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0006雑記草
「センサ万別」というとトランジスタ技術の特集記事の題目や大学の講義の枕で出てきそうな言葉でである。が実際、センサと呼ばれるものは千差万別である。
センサまたはセンサーとは温度、圧力、光など様々な物理量を測定、検出する装置のことである。つまり自然界のある情報を人間が知覚または理解できる情報もしくは何らかの制御をする仕組みに必要な信号に変換する装置である。
センサは千差万別ではあるが、その構造から分類すると大きく二つに分けられる。一つは構造形のセンサ、あと一つは物性形のセンサである。
構造形というのは測定や検出しようとしている物理量によってセンサ自体の大きさや形が変化するものをいう。例えば物の熱膨張を利用した温度計は構造形といえる。温度によって水銀やアルコールの体積が膨張するので、その度合いによって温度を知ることができる。圧力計は圧力で板が撓む度合いによって圧力がわかる。物性形のセンサとはどんな物か。物性とは物の性質という意味である。検出する物理情報によってセンサの性質が変化するものをいう。半導体を用いたセンサは大抵、物性形である。家庭用ビデオカメラに内蔵されているCCDは光を電気信号に変換している。光によって半導体の中に電荷が発生してその電気的性質が変化することを利用している。
またガス漏れ警報機のガスセンサはガスによってセンサの電気的性質の変化を利用してガスの量を検出する。
「U.F.O.*1」という名のカップ焼きそばがある。
発売は1976年(昭和51年)*2。名前の由来は当時UFOブーム*3であったこと、他社のカップ焼きそば*4の四角い形と差別化するために円形カップにしたところ、その形が空飛ぶ円盤によく似てきたことに因るらしい。
何となくピンクレディー*5の曲「UFO」に触発されて出来た商品名と思っていたが、ピンクレディーの方が後発*6だった。
このカップ焼きそばU.F.O.は顧客満足度を向上させるために様々な工夫を凝らしている。ターボ湯切りが出現したのは記憶に新しいところである。
カップ焼きそばを作るときのポイントは「湯切り」の時に如何に麺と具を流してしまわないか、であった。湯を切るときに麺の欠片が出てしまうのは仕方がないとしても、少ししか入っていない具のキャベツや乾燥肉が流れてしまうことは大問題であった。
ターボ湯切りという便利な仕組みがなかった頃は袋に入っている乾燥キャベツを麺の下に入れてキャベツの流出を少しでも防ぐ工夫をしていた。
ところが現在のターボ湯切り付きのU.F.O.の具は袋に入れずに乾燥麺の下に予め入っている。これは焼きそばは湯を捨てたあとソースを入れてかき混ぜるので必ずしも具が麺の上になくてもよいこと、具の流出防止とから採られた処置であろう。
ターボ湯切りは特許出願中のようである。U.F.O.の特許出願という訳である。余談だが本当のUFOの特許*7もある。
「U.F.O.」というのも商標登録*8するための工夫であろう。「UFO」では認められなかったのかもしれない。
*1 製品一覧
*2 instant ramen ラーメンの種類 日清焼そばU.F.O.
*3 UFO最後の追跡=UFOを科学する
*4 instant ramen ラーメンの種類 ぺやんぐソースやきそば
*5 PL-NET
*6 ピンクレディー/MIE 1976-1999
*7 いなぽんのホームページ (19)【発行国】日本国特許庁(JP)
*8 商標法(平成十一年四月一日施行版)
インターネット上で情報を公開する場合、その情報を発信するためにサーバーと呼ばれる装置に入れておかなければならない。そうしないとWWWを使って不特定多数の人が閲覧する事が出来ない。そのサーバーを自宅で持っている人もいるが、大抵の個人はプロバイダ(インターネット接続業者)のサーバーに個人のファイルスペースを借りてそこからWWWを通して情報を見ることが出来るようにしている。
自分が契約しているプロバイダがファイルスペースを提供していない場合や、提供していてもその利用料金が高かったり利用できるスペース容量が少なかったりすると、ファイルスペースを貸し出している他の業者に借りることになる。
有料の業者もあるが無料の所もある。無料のところは只でファイルスペースを貸す代わりに公開するページのなかに広告が掲載される。これによってファイルスペースの使用料が只になる。このページの一番下には貸し出し業者が提供する広告が出ている。下に広告が出るのは少なく、大抵はページの一番上や自動的に広告用のウィンドウが出てくる。フレームで広告が出てくるところもある。
提供されるスペース容量は5〜20MBが多い。更に無制限というところもある。情報として画像を多く提供する人にとってスペースは大きければ大きい方がよい。
本業の方では画像を多用しているのでこのファイルスペース容量は出来れば無制限にあった方がうれしい。そこで只で無制限のファイルスペースを貸してくれるところを探していたらこんなところを見つけた。ここはファイルスペースは無制限である。しかも広告は一切表示されない。当然無料である。
このサービスを提供している業者はどうやって売り上げを出しているのか。スペースを貸し出しても広告を掲載していないのでこれによる広告掲載手数料を広告主からは入らない。
そこでここはどのような方法を採っているか。ここはファイルの転送がFTP転送ソフトで直接できない。この業者のページにアクセスして、そこからいちいちファイルを転送しなければならない。また1ヶ月に一度はアクセスしないと借りたファイルスペースは消去されてしまう。従って一ヶ月に一度はスペースを借りた人が業者のページにアクセスする。そのページには広告が掲載されているので借りた人は広告を必ず見ることになる。
これで成り立っているのだと思う。でも広告主は納得できるのだろうか。
外来語を片仮名で書くようになったのはいつ頃からだろうか。漢字平仮名中心の文章が頻繁に用いられるようになってから、外来語を区別するために片仮名で書くようになったのだろう。
テレビや雑誌などの情報伝達媒体の発達でもともとの言葉の意味や由来を知らずに記憶してしまう言葉が沢山でてきた。その中でも片仮名で書いた単語は、片仮名で書いてあるということで勝手に外来語だと思い込んでしまっている場合が多々ある。
スバルは星の名前よりも先に自動車の名前として記憶してしまったので、長い間、外国語と思っていた。こういう勘違いを期待して付けたのかどうか判らないが、トヨタのカムリは冠から、日産のラシーンは羅針盤から作った名前である。
ウテナも何となく外国語だと思っていた。「台(うてな)」。萼のことである。
よく雑学の本に出てくるチャックも由来は純日本語で巾着の「ちゃく」である。そういえば「おれは男だ!」という往年のTVドラマの中で「チャック・ファスナー」という名の外国人が登場したことがあった。逆の場合の方が多いかもしれない。日本語だと思っていたのは実は外来語だったというのはよくある。
イクラは「いくら」と表記することも多いので純日本語だと思っていたがロシア語だった。オクラも外来語である。鶏の卵の中に入っているカラザも外来語である。英語ではchalazaと書く。てっきり「殻座」だと思っていた。サボるもダブる外国語が元になっているという意識は一般的にかなり薄れてきたかもしれない。
もしかするとバイトもアルバイトの略だということを知らない人がいるかもしれない。更に突っ込んで、一見、外来語だけど実は日本語だと筆者が勝手に思い込んでいたが、やっぱり外国語であったというのがある。
カンナは鉋という言葉があるので日本語だと思っていたが、外来語だった。ダリヤも何となく日本語だと思っていた。
光の三原色で人間が知覚できる全ての色を表せる。これは実験的に得られた理論である。赤、緑、青の光での組み合わせで全ての色が出来るのだが、各色の加算だけでは色を表すことができない。つまり
(ある色)=x(赤)+y(緑)+z(青) (x,y,zは目がそれぞれの光を感じる強さの度合い)
では全色表せない。いずれかの色がマイナスの場合でないと「ある色」と一致しない場合がある。例えば
(ある色)=y(緑)+z(青)-x(赤)
というのを考えないと三原色で合成した色と「ある色」とが一致しない。
では色の引き算とはどんなことなのか。「ある色」と光で合成した色とが一致するとは、「ある色」の板と白い紙に三原色を組み合わせて出来た色の光を当てた板を並べて全く同じ色に見ることをいう。
そこで色の引き算は以下のように考える。(ある色)+x(赤)=y(緑)+z(青)
引き算する色を左辺に移項して足し算にする。
これはどういうことかというと「ある色」の板に三原色の何れか(上の場合は赤)を当てて、残りの色を白い板に当てて色を合成する。この二つの板の色が同じに見えれば、上の式が成立したことになり色の引き算が出来たことになる。
英語の定冠詞「the」の古い書き方で「ye」というのがある。発音も「ザ、ジ」と「the」と同じように読んだり、字面そのままに「イ、イー」とも読むらしい。二人称単数主格の「thou」(汝)の複数形「ye」(汝ら)とは発音が同じだが違う言葉である。
これはローマ字の「p」に似た「th」の合字
を「y」と混同してしまった結果、「the」を「ye」と書いてしまい、それが定着したらしい。
こんなことがあり得るのだろうか。英単語の「the」は英語を使う人なら誰でも知っている単語だし、文章を書く人は一日に何度も書くだろうし、何度も発音するだろう。それなのに何故混同して、更に定着してしまったのであろう。
日本語でいえば「ねこ」を「ぬこ」と間違えて書いてしまったら、知らぬ間に「猫」が「ぬこ」になってしまったとか、「かめ」を「かぬ」と書き間違えたら「亀」が「かぬ」になった、に匹敵する。
例えば「一ヶ月」の「ヶ」の字は片仮名の「ヶ」ではなく「箇」の竹かんむりの一部であるとか、个(箇の略字)の変形と言われているが、この「个」を「丁」と間違えて「一丁字(いっていじ)」という言葉ができている。
「独壇場」や「膏肓」のように、もとは「独擅(せん)場」と書いたし「こうこう」と読むのだが、馴染みがない漢字のため漢字自体が間違えられたり(擅→壇)、それにともなって読み方も変化してしまう場合(どくせんじょう→どくだんじょう、こうこう→こうもう)もある。しかしこれらは頻繁に使わない言葉だから誤解されたり誤読されたりするのである。毎日使うような言葉は普通は間違わないだろう。
英語にGothamという言葉がある。住民全員が阿呆だというイングランドの伝説の村の名前である。本当に伝説なのだろうか。
Dave Stewart & Barbara Gaskinというポップソンググループがある。Dave StewartといってもEurythmicsのDave Stewartとは同姓同名の別人である。
十数年前に彼らのI'm In A Different Worldという曲をラジオで聴いて彼らの存在を知った。
暫くしてI'm In A Different Worldがカバーバージョンであること知ったのだが、誰の曲だか、ずっと判らなかった。
インターネットで調べたら一瞬にして判った。インターネットによる知識の共有というのは本当に驚異である。
それにしてもDave Stewartのページはカッコよ過ぎる。
製品の広告で如何に自社の商品が優れているか、効果があるかを示すために科学的に測定された数値を出す場合が多い。
例えばピップエレキバンの800ガウスは「ガウス」が磁気の強さを表すのは分かるが、一体どの程度の強さなのか実感が全く掴めない。しかも最近は「国際単位系」にならった表示にしたため、800ガウスが80ミリテスラになった。「ミリ」が付いたので何となく磁力が小さくなった印象があるが、全く同じである。それにしてもその磁力が凄いのか凄くないのかは全く分からない。
タウリン1000mgでも同じである。1000mgということは1gのことである。これが多いのか少ないのか分からない。それに1gをわざわざ1000mgにしているのは何故か。恐らくタウリンという物質を栄養学関係で扱う場合、mgが一般的なのであろう。
一般の消費者は単位の意味するところなど殆ど気にしていないので、数字だけを見てしまう。ピップエレキバンの場合、「ミリテスラ」ではなく「マイクロテスラ」にすれば800ガウスは80000マイクロテスラになって磁力の強さの印象はかなり増す。だがこれでは如何にもわざとらしい。800ガウスを80ミリテスラに変更したのは英断だったかもしれない。
以前、知り合いで減量に挑戦している人がいた。減量のスローガンは「めざせ!0.1t」であった。
エッチングというと銅版画の技法を一般に思い浮かべるかもしれない。しかしエッチングというのを「食刻」という意味で広くとらえると、この技術は様々な分野で使われている。特に大量生産を行う工業分野ではよく使われる。
例えばテレビのブラウン管のシャドーマスクがそうである。細かい穴を一度に沢山開ける方法としてエッチングは使われる。
エッチングの基本的な工程は次のようになる。
まずエッチングしたい物、例えば金属板に防食剤を薄く塗り、何らかの方法で食刻したい部分の防食剤を取り除き、金属板の表面を部分的に露出させる。
そしてエッチング液の中に防食剤を塗った金属板を入れる。金属をエッチングするものは必ずしも液体である必要はなく腐食性の気体でもよい。
すると金属板の表面が露出している部分がエッチング液で溶け出してその部分が凹む。長い時間エッチング液に入れておけば金属板を貫通する穴が出来る。
金属板をエッチング液から取り出して残りの防食剤を取り除けばエッチング図形(凹板)が出来上がる。エッチングされる物が金属の場合、大抵、エッチング液は酸性の液が使われる。この時、金属の溶け出し方はどの方向にも均等である。これはどういうことかというと、防食剤を小さく丸く取り除いてエッチングをするとそのエッチング痕は元の防食剤の穴の径より大きな径の半球状の凹みになるということである。これを等方性エッチングという。
ところがシリコンなどの単結晶を酸性のエッチング液でエッチングすれば金属と同様、等方性エッチングになるのだが、アルカリ性のエッチング液を用いると等方性エッチングにはならない。
結晶の並びの方向によってエッチングのされ方が変化する。シリコンの場合、ある結晶の並び方向に対して違う結晶の方向のエッチングでの溶け方の速さが数十分の一になる。その為、立体的な幾何学模様が自動的に形成される。
これは等方性エッチングに対して異方性エッチングと呼ばれている。エッチング液に入れておくだけで人工的な構造が出来上がるのは不思議な感じがする。
法律上、会社の名前には必ずその種類に応じた名称の文字を入れなければならない。株式会社なら○○株式会社という具合である。入れないと登記できない。
その文字を前に入れるか後ろに入れるかは自由である。株式会社△△もあれば○○株式会社もある。俗に株式会社の文字を前に置いているのを「まえ株」、後ろに置いているのを「あと株」という。有限会社の場合、有限会社○○というのが、圧倒的に多いように思われる。この場合も「まえ株」というのだろうか。有限会社は株式会社の一形態とも言えるので間違った言い方ではないだろうが、馴染みがない。
商法の条文には会社の種類を示す文字を入れなければならないとあるが、前か後ろに入れろとは書いてない。だから「○○株式会社△△」というのもあり得るのだろう。ちょっと実感が沸かない。例えば「雑記草 株式会社 二代目」といった感じだろうか。
この場合「なか株」というのだろう。
先日、只で無制限にwebスペースを貸してくれて、しかも広告が一切出ないという業者を紹介した。
その業者のページには、自社のメインページで広告を出して稼いでいるので、貸し出した人のページには広告を一切表示しないと説明している。
昨日は本業の内容の更新を行った。ファイルの転送を行った後、チェックのために更新したページのソースを見てみた。
そうしたら自動的に注釈文が入れられていた。そこには
「あなたのページの最初の見えるところにstas.netのホームページへのリンクを貼って下さい」
と書かれていた。
広告を出さないのはやせ我慢かもしれない。
人間の目の網膜は光の三原色にそれぞれに反応する細胞を持っているらしい。ビデオカメラなどのCCDみたいな機構のようだ。ただし赤緑青のフィルターで色を分けているのではなく赤に敏感な細胞、緑に敏感な細胞、青に敏感な細胞という具合になっているそうなのだ。
色が三原色で全て表せるというのはこの網膜の細胞の機構からすれば当然のことであろう。むしろこの機構があるから光の三原色という考え方が至ったのかもしれない。
音の場合、楽器や虫や動物の鳴き声などは様々な発音機構で音が出ているはずだが、スピーカーを用いれば同じ様な音を出すことが出来る。考えてみればスピーカー一つで出すことが出来るのは不思議な様な気がするが、結局、音は鼓膜の振動を感知しているだけなので、鼓膜さえ元の音と同じように振動すれば同じように聞こえるのである。
目の場合も同じで網膜の細胞さえ同じ色の光だと勘違いしてくれれば全ての色を見せることができる。
それでは一体、生物はいつから光に色があると言うことが分かったのだろう。
進化の過程からすると目は最初、光を感じるだけの細胞だったのだろう。初めは光があるかないかだけが分かるだけだったが、光を感じる細胞が増えて光が発している領域が分かるようになり、更にその細胞を保護するために細胞が集まっている部分が凹んでくると光の方向が分かるようになったのだろう。凹んだ部分を透明な皮膚が包むことによってレンズが出来て目の光学系が完成していったのであろう。
しかしこの進化の過程で生物が光に色があるのを知ったのはいつなのだろう。光があるかないかしか分からない時点では色の情報は必要ない。しかし特定の波長に感応する細胞というのはあったかもしれない。光の感知は細胞内の化学物質の光反応によるものだから、特定の波長に反応するというのはむしろ自然な成り行きだろう。
生物の中には三原色ではなく二原色で色を見ている動物がいるのだろうか。それにしても何がきっかけで色を見分ける機構が備わったのだろう。
皐月(さつき)*1と躑躅(つつじ)*2の区別がつかないと昔から思っていたらやはり仲間だった。サツキはツツジ科の常緑低木である。サツキはサツキツツジの略で陰暦の五月に咲くツツジという意味らしい。
楓(かえで)*3と紅葉(もみじ)*7との関係も分かりにくい。紅葉は秋になって葉の色が赤や黄色くなる草木のことをいうので紅葉の方が意味が広い。カエデは植物の種類の名前である。楓の語源は「蛙手」なので、楓と言えば葉の形が手のひらになっているものだけを指すと憶えておけばいいであろう。
菖蒲(あやめ)*5、花菖蒲(はなしょうぶ)*6、杜若(かきつばた)*7も見分けがつかない。みなアヤメ科の多年草である。見分け方はここ*8。
昔もこのようにどれがどれだったのか分からなくなることはあったようだ。徒然草第六十七段*9の中で次のようなことが書かれている。
上賀茂社*10の境内にある岩本社には在原業平*11、橋本社には藤原実方*12が奉られているが、当時の人もどっちがどっちだかよく分からなくなってしまったらしい。兼好もよく分からなかったので、お参りした際に年老いた宮司に聞いてみたら、吉水和尚*13の歌を引き合いに出してこちらがこっちだとすらすらと教えたくれた、という話である。しかし岩本→業平、橋本→実方の関係を憶えるのに上のようなかなりの教養がいるのは、庶民の豆知識の範疇を超えている。
*1 さつき盆栽ホームページ
*2 躑躅
*3 カエデともみじ
*4 イロハモミジ
*5 アヤメ
*6 はなしょうぶ園
*7 八 橋 か き つ ば た
*8 菖蒲について
*9 徒然草(日本文学大系)2/4
*10 上賀茂神社
*11 在原業平
*12 藤原実方について
*13 前大僧正慈円
日本各地に巨人伝説があるらしい。筆者の出身地にもダイダラボッチ伝説があった。
何のためなのか分からないが、ダイダラボッチが富士山を作ろうとした。土は滋賀から持っていったのでその跡が琵琶湖になった。
ダイダラボッチの足跡も実家の近くの神社にあるというので小学生の頃、探しに行ったことがある。結局よく分からなかった。
電池には色々種類がある。乾電池だとかアルカリ電池だとか繰り返し充電して使うことが出来ない一次電池と呼ばれるものだけでも沢山種類がある。
電池の名称はどのように付けられているのだろうか。電池の基本構成は負極活物質、電解質、正極活物質である。活物質とは電解質との化学反応によって電子を放出したり取り込んだりする物質である。電子を出す活物質を負極活物質、電子を取り込む活物質を正極活物質という。
一般に言われている電池の名前はこの基本構成物質の名前で付けられているようである。現在実用されている主な一次電池はの名前はマンガン乾電池、アルカリマンガン電池(アルカリ電池)、酸化銀電池(銀電池)、ニッケル-亜鉛電池、水銀電池、塩化銀電池、空気電池、リチウム電池などである。
マンガン電池は正極活物質に二酸化マンガン、アルカリマンガン電池は正極活物質に二酸化マンガンを使用して電解質に水酸化ナトリウムなどの強アルカリを使っているのでこの名前が付いている。
酸化銀電池は正極活物質に酸化銀、ニッケル-亜鉛電池は負極に亜鉛、正極にオキシ水酸化ニッケル、水銀電池は正極活物質に酸化水銀、塩化銀電池は正極活物質に塩化銀、空気電池は正極活物質に空気中の酸素、リチウム電池は負極活物質にリチウムが使われている。ほとんどが正極活物質に使われている物質の名前が付いている。大抵の物事は「正」を基本に考えるから、そうなったのであろう。アルカリマンガン電池は電解質の特徴が名前になっている。これは活物質の構成がマンガン乾電池と全く同じ為、それと区別するためにこのような名前になったのであろう。
ところでリチウム電池だけは負極活物質の名前がついている。これは正極活物質に二酸化マンガンが使われているため、正極活物質の特徴で区別することができなかったためであろう。
宝くじ*1で一等を当てたことのある人がやたら身の回りにはいない。しかし一等は誰かに当たっているはずである。宝くじを買う人に一等なんて当たらないだろう、というと「買わなければ絶対当たらない」という。筆者の感覚では「買っても絶対当たらない」である。当たる確率*2が低すぎる。
麻雀*3で役満*4というのがある。麻雀は手持ちの牌を伏せた牌と交換するなどして決められた絵柄や数字の組み合わせの出来映えを競う遊戯である。決められた組み合わせは「役」と呼ばれ、役が重なればそれだけ出来映えの点数が倍になる。
役の重なりは2の累乗になるので、役が沢山重なると点数が途端に大きくなる。そこで点数の上限を設けた。それが「満貫」である。
さらに見た目が綺麗であったり、揃えるのが難しい組み合わせにはその形だけで満貫として「役満貫」と称した。略して役満である。
役満は麻雀の規定の中で何種類か設定されているが、全て同じ点数のわりには形によって難しさが全く異なる。比較的よく見かける役満は四暗刻*5、大三元*5、国士無双(十三ヤオ九)*5である。滅多に見ないのが九連宝燈(天衣無縫)*5、字一色*5、清老頭*5、四喜和(大小)*5、緑一色*5、四槓子*5、天和*5、地和*5である。他に大車輪*5、四連刻*6、十三不搭*5などを役満として設定している場合もあるが、昭和後期の新設役のような気がするので役満とするのは何となくまだ釈然としない。
役満の中でもっとも難しいのは四槓子*7であろう。これがどれだけ難しいかというと恐らく麻雀が中国で発明されてからまだ一度も誰も作ったことがない役ではないかと思えるぐらい難しい。
四槓子は役として設定があるが、事実上「絶対に出来ない役」である。
そういえばアカデミー賞受賞映画*8The Sting*9の初めの場面で麻雀に興じるアメリカ人が出てくるのを思い出した。ここでも当然四槓子は出来てないだろう。
*1 宝くじコーナー
*2 当せん確率と理論上の当せん金・購入方法
*3 MahjongWalker-麻雀プロ団体公認オフィシャル麻雀サイト-
*4 よせられた質問 役満編
*5 役と翻数
*6 役満の記録
*7 四槓子
*8 Dondetch (ドンデッチ) 映画情報/アカデミー賞1970年代
*9 All Movie Guide: The Sting
ある海外の自動車メーカが「走行しながら街の空気をきれいにする」という自動車を発売した。空気中のオゾンを酸素に変換する機能があるらしい。オゾンは殺菌作用があったり、上空にあれば太陽光に含まれる紫外線を吸収したりして有用であるが、高濃度のオゾンが地表近くで発生すると光化学スモッグの原因になったり、直接呼吸器官を冒したりする。
この自動車はそのオゾンを吸収しながら走行するのである。しかし地表近くで発生するオゾンの原因は自動車や工場の排気ガスが原因なのである。それを吸収することを広告で宣伝するのはどうかと思う。自分で原因を作っておいて、それを処理しているから他の自動車よりも優れているというのはおかしな話である。何もしないよりはましかもしれないが、わざわざ宣伝することではない。自分の排泄物は自分で処理するのは当たり前である。
確かこれとは別の自動車メーカが10年ぐらい前に開発したエンジンは、その排気ガス中の窒素酸化物NOx濃度が空気中の窒素酸化物濃度よりも低くなるものであった。もともと空気中の窒素酸化物は自動車の排気ガスが原因だから上のオゾンを吸収する自動車と同じである。しかしこのメーカは特にこのことを全面にだして宣伝しなかったと思う。
オゾンを吸収する自動車を開発したメーカは現在全ての自動車に装着されている3点固定式のシートベルトを発明した会社である。同社はこの発明を特許化しなかった。企業の収益よりも自動車に乗る全ての人の安全を優先したのだ。
このような考え方の会社が当然すべき自分の後始末を誇らしげに宣伝するものだろうか。企業体質が変わったのか、はたまたそのメーカの日本法人の独走なのか。
完全に季節外れの話題であるが、クリスマスソングについて。
クリスマスソングといえば、きよしこの夜、サンタが街にやってくる、赤鼻のトナカイ、ジングルベル、ホワイトクリスマス、諸人こぞりて、エサイの根よりなど。新しいところではラストクリスマス、クリスマスイブなどがある。
この中でクリスマスに全く関連していない歌がジングルベルである。歌詞の内容はそりに乗って遊ぶ楽しさを歌った曲である。従って冬の歌だがクリスマスとは関係ない。
昨日、蟹を採りに行こうと思い、近くの田圃を覗いた。田植えをしたばかりの稲はまだ田圃の土にしっかりと根付いていないのか、元気よく生えている様子ではまだない。
蟹と行ってもザリガニではない。去年の夏の終わり頃、蟹の死体を田圃で見つけたので、今度は生きた奴を見ようと思った。
田圃に行くと何か動く物がいる。最初はオタマジャクシだと思ったが、すぐにカブトエビだということに気付いた。カブトエビの存在を知ったのは成人してからで、子供の頃は知らなかった。子供の頃は農薬が盛んに使われていたので田圃の生き物はオタマジャクシと蛙ぐらいしかいなかった。
カブトエビの存在を知ってからは実際に見てみたいと思って図鑑などを調べていたら和歌山県、奈良県以西に分布しているとあったのでわざわざそこまで行ったことがある。和歌山まで行って野良仕事をしている農家の人にカブトエビを探していると言ったら「知らんなぁ」と言われてすごすごと帰ったこともあった。
そうしたら歩いて数分の所の田圃にいた。うじゃうじゃいた。一緒にホウネンエビもいた。これもかねてから実物を見てみたいと思っていた生物である。所が不思議なことにうじゃうじゃいた田圃の隣の田圃にはカブトエビが一匹もいない。ホウネンエビもいない。幅が30cm程度の畦道で仕切られているだけなのに全くいなかった。幅30cmの畦道を2〜3cmのカブトエビは越えることは出来ないが、その卵は土と一所に耕耘機や人間によって運ばれてもおかしくはない。
更にうじゃうじゃいた田圃のカブトエビの「兜」には模様がなく茶色一色であったが、カブトエビが一匹もいない隣の田圃のそのまた隣の田圃にはカブトエビが少しいた。その兜は黒と茶のまだら模様であった。
もしかしたらカブトエビがいる田圃は有機農法を実践しているのかもしれない。カブトエビは常に足を動かし田圃の泥をかき混ぜながら雑草の芽を食べたりするので除草剤の代わりになる。益虫なのである。農薬が出現する前は昔は当たり前に沢山いたが、農薬のお陰で激減したためわざわざ養殖したのかもしれない。
田圃によってカブトエビの種類が違うのは農家によってカブトエビの仕入先が違っていたためだろうか。
幼少の頃、百人一首をやる前に参加者全員で声の調子を整えるために「瓜売り」を唱和した。
「さぁて、読み上げますよ」
「あれ?ウリウリはやった?」
「あっ、まだでした。それじぁ、いきますよ。うりうりがぁ・・・」と言う具合に始まるのであった。
「瓜売り」の全文は
うりうりが うりをうりうり うりのこし うりうりかへる うりうりのこゑ
である。漢字を当てると「瓜売りが瓜を売り売り売り残し売り売り帰る瓜売りの声」。「瓜売りが瓜を売り売り売り残し瓜売り帰る瓜売りの声」でもいいのかもしれない。
可視光線の波長より少し長い波長の電磁波を赤外線、少し短い波長の短い電磁波を紫外線という。可視光線のうち波長が長い光は赤く見え、波長が短い光は紫に見える。これから赤い光の外側の領域の光で赤外線、紫色の外側の領域の光ということで紫外線という名前が付いたのだろう。
しかし赤の外、紫の外ではその光もしくは電磁波の特徴を表すには言葉足らずの様な気がする。「外」という言葉は「内」に対する言葉で、示しているのは一種類の方向しかない。光の場合、「内」というのは可視光線の波長領域を示しているのだが、「外」は外でも赤色の方の外と紫色の方の外があるというのだ。これは言葉の意味として無理があるように思われる。
英語の場合は赤外線はinfrared、紫外線はultravioletである。infra-は「下方の」という意味の接頭辞だからinfraredは「下の方の赤」、ultra-は「超過した」だからultravioletは「超過した紫」である。日本語のような内と外との関係ではなく、電磁波の名前を波長で並べた時に順番が上か下かで付けられた名前である。この方が波長と名前との関係を理解しやすい。
ところがinfra-の反対語はsupra-なので言葉の対象性が英語の場合でも崩れている。どちらが先かしらないが、赤外線の発見と紫外線の発見の順番でこのようなことになったのかもしれない。発見の順番で名前の整合性がおかしくなることはある。マイクロ波の波長がミリ波のそれよりも長いのは最初に10m以下の波長の電磁波をマイクロ波と大雑把に名付けてしまったからである。
ただし日本語は訳しただけなので、「赤外線」と「紫外線」とは、熟語としての対称性は整っている。
アインシュタインというと相対性理論である。この理論が発表されたとき世界中にそれが理解できたのは数人だったとか、7人だったとか、中学生の頃に聞いたことがある。7人の「7」という数字が如何にも怪しいと思っていた。
当時、日本で理解できたのは寺田寅彦だけだった、というのも聞いたことがある。これも巷間の説の域を出ない話だと思う。誰でも知っている当時の物理学者は寺田寅彦ぐらいだったのだろう。
そういえば「マリリンとアインシュタイン」という映画があった。原題は「Insignificace(無意味)」である。マリリン・モンローがアインシュタインの泊まっているホテルに突然訪ねてきて、モンローがそこへ行く途中のドラッグストアで買い込んだ風船と列車の模型と懐中電灯を使ってアインシュタインに特殊相対性理論を説明する場面があった。
アインシュタインがドイツ語で「一つの石」というのを知ったときは何か感動した憶えがある。ついでにバッハは「小川」という意味だと聞いたときも感心してしまった。
アインシュタインの論文で参考文献が一つもないものがあると聞いたことがある。先人の研究は全く参考にならなかった様だ。これも凄い話である。
拳銃を所持できる職業は警察官、自衛官、麻薬取締官、海上保安官である。かつてある予備校の講師で拳銃が持ちたくて海上保安官をやっていた人がいた。拳銃といえば警官、と考えたくなるのが一般人であるが、その辺が予備校の講師たるところだろう。
「とうさん、一休さん*1って知っとる? ポク、ポク、ポク、ポク、ポク、ポク、チーン、とやる人」
「知っとるよ。じゃぁ、もっと凄い十休さんというの知っとるか?」
「だれぇ、その人」
「一休さんより速いぞ。ポクポクポクポクポクポク、チーンだ」
「百休さんはおるの」
「おる。ポクポクポクポクポクポク、チーンだ」
「じゃぁ、千休さんは?」
「ポクポクポク、チーン」
「一万休さんは?」
「ポクチーン」
「一兆休さんは?」
「ポチンだ」TVアニメーションの「一休さん」で出てきた商人桔梗屋が算盤*2を弾く場面があったと思うが、一休さんが小僧の頃、日本には算盤がまだ伝来していなかった*3ようだ。
*1 文化財選集−紙本淡彩一休和尚像 墨斎筆(東京都)
*2 TOMOE Soroban
*3 播州そろばん豆知識
本業のサイトに関連するところでこんな所を見つけた。出てくる画面の構成は見慣れた本業のページと殆ど同じである。しかしページの一番上にハングルが書かれている。しかも文字がローマ字以外全部文字化けをしている。色々な言語のフォントが入れてあるOSによってはうまく日本語以外の文字が出ているのかもしれない。
つい最近更新した内容まで文字化けしているところを見ると、わざわざ朝鮮語に翻訳している訳ではなさそうである。そこでそのページのソースを見てみる。
どうも強制的に日本語文字をハングルに自動的に変換しているだけのようである。目的は何か。
000628追記 上記のサイトは自動翻訳サイトであった。ある読者の指摘により判明した。サイトの目的は日本語を韓国語で表示することであった。
テスラはエジソンと同時代の発明家であるが、エジソンに比べてテスラは圧倒的に知名度が低い。
テスラの功績は交流システムの構築である。交流発電機、誘導モーターなど多くの発明がある。これに対抗してエジソンは直流システムを押し進めていた。しかし直流は交流に比べて簡単に電圧が変えられないので電力輸送の点で非常に劣っている。結局、世界を席捲したのは交流だった。
エジソンの発明品には電球や蓄音機、映写機など民生に直接かかわるものであったため、知名度が高くなったのであろうか。一方、テスラの名を知るのは大学など物理学の授業で磁束密度の単位にその名が付けられていることで知るぐらいで、SI単位系の固有の名前を持つ組立単位の殆どが人名にちなむことを知らなければテスラが人の名前であることでさえも気付かないだろう。
しかしテスラのフルネームを知れば忘れられない。ニコラ・テスラ。テスラはアメリカでエジソンと交流と直流の戦いを繰り広げていたのだが、出身はアメリカではなく、1856年クロアチアの生まれで1884年アメリカに渡ってきた。従ってアングロサクソン系の名前ではない。
名字も名前も「ラ(-la)」で終わっているので奇異な感じがする。名前だけではなく天才の名に相応しいぐらい奇人だったようだ。発明の一つであるテスラコイルの形を見ているとそう感じてしまう。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場する博士のモデルはテスラだという噂もあるようだ。
我が家の自動車のハンドルはメーカー純正のものではない。純正のハンドルは気にくわなかったので、数年前量販店で買ってきて自分で取り付けた。
MOMOというイタリアのステアリングメーカーのもので「ザガートデザイン」というモデルである。「MOMO」の発音はイタリア本国ではどうかなのか知らないが、愛知県辺りの発音は「モモ」である。ただし果物の「桃」ではなく「百地三太夫」の「もも」になる。上記のモデルは既に絶版になっているようだ。
後で判ったのだが、ホンダのNSXと同じモデルだった。
クラクションも換えてある。クラクションといえばKlaxonが語源であるが、Klaxonのクラクションは使っていない。BoschとFiammのホーンを装着している。室内のスイッチで切り替えられるようにしてある。
透明人間は物を見ることが本当に出来ないか。その様なことはない。見ることは出来る。しかし我々の見る世界とはかなり違うだろう。
透明人間が物を見ることが出来ない根拠は、物を見るためには網膜で光を感じなければならない、感じるとは網膜細胞に対して光が物理的及び化学的に作用することだから、光を感じたらその光が変化するのでその様子が端から見えるはずである。つまり光を吸収する網膜は端から見えるので、物を見ることが出来る透明人間は目玉が透明ではない、ということである。
従って可視光しか見えない他の普通の人間にとって完全に透明になった透明人間は物が見えない、ということだ。しかし物を見るためにはその光が必ずしも可視光線である必要はない。可視光線は全て透過してしまうが、そのほかの光は吸収する網膜があればいい。現実にそんな物があるのか。ある。大抵、透明な物質は可視光線以外の波長領域では不透明である。ガラスでも紫外線、赤外線の領域になると透明ではなくなる。
世間には紫外線よりも赤外線の方が沢山溢れているから透明人間は赤外線を見ることになるだろう。赤外線は温度を持った物質からは必ず放射されているので太陽や電球などの光源がなくても見ることが出来る。闇夜でも透明人間は物を見ることが出来ることになる。まさに不可視の世界の存在である。
従って透明人間の悩みは物が見えないことではなく、缶コーヒーなど色の付いたの食物を飲んだり食べたりしたときに自分の存在がばれてしまう点である。
以前、家族で同じ分野の科学者というのは珍しいと書いた。
全然気付かなかったのだが、先日の話題でブラッグ親子がノーベル賞を取っていることを書いていた。親子で同じ分野の研究をするというのはありそうで現実はあまりないと思っていたが、調べれば結構あるかもしれない。そういえば顕微鏡の発明も親子だった。
キュリー夫人はノーベル賞を授賞したことがある女性科学者として巷間でよく知られている。時々、その旦那のピエール・キュリーは何をやっていたのか、と思っている人もいるかもしれないが、彼も放射能の研究で夫人とノーベル賞を共同授賞している。キュリー夫人の方はノーベル物理学賞と化学賞と二つも授賞している。
更に驚くべきことはキュリー夫妻の長女イレーヌ・ジョリオ・キュリーもノーベル化学賞を受賞している。そして更に凄いのはその旦那フレデリック・ジョリオ・キュリーと共同授賞を果たしていることである。
ノーベル賞に関しては本家本元のここを参照されたい。
1+1は何故2なのか。1ヶの石ころと1ヶの石ころを合わせれば石ころは2ヶになる。見れば判る。しかし1000+1000が2000になるのは見れば判るという程度の数ではない。
そこで数学では1+1=2であることを集合論や数学的帰納法を駆使して証明している。そして1000+1000=2000であることも厳密に証明されている。
しかしこれは数学という学問の中で保証された論理である。人間の思惟の中で繰り広げられている世界の話である。実際に1ヶの石ころとヶの石ころを合わせると2ヶになることと1+1が2になることが同じであると理解もしくは実証されなければ、実際の「算術」としては数学は応用できない。
数える個数が少なければ色々足し合わせて実際に数えてみれば、成る程、「足し算」というのは現実とよくあっていることが判る。例えば2+3=7が数学の世界で矛盾なく成り立っているとすると、実際とはかけ離れていることがすぐ判るので足し算は実用にならないことになる。
それでは1兆+1兆が2兆ではなく「2兆5千」になるということが数学的に矛盾がないと判ったらどうなるだろう。実生活ではその様な大きな数は扱わないので全く問題は起きないだろう。数が大き過ぎるので確認しようがない。円周率の100万桁目の数字が「1」だろうと「2」だろうと誰も困る人はいないのと同じである。
逆に「1兆+1兆=2兆5千ではない」という保証はない。数学的には保証されているが、現実の世界でこれを証明するには実際に数えるしかない。
そう考えていたら、もしかして自分の預金口座に1000円入金したら残高が2000円増えていたということが起こるかもしれないと思えてきた。多分、預金残高が国債残高ぐらいあれば起こるかもしれない。
我が家の場合、何もしていないのに自然に残高がどんどん減っているのが現実である。
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