさんのたこ焼き横丁
*3 Product Infomation

040531

 いつもの如くパソコン*1のスイッチを入れたらOSが起動しなくなった。何度もスイッチを入れ直したが、何度やっても最初の部分で止まる。

 電源を入れると最初に起動音が鳴る*2。筆者が使っているコンピュータは起動時に内部回路基板の自己診断を実施する*3。基板にはCPU*4ROM*5などが装着されており、これらが正常に動作するかどうかをROMに入っているプログラムが診断をする。起動音のデータはROMの中に入っているので、正常な起動音が鳴れば、少なくともROMは壊れていないことになる。通常、正常な起動音は内部の回路基板が正常であることを示している。Windowsでも起動音が鳴る*6が、これはどういった役目があるのか知らない。

 次にOSが入っているディスクを探す。予め指定したディスクがあればそれを見つけ出しOSを起動する。そのディスクが正常でなかったり、予め指定されてないと起動可能なOSが入ったディスクを見つけようとする。

 上手く見つけられないとモニタ画面にフロッピーの絵を表示*7する。フロッピーの中ではクエスチョンマークが点滅*8して「起動ディスクはどこだ!*9」と訴えてくる。

 この状態で止まってしまうのである。まさか内蔵の複数のハードディスクが全て同時に壊れたのではあるまいと思いながらも、何度もリセットをしたが結果は同じだった。内部のほこりやコネクタの接触不良が原因かも知れないと思い、コンピュータを開けてコネクタを抜き挿しするなどして点検をしたが、直らない。とうとう買い換えかと思う様になってきた。

 やがて原因が判った。起動時にクリックボタンを押したままだとこういった現象が起こる。筆者はトラックボールを愛用している。このトラックボールのクリックボタンの上に本の角が乗ってずっとクリックしたままの状態になっていた。

 本をどかしたら何ら問題なく動く様になった。この騒ぎがきっかけになって、新しいパソコンが俄然欲しくなってきた。



*1 OSの変更
*2 はるの林檎教室一Mac起動音大全集一
*3 アップル - サポート - TIL Macintosh: Mac OS 9 以前を使用しているコンピュータの起動処理
*4 IBMマイクロエレクトロニクス|PowerPC|マイクロプロセッサー、組み込みプロセッサー、およびコア
*5 IT用語辞典 e-Words : ROM 【ロム】 (Read Only Memory)
*6 はるの林檎教室一Win起動音大全集一
*7 floppy.jpg
*8 アップル - サポート - TIL 画面上で点滅する“?”マーク: 原因と対処方法
*9 松岡正剛の千夜千冊『ねじ式・紅い花』つげ義春



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